八(1/2)
「聞いたよ。部屋が荒らされてたんだってね」
私を自分の部屋に招き入れた先輩は、お茶をグラスに注ぎながら気遣わしげにそう言った。
そして氷がカラカラと音を鳴らすそれを私の前のローテーブルに置いて、先輩も対面に腰を下ろす。
炎天下で尋常とは思えない事態に襲われたせいだろう、今の今まで忘れていた喉の乾きが途端に襲ってきて、私はお礼の言葉もなしにグラスを取って一気に飲み干してしまった。ちょっと勢いを付け過ぎたせいで喉元に少し溢れたけれど、全部飲み干した後に適当に手の甲で
そして
「す、すみません」
「いや、全然いいよ」
先輩は苦笑混じりにそう言ってくれて、今度こそ本当に胸を撫で下ろし、落ち着くことができた。
冷静になって、思う。
さっきの先輩の出で立ちからすると、これから出掛ける予定があったんじゃないかと。
私がここに越してきてから一週間ほどが経つけれど、先輩と遭遇することはほとんどなかった。私は夏休みの課題と部活に精を出している程度だったけれど、受験生の先輩はそうもいかないのか、夏休みでも補習とか予備校とか、毎日を慌ただしく過ごしているに違いない。確か、勉強についていくのも精一杯だと言っていたし。
「あの、すみませんでした。どこかに出掛ける予定だったんじゃ……」
それが予備校だったりしたら、本当に申し訳ない。
肩に掛けていたカバンもそんな感じのものだったし。
私、謝ってばかりだ……。
そんな自己嫌悪に陥りかけたけれど、先輩はやんわりと首を振って柔らかな笑みを向けてくれた。
「それも大丈夫。それに、俺のほうも話したいと思ってたから」
けれど、それも次の瞬間には陰が差す。
その表情に、私はこの上ない険しさを感じ取る。
その正体にはすぐに考えが及んだ。
それは、私も訊きたいと思っていたことだったから。
「やっぱり、何か知ってるんですか。あの部屋について」
先輩は僅かに驚いたようにその目を見開いた。
どうやら図星みたいだった。
今日、私は何者かに尾行されるという恐怖を味わった。
という事は警察の見立て通り、やっぱりウチの空き巣被害も何者かのストーカー行為の一貫だということだろうか。
いや、私もこの目ではっきりと尾行者の姿を見たわけではないけれど、私が誰かにつけられていたということは、先輩もさっき口にしていた。
「…………?」
今、何かが引っ掛かったような気がする。
しかしそれも、確固とした形を見せる霧散してしまって私の手をすり抜けていく。
……だめだ、まともに考えが働かない。
ともかく、警察は空き巣とストーカー行為を結びつけ、それが何度もあの三○二号室の住人に対して働かれているような言動を口にしていた。またこの部屋か、と。
そしてご近所さんたちも、あの部屋には何かがあると知っている素振りだった。
それが、私が現在置かれている非日常的な状況に関係している可能性は高い。
「何でもいいんです。知ってることがあったら、心当たりがあるなら、教えてください」
固く目を閉じて。
か細くなる声を必死に絞り出して。
私は懇願した。
もう何かに怯えながら生活するのは、一秒でも早く終わりにしたい。犯人の正体に繋がるようなことを先輩が知っていれば、後はそれを警察の人に伝えて……。
やがて、先輩は申し訳なさそうに口を開く。
「ごめん、でも俺も半信半疑だし……。それにこんなことを伝えて、俺のことを変なヤツだって思われるのも嫌だったし……」
一体先輩は――この付近の住民は何を隠しているんだろう。
まだ何か迷っているのか、先輩はどこか弱々しく
「大丈夫です。気にしませんから」
人がどうだとか気にしていられる状況じゃない。
私がそう言うと、ようやく先輩は前置きから切り出した。
「わかった。話すよ。でもこれから俺が話すことが本当なのか、本当にあったことなのかは俺にもわからないし、俺だって
あの部屋に関する話なら何でもいい。
とにかくそれが知りたくて、私は頷いた。
「十年くらい前の話。あの部屋――三○二号室に、一人の女の人が住んでたらしい」
私は虚を突かれて思わず困惑した。
確かにあの部屋に隠されている問題について聞こうと思えば過去の話を聞くことになるのは当然だろうけれど、まさかそこまで遡るとは思っていなかった。
私の困惑顔から目を逸らしながらも続けようとする先輩の言葉に、私は耳を傾ける。
「大学生くらいの女の人でさ。入居してしばらくは普通に暮らしてたらしいんだけど、
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