第39話 出張 ③

 ネギを箸代わりに食べる蕎麦は絶品だった。


 初めこそインパクトのあるビジュアルに驚かされたが、食べてみると意外にもネギ独特の辛さや臭みは無く、完食まで気持ち良く蕎麦をすすることができた。


 それに対し、このネギ蕎麦を誰よりも求めていたであろう藍葉は、一口食べたその瞬間から、終始不満げな顔で蕎麦をすすり続け、結局最後はメインのネギを半分以上残すという、予想だにしなかった行動に出た。


 後に聞いたところ。

 どうやらネギが辛かったらしい。


 俺たち3人は絶賛したネギ蕎麦だったが、まだまだ若い藍葉の口には合わなかったようだ。





 その後。


 江戸の宿場町をひとしきり見て回り、昔の空気を堪能したところで再びタクシーに乗り込み城へ移動。


 全員で天守閣に登り広大な景色を見下ろしては、三度みたびタクシーに乗り込んで目的の旅館へと向かった。


 成り行きで観光したとは言え、普段ビルに囲まれて生活している俺にとっては、ここで見た景色や経験は、どれも新鮮なものばかりだった。


 それは皆んなの反応を見ても、同じことが言えるだろう。


 特に城を目の前にした麗子さんときたら、まるでパンダを初めて見た子供のような瞳をしていた。


『えぇ〜、城とか別に興味ないんですけど〜』


 と、不満をこぼしていた藍葉ですら、いざ城の中に入ったら誰よりもはしゃいでいたし、堀も堀で彼女に見せるための写真を意気込んで撮っているようだった。


 初めこそ出張に来ておいて観光などよろしくないと思っていたが、今となっては旅行気分の味わえる、とてもいい時間だったと思う。


 だがこれをただのいい思い出にするのではなく、この後に控えている仕事に十二分に活かしてやろう。




 * * *




 ようやく旅館に到着した俺たち。

 タクシーから一度足を踏み出すと。

 そこには広大な自然が広がっていた。


「いい場所ね」


「そうですね」


 麗子さんは目を瞑り風を感じている。

 俺はその隣で一度深く息を吸い込んでみた。


 スッと肺に入っていくこの感覚。

 空気が美味しいとはこのことかと身を以て実感させられる。


「さっきの宿場町も驚きましたけど、ここも凄い場所ですね」


「ええ。都会じゃ感じられない静けさだわ」


 一面の山といい、空気の美味さといい。

 普段はまずお目にかかれないとても神秘的な空間だった。


 こんな場所にこれだけの旅館があるなんて、この辺りに住んでいる人たちが羨ましくも思えた。


 川の流れる音に耳を傾けながら、早速俺たちは旅館のチェックインを済ませる。


 通されたのは建物の3階。

 温泉街を一望できる極上の客室だった。


 もちろん部屋割りは男女別だが、今度は麗子さんと2人でこういった場所に来てみたい。来て早々そう思うくらい、俺好みの落ち着いた客室だ。


「え……1人1部屋じゃないんですか……?」


 部屋割りを知った藍葉は、随分とふざけたことを抜かしていたが、「自腹なら好きにしていいぞ」と言ったところ、それ以上文句は垂れてこなかった。


 そもそも俺たちは仕事でこの旅館に来たわけで、決して仲良し旅行を堪能するための出張じゃない。


 そんなものは昼間味わったのでおしまい。

 俺たちが成すべき本当の仕事はここからだ。






「保坂くん。ちょっといいかしら」


 部屋に荷物を置いてすぐのこと。

 麗子さんが俺たちの部屋に来たかと思えば。


「早速だけど、私と藍葉さんは厨房を案内してもらって来るわね」


 と、流石の一言を。

 これにはくつろいでいた堀も立ち上がるほかない。


「わかりました。そしたら俺は堀と一緒に館内を見て回ります」


「夕食は何時頃か聞いてる?」


「確か6時半には食べられるって言ってましたね」


「わかったわ。そしたらそれまで二手に分かれましょうか」


「そうですね。それでお願いします」


 麗子さんと軽く打ち合わせをし。

 俺は堀と館内を散策することになった。


 散策とは言え、もちろん遊びではない。

 旅館の外観、フロント、客室、浴場、そしてトイレまで、ここに滞在している間に確認しなくてはいけない場所は山ほどある。


 従業員の方に案内してもらいながら、俺たちは館内を隅々まで見て回り、写真に収められるところは写真に収め、広報として使えそうだと思った部分は、できるだけ細かくメモに取った。


「なあ保坂」


「んー」


「お前あの2人と一緒じゃなくてよかったのか?」


 浴場に向けて移動している最中。

 急に堀は訳のわからないことを言い始めた。


「なんで」


「だって才加ちゃん向こうだし」


「麗子さんならまだしも、なんで藍葉なんだよ」


「ああいや……」


 するとなぜか堀は一瞬言葉を詰まらせ。


「ほら。あの子のこと叱れるの社内でもお前くらいだろ?」


 と、意味ありげな顔で一言。


 一体どんな意図かと思えば。

 なるほど、堀の言いたいことは何となくわかった。


「つまり俺に藍葉の見張り役をやれと」


「そこまでは言わないけどさ。お前人任せにするの嫌いだろ?」


「まあ、好きではないな」


「なのに瀬川さんに預けてよかったのかよ」


 確かに俺は藍葉の指導係を任されているが、だからと言って四六時中一緒にいるわけじゃない。


 それに麗子さんに任せるのはむしろ好都合だと思っていた。


「俺の前だとあいつすぐ手抜くんだよ」


「だからあの子には叱れるお前が必要なんだろ?」


「いやそれがさ。麗子さんの前だとちゃんとやるんだよな」


「そうなのか? それはちょっと意外だな」


「だろ。だからこの班分けは俺にとっても有難い」

 

 本来なら今回の出張は後輩を中心に人を集めるはずだった。


 故に俺がいちばんの経験者として、中心になって仕事をこなそうと思っていたのだが、実際はこうして仕事慣れしている麗子さんや堀が同行してくれたわけだ。


 藍葉の存在は想定外ではあるが、あいつとて麗子さんの前ではしっかりやるしかないし、堀に至っては人当たりがいい上、細かい部分にもよく気がつく。


(ある意味これで正解だったのかもな)


 メンバーだけを見ればなかなかに濃い。

 でも今となってはこの4人で良かったんじゃないかと思う。


「お前が来てくれて良かったよ本当」


「またそれかよ……もう何なんだ一体」


 わかりやすく照れる堀。

 それを見た俺はすぐさまに手のひらを裏返す。


「だから明日、お前が歩く担当な」


「は」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る