第31話 残業 ② (才加視点)

 自分で言うのも何だけど、私はまあまあ優秀だと思う。


 大学はそこそこ名前の知られたところだし、特出した能力があるわけじゃないけど、何でもある程度にはこなせるぐらいの自信はある。


 今の会社に入る時だって、すんなりと内定を貰えた。

 インターンシップとかは割とサボり気味だったと思うけど。真面目に就活している人が不合格の中、私はこうして入社できた。


 それはきっと私が他の人よりも優秀だからだと思う。

 だからこの会社には優秀な人ばかりがいるんだって。

 私以上に優れている人がたくさんいるはずだって思ってた。


 でも。


 指導係の保坂さんは違った。


 簡単な計算もたまにつまずくし。

 PCの使い方もまだまだ素人同然で覚束ない。

 はっきり言って私よりも明らかに能力が低い人だった。


 そんなセンパイを見ていて私は思った。


 なぜ自分よりも劣っている奴に教わらないといけないんだ。こんな奴に教わるくらいなら自分で仕事を覚えた方がマシだと。


 だから最初はセンパイの言うことをろくに聞かなかった。

 仕事を任されても無視し、助言をされても真に受けない。


 するとセンパイは当然のように私を叱った。

 初めは納得できなくて死ぬほど腹が立った。


 基本私はセンパイ以外の人には優しくされた。

 部長にも課長にも係長にも怒られたことはない。

 失敗しても『いいよいいよ』と赤子のように扱われていた。


 正直気分は悪くなかった。


 でもなんか違うなって。

 こういうんじゃないんだよなって。

 心のどこかで思ってしまった自分がいた。


 怒られないのはいい。

 仕事をサボれるのは幸せだ。

 でも私は大人であって子供じゃない。


 それをわかってくれている人はいるのか。

 そう考えた時に凄くむず痒い気持ちになってしまった。


 だけどセンパイだけは違う。

 どんな時も変わらず私を大人として扱ってくれた。


 仕事をサボればやれと口うるさく言うし。

 ミスをすれば当然のように私を叱りつける。

 正直気分は悪かったし、凄く腹も立った。


 でもある時私は思ったのだ。

 この人だけが本当に私と向き合っていてくれている。

 私のことを1人の大人として扱ってくれる唯一の人だと。


 最初はそんな小さなきっかけからだった。

 気づけば私はセンパイのことを目で追うようになっていた。


 それはあくまでただの興味。

 モブにしか見えない他の社員とは違い。

 センパイからは確かな存在感を感じていた。


 そしてもう1人。

 私とは違う意味でチヤホヤされていた人。

 歳上で同じ女性の瀬川さんにも私の意識は向いていた。


 それ以来私は自然と2人を観察するようになり。

 日を重ねるうちに何かしらの情があることを察した。

 2人が両思いなことに気づくのは、それからすぐのことだった。


 唯一私を大人扱いしてくれるセンパイ。

 そして職場でチヤホヤされるだけの瀬川さん。

 その2人が上手くいくのだけは何としても避けたい。


 だから私は2人の邪魔をして。

 恋が成就しないように頑張ってたんだ。


 なのに——。


 すでに2人は付き合っていた。

 私が少し目を離したその隙に。


 別に私はセンパイのことを好きだったわけじゃない。

 ただ全てが瀬川さんの思い通りにいくのが嫌だっただけ。


 それだけだったはずなのに。


『デートの話なんだが』


 センパイにデートの相談をされたあの日。

 私はなぜか虫唾が走るほどの憤りを感じた。


 なぜ私がアドバイスしなくちゃいけないんだ。

 行き先くらい自分で決めればいいじゃんって。

 やり場のないイライラが私の脳内を支配した。


 でもよく見るとセンパイの顔は真剣で。

 後輩の私にも意見を求めるほど追い詰められてて。

 それを見せられたらアドバイスせざるを得なかった。


『そうですね〜。買い物とかいいんじゃないですか〜』


 なんで私はアドバイスしたんだろう。

 もっと適当なことを言ってやればよかったのに。

 家に帰ってからもずっと先輩のことばかりを考えていた。


 私の気も知らないくせに、センパイは瀬川さんとデートする。

 私の気も知らないくせに、センパイは瀬川さんにプレゼントを買う。


 私の気も知らないくせに……。






「なあ藍葉。資料まだかよ」


「資料?」


「昼までにってさっき言ったろ」


「……あっ」


 それから数日たったある日。

 私は頼まれていた仕事を見落とした。

 多分余計なことを考え過ぎていたせいだと思う。


「まさかお前……忘れてたとか言わないよな……」


「すっかり忘れてました……」


「はぁぁぁぁ⁉︎⁉︎」


 これは絶対怒られる。

 真面目なこの人が許すはずがない。


 そう思ったんだけど……。


「今日中には仕上げられるか」


「それなら行けると思いますけど」


「なら今日中だ。今日中には必ず仕上げろよ」


「えっ……」


 どうしてか、私はあまり怒られなかった。

 それどころかセンパイは期限を延ばしてくれたのだ。


「何だよ。どうかしたのか」


「い、いやぁ〜。てっきりもっと怒られるものだと思ってたので」


「それでお前が真面目になるなら喜んでそうするが?」


「真面目なんてそんな〜。私には到底無理ですよ〜」


「だったらこれ以上怒ってもお互い気分が悪いだけだろ」


 訳がわからなかった。


 今日のセンパイは機嫌がいいのだろうか。

 もしそうだとしたらその理由はきっとアレだ。


「あ、そういえばセンパイ。初デートは上手くいきました〜?」


 聞くつもりなんてなかったはずなのに。

 そんなこと心底どうでもよかったのに。

 気づけば私はそんなことを口走っていた。


「おかげさまでな」


 そしてセンパイの迷いのない一言。

 振り返りざまに見せた幸せそうな面持ち。

 それらを目の当たりにして私は確信してしまった。


 この人はもう、私の手の届かないところにいるんだって——。

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