運命だった人たち

松藤四十弐

運命だった人たち

 全人類が前世の記憶を持っていない。そんな設定の古典小説が、人類の約8割が前世の記憶を持っているこの世界で再流行していた。

 確かに前世の記憶に縛られずに人生を歩めるのは、気楽でいいなとマサヤは思った。

 とはいえ、鬱陶しいわけじゃない。十五歳になり、前世の近親者と連絡をとれる権利を得たのは、大人に近づいたようで嬉しかった。

 でも、前世で関わった人たちと会えるかは不確実だ。そもそも現世に存在しているかも分からない。例えばマサヤの父は、親を探したが見つからなかったし、母は娘を見つけたが、今は八十八歳の老婆だった。昔話に花を咲かせたらしいが、感動の再会ではなかった。残念なことに。

  ちなみに両親は、前世では元恋人同士で、この世で晴れて夫婦になった。マサヤはそれを半分気味悪く、残り半分を羨ましくみていた。


 彼は前世のマサヤである、清太の妻に会いたかった。最後まで手を握ってくれていた、美しい聡美に触れてみたかった。

 もちろん記憶はあくまでも記憶だ。清太は自分の前世の姿だが、自分は清太ではなく自分だという自我を持っていた。ただ、聡美のことを考えると心が躍り、ふわふわした。清太が一目惚れして声を掛けた気持ちも分かると、ひとり頷いていた。

 政府が管理する前世記憶簿管理室に依頼すると、聡美はすぐに見つかった。前世記憶簿に登録したのは十年以上前で、その人はマサヤよりも年上だった。奇跡的に同じ県に住んでいることが分かり、再会要望を出すと数日で受理された。

 再会は金曜日の17時15分、福祉会館の一室で。管理室の職員が一名、立ち会うとのことだった。

 そのことを親に伝えると、19時までには帰ってくるように言われた。だが、どうだろうか。食事に行くかもしれないし、遊びに行くかもしれない。聡美の部屋にお邪魔する可能性もあると、よからぬ妄想に浸り、いやダメだと現実に戻ったりを繰り返した。

 運悪く、当日は進路の方向性を決める担任との二者面談で、家に帰ってゆっくり服を選ぶ時間はなかった。制服姿で行く羽目になることも考えられたが、できれば避けたかった。


「先生、早めに終わらせよう」マサヤは席に着くと、早口で言った。「約束があるんです」


 西木先生はそれを聞いたか聞かなかったか、向かいの席で静かにアンケート用紙をめくっていた。三十歳なのに、他の教員よりも大人に見えた。スーツと深い青色のネクタイが似合っているせいかもしれなかったし、静寂な雰囲気を持っているせいかもしれなかった。マサヤは先生と話すとき、風のない雪原をよく思い出した。

 先生は、このままの成績を保てば第一志望の公立校には入れるだろうとお墨付きをくれた。進学校を狙う気はないのかと聞かれたがマサヤは首を振った。高校に入ったらアルバイトをするつもりだった。一人前の大人に近づきたかった。清太のように。

気を使ってくれたのか、面談はすぐに終わった。最後に、これまで通り問題行動を起こさないようにと念を押されて、マサヤは席を立った。


「ちなみに約束ってなにかな」

 先生はアンケートをクリアファイルに片付けながら言った。

「約束は約束です」

「どこか行くの?」

「はい」マサヤはちょっと自慢気に言ってみた。「福祉会館に」

「福祉会館?」先生が顔を上げた。「何しに?」

「会いにです」

「誰に?」

「……前世の人です」

 怒ったような、重大事件が起きたような、そんな表情の先生がそこにいた。

「清太じゃないよね?」

 訳もわからず、マサヤは黙った。

「先生に、なにか関係が?」

「ああ、やっぱり。そうか……」

 先生は背を伸ばした。そして、ゆっくりと答えた。

「実は聡美さんの記憶が、俺にはあるんだ」

 世界が渦をまくことがある。初めて知った。頭が下になり、足が天井に上がっていく感覚があった。

「先生が、聡美?」

 人生の続きが、ひとつ終わった。マサヤは思って、崩れかけた。

「聡美さんではないよ。ただ、聡美さんの記憶があるだけ」

「……男が好きな、わけじゃないですよね」

 マサヤは隣のクラスの担任である山本先生を思い出した。かわいい先生だった。

「なんで僕に会おうと思ったんですか?」

「清太は、聡美さんがもう一度会いたいと願った人だったから、会ってみたかったんだ。もう十年近く待った。もう会えないだろうと思っていた。まさかだね」

「そっか」

「がっかりしたよね」

「いいえ」とマサヤは強がった。「僕も会いたかっただけです」

「そうか」

「……先生は、山本先生と付き合ってるんですか?」

「どうして?」

「清太が聞いてるんです」

 どちらの目も潤んでいないだろうか。それだけが心配だった。

 先生はクリアファイルを机に置いた。

「付き合ってるよ。清太だけに伝えといて」

 マサヤは理解し、首を縦に振った。同時にいくつかの感情が体の内部をうごめいているのを認めた。ただ、それを掴むことはしなかった。掴んでしまったら最後、どこかに存在するはずの洞穴に吸い込まれることが分かっていた。

 じゃあ、これで。マサヤは教室を出た。また来週と、声が背中に返ってきた。

 廊下に出ると、山本先生がいた。隣の教室に鍵を掛けているところだった。

「さようなら。気を付けて帰るんだよ」

 マサヤは彼女の顔をじっと見た。年齢よりも少し幼い顔立ちだった。何に負けたのか、何が勝ったのか、不条理なのか、当たり前なのか、運命なのか、積み重ねなのか、頭の中に浮かぶ全ての言葉が理解できなかった。

「どうしたの?」

 その問いには答えられなかった。世界や運命やあなたたちが自分に何をして、今どうなっているのか、うまく説明ができなかった。口からは音も出そうになかった。だから、ただ山本先生に会釈し、廊下を早足で、最後の方は駆け抜けた。聡美をよろしくお願いします。そんな馬鹿げた言葉がひとつ、心にあることを恥じた。僕は、僕なのに。清太じゃないのに。

 

 玄関口まで来ると、小学校から一緒だった可奈子が一人立っていた。

 彼女は下駄箱から出した靴を持ったまま、外を静かに眺めていた。そして、糸が切れたように座った。震える肩と一緒に、明るく長い髪が揺れた。マサヤは駆け寄り、どうしたと声を掛けた。泣きじゃくりながらも、マサヤを認めた彼女は一言、二言と絞り出すように声を出した。

 ずっと好きだった人が、来世も一緒になろうと約束した人が、この世界でも愛し合う予定だった人が、とられたの。彼女、四十五歳で死んだのに。彼女、死ぬときもまた会いたいって、強く願っていたのに。知らない人に。彼のことを何も知らない人に。とられたの。とられたの。とられたの。とられたの。私もずっと待ったのに。

 言葉の端々を組み合わせて、マサヤは彼女の状況をなんとか理解した。

 僕もだよ。分かるよ。そんなことは言わなかった。それが清太の強さで、マサヤの強さでもあった。

 隣に座って、背中に手を置いた。じんわりと熱を持ち、汗をかいているのが分かった。閉じられた目からは涙がぽろぽろと流れていた。

 マサヤは痛いくらいに泣きついてきた可奈子を抱きしめた。彼女はただの十五歳にも思えたし、四十五歳の女性にも思えた。でも、健康な体がそこにあった。シャンプーの香りがして、頭皮のにおいがした。そのにおいが嫌ではないことが、余計につらかった。

 シャツが涙で濡れていくのをマサヤは感じながら、ただただそこにいた。その場を行き交う人の視線を無視して、彼女越しに自分を慰めることしか、今はまだできなかった。

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