「え? ストーカー? 大丈夫なの? それ」


 あまりあの部屋にいるのが嫌で参加した、夏休み中の部活の練習、その休憩時間のことだった。

 練習で体を動かしている間は嫌なことを考えなくていい。

 スポーツドリンク片手に体育館の隅に腰を下ろした私は、同じように休憩している友人たちにここ数日で起きたことを打ち明けた。

 彼女たちは私の顔を覗き込みながら、心配そうな声で気遣うような言葉を掛けてくれた。


「警察には言ったの?」

「うん。できる限り調べたり、付近の見回りを強化してくれるとかって」

「そっかぁ。犯人捕まってくれるといいね」

「ってかそれって空き巣じゃないの? ストーカーなの?」


 友人の一人は私と同じような感想を抱いたらしい。

 首を傾げながらその疑問を向けてくる。


「その可能性もあるらしいけど、真っ先に警察の人の口から出てきたのはその言葉だったよ。お母さんが『空き巣じゃないんですか?』って訊いたら、『うーん……』みたいな反応してた」


 まるで空き巣という線は腑に落ちないとでも言うように。

 ストーカーのほうがしっくり来るとでも言うように。

 まぁ結局のところ、私はただの高校生だし、警察には専門家なりのノウハウというかそういうのがあるんだろうと、深くは考えないようにしていた。

 色々と釈然としないところはあるけれど、後は警察に任せておけば大丈夫だろう、と。


「ってか何でストーカーとかするんだろうね。相手が嫌がってるとかわかんないのかな」

「ジコチューだからわかんないんでしょ」


 バスケ部でも特に仲の良いこの二人は、人見知りの私とも関係を築いてくれて、よく気遣ってもくれる良い友達だ。

 まるで自分のことのように私をおもんぱかってくれる。


「大丈夫? 今日、家まで送って行こっか?」


 唐突な申し出に私は虚を突かれて目を丸くした後、苦笑してそれを辞退した。


「さすがにそれは大丈夫だよ」


 そう高を括っていたのは、私も心の底ではただの空き巣だと思っていたからかもしれない。

 そうやってゆるいバスケ部で適度な汗を流した後の帰り道だった。

 友達はああやって気を遣って言ってくれたんだろうけれど、それまでその可能性を考えてもいなかった私は、妙に不安な気持ちに駆られながら帰路を歩く。

 大丈夫……だよね。空き巣だもんね……。

 もしもストーカーであるのなら、今この瞬間も犯人に見られているかもしれないという可能性。

 それが、私の胸中にこの上ない不安を渦巻かせる。

 夏場ということもあって、夕方のこの時間でもまだ空は明るい。

 既に自宅のある住宅街の差し掛かったこの場所では、それなりに人通りも見られる。

 それでも気持ちは一向に落ち着かなかった。

 バス停を降りてからアパートまでの短い道をそわそわと、周囲を、背後を気にしながら歩く。歩調は気持ちがはやると同時に自然と早くなっていた。


「……っ!」


 それは不安感と被害妄想が生んだ、ただの錯覚だったのかもしれない。

 それでも、背後から誰かに見られているような、誰かにつけられているような感覚はこびりついて離れない。

 微かに、押し殺したような足音が背後をついて来ている気がする。

 私は歩調を早めてみた。

 すると同時に、足音の間隔も短くなった。

 逆に歩調を緩めてみると、足音も慌てたように穏やかになる。

 ……間違いない。誰かが、つけてきてる……!

 漠然とした不安だったそれは一気に膨れ上がり、途端に現実となった。

 一体どんな人間が後をつけて来ているのか、顔を確認するべきかもしれない。けれど当然、背後を振り返る勇気なんて私にはなかった。

 まともに思考が働かない。

 足音が耳に届く度に脳を揺さぶってくる。

 胸を襲う激しい動悸がそれを助長する。

 呼吸が乱れているのは部活の後だからだと言い聞かせる。

 一刻も早く家に帰るべきだという焦燥感に縛られながら、ただただ足を動かして帰路を急いだ。

 背後に怯え、五分程度の道を数十分にも数時間にも感じながら。

 どこをどう通って帰ったのかも曖昧になりながら。

 うのていで何とかアパートの前にたどり着きはしたものの、なぜか普段とは反対側の道からだった。背後を気にし過ぎていたせいで、たぶんどこかで道を間違えたんだろう。

 ふらふらと覚束ない足取りでアパートに入っていこうとすると、逆にこれから出掛けるらしい秋崎先輩とはち合わせて足を止めた。

 きちんと整えられた身だしなみを見ると、誰か人と会うのかもしれない。あのニートの男とは出で立ちからして正反対だ。

 対して私は……一体どんな状態だったんだろう、こちらの顔を見た途端に血相を変えて詰め寄ってきた先輩の様子を見るに、相当酷い顔色だったんだろうと思う。


「どうしたの!? 美沢さん! 何かあったの!?」


 先輩はその両手を私の両肩に添えて正気を確かめるように揺さぶりながら問いかけてきた。

 あまり強い力ではなかったように思うけれど、それさえも今の私には耐えられるものではなくて、膝から崩れ落ちた。

 安堵もあったのかもしれない。

 体験したことのない非常識な目に遭って、その非常識から日常に戻してくれたこの人の顔を見たことで。

 そして先輩は、地面に尻餅をついた私の前に屈み込んで言った。


「大丈夫! もう誰もつけてきてないから! もう安心だから!」


 だから落ち着いて、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る