第50話 目撃
『麗子さん。後で少し話せませんか』
俺は確かにメッセージを送った。
だが麗子さんからの返事は一向に帰ってこない。
もう家に着いて寝ているのだろうか。
それとも気づいていながら無視しているのだろうか。
状況がわからない故のこの不安。
嫌な妄想ばかりが俺の脳裏に浮かぶ。
嫌われてしまったのかもしれない。
呆れられてしまったのかもしれない。
堀と別れ家に帰るまでの間、俺は気が気でならなかった。
ブー。
家の最寄り駅に着いたちょうどその時。
ポケットに入れていた俺のケータイが鳴った。
「麗子さん……!」
飛びつくように画面を立ち上げると。
それは麗子さんからのメッセージではない。
「藍葉?」
送り主は藍葉。
あいつからのメッセージなんて珍しい。
そう思いつつも、俺はトーク画面を開いた。
『〇〇駅前で瀬川さんが知らない男といるところ見かけましたよ』
「知らない男⁉︎」
思いもよらぬ内容だった。
あまりの衝撃に無自覚に大声を出してしまい、駅構内にいた大勢の人が不審な目を俺に向けてくる。
確かな羞恥心を感じながらも、俺はもう一度メッセージを読み返す。読み間違いかもしれないという淡い期待を抱いていたが。
『〇〇駅前で瀬川さんが知らない男といるところ見かけましたよ』
何度見返しても内容は同じ。
麗子さんが知らない男と一緒にいた。
その現場を偶然にも藍葉が目撃したという。
「嘘だろ……」
その事実を認識した瞬間。
俺の中で瞬く間に血の気が引いた。
まさか麗子さんに限って……いやありえない。
だってあの人は過去に辛いトラウマを抱えている。自分の性格すらも変えた悲劇を、自ら繰り返すとは思えなかった。
「戻るか」
とはいえ。
確かめないわけにもいかない。
俺は一度出た改札をもう一度通り。
確かな不安を抱えながら電車に飛び乗った。
* * *
「どの辺りで見た?」
電車に乗ってすぐ。
気が収まらず俺は藍葉にそう尋ねた。
『セ◯ン裏のバーっぽいお店に入るところ見ましたけど』
数秒足らずで来た返信に俺は胆を冷やす。
あの街のセ◯ン裏というと、もろ風俗街の辺りだ。その中のバーに行ったとなると、正直不安でしかない。
(ヤバイ店じゃないといいが……)
知らない男と2人というのも引っかかる。
藍葉が知らないということは、少なくとも会社の人間ではないだろうし、そうなると学生時代の同級生とかだろうか。
「すまん助かった」
様々な妄想が渦巻く中。
俺はあくまで冷静に藍葉への返事を送った。
電車を降りてすぐ。
俺は麗子さんにメッセージを送った。
「今どこにいますか?」
もしかしたらすでに移動しているかもしれない。
そう思った故の、確認のためのメッセージだったが。
「なんで返信くれないんだよ……」
変わらず麗子さんからの返信はなかった。
あの人のことだから確実に気づいている。普段なら俺からの連絡を無視するなどありえないのに。なぜ今日に限って、気づいていないふりなどする必要があるんだ。
(やっぱり浮……)
なんてよからぬ考えが浮かんだが。
俺はすぐさま頭を振ってその妄想を払った。
「でも、明らかにおかしいよな」
浮気じゃなかったにしても。
何か良からぬことが起きているのは間違いない。それに先ほどから感じているこの嫌な予感はなんだ。
「ひとまずその店に向かうしかないな」
立ち止まっていても埒が明かない。
俺は不安に溺れそうになる気持ちを奮い立たせ、藍葉が麗子さんを見たという、例のバーに向かうことにした。
* * *
バーの前にやってきた俺は……。
思わず、自分の目を疑った。
「完全個室バー……いや、ここは……」
看板には完全個室バーと書いてはある。
書いてはあるのだが、明らかにただのバーじゃない。
外装から漂う良からぬ雰囲気。
そして腕を組みながら店に入っていく男女の姿。
仮に今のがカップルならいい。
しかし若い女性が明らかに4、50近い男を連れ込んでいるところを見ると……ここは間違いなく、そういう類の店だろう。
「ここに麗子さんが……」
それがわかった瞬間、頭の中は真っ白になる。
麗子さんが知らない男とこの店に入ったという情景が、突如として頭の中に浮かび上がってきて、最悪の現実が妄想として姿を現した。
怖い……。
これでもし麗子さんが他の男と何かあったら。
考えれば考えるほど、心が抉られるような感覚に陥った。
事実を知らないまま。
このまま引き返した方が幸せかもしれない。
そんな彼氏としてあるまじき思考まで俺の中に浮かぶ。
逃げ出したかった。目を瞑りたかった。
これ以上辛い思いをするのはもうこりごりだった。
でも——。
藍葉に好きと言われてわかった。
俺が好きなのは藍葉ではなく、ましてや他の女性でもない。
他の誰でもなく麗子さんだけなんだ。
ずっとそばにいたい。
そう思えるのは、麗子さんただ1人だけなんだって。
「……じゃあ行くしかねぇだろ」
自分を鼓舞し。
俺は意を決して店の扉を開いた。
麗子さんが好きという俺の本心。
俺はもうその気持ちに嘘をつきたくはない。
あの時何もできなかった弱い自分。それを今変えないで、いつ変わればいいというんだ。俺にはもう、ここでのうのうと立ち止まっている余裕なんてなかった。
「お客様1名様で……ちょ、ちょっと!」
店員の言葉には意を止めず。
俺は自分の勘だけで店内を探し回った。
奥に行けば行くほどわかる。
やはりこの店は普通の店じゃない。
至る所から、それらしき声が聞こえてきていた。
(麗子さん……一体どこに……!)
探して探して、探し回って。
やっと聞こえてきたあの人の声。
この扉の先に麗子さんがいる。
開くのが少しばかり恐怖ではあった。
でも俺は歯止めのかかる気持ちを捨て……その扉を開いた。
「麗子さん……!」
俺の目に映った光景は衝撃だった。
上半身を下着姿で瞳に涙を浮かべる麗子さん。
そしてそんな彼女の肌に触れる見知らぬ男。
俺に気づいて目を見開いた彼女を見た俺は……。
……声を失い、その場に立ち尽くしてしまった。
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