第36話 人員補充

 ある日。

 またしても俺の元へ吉澤部長がやってきた。


「保坂くん、ちょっといいかな」


「ぼ、僕に何か用ですかね……」


「君に折り入って頼みがあるんだけどね」


 この感じだとまた俺に雑用を押し付けるつもりらしい。ついこの間の懇親会といい、なぜ他を当たらないのか。俺はあんたの意のままに動く便利屋じゃないんだぞ。


「頼みというのは」


「実は近々出張を誰かにお願いしたくてね」


「出張ですか」


「君なら引き受けてくれるかなと思って来たんだよ」


 信頼されてるのか何なのか。

 吉澤部長の言葉には少しばかり苛立ちを覚えた。


 だがこの人は決して悪い人じゃない。

 むしろ温厚で、仏のように優しい人だ。


 それ故に社内では『怒らせたらまずい』とか『切れたらめんどくさいランキングNO1』だとか、様々な噂が流れたりもしているが、俺的にはそうは思わない。


 ただあまりにも部下の俺に頼り過ぎるだけ。

 それ以外の部分は尊敬に値するいい上司と言える。


「僕でよければ引き受けますよ」


「本当かい⁉︎ いやぁ〜助かるよ〜」


「それで行き先はどこなんですか?」


「それがね……」


 吉澤部長は出張の概要を説明してくれた。


 どうやら今回の行き先は地方の老舗旅館。

 宣伝を手がけるために下見をしてほしいとのことだった。


 期間は2泊3日で。

 出張中にかかる費用は全て会社が負担してくれるらしい。


「保坂くん含めて4人程度でお願いしたいんだけど大丈夫かな」


「わかりました。僕の方から声をかけてみます」


「すまないね。それじゃあとはお願いするよ」


 そう言い残し、吉澤部長は去って行った。


 さてさて。

 ここから自力で残りの3人を集めるわけだが、幸いなことに今は特に仕事が忙しい時期とかではない。


 故に普段よりは格段に集めやすい状況だとは思う。

 後輩を中心に声をかけて、今日中には集めてしまおう。


「センパ〜イ」


 吉澤部長が去ってから間もなく。

 何やらテンションの高い藍葉が俺の元へとやって来た。


 このタイミングでやって来たとなると。

 おそらくは出張の話を聞いていたとかだろう。


「なんだよ藍葉」


「センパイ。私りょこ……じゃなくて出張行きま〜す」


「お前この間行ったばかりだろ……。他をあたるから無理すんな」


「無理なんてしてませんよ〜。私出張とか楽しくて好きなんです〜」


 上辺ではこう言っているが、前回の出張について、藍葉が裏で色々と文句を言っていたのは知っている。


 概ねこの話に食いついて来た理由には察しがつく。

 こいつは出張を旅行かなんかと勘違いしているのだ。


「言っとくが遊びじゃないからな」


「そんなの当たり前じゃないですか〜。それくらい私だってわかってますよ〜」


「んんんん……」


 とはいえだ。

 いくら行き先が旅館でも、出張に行きたがる社員は少ない。


 なぜなら出張先は大体遠く、それらが全て終わった後に本番の仕事が控えているからだ。


 普段の仕事を淡々とこなしている方が、よっぽど楽だと誰もが知っている。


「ちゃんと働いてもらうからな」


「もちろんです!」


「あと先方に迷惑だけはかけるなよ」


「大丈夫です! 私に任せてください!」


「来週の水曜出発だ。準備だけは怠るんじゃないぞ」


「は〜い!」


 かなり不本意ではあった。

 だが貴重な人員を無駄にできず。

 俺は藍葉の同行を渋々許可することになった。


「りょっかん! りょっかん! りょっかん!」


「お前何もわかってねぇだろ……」


 上機嫌で自席に戻る藍葉に嘆息し。

 俺は続けて残りの2人を確保するべく席を立った。


 すると——。


「私も行くわ」


 まさかと思った。

 藍葉が行くと言った時点で薄々予想はしていたが、本当にこの人まで行きたいと言い出すとは……。


「麗子さん……正気ですか⁉︎」


「ええ、もちろん正気よ」


 彼女もまた部長との会話を聞いていたのだろう。

 藍葉に続いて随分と物好きな人だ。


 しかし。


 麗子さんには俺と違い主任という立場がある。

 平社員とは違い、さぞ仕事が忙しかろう。


「仕事はいいんですか?」


「大丈夫。今もの凄く暇だから」


「無理しないで自分の仕事を優先していいんですよ?」


「無理なんかしてないわ。今は本当に暇だもの」


「んんんん……」


 何を言っても聞く耳を持ってはくれなかった。


 麗子さんが出張に来てくれるのは確かに有難い。有難いのだが、藍葉も一緒となると話は変わってくる。


「そこまで言うなら部長に確認してくるわ。それならいいでしょ?」


「ま、まあ……」


 俺が渋っていると。

 麗子さんはすかさず部長の元へ。


 ものの数分で帰って来たかと思えば。


「行っていいらしいわよ」


「マジですか……」


 出張に行く許可をもらえたらしい。

 こうなっては下っ端の俺からは何も言いようがない。


「そ、それじゃよろしくお願いします……」


「ええ、よろしくね」


 こうして麗子さんも出張に参加することになり。

 藍葉も含めるとこれでメンバーは3人となった。


「あと1人どうするよ……」


 本当なら適当な後輩にお願いするつもりだったが、思わぬメンバーが集まってしまったが故に、そういうわけにもいかない状況になってしまった。


 この中に1人事情を知らない後輩を入れる。

 なんてこと、あまりにも可哀想過ぎて俺には無理だ。


 となると。

 俺が出張を頼めるのは、社内にも”奴”しかいない。

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