第11話 オムライスと焼肉 ①

 1時間の昼休憩。

 俺は12時でピタッと仕事を切り上げ。

 瀬川さんと合流した後、駅前の喫茶店へと向かった。


 この喫茶店はうちの職場でも知る人ぞ知る、オムライスがとても美味しい店で、会社からは徒歩10分弱で行ける場所にあるため、俺も何度か利用したことがある。


 とはいえ昼の時間に行くとなると、混み具合によっては、会社に戻るのがかなりギリギリになってしまうため、うちの社員が昼食として利用することはまずない。


 故に昨日とは違い、今日は人の目を気にすることなくメシが食えると言うわけだ。


「空いててよかったですね」


「そうね。これならゆっくり食べられそうだわ」


 幸い店は結構空いていた。

 俺たちは窓際の端っこのテーブル席に座り。

 オムライスとコーヒーのセットをそれぞれ注文する。


「なんか、色々すみません」


「何で謝るの? 仲直りなら昨日したじゃない」


「そうなんですけど……」


 自然と生まれる料理の待ち時間。

 その間俺は、無性に申し訳なさを感じていた。


 その原因はおそらく昨日の喧嘩。

 仲直りは済ませているが、どうも腑に落ちない何かがあった。


「食堂の件ならもう怒ってないわよ? それともあれかしら。今日の藍葉さんとの食事について、何か私に気を遣ってることがあるのかしら」


「そう……なのかもしれません」


「だとしたら何も気にする必要ないわ」


 瀬川さんはそう言ってくれているが。

 彼女と喧嘩した次の日に他の女性と食事に行く。

 というのは、俺的には何か悪いことをしてる気がしてならない。


 例え相手があの藍葉だろうと。

 100%何も起きないのがわかっていても。

 女性である事実は変わらないので、どうも気分が乗り切らなかった。


「いいじゃない焼肉。藍葉さんも随分と喜んでたようだし」


「確かに、あの喜び方は異常でしたね」


「それだけ保坂くんとの食事を楽しみにしてるのよ」


 楽しみにしてくれてることに悪い気はしない。

 だが、どうしても引っかかっている事が一つ。


「瀬川さんはその……嫌じゃないんですか?」


「それってどういうことかしら」


「後輩とはいえ、一応はあいつも女性ですし。俺が女性と2人で食事に行くのは、瀬川さん的には思うところがあったりするのかなー……なんて思いまして」


「そんなの、嫌に決まってるじゃない」


「へっ……⁉︎」


 即答すぎて思わず変な声が出た。

 てっきり『大丈夫よ』とか、『気にしてないわ』とか言われると思ってたから、これだけ正直に”嫌”と言われると、一周回って清々しい気分だ。


「嫌だけど、間違ってはいない。だって昔の私もそうしたもの」


 3年前。俺が入社1年目の時。

 あの時の瀬川さんは、初出張を終えた俺に飯を奢ってくれた。


「出張を終えた後輩をご飯に連れて行くことは、先輩として普通のことよ。もちろん相手が可愛らしい女性という部分には、少しだけ思うところはあるけれど。でもそれを今の私が否定してしまったら、私は過去の自分の行いを否定することになるじゃない? だからあなたは何も気にしなくていいのよ」


 確かにそうだ。

 俺が後輩である藍葉を食事に連れて行くことを、今まで俺に同じことをしてくれていた瀬川さんが、その時の感情で否定することはできないのかもしれない。


 それに瀬川さんは、後輩に優しい上司だ。

 昔指導を受けていた俺が、身を以てそれを知ってる。

 きっと藍葉のことも、可愛い後輩と思ってるに違いない。


 ——新人を指導する上では、時には飴も必要よ。


 藍葉の指導係になった時に、瀬川さんはそう言っていた。

 ならば今日の焼肉は、新人を育てる上での必要な”飴”として、余計な私情を挟まずに、ご馳走してやるのが先輩としての務めだろう。


「わかりました。そしたら俺、行ってきますね」


「ええ、いってらっしゃい」


 確かに瀬川さんは、性格に一癖二癖ある人だが。

 こう言った時に茶々を入れてくるような人じゃない。

 先輩なら先輩らしくいろ、と迷わず言ってくれる人だ。


「もちろん浮気はダメよ?」


「し、しませんよそんなこと」


「それに触れるのもダメ。あと10秒以上目を合わせるのも」


「…………」


 でもこういうことを平気で言うあたり。

 やっぱりこの人は、メンヘラなのかもしれない。




 * * *




「かんぱーい!」「乾杯」


 カコンッ、という軽快な音が鳴った。

 それと共に俺はキンキンに冷えたビールを。

 藍葉はカクテルを勢いよく喉に流し込んで行く。


「だはぁぁぁ……うめぇぇ」


 これぞ幸せの吐息。

 日頃の疲れが全て吹っ飛ぶんじゃないかぐらいの至福だった。

 ビールがこんなにも美味いと感じられたのは、久々な気がする。


「ぷはぁぁ……生き返る〜」


 一方の藍葉もだいぶ喉が渇いていたらしく。

 一口目を飲んだ後の表情から幸せが滲み出ていた。


「このお酒おいしー!」


「気に入ったならよかったよ」


「ふぁじーねーぶる……? 何だかよくわかりませんけど。甘くてお酒の味あんまりしないし、ジュースみたいで私これ好きかもです!」


 藍葉が飲んでいるお酒は、ファジーネーブルというカクテル。


 お酒があまり得意ではない人でも飲みやすく、あくまでジュース感覚で楽しむことができるため、藍葉のように普段はあまりお酒を飲まないタイプの人間には、自信を持ってお勧めできる。


「さっすがセンパイ! 物知りですね!」


「そうだろう、そうだろう」


「これならいくらでも飲めちゃいそうです」


「無理だけはするなよ。一応お酒だからな」


「わかってますって〜」


 そう言いつつも飲むのを辞めないあたり。

 藍葉は随分とこのお酒を気に入ったのだろう。

 勧めた側として、決して気分は悪くない。


「それよりもセンパイ、早くお肉頼みましょうよ〜」


「先に言っておくが、ここは食べ放題じゃないからな」


「それくらい知ってますよ〜」


 とは言いつつ。

 藍葉は店の中でもとびきり良い肉ばかりを注文しやがる。


 厚切り牛タン、和牛サーロイン、特上壺漬けハラミ。

 続けて厚切りレアロース、極上塩ホルモン、そしてステーキまで。


「あっ、この特上牛カルビも一つ。あとサンチェも」


 特上や極上と名の付くものはかたっぱしから。

 遠慮の”え”すらも感じさせない清々しい注文っぷりだった。


(お前に特上と普通の味の違いわかんのかよ……)


 なんて、内心思ったりもしたが。

 目で圧をかけるぐらいで、俺は特に何も口出しはしなかった。


「——以上で!」


「はぁ……お前本当遠慮ねぇのな」


「えっ⁉︎ だって今日は私のためのお祝いじゃないですか。だから変に遠慮する方がセンパイに対して失礼なのかなって思ったんですよ〜」


「それはそうなんだけどさ……」


「それにセンパイだって食べたいでしょ? ステーキ」


「んんんん……」


 確かにステーキは少しばかり気になる。

 まず普段の俺なら絶対に注文しないだろうし。

 こういう機会だからこそ食べられるものなのだろう。


 だがそれ以上に……。


(これって会計いくらになるんだ……?)


 腹一杯焼肉を食べ終えた後の俺のお財布事情が、今この時から気になって気になって仕方がなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る