第37話 出張 ①

 今回の出張先は東北地方の老舗温泉旅館。

 俺たちは近年リニューアルした旅館のPRを任されている。


 朝7時に東京駅に集合し。 

 全員揃ったところで目的の旅館へと向かう。

 片道3時間といううちの会社らしい出張だった。


 俺が東京駅に着くと。

 待ち合わせ場所にはもうすでに奴がいた。


「保坂。うぃーす」


「うっす堀。相変わらず早いんだな」


「まあな。流石に瀬川さんよりは早く来なくちゃだからな」


 俺が集めたもう1人の人員。

 それこそがこの便利屋の堀くんだ。


 藍葉に次いで麗子さんも主張に行くことが決まった時、俺の頭の中にはこいつを同行させること以外に選択肢はなかった。


 無垢な後輩をこの地獄に引き込むわけにもいかないし、その点堀なら事情も知っている上に、多少雑に扱っても許される。


「よく来てくれたよ本当に」


「な、なんだよ。いきなり気色悪いな」


 頷きながら堀の方をポンポンと叩き。

 俺たちは麗子さんたちの到着を待った。





 3分後。


 次いで麗子さんも待ち合わせ場所へとやって来た。あと残されたのは、俺が一番心配していた藍葉だけだが。


「あいつまさか寝坊してないだろうな……」


 昨日会社で間違いなく集合時間は伝えた。

 普段は遅刻するようなタイプじゃないはずだが、それでも藍葉のことだ。何があるかはわからない。


「集合場所は伝えたのよね?」


「今朝メッセージを送ったんですけど返信がなくて」


「一度電話してみたらどうかしら。もしかしたら今向かっている途中かもしれないし」


「そうですね。ちょっとかけてみます」


 俺はすぐさまケータイを取り出し。

 麗子さんに言われた通り、藍葉に電話をかけた。


 すると——。


「あれっ、切られた?」


 1コールで即切りされた。


「電車の中ですかね」


「そうみたいね。もう少し待ってみましょうか」


 ここに向かっている可能性にかけ。

 もう少し藍葉のことを待ってみることにした。





 しかし。


 5分待っても10分待っても藍葉は来ない。

 それどころか連絡の一つすら届かない状況だった。


「流石に遅いですよね」


「そ、そうね。迷っているのかしら」


「何だ何だ〜? まだ才加ちゃん来てないのか〜?」


 思わぬ事態に俺たちが焦っていると。何やら堀はおにぎりを咥えながら小首を傾げた。どうやら気づかぬうちに、どこかに行っていたらしい。


「お前こんな時にどこ行ってたんだよ」


「コンビニだよコンビニ。それよりも才加ちゃんから連絡は?」


「それがまだ何も」


「ほーん。ならそれ100%寝てるっしょ」


「……んなわけ」


 そんなわけない。

 本当ならそう言い切りたかったのだが……。


 勘のいい堀の言うことだ。

 そんなバカなと聞き流すわけにもいかなかった。


「もう一回電話してみるか」


 俺は少しの不安を覚え、再び藍葉に電話をかける。


 さっきは1コールで切られてしまったが、今回はそういうこともなく、しばらくコール音が鳴り続けた。


 そして——。


『ふぁい。もひもひ』


 電話の奥から藍葉らしき声が聞こえてくる。

 だがその声は間違いようがないほど寝起きだった。


「俺だけど」


『しぇんぱいですか。おはようごじゃいます』


「おはようじゃねぇよ。それよりお前今どこにいるんだ」


『どこって。まだ家でしゅけど』


「はっ⁉︎ 家⁉︎」






 一瞬頭が真っ白になった。

 俺の耳がおかしくなったかと思った。


 てっきり寝ぼけながらも向かってるのかと思いきや。あろうことかこいつは、まだ家にいると言い出したのだ。


『おっきな声だしゃないでくだしゃいよ〜』


「んなこと知らん! 昨日7時集合って言ったろ!」


『えぇ〜? 7時半までに駅に着けばいいよ〜って……』


「バカこけ!! それは新幹線の時間だ!!」


『しんかんしぇん……?』


「3分で支度して来い!!」


『もぅ〜、しぇんぱい何言って——」


 ブチッ。


 藍葉との通話を乱暴にぶち切り。

 俺はどデカイため息と共に、思わず頭を抱える。


(家で寝てるとかありえないだろ……)


 こうなることは多少懸念してはいたが。

 まさか本当にやらかしてくれるとは……。


「藍葉さんなんだって?」

 

「家で寝てたらしいです……」


「えっ⁉︎ それは大変じゃない⁉︎」


「やっぱり才加ちゃん寝てたかー」


 半分面白がっている堀はさておき。

 麗子さんにはさぞ申し訳ない限りだ。


「新幹線どうしましょう」


「そうね。もし間に合わないようであれば遅らせるしかないわね」


「ですよね……」


 せっかく気を遣って指定席のチケットを取ったのに。このままだと俺たちは自由席に乗ることになりそうだ。


「とりあえず急ぐようには伝えたんで」


「ええ。でも藍葉さんに大事がなくてよかったわ」


「そうっすよねー。事故とかだったらやばかったっすよー」


「2人とも……」


 2人の心の広さに感銘を受けつつ。

 俺は藍葉に『急げ』のメッセージを送り続けた。




 * * *




「遅れてすみませ〜ん!」


 藍葉が到着したのは7時24分。

 新幹線の発車時刻は7時36分。

 なんと奇跡的に間に合ったのだ。


「はぁ……お前いつまで待たせる気だよ」


「うっかり集合時間勘違いしてて〜……って、えっ……?」


 俺たちの間に安堵の空気が流れている中。

 なぜか藍葉の表情だけは、どうも浮かない感じだった。


「まさか忘れ物したとか言わないよな」


 重ね重ね勘弁してくれよ。

 そう思った俺が呆れた口調で言うと。

 藍葉はスッと俺の近くに寄って来て。


「何で堀さんいるんですか……?」


 と、俺にだけ聞こえる声でそう言ったのだ。


「そういやお前には言ってなかったな。堀にも出張を頼んでたんだよ」


「言ってなかったなって……マジでありえないんですけど」


 麗子さんが行くのは伝えてあったが、堀が行くのは聞かれなかったので言っていなかった。


 前から苦手意識があるのは知っていた。

 しかしここまで露骨に嫌がるほどとは。


「才加ちゃーん。3日間よろしくねー」


「あ、はい。よろしくです」


 挨拶からしてぎこちない。

 これは少し藍葉には悪いことをしたな。





 なんて。

 その場の空気に流されそうになったが。


「お前、まずは言うことあるだろ」


「あっ」


 まだ遅刻の謝罪をされていない。


 先輩を30分以上待たせたわけだ。

 黙って堀を呼んだことはひとまず置いといて。せめて一言くらい、ちゃんとした謝罪が聞きたいところだ。


「遅れてすみませんでした」


「言っとくが、もう次はないからな」


「はい。ちゃんと心得てます」


 しっかりと頭を下げさせ。

 俺たちは急いでホームへと向かった。

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