22、花の香り

翌日早朝、一行は簡単な食事を済ませ朝もやの中を早々に出発した。

リリスは揺れる馬車の中で、傷にいやしの呪文を送る。

昨夜川の水で洗っている時、水の精霊が癒やしてくれたおかげで、一応傷は開かず出血も止まっている。


「どう?」


「はい、激しく動かさなかったら開くことはないでしょう。

レナントに着いたら、お医者様にって頂いた方がいいのかもしれませんが。」


「また痛い目にうねえ。もう、あのバカ戦士!」


「ふふ、そうですね。縫ってる間、ワンワン泣き叫んだらつついて下さい。

さて、朝を迎えたばかりですが、少し休みましょう。」


昨夜よく眠れなかったので、眠れる時に仮眠した方がいいと思う。

馬車はひどい揺れの上に腕にも痛みがあるが、横になるとやはり疲れがあるのかリリスはすぐに眠ってしまった。

一行は森のレナントへ続く山道を、早足で列を成して進んで行く。

この山を越えると、レナントの中心部はもうすぐだ。

高台にある城も見えてくるだろう。


しかし、しばらくしてずいぶん進んだところで先頭を進む一行の案内人が、いつもと違った印象に次第に首をかしげる。

朝もやがどんどん濃くなり、何度も同じ場所を回っているような気がするのだ。

歩みが遅くなり、前後の馬が寄ってざわついた。


「リリス、何か様子がおかしいよ。」


ヨーコにつつかれて眠い目をこすり、リリスが目を覚ました。


「なに……?なんでしょうか?」


「何か、同じとこグルグル回ってるんじゃないかって。」


「同じところを?」


ヨーコがリリスの肩に留まり、馬車から身を乗り出す彼と一緒に辺りを見回す。

何か、いいようのない甘い香りがただよって、クンクン鼻を立て、思い出したようにリリスは横を行く戦士に叫んだ。


「戦士様!魔物の花にまどわされております!風を呼びますので風に向かって風上へ走って下さい!」


「なに?!それは確かか?」


「この香り、ラベンナという方向を狂わせる花の香りです。東の国の魔術師が目くらましに使うと聞いたことがあります!お早く!」


「あいわかった!皆、魔導師がいるかもしれん!注意せよーーっ!!」」


叫びながら戦士が樹の間を走り、先頭へと急ぐ。


「ヨーコ様、風を呼びますから飛ばされぬよう馬車の中でお待ち下さい。」


「わかった。リリス!気をつけて!」


リリスは馬車の中を走り、ミュー馬をあやつ御者ぎょしゃの横に立って両手を高く掲げる。


「風よ!風よ!我が声を聞け!レナントの風よ!

この地にただよう、我らをまどわせし花の香を消し、迷いし我らの行くべき道を指し示せ!

フィード・フェナ・ファルファ!

フィード・レン・ラナファルト!」


リリスの手から風が巻き起こり、遠くから風の音が近づいてきた。



ゴォォォォオオオオオ!!



「頭を下げよ!風が来るぞ!」



ビョオオオオ!!



「うおっ!」


どこからか声が上がり、それと同時に突風が右斜めから吹き荒れた。

あれほど濃かったもやが晴れ、山道をはずれているのが目に見える。


「風上に向かって走るぞ!」


「おお!風上へ!」

「おお!」


声が上がり、一気に馬たちが走り出す。

しかし回りの木がグニャリと動き、馬や兵士達をからめ取った。


「な!なんだこれは!」


「うおお!」


剣を振り、木を切ろうとする手にもツタが巻いてくる。

リリスの乗る馬車にもそのツルははい回り、隣にいる御者の男を捕まえリリスの足に這い上がってきた。


「なんだこりゃあ!ひいっ、た、助けてくれ!」


御者の男が思わずリリスの袖を掴む。

リリスは構わず手で印を結び、呪文を詠唱えいしょうしながら微動だにしない。

とうとう袖が肩から裂け、男はようやくそこで手を離した。


「……ラクレル・レン・ルーナ、命をはぐくむ大地の王、ヴァシュラムドーンの精を受けし木々の精霊よ、心鎮こころしずめ我が声を聞け。我が名は風のリリス。

ラクレル・レン・ラーナ、よこしまな者の声より解放され、静粛せいしゅくなる世界の元に大いなる抱擁ほうようを持って我らを見守りたまえ。

ヴァシュラ・セラ・レ・ルーン!我が声を持って、静粛なる者よ解放されよ!」



ザアアア………



突風が吹いて森をゆらし、急激に伸びたツタが急に力を失い地に落ちた。

兵達がそれを振り払い、急いで開けた道へと出る。


「助かった!」横で小さく震えていた御者も、あわてて馬を走らせる。


まだ、まだだ。

術者が近くにいる!


リリスは動き始めた馬車の上、術者の姿を探した。

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