第40話 出張 ④

 2日目の仕事は主に外での取材だ。

 駅から旅館までの道のり、時間、使える交通機関などを隈なく調べるのに加えて、旅館に近い観光スポットや名所などを見つけては、まとめて取材のネタとする。


 中でも一番大変なのは、最寄り駅からの時間を調べるという作業。


 このルートを辿ればこれだけの時間でたどり着く、というのを出来るだけ正確に調べなくてはならないため、基本的な作業方法は徒歩のみ。


 あいにく俺は運動があまり得意ではないので、昨日宣告していた通り、この作業は便利屋の堀くん1人にお任せすることにした。


「保坂……お前覚えとけよ」


 出発する際、堀に睨まれそんなことを言われたが。


「堀さんいってらっしゃいで〜す!」


 俺以上に藍葉は堀との別行動を喜んでいるようで、その事実を知った堀は、悲しそうに1人旅館を目指して姿を消した。


 とはいえだ。


 なんだかんだで俺たち3人も1日ずっと歩きっぱなし。全ての作業を終えるまでの間、ろくな休憩もとれていない。


 故に旅館に帰ってきた頃には、全員揃ってクタクタになっていた。








「みんなお疲れさま。あとはゆっくり休んで、明日の移動に備えましょう」


 気づけばもう夕方。


 麗子さんの指示で1度部屋へと戻った俺たち。予定していた仕事を終え、あとは旅館を満喫して帰るだけ。明日の移動までに出来るだけ今日の疲れをとっておきたい。


「なあ堀。夕飯前に風呂行かないか」


「別にいいが。ちょっとその前に煙」


「お前……絶対それ長いやつだろ」


 俺の経験上、堀の煙は死ぬほど長い。

 職場でも一度一服を始めたら20分は喫煙所に篭っている。


「てかここで吸うのかよ……」


「この部屋禁煙じゃないっぽいし。それに窓開ければ平気だろ」


 そう言って煙をふかし始めた堀。

 ルール的にはギリギリセーフではあるが、これだけの自然を前にして、よく煙草なんか吸えたもんだ。


「お前ほどほどにしないと彼女に嫌われるぞ」


「ごほっごほっ……急な笑えない冗談やめろ!」


「冗談で済むならいいけどな」


 粋な顔で煙草を吸う堀を少しからかい。

 俺は仕方なく1人で浴場に行くことにした。






 * * *






 ここの旅館の温泉は、なんと天然露天風呂。

 タイプの違う3種類の湯船が用意されており、夜になれば満点の星空を見上げられるという、何とも素晴らしいおまけ付きだ。


「お、今日は貸切か」


 平日ということもあり、そもそもの宿泊者は少ない。


 昨日は俺以外にも堀や他の客が湯船に浸かっていたが、どうやら今日は贅沢にもこの温泉を独り占めできるらしい。


「だはぁぁぎもじぃぃぃぃ」


 軽く身体を流し湯船に肩まで浸かる。

 すると極楽のあまり、思わずおっさんぽい声が漏れた。


「なんだかんだいい出張だったな」


 山に夕日が沈んで行く様を眺めて思う。

 仕事とはいえ、ここに来て良かったと。


 部長に出張の話をされた時は、正直乗り気ではなかったが、いざこうして来てみると、みんなで観光はできたし、温泉は気持ち良いしで、良い事尽くめだった。


 そのおかげで良いPRもできそうだし。

 費用が全て会社持ちなのも非常に助かる。

 今となっては吉澤部長に感謝したいくらいだ。


「まあ給料は上がらないんだけどな」


 これだけ会社に貢献しても平のまま。

 出張に行っても特にボーナスとかもない。

 そろそろ俺にも何か報酬をくれてもいいだろうに。


「社会の闇だなこれは」


 まだ出張費が出るだけマシ。

 今はそう思っておくことにした。





 * * *





 しばらく湯船に浸かっていると。

 壁の向こうから声が聞こえて来た。


「今日は随分と歩いたわね」


「そうですね」


「足とか腰とか痛くはない?」


「いえ、別に」


「そう」


 声的に麗子さんと藍葉だろう。

 ということはこの壁の向こうが女風呂なのだろうか。


「藍葉さんは若くていいわね」


「別に瀬川さんも私と変わりませんよ」


「そんなことないわよ。もう30間近だもの」


 気にしているつもりは一切ない。

 それなのに2人の会話は自然と耳に入ってくる。


(な、なんか変な気分だな……)


 悪いことをしているわけじゃないのはわかっている。わかっているのだが……どうしてだろうか。


 さっきまではリラックスできていたはずなのに、2人がいるとわかった瞬間、全然心が落ち着かない。


 この壁の向こうで麗子さんは……!!


 みたいなピンク色の思考が頭に浮かび。

 気づけば俺は2人の会話に釘付けになっていた。


 このままじゃただの変態だ。


 そう考えた俺は、一度頭まで湯に沈め。

 息が続く限り、湯の中で荒ぶる心を沈めた。


「ぷはぁぁぁぁ……!!」


 限界を迎えやむなく顔を地上に出すと。

 またしても向こうの会話が俺の耳に入って来る。


「先に身体でも洗うか」


 このままじゃらちが開かない。

 そう考えた俺は一度湯船から上がり。

 今のうちに身体を流すことにした。







 身体を流し終え湯船に戻る。

 すると今だに2人は何かを話しているようだった。


 でも時間をおいたからか、さっきよりは気にならない。


(てか意外と仲良いのか? あの2人)


 一緒に温泉に入るほどの仲とは。

 身近にいながらも全然気がつかなかった。


 てっきり2人は敵対しているかと思っていたが、どうやらこの出張で、少しは親睦を深められたらしい。


「何がともあれよかったよかった」


 俺が呑気に呟いたその時だった——。






「多分私、センパイのこと好きですよ」


 壁の向こうから耳を疑うようなセリフが飛んで来た。

 その口調的に明らかに麗子さんの声じゃない。


「もちろん異性としてです」


 そしてまた。

 この声は間違いなく藍葉のものだ。


(俺のことが好き……?)


 何かの間違いだと思った。

 湯が流れる音でハッキリとは聞こえなかったから。

 何よりもあの藍葉が、俺に興味を持つなどあり得ない。


「勘違いだよな……」


 自分に言い聞かせた。俺は勘違いをしたのだと。

 湯船の気持ちよさに酔って、聞き間違えただけなんだと。





 やがて会話は聞こえなくなった。

 もう2人は部屋に戻ったのだろうか。


(何だったんださっきの……)


 過ぎても尚、頭に残るあの声。

 あれは本当に藍葉の言葉だったのだろうか。

 だとしたらなぜ、それを麗子さんに伝えたのか。


 考えれば考えるほど謎は深まるばかりだった。

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