十四(3/3)

 それにしてもお守り、か。

 私は持ってきた鞄に付けているそれを手に取る。

 あのニートの男に貰った物。

 ただ、表には『交通安全』と表記された、どこかご利益のズレたような物。

 これは一体どうすればいいんだろう。

 一応まだ持っておくべきなのかな。

 そのお守りを見下ろしながらそう逡巡しゅんじゅんしていると、住職がそれに視線を留めたようだった。


「それは?」

「人から貰ったものです。私が今回の件に頭を悩ませているのを打ち明けたら、これをくれて」


 せっかく住職もお守りをくれていたのに、既に別の人から同様のものを貰っていたなんて明かすのは少し後ろめたいものがあって、思わず小声になる。


「あぁ、もしかしてお母さんから?」


 と、何か得心のいったような声が隣から掛かるけれど、それには首を振る私。


「いえ、アパート前の公園にいる男の人です」

「ちょっと、見せていただいてもよろしいでしょうか」


 先輩に答えてから向けられた声に正面を向くと、いぶかしげな顔で住職が手を差し出してきていた。

 私は無言で住職の手にそれを乗せた。

 手元に寄せてそのお守りを裏返したり透かしたりと、何やらあらため始めた住職を不思議に思って見ていると、


「公園にいる男の人?」


 隣ではこちらも訝しげな面持ちを私に向ける先輩。


「はい。いつもあの公園にいる男の人です。いつも黒いシャツにジーンズの……ちょっと陰湿な人で、自分から何の引け目もなくニートだって言ってました」

「いつもいるの?」

「? はい。いつもっていうか、ほとんど四六時中。私が外に出たときにあの人を見掛けなかった日はないくらいです」


 この質疑応答はなんなんだろうと、首を傾げながらも返し、ふと疑問に思って確認する。


「先輩も見たことありますよね?」


 対する返答はなく、眉をひそめた不審げな面持ちだけが返ってきた。

 じわじわと胸の奥からせり上がってくる、どろどろと粘りつくような不快な不安感。


「ちょっと、中を検めてもよろしいでしょうか」

「あ、はい」


 正面から向けられた住職の声に頷きを返す私。

 どうせただのお守りだからと、何一つ深く考えてなんていなかった。

 どこかうやうやしく手を合わせた後、そのお守りの口を縛ってある紐を解き始める住職。

 そしてその狭い口を広げて中を覗いたその顔が、控えめながらも確かに不快そうに歪められたのを私は見た。

 胸の奥の粘りつくような不安感が、どんどん強くなっていく。

 

「失礼します」


 と、おそらくは持ち主である私に一言断りを入れてから、住職はそのお守りに指を差し入れた。

 そしてそこから引きずり出されたそれを私の眼が捉えた瞬間――


「……っ!」


 悲鳴とも嗚咽とも取れない声が喉から漏れた。


「ご住職、それは……明らかに普通ではない、ですよね……?」


 を目にしても先輩の思考はまとも働いているようで、声を詰まらせながらもその疑問を住職に向けた。


「はい、普通、お守りの中にこんなものはれません」


 住職が指で引きずり出したもの。

 それは長くて細く、僅かな光沢が光を反射して不気味に輝く――明らかに人の、髪の毛だった。

 見た目から感じられる質感からしておそらくは女性のもので、しかもそれが無数に、無造作に。


「美沢さん、これを、誰に貰ったって?」


 私たちは既に一度行われた質疑をもう一度繰り返す。


「アパートの前の公園にいる、男の人に」


 私の声は知らず震えていた。

 それもそうだろう、女性の髪の毛なんていうものが入れられたお守りを、私はずっと持っていたのだから。

 

「その人は、美沢さんが越してきたときからそこにいたの?」


 首肯する私の額から汗が伝い落ちた。

 空調なんて設えられていない本堂が暑いのは当然だったけれど、暑さとは別の、嫌な汗だった。

 どうして先輩は、私に対してこうも質問攻めにするのか。

 まるであの男の存在を確認するような、不可解な質問を。

 

「……嘘、ですよね?」


 最大限の願望が込められた問いかけ。

 けれど返ってきたのは、無情な真実。


「もう三年くらいあのアパートに住んでるけど、そんな男、俺は見たことないよ…………ただの一度も」

「!」


 さっきとは違い、今度ははっきりと言葉にしてその現実を突きつけられた。

 物理的に脳が揺れたような気さえした。

 それは、先輩が通り掛かった時だけいなかった、っていうこと?

 いや、違う。

 そんなのはもう、わかりきっている。


「決まりだね」


 先輩は強く確信を込めてそう言った。

 確かにあの公園は木々も多くて雰囲気が良いけれど、わざわざ隣町から毎日通い詰めるほどのものだとは思えない。

 だというのに、あの男は毎日毎日飽きもせずにあの公園に、朝から夜まで四六時中佇んでいた。

 まるで、あのアパートを――三○二号室を監視するかのように。

 先輩の言う通り、これはもう決まりだ。

 けれど、この恐怖も今日まで。 

 住職に貰ったお札とお守りがあれば、私は平穏な毎日に戻ることができる。

 あの男――もとい、あのストーカー男から貰った髪の入ったお守りは、住職がしっかりとお祓いをして処分してくれるというので、ここでお別れだ。

 ちなみに住職から貰ったお札と護符、そして髪の毛入りのお守りのお祓いは有料だった。

 高校生の身分には結構な金額だった。

 私は先輩に借金をした。

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