第48話 着信 (麗子視点)

 それから私は司くんと連絡を取るようになった。


 初めはただの成り行き。

 何かあったら僕を頼ってという、彼の言葉を真に受けてからだった。


 ちょっとだけ不安はあった。

 でも今の私には他に頼る人がいない。

 司くんしか、私の側にはいてくれなかった。





 月曜日。

 出張明けの初めての出勤日。

 今日も保坂くんと話すことはなかった。


 もちろん藍葉さんとも。


 どう接していいのかわからず、私は無意識のうちに2人と距離を取ってしまっていた。


 それが辛くて。傷口に塩を塗っているような感覚で。気づけば私は、ブロックしていたはずの司くんの連絡先を、自分の手で解除してしまっていた。


 その日の夜。

 場所はこの間の喫茶店。

 また私は司くんに会ってしまった。


 先日の彼の優しさはただの気まぐれ。

 本当は私のことを嘲笑いに来ている。

 そういう不安もまだ少しあったけど。


 でも。


 いざ会ってみると、司くんとの時間はどこか心の落ち着くような、辛い気持ちを忘れられるような、そんな時間だった。


 学生の頃を思い出すようで、懐かしささえも感じていた。


 この人なら頼っていいかもしれない。私の気持ちに共感してくれるかもしれない。そんな心のゆとりが、少しずつだけど芽生え始めていた。





 水曜日。

 また私は彼に会ってしまった。


 顔を合わせるのが3回目ともなると、彼に対しての不安、怒り、そして過去に起きたあの悲劇のことを、少しずつだけど忘れていくようだった。


 彼が話すときに笑う表情。

 慎ましやかで落ち着いた視線。

 どれもが懐かしくて、辛い今を忘れられる。


 彼との時間は私にとって、心の安らぎになっていた。





 そして金曜日の今日。

 私は会社で少しだけ嫌な思いをした。


 私が帰ろうと荷物をまとめていた時。

 藍葉さんが保坂くんのことを、夕飯に誘っていたところを、偶然にも見てしまった。


 別に悪いことをしてるわけじゃないのはわかってる。でも1度も会話ができていない私と違って、藍葉さんは自分から保坂くんに話しかけてた。


 前向きな藍葉さんが羨ましい。

 私と違って素直に行動に移せるあの子が、ただただ羨ましく思えてしまった。





 弱い私は逃げるようにオフィスを出た。

 そして気づけば、またあの喫茶店に。


「こうして麗子とまた会えて嬉しいよ」


「私もあなたがいてくれてよかったと思ってる」

 

「本当かい⁉︎ いやー、それは嬉しいな」


 すっかり打ち解け合った私たち。

 間には過去の嫌なしがらみなどは一切ない。


 コーヒーを飲みながら会話して。

 ただ時間を共有するだけの関係。


 それ以上のことは何もないし。

 私も司くんも何も求めようとはしなかった。


 でも——。


「もしよかったら、この後軽く一杯どう」


 今日初めてそんな誘いを受けた。

 いつもならコーヒーを飲んで解散するはずなのに。司くんは私のことを飲みに誘って来たのだ。


「ああいや! 無理にとは言わないんだけどね!」


「別に嫌がってるわけじゃないけど」


 もしかして顔に何か出てたかな。

 私の反応を見た司くんは、慌ててフォローを入れた。


「実はさ、僕この近くでバーやっててね」


「そうなんだ。それは初耳だわ」


「それでね。もし麗子さえよければ一杯どうかなって」


 確か昔は普通にサラリーマンしてたけど。今はこんな大きな街でバーの経営をしてるんだ。


「同い年で経営者なんて凄いわね」


「そんなことないよ。お酒だって僕が作るわけじゃないし」


「それでも自分のお店を持つのは凄いことだわ」


「そ、そうかな。麗子に褒められるとなんだか嬉しいな」


 照れを誤魔化すように笑う司くん。

 お世辞抜きでお店を経営しているのは凄いと思う。


「それでどうかな? この後用事とかある?」


「特に用事とかはないけど」


「ならぜひうちで——!」


 ブー。


 司くんの言葉を遮るように、私のケータイが鳴った。


「ごめんなさい。ちょっといいかしら」


「うん。気にしないでいいよ」


 一言断りを入れて、ケータイを開く。


 すると。


『麗子さん。後で少し話せませんか』


 それは保坂くんからのメッセージ。

 彼からの着信は約1週間ぶりだった。


「もしかして彼氏さん?」


「あ、えーっと……そうね」


「そっか。やっぱりこの後予定あった?」


「予定とかはないのだけど……」


 どうしよう。

 連絡をくれたのは嬉しいけど。

 今更なんて返していいのかわからない。


 もう1週間も彼と話していない。

 彼だってきっと私のこと怒ってると思う。


 今日だって彼を避けるように会社から逃げてしまったから。

 

(でも彼も今、藍葉さんと食事してるわよね……)


 そういえば帰り際に藍葉さんと食事の話をしてた。彼のことだからきっと浮気とかじゃないと思うけど。それでも藍葉さんや堀くんに相談の一つくらいしてるはず。


「それなら私も司くんに相談するくらいいいわよね」


「えっ?」


「ああ、ごめんなさい。ただの独り言よ。気にしないで」


「そ、そう?」


 思わず声に出ちゃったけど。

 私だって浮気する気は全くないわけだし。

 少しくらい誰かに相談しても怒られないよね。


「それで麗子。この後の飲みだけど」


 司くんだってこうして誘ってくれてる。


「安くするから、ね、ちょっと付き合ってよ」


 ここまで言われたら私だって断れない。


「一杯だけなら」


「よっし! それじゃ遅くならないうちに行こうか!」


 どうせ一杯飲んで帰るだけ。

 少しくらいは相談とかするかもだけど。

 昔のよしみで私は司くんのお店に行くことにした。


(そうだ。保坂くんに返信)


 そう思って一度ケータイを立ち上げた私。

 でもやっぱり彼に何を言えばいいかわからない。


 メッセージ画面を開いては。

 何も送らず静かにケータイを閉じた。

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