第29話 初デート ⑤
こんな偶然あるのだろうか。
この広いモール内でお互いがお互いに合うものを探し。
その結果同じ店、ましてや同じものにたどり着くなんて。
「考えることは同じみたいですね」
「ええ、だって私たちお酒好きだもの」
もし酒がなかったとしたら。
そう思うと色々と考えさせられるものが確かにある。
酒があったからこそ、俺は麗子さんと親しくなれたし。酒があったからこそ、俺は麗子さんに想いを打ち明けられた。
今思えば酒は俺のとっても恋のキューピットなのかもしれない。
こうして同じものを選んだのも何かの縁だ。
きっとこのグラスこそが俺たちに相応しい贈り物なのだろう。
「せっかくなので交換しましょうか」
「そうね。それが一番良さそうだわ」
その後、俺は麗子さんのグラスを。
麗子さんは俺の名前の入ったグラスを購入し。
名前を入れてもらった後、お互いにそれを交換した。
そして時刻は午後6時を過ぎた頃。
買い物を終えた俺たちは、揃って最寄駅へと向かった。
「終わっちゃいましたね」
「そうね。あっという間だったわ」
一度しかない初デートもこれで終わり。
そう思うと少し虚しい気持ちもあった。
今日のことを思い返すとわかる。
自分がどれだけ不甲斐ない人間なのか。
そして麗子さんがどれだけすごい人なのかを。
「今日はすいませんでした」
謝らずにはいられない。
”楽しかった”だけでは済ませられない。
俺はそれだけ臆病な人間なのだと思う。
本当なら美味しいイタリアンでも予約をして。
この後麗子さんとお酒を飲みながら夕食を共にしたかった。
でも今それに気づいたところでもう遅い。
できる男なら昨日のうちに予約を済ませるのだろう。
あいにく俺は買い物後のプランを何も考えてはいなかった。
(今日は全然ダメだったな……)
周りの声を気にしてしまった時もそう。
きっとあの声は麗子さんの耳にも届いていた。
彼女だって少なからず気にしていたはずなのだ。
でも気にしないでいいと。
こんな俺の背中を押してくれた。
不甲斐ないのは事実なのに。
彼氏らしいことは何もできなかったのに。
何一つ嫌な顔せず、最後まで俺の隣を歩いてくれた。
「俺、すげぇ不甲斐なかったです」
だからこそ我慢ならなかった。
本当は謝罪なんかするべきじゃないとわかっている。
でも今の俺の脳内は、彼女への申し訳なさで溢れていた。
「そんなに謝られても困るのだけど」
「でも俺は麗子さんのために何もできなくて……」
「私はとても楽しかったわよ? 保坂くんは違うの?」
「俺も凄く楽しめたとは思うんですけど……」
「ならいいじゃない。自分を責める必要なんてないわ」
すると麗子さんはお腹に手を置き。
「まあ強いていうならお腹が空いたかしら」
と一言。
その瞬間、俺は昨日の自分に後悔をした。
やはり夕食の予定まで立てておくべきだったのだ。
「今からでも予約を……」
急いでケータイを取り出し。
近くのレストランで検索をかけようとした。
すると。
「保坂くんの家はどう?」
「えっ……俺の家ですか?」
「そう。いつもみたいに」
「でもそれだと何も特別じゃ……」
何も特別じゃない。
俺が言いかけたその瞬間。
「特別なことなんて何もしなくていいのよ」
麗子さんの言葉が俺の言葉を覆った。
「保坂くんは何もかも1人で頑張り過ぎよ。もう少し肩の力を抜いた方がいいんじゃないかしら」
「そ、そうなんですかね」
「そうよ。私はあなたの側にいれるだけで十分幸せなんだから」
確かに張り切り過ぎていた部分はあったかもしれない。
実際今日の俺は麗子さんのことで頭がいっぱいだった。
「でも本当に宅飲みでいいんですか?」
「もちろん。せっかくこれも買ったことだし」
そう言って麗子さんはビアグラスをちらつかせる。
言われてみればこのグラスを使うのは俺も楽しみだった。
「そうですね。せっかくお揃いの買いましたしね」
「これでビールを飲んでみたいってずっと思ってたのよ」
麗子さんはすでに酒飲みの顔だ。
彼女がそれでいいと言うなら俺も異論はない。
「今日はとびきり美味いビールを買って帰りますか」
「ええ、それと美味しいおつまみも忘れずにね」
デートの後はオシャレなレストランへ。
それが麗子さんにとっての一番と思っていた。
でもどうやら俺は大きな勘違いをしていたようだ。
麗子さんは自分を飾らない。
俺はそれを知っていたつもりだったが。
今日改めてそれを実感させられた気がする。
——私はあなたの側にいれるだけで十分幸せなんだから。
俺も麗子さんと同じ気持ちだ。
側にいれるだけで十分幸せを感じられる。
2人で一緒に酒を飲む。
その平凡こそが俺たちにとっての特別で、どんなレストランよりも価値のある唯一無二の時間なのだろう。
「俺、めっちゃ好きっす」
「ええ、私も好きよ」
俺たちが零した愛の矛先は酒か。
それとも目の前に佇む思い人か。
答えが出る間もなく。
その声は電車の音に消えていった。
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