十四(2/3)

「存在する、と私は信じています」


 お茶を濁すような、どこか曖昧なニュアンスだった。

 けれど住職は、疑いようのない真剣な面持ちで語り始めた。


「私の親は四人兄弟なんですが、昔からあまり兄弟仲が良くなくてですね。そんな折、今から二十年ほど前に、前々から老衰の色が濃くなってきていた祖父が他界したんですよ。そんなときばかりはさすがの親兄弟も『頑張ったね』『もう楽になってね』などと一様に悼む気持ちを向けていたんですが、葬儀の前夜、そんな祖父が夢に出てきたと叔父が口にしまして。それを聞いたときにはまぁただの夢だからと、私は深く考えずに聞き流そうとしました。しかし、すると他の親兄弟も口々に同じことを言い出し始めたんですよ。俺の夢にも出てきた、私のところにも来た、などと。聞くと、親兄弟全員に対して同じような言葉を置いていったそうなんです。つまり、あまり喧嘩するなよ、仲良くしろよ、といったようなことを」


 もしもその話が本当なのだとしたら、確かに偶然の一致では片付けにくい出来事だと思う。


「夢枕に立つ、といいます。それ以来、私もそういったものの存在を何となく信じるようになり、数年後に出家し、修行を続けて今に至ります」


 私も、そしてたぶん先輩も、返せる言葉を持てなかった。

 少なくとも今の私には持ち得ない感性だった。


「結論を述べますと、あなたの部屋に執着しているらしいその故人も、何か伝えたいことがあってこの世に残っているのかもしれませんね。しかし残念ながら、それが必ずしも善なるものとは限らない。生前、他者からの愛情に乏しい生き方を送ってきた人間は、それ相応の未練を残して現世に執着する羽目になる。思うに、その故人はそういったたぐいの仏様である可能性が高いように思えます」

「……どうにか、することは出来ないんですか……?」


 かすれて消えてしまいそうな声を、私は無心で絞り出した。

 どうにか出来なければ、私は、過去にあの部屋で不審な死を遂げた住人女性たちと同じ結末を辿ることになってしまうかもしれない。

 いや、あれだけのことがこの身に起きているのだから、それはもうかなり可能性の高い話なんだと思う。

 私の悲痛な願いに、住職は


「これを」


 と、傍らに置いてあった紙の包みをこちらに差し出した。 


「四枚のおふだと、お守りが一つ入っています」


 その包みを受け取りながら、住職の説明を聞く。


「護符は部屋の東西南北にあたる位置にそれぞれ一枚ずつ配置して、お守りは外を出歩く際に必ず肌身離さず持ち歩いてください。そうすれば部屋にその仏様が入ってくるのを防ぐことができ、外ではお守りがあなたを守ってくれるでしょう」


 私はどこかぼんやりとした頭でそれを見下ろした。

 これで、ようやく平穏な生活に戻ることができる……?

 ここ数日、わけもわからない恐怖で張り詰めていた緊張が一気に弛緩し、胸の内から安堵が込み上げてくる。

 両手で丁寧に収めたその包みを見下ろしながら、緩みそうになる気持ちを懸命に留める。そうでもしないとこの場で泣いてしまいそうだった。

 本当に、良かった……。

 けれど、そう安心していた私とは裏腹に、隣に腰を下ろしている先輩が神妙に続けた。


「根本的に、原因の霊をどうにかすることはできないんでしょうか?」


 原因の霊。

 十年前に住人に返り討ちにされた、ストーカーの霊。

 その対策としてここで貰ったこの護符とお守りは、今聞いた限りでは飽くまで防衛措置になるものでしかない。襲われないようになる、という程度のものでしかない。

 けれど確かに、原因となるストーカーの霊がそのままでは、根本的な解決にはならない。


「聞くに、その仏様は随分強い霊力ちからを持っているように思います。それに対して、より強い霊力によるお祓いは不可能である公算が高い。どうやらその仏様はその部屋に強い執着心を抱いておられるようなので、その部屋自体を無くしてしまうのが最も効果的だと思われるのですが……」

「部屋を無くすって……」

「もちろん、その一室だけを物理的に取り壊すことは出来ないでしょうし、アパートそのものを取り壊すことも、おそらくは大家様が良しとはしないでしょう。それが出来れば仏様も成仏される可能性はありますが、そもそも、そんな強行に踏み切ってしまった場合、その仏様がどういう行動に出られるかまったく想像がつきません」


 死んだ人が執着している家や建物を取り壊そうなんていう行動に出たら、心霊現象や祟りに見舞われる。

 なんか、そういうこともあるって聞いたことがあるな。

 隣を見遣ると、先輩は渋面を作って視線を伏せていた。


「しかし、それでは今後、あの部屋に住む人間は同じような現象に襲われ続けることになってしまう」


 確かに、私たち美沢親子がいつまでもあの部屋に住み続けるとは限らない。

 部屋にいる内は護符を貼っておけば問題ないだろうけれど、外出先ではお守りが必要になる。

 私たち美沢親子があの部屋を出ていった際に仲介業者が護符を処分せず、お守りまできちんと次の住人に引き継いでくれれば済むのかもしれないけれど……。

 契約するときにそんなものを渡されるような賃貸物件に住みたいと思うような人間、そうそういるかな……。

 仲介業者も大家さんも、それをわかっててそんなことまでしてくれるかな……。

 どうやら先輩は、そこまで気を回しているようだった。


「あの、私たち、まだ全然あの部屋を出ていく予定はないので……」


 そんな資金もそうそうないので、しばらくは住み続けるしかない。

 

「美沢さん、それでもあの部屋は賃貸物件なんだ。いつかは他の人があの部屋に入ることになるんだ。俺だっていつ退居するかわからないし……」


 そんな先のこと……と思ったけれど、しかしそれは確かに避けようのない未来の話でもある。

 けれど、それに対しても、私には関係がないという気持ちがどこかにあるのは確かだった。そこまで考えている余裕がないとも言える。というか、現実的に私に出来ることなんてないという気もする。

 なのに、どうして先輩は、そこまでこの問題に固執しているんだろう。

 誰もが戸惑う重苦しい沈黙が降りる中、ややあって佐藤住職が口を開いた。


「お気持ちはわかりました。しかし幸い、それも今すぐという話ではないのでしょう。私の方でも他のお寺さんや知り合いをあたってみますので、今日のところはお帰りいただいて、そのおふだとお守りでしっかり対策していただければと」

「……わかりました」


 渋々といった様子ながらも、先輩はようやく頷いて見せた。

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