第45話 それぞれの思い ② (才加視点)

 私は多分とんでもないことをやらかした。

 自分でしておきながら、その自覚はある。


『多分私、センパイのこと好きですよ』


 露天風呂で瀬川さんに言ったあの一言も。


『センパイを私にくれたらいいですよ』


 夕食の時、みんなの前で言ったあの一言も。

 今思えばただのワガママだったんだってわかる。


 ホントはこんなことするつもりじゃなかった。

 センパイや瀬川さんには申し訳ないと思ってる。


 でも。

 どうしても私は許せなかった。

 

 センパイに愛されて。誰よりも特別に扱われてるのに、それでも尚、一歩踏み出せないでいる瀬川さんのことが。


 ずっと変わらず同じまま。恵まれている自分の価値も知らずに、ずっとずっと弱いまま。そんなあの人を見ていると、憤ってしまう自分がいた。


 私はなんでこんなにイラついているんだろう。センパイならまだしも、なんで瀬川さん相手に。


 そもそも私は何で、あの人の背中を目で追うようになっていたんだろう。







「……憧れ」


 不意に頭の中に浮かんできた言葉。

 そして私がまだ入社したばかりの頃の記憶。


 その2つを思い浮かべた瞬間……。

 ふと、つっかえていた何かが胃の中に落ちた気がした。


 入社したばかりのあの頃。

 仕事ができない私はセンパイに怒られまくった。


 怒られて怒られて、怒られまくって。いつか見返してやるって、敵対心を持った時もあった。


 そんな時、私に目に映ったあの人。


 周りのみんなから信頼されて。

 男性陣からは凄くモテモテで。

 誰しもが憧れる完璧で凛々しい女性。


 私が瀬川さんに抱いた最初の印象はそうだった。


 瀬川さんみたいになれば、センパイにも認めてもらえる。瀬川さんみたいになれば、私もみんなから信頼してもらえる。


 瀬川さんみたいになれば——!


 私はそうやってあの人の背中を追い続けた。

 あんな女性になりたいって、本気で思っていた。


 でも。


 彼女の心の弱さを知ったその時から。

 私の憧れは、やり場のない怒りに変わっていた。


 瀬川さんは私にないモノをたくさん持っている。

 なのになぜ、いつも下ばかり向いているんだろう。


 まるで自分の傷を隠すかのように。

 私が憧れたその姿を自ら否定しているかのように。


 それに気づいた時から、私はあの人への憧れを捨てた。自然と目で追うこともなくなり、他と変わらないただのモブになった。


 だけどある時。

 私は知ってしまった。

 センパイと瀬川さんが両思いであることを。


 センパイが誰を好きになろうとよかった。

 でもあの女だけは、私が一度憧れて裏切られたあの女にだけは、センパイを取られたくないって思ってしまった。


 だから私は邪魔をした。

 徹底的にその恋を潰そうとした。


 でもそれは手遅れで。

 気づけば2人は恋人になってしまっていた。


 なぜセンパイまであの女なんだ。

 私じゃなくてなぜあの女を選ぶんだ。

 またしても私の中で、やり場のない怒りがふつふつと蒸し返してきた。






 だから私はセンパイに訊いた。


「センパイは私のことどう思ってますか」


 正直答えはわかっていた。

 でも確かめないことには私の気が収まらない。だからこそ私は、意を決してセンパイを食事に誘ったんだ。


 でもね。


「どうって、職場の後輩だよ」


 いざ面と向かって言われると結構辛い。


 可愛いと言われたのは素直に嬉しかった。

 でもそれでも、センパイの中にいるのは私じゃない。


「可愛いのに何で私じゃダメなんですか」


「そりゃ俺が好きなのは麗子さんだからな」


 辛い……もうやめて……。


「じゃあ瀬川さんと私どっちが可愛いんですか」


 答えなんか聞きたくない……聞きたくないのに。

 それなのに私は、センパイへの質問を辞めなかった。


 そして——。


「そんなの麗子さんに決まってるだろ」





 その言葉を訊いた瞬間。

 私の中で何かが吹っ切れたような音が鳴った。


「センパイならそう言うと思ってました」


 私がこれだけかき乱しても、センパイの気持ちは何一つとして変わらない。彼の目に映っているのは、ずっと前からあの人だけ。


 センパイに振り向いて欲しくて、身勝手な意地悪までしたのに。きっとこの人の隣にいられるのは、私じゃない——。


「やっぱり瀬川さんの方が私なんかよりもお似合いです」


 目頭が熱くなるのがわかる。

 でもそれはきっと気のせい。

 私はこんなことで泣くようなタイプじゃない。


「すみませんいきなり変な話しちゃいました」


「ああいや……」


「飲み物、次もビールでいいですか?」


「あ、ああ」


 私は慌てて話題を変えた。







「それじゃセンパイ。今日はありがとうございました」


「駅まで送る」


「いいえ。今日は1人でも帰れますんで」


「そ、そうか?」


「いつまでもセンパイに甘えてられないですからね」


 センパイが幸せになるのは嬉しい。

 今の気まずい関係も早く解決してほしいと心から思う。


 でもやっぱり自分が選ばれなかったこの事実。

 瀬川さんに負けてしまったという悔しさを前にすると……。


「……あれっ」


 センパイに背を向けたその瞬間。

 堪えていたはずの思いが、私の瞳から溢れ出した。


「なんで私泣いて……」


 不思議だった。

 自分はもっとドライな人間だと思ってたから。


 涙なんて縁のないものだと思ってた。

 だから私は過去にあまり泣いたことはなかったけど……


 ……拭っても拭っても涙は止まらなかった。


 視界もぼやけて、思うように前が見えない。


 センパイがいない暗がりの中。

 1人っきりになって、私はようやく自覚する。


「そっか私……失恋したんだ」


 声にするとなおさら。

 追い打ちをかけるように瞳がジーンと熱くなった。





 そう、私は今日失恋した。

 生まれて初めて興味を持った男性に。

 真面目で時に厳しくて、そしてとても優しいセンパイに。


 憧れていた瀬川さんあの人に、私は負けてしまったんだ。





 * * *





 1人電車に揺られていた私。

 まだ最寄り駅までは何駅かあるけど。

 思い立ったように私は電車を降りた。


 降りた先は以前センパイとラーメンを食べた街。繁華街なだけあって、夜でも人はたくさんいる。


 特に目的とかはないけど。

 1人になるのがどうしても心細かった。


 ぶらぶらと街を歩く。

 夜の心地よい風を感じながら。

 私はふらっとコンビニに立ち寄ろうとした。


「あれっ?」


 そんな時。

 視界の隅に知っている顔が映る。


「瀬川さん?」


 多分間違いないと思う。

 でもなんでこんなところにいるんだろ。


 それに……。


「あの男……誰」


 隣にいる知らない男。

 もちろんそれはセンパイじゃない。


「知り合いかな」


 多分そうだとは思うけど。

 私はその男のことがなぜか少し引っかかった。


 一見優しそうで爽やかな見た目をしている。

 なんならセンパイよりもお似合いにも見えた。


 でも。


 私の中にちらつく違和感。

 その正体が一体何なのか。

 この時の私は知る由もなかった。

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