桐生くんに嫌われてるのをやめたい
稲井田そう
第1話
「ね、ねえ、桐生くん! 桐生くんは、最近どんな本読んだ?」
「……落下についての本です」
図書室のカウンターに座る一年生の男の子……、
答えてくれるだけ、いいのだろうけど、いつか目が合わないかな、と期待してしまう。
だって私、
……例え桐生くんが、私を嫌いでも。
◇
「はーあ、今日も全然目が合わなかったなぁ……」
家に帰る気にもなれず、日が暮れて暗くなってきた屋上でぼんやり空を眺める。
受験が迫る高校三年生の秋だから寒いのか、それとも十月だから寒いのか分からないけれどとにかく寒い。心も寒い。
「悲しいなあ」
屋上には人がいないから好きなだけ言える。でも別にいてもいいや。そんなことより今が大切だ。
……今が。
「卒業までに、桐生くんと仲良くなんてなれるのかなあ」
初めて桐生くんと出会った春、絶対仲良くなりたいと思った。これから一緒に沢山お話しして楽しく過ごしたいと思った。
なのに今、全然仲良くなれてない。
むしろ嫌われてる。でも確かに半年前桐生くんと出会ったあの日、私はこの人と仲良くなりたいと、なると決めたのだ。
私たちの出会いは今年の春、場所は学校の図書室だった。
私は文字が沢山ある本はすごく苦手で、読むと必ずうとうとしてきて最後には絶対寝ちゃう。でも絵本はそうじゃない。小さい頃から大好きで、家の棚には何十冊と好きな絵本がしまってある。それくらい好きだ。
だから難しい本は嫌いだけど図書室にはよく行っていて、もっと言えば図書委員で私のだーいすきな親友もりりんがいるから、バイトがなくて暇なときはいつも図書室に行っていた。
そこで漫画みたいな、ドラマみたいな出会い方を桐生くんとしたのだ!
もりりんが本棚の整理をするって言うから、私も手伝って脚立に乗りながら本の整理をしてると、足を踏み外してしまった。
そんな私を、背が高くてがっしりしてて、短髪のそれはそれはかっこいい男の子が私を受け止めてくれた。
その時の男の子は本当に絵本で見た騎士様みたいで、私は一瞬で恋に落ちたのだ。
さらに私を受け止める時、男の子が落とした本が私の大好きな絵本だった!
もう運命しかない絶対仲良くなりたいと思った私は、男の子に名前を聞いた。でも、「あなたに名乗るほどのものではないです」と言われいなくなってしまった。
それから男の子をどうにか探し続け、一週間が経った放課後。
いつも通りもりりんとお話ししようと思って図書室に向かうと、隣に知らない子……一週間前、運命的に出会ったあの子がいた。
もりりんはその子を、
「今年から新しく図書委員会に入った一年生の桐生慎司くんです」
と私に紹介してくれた。
桐生くんはぺこってお辞儀をしてくれて、嬉しさを全く隠せないまま笑顔で自己紹介をすると、桐生くんは最初と同じようにお辞儀をした。
やや視線を逸らしがちに。
それから私は桐生くんと仲良くなるべく頑張った。
桐生くんは図書委員の研修期間として、もりりんと仕事をすると決まっていたから、図書室に行って絵本についてや図書館のこと、色んな話題で話しかけたり桐生くん自身について質問しまくった。
桐生くんは質問に答えてくれるし、相槌もうってくれる。
だけど目は絶対に合わなかった。
会話の返事は全て「はい」「いいえ」「そうですか」の三つ。
もりりんも話をするのが苦手な子だ。でも段々仲良くなってきて、もりりんは自分からお話をしてくれるようになった。
桐生くんも同じ感じだと思って、その分私が沢山お話しするようにしていた。
でもある日桐生くんがもりりんと、私やもりりんの一つ下、二年生の図書委員で、もりりんにべったりの叶多くんの三人で話をしているのを見かけた。
その時の桐生くんは本当に普通に話をしていた。目も合ってたし、とにかく長く話していた。
引っかかる感じがして、嫌だなあとも思ったけど、もりりんと叶多くんは同じ図書委員だし、私とはまだ知り合って浅いからかな? と前向きに考えることにした。
それに桐生くんは親切だ。寒そうにしていた私にブランケットを貸してくれたり重い荷物を持ってくれて、何かと気にしてくれる。
私が図書室で課題をしてたりすると、どこからともなく現れて手伝ってくれた。
でも、その間も目は絶対合わない。
お礼を言うと「別に、では」か「いえ、それでは」と、すぐにいなくなってしまう。
桐生くんは優しくしてくれる。
でも、私に対してだけかなり距離がある。
「もしかして嫌われてる?」
「でも優しくしてくれるし」
を繰り返すこと、六か月。
桐生くんに対する私への態度は全く変わらないままで、近付かれるのが嫌なのかと距離をとってみたり、私の嫌なところや良くないところを聞いた方がいいのか考えてみたり、桐生くんとどうすれば仲良くなれるか悩む中とうとう決定的なことが起きた。
「初江先輩って、人間じゃないですよね」
図書室に入ろうとすると、桐生くんがそう言うのを私は聞いてしまったのだ。
桐生くんの傍ににいたもりりんは、信じられないものを見るように桐生くんを見た後、「一体どういう意味ですか?」と怒りながら聞き返す。
もりりんは嫌なことがあっても我慢して隠しちゃう子だ。そんな子が私のために怒ってくれて嬉しかった。
でも桐生くんに嫌われていたこと、人間じゃないみたいに言われたことが本当にショックで、私は図書室に入ることが出来ず逆走した。
それからバイトも増えて図書室に行かなくなった。桐生くんに、どんな顔を合わせていいか分からなかったし、丁度いいと思った。
そうして図書室に行かなくなって二週間が経った頃、なんと昼休み教室に桐生くんが来た。
「図書室に来ませんが、お忙しいんですか」
「皆待ってますよ」
と、図書室に行くことをまるで私にお願いするみたいにやって来た。
私を嫌いって人間じゃないと思っているはずの桐生くんが、私に会いに来たのだ。
何か、おかしい。何でだろう。
そう思いながらも話しかけてくれたことが嬉しくて、用があれば話しかけるくらいには嫌われてないんだなと思って、ちょっとだけ私はほっとして図書室に通うことを再開した。
けれど、やっぱり私は嫌われていた。
それから一週間ほど経った頃。図書室で過ごしていると、私と桐生くんと二人で帰ることになったのだ。いつもならもりりんと叶多くんと四人なのに、その日二人はいなかった。
どうしようと思いながら焦って私が一方的に話しながら帰っていると、桐生くんが突然「実は先輩と少し行きたいところがあって」と誘ってくれた。
本当に嬉しくて、「もしかして嫌われていると思ったのは私の勘違いだったのかも!?」と、わくわくしながらついて行くと、着いたのは景色がすごく綺麗な高台の丘だった。
桐生くんは「小さい頃よく来ていて、秘密の場所なんです」と静かに話して、私はすっごく嬉しかった。
景色にも、桐生くんが小さい頃行っていた場所に私を連れて来てくれたことも感動して、「人間じゃない」と言っていたのは、何か誤解だったのかもしれない。そう思ってすぐだった。
「とんでみてくれませんか、今ここで。ここには俺しかいませんよ」
そう言って桐生くんは下の景色を見下ろしながら言ったのだ。
初めは冗談かと思ったけれど桐生くんは本気だった。絶対にふざけて飛ぶような場所じゃなくて、死んじゃうようなところだ。出来ないと謝ると桐生くんは「そうですか……」と酷く残念そうにしていた。
その後はもう気持ちがぐちゃぐちゃで、どうやって帰ったのか覚えていない。
それから夏になって、桐生くんは家族と旅行に行ったからとお土産をくれたり、「夏休み、一緒に出掛けてほしいところがあるんです」と誘ってきた。でもお土産も出掛けるのも断った。
桐生くんが分からないから。
彼の行動はとても優しい。
何かあれば手伝ってくれるし、私を気にかけてくれる。でも、私にだけは目を合わせてくれないし、私のこと人間じゃないって言う。
死んでって遠回しに言ってくる。
優しい桐生くんと、私のことが嫌いな桐生くん。
どっちが本物なんだろう。私はどっちを信じていいんだろう。
夏休み中、考えて、考えて、考え続けた結果。
桐生くんのことが好きなことはやめて、これ以上彼に嫌われないようにしつつ、せめて嫌いじゃなくて彼の普通になることを目標にした。
だって死んでほしいくらい嫌いな人を好きになるのは、絶対無理だろうから。
せめて普通くらいになりたい。
でも夏休みから二か月経った今も、好きなことは全然やめられない。
桐生くんはあの時のことなんて忘れちゃったみたいに私に優しくしてくれる。その優しさをどうしても嬉しいと思ってしまう私がいる。
けれど、「やめる」と決めてから心が楽だ。多分完全に桐生くんに嫌われてるってことが、しっかり分かったんだと思う。
「はーあ、桐生くん、どっちが本物なんだろう。もういい加減、好きなの全部やめちゃいたいな……」
夕日が見えなくなって、辺りは完全に暗くなる。今の私の心と同じだ。辛い。
溜息を吐いて顔を上げると、ガチャと扉の開く音がして私は慌てて隠れる。
もう下校時間も近いのに、何で屋上に? って、私が言えたことじゃないか……。
人も来たし、もう帰ろう。
何となく来た人に見つからないようにこっそり校舎に戻ろうとした私は、やってきた人影に驚きぽっかりと口が開いた。
かなり遠くにいるのに、陰だけで分かるシルエット。
あそこにいるのは……。
◆
生まれて初めて、天使を見た。
天使なんて、絵本やアニメの存在で現実には存在せず、実体のない空想上の存在。
俺は彼女を見るまでそう思っていたが、どうやら俺はとても浅はかだったらしい。愛らしく、キラキラと周囲が発光していた彼女……天使である初江乃々先輩は空から降って来た。
出会ったのは四月十八日、十五時七分頃。時計を気にしていなかったから逆算だけれどその頃だ。
俺は「図書委員、案外弓道部多いからやってくれないかな?」と、頓珍漢な担任の言葉で任された図書委員の業務を遂行していたところ、人のようなものが落ちて来た。
咄嗟に手を伸ばし、俺は息をのんだ。なぜなら俺の腕の中にいたものは、人ではなかった。天使だったからだ。
高い位置で結った髪は金色に靡き、白く透き通った頬は地上のどんなものでも柔らかそうで、赤い唇は血よりも赤い。瞳は宝石のように煌めく。
身体に羽が生え浮遊しているかのように軽い彼女は、幼い頃壁画で見た天使のようだった。直視し続ければ、俺の目は浄化され過ぎて確実に潰れてしまう。
周囲の光は彼女に集中し彼女を照らすようだし、細かい粒子状のきらきらが彼女の周囲に舞っている。
人が落ちて来たのではない。天使が降ってきたのだと理解したのは一瞬だった。
天使は受け止めた俺にお礼を言った。そして俺がたまたま片付けていた本を知っていたらしく、運命と言い名を尋ねてきたが俺は答えなかった。天使に名乗る名前は無い。だって俺はただの人間だ。種族が違う。不敬にあたる。
天使の美しさは一晩経っても、二晩経っても俺の心に色鮮やかに残っていた。目を閉じればあの時の光景が一瞬で甦り俺の胸を締め付ける。しかしもう二度と会うことはないだろうと考えた一週間後、奇跡が起きた。
また天使に会ったのだ。天使は降森先輩と知り合いで、『初江乃々』として人間界で生活していたらしい。
何故降森先輩と知り合いかは分からないが、天使の力のようなもので言うことを聞かせているのかもしれないし、降森先輩は清純な人だから天使の人間的生活に協力しているのかもしれない。
天使の美しい姿を視界に焼き付けていると、なんと天使は俺に話しかけだした。教えを説いてくれるかと思えば、俗世の絵本の話や図書室の話だ。
本が好きなのか好きな食べ物はなんだとか、とりとめのない話をした。天使は楽しそうに話をする。俺は聞いて頷くだけだ。
俺は、話すことが得意じゃない。人の気持ちが分からない。
どうやら俺の言葉は人を傷つけるらしい。今まで出会った人間曰く、「直球すぎる」そうで、それを指摘されるようになってから言葉を濁したりぼかしたりするようにして対処した。そして返事をするのに時間がかかるようになった。
元々感情が顔に出なければ、言葉も上手く出ない。返事をするのに時間がかかり、ちゃんと話を聞いているのに、「ちゃんと話聞いてる?」と相手を怒らせてしまう。
だから話はせず聞き手に回る。そもそも相槌をうつタイミングも曖昧で、相手の邪魔をしやしないかとひやひやする。俺は話すことも駄目で聞くことも苦手だ。
でも、天使に失望されたくなくて、沢山天使の話が聞きたくて、姿が見たくて、一生懸命天使の話に相槌をうった。「はい」「いいえ」も意識して言った。
それが何度も続き、天使に対しての緊張が毎回物凄いことになっているせいか、降森先輩や常浦先輩に対して、いや天使以外に対して緊張せず話が出来るようになった。天使の力はすごい。
……もしかして、天使は俺を救いに地上に降りて来たのでは?
一瞬そう期待しそうになったが、実際はおそらく異文化交流のようなものだ。
俺に優しく接してくれるとか、そういうことを考えてはいけない。天使は上級の存在で、相手からすれば俺は下等生物だ。相手は天使、汚してはならない、仲良くなってはいけないのだ。
欲を持ってはいけないのに、彼女のする話はどれも魅力的で、何より楽しそうに話すその笑顔が大変可愛らしい。天使を見て抱く淡い期待や分不相応な感情を殺す日々が続いた。
天使はまるで俺を探すかのように図書室に入り、一目散に向かって来ては、楽しそうに話をしはじめる。図書室で本を読んでいる人間に迷惑がかからないよう、小さな声で囁くように。
天使は美しく可憐だ。それでいて俺と共にいて楽しそうに過ごしてくれる。それがお世辞か何かだと分かっているのに、つい仲良くなりたいなんて出過ぎた思いを抱いてしまう。
でも、この天使といつか別れる時が来るのだ。天使はいつまでも地上に降りてはいないだろう。いつか天上界に戻る。
……それって、いつだ?
疑問に思った俺は、全てを知るであろう降森先輩に、天使が人間ではないことについて尋ねた。けれど降森先輩はそれを聞くなり怒った。
話を聞いていると、どうやら降森先輩は俺が天使を侮辱しようとしたと思ったらしい。
天使を侮辱なんてしないのに。
思えば降森先輩は少々天然のきらいがある。常浦先輩が偶然を装い降森先輩の後を追っていることや、降森先輩の周りの人間を淡々と排除していることに全く気付いていない。
降森先輩は俺が信用ならないらしく、「いや、天使じゃなくて人間ですよ……?」と言って誤魔化していたが、普通の人間はキラキラしていない。いつだって天使はキラキラしている。俺の目は誤魔化されない。
天使に害成す存在じゃないと降森先輩に認めてもらおうと考えた矢先、天使が図書室に現れなくなった。
初めは俺との会話がつまらないから失望されてしまったか、天上界に帰ってしまったのだと思った。
仕方ないこと。俺にはどうにも出来ないこと。初めから手の届かない、種族すら違う相手だと分かっていたのに心臓が張り裂けそうに痛んだ。症状は全て今まで小説などで読んだ、「恋」に似ていた。だから病院に行こうとした。
別れはとうに理解していたはずだからだ。
俺は人間で、相手は天使。俺が仲良くなりたい、傍にいたい、近くにいたい。そう思ったところで相手は高貴な存在。身の程をわきまえず、恋に落ちるはずがない。
恋に似た病で、動悸がして、めまいがして、胸が苦しくなるのは心臓の病だ。早期発見、早期治療がいいと病院で検査予約を入れようと、昼休みに電話をするため場所を探していたら天使を見つけた。
天使はなぜか三年の教室にいて、どこか俯きがちに座っていた。
そして、「桐生くん……」と机をじっと見つめながら、俺の名前を口にした。
何で図書室に来ない? 天上界に帰ったんじゃないのか?
いるなら、来てほしい。
想いが溢れ考えがまとまらず混乱して、衝動のまま廊下から三年の教室に飛び込むように突撃し、図書室に来ないのは何故なのかと聞いてしまった。
天使は、「バイトがあった」と言った。地上界調査の為に、バイトまでするとは驚きだ。そう考えると少しだけ冷静になり、「皆」を引き出して図書室に来てくれるように頼んだ。
卑怯な行いだと思う。でも、「俺が来てほしいと思ってます」と言っても絶対来てくれなさそうだ。俺はただの人間の一人だし。
それから天使は図書室に来てくれるようになった。来てくれるようにはなったけど、どこか俺に対してぎこちない。前のように嬉々として話そうとしてくれない。俺に飽きた可能性も考えたけれど、どうやら俺を怖がったりしているようだった。距離だって今までより十四センチ半離れている。
目に見えて、俺だけ避けられていた。
だから一週間後、俺は勝負をかけることにした。
おそらく、俺が教室に飛び込み図書室に来てほしいとお願いした時、俺のあまりの必死さに、「この人間は何か目的があるのでは」「この人間は、私を利用する気では」「羽を出せと言って、毟り取り、高値で売る気では」など、俺が天使に危害を加える存在だと天使に認識させてしまったのだろう。
だから俺がいつもランニングコースのスタートとゴール位置に利用している、俺の好きな場所。人気があまり無く、高台で、周囲からあまり認識されない場所へ天使を連れて行き飛ぶようお願いした。
実際に天使が飛んでいる時俺が何もせず羽を毟らなければ、きっと天使は俺を信頼してくれるはずだと考えて。
けれど天使は飛んでくれなかった。信用が足りなかったらしい。失敗した。天使は俺にさらに怯え、震えていた。
夏、あの手この手で何とか天使の信頼を勝ち取るべく邁進した。信頼を勝ち取るためには時間だと聞いたから、どこかに出かけようと誘い断られ、お詫びのほうが先かと気付き旅先で土産を買った。それも断られた。
夏休み中図書室に天使が現れないかと毎日通った。でも天使は現れない。
夏休みが明けても、休み時間も昼も毎日図書室に通った。すると天使は降森先輩のいる時にだけ現れた。
何とか天使の信頼を勝ち取るべく天使が信頼している降森先輩の行動に注視していると、常浦先輩に呼び出された。
常浦先輩は、俺が邪魔なのだと言う。
降森先輩を見ていることが不愉快らしい。俺が降森先輩では無く天使を気にしていることを伝えると、常浦先輩は俺を鼻で笑い天使は人間だと話した。
また誤魔化されているのだと思っていると、天使は間違いなく生身の人間だと言う。キラキラして見えるのは恋によるもので、美しく見えるのは天使だからじゃなくて好きだからだと。
「そんなに疑うなら突き落としてみれば? 天使なら、流石に飛ぶでしょ? 人間だったら死ぬだろうけど」
「そろそろ邪魔なんだよ、お前ら。先輩との時間邪魔しないでくれる? あのひと、もう半年しか学校に通えないのに。ずーっと迷惑してんだけど」
そう言って常浦先輩は苛立ちながら話した。瞳に偽りは感じられなかった。俺は頭を割られた気がしながら去っていく常浦先輩を見ていた。
天使が、人間。
初江乃々という、一人の人間。
あんなに可愛くて美しいのに、人間。
人間なら誰かに連れ去られることだってある。天使は羽を生やし飛んでいけるけれど、人間はそうはいかない。
捕まったら最後、終わりだ。悪い奴に酷い目に遭わされるんじゃないか。だって相手は人間だ。
……天使じゃないなら、何故俺に怯えているのだろう。
天使じゃないのなら、同じ種族で、脅威に感じられることはないはず……。そう考えてはっとした。
俺は、怯えられることをしている。
天使は天使じゃなかった。ただの人間だ。なら丘の上でしたことは、天使にとって誠意を見せる行為でも、人間相手なら自殺の強要だ。
先輩が怯えていたのはそれが原因だ。誰だって突然自殺の強要をしてくる人間は恐ろしい。人間ではないとすら思われても仕方がない。
終わりだ。この世の終わりだ。あんなに天使に、じゃなかった先輩に嫌われている俺は死んだ方がいい。
ということで、今日早速死ぬことにした。
今日は天使……じゃなかった、初江先輩と話が出来た。「ね、ねえ、桐生くん! 桐生くんは、最近どんな本読んだ?」「……落下についての本です」という、短い会話だ。
もう少し、今までの感謝や謝罪を伝えたかったけれど、それを伝えるとそれが理由に俺が死んだことがバレて初江先輩に心の傷を与えてしまう。だからあくまで事故死を装い、死ぬ。
今流行っている写真を投稿する投稿者を装い、学校の屋上で夕焼けの景色の綺麗さを重視し、危険な撮り方をした結果落ちた人間を装い死ぬ。
本当は学校で死ぬのは良くないと思うが、家で死ねばその家を事故物件にしてしまうし、同じ理由で他のビルや建物からも飛べない。
学校は誰も住まないし高さもそれなりにある。何十年か遡れば屋上から飛び降りる人間もいたかもしれない、という理由で学校で死ぬことを決めた。
フェンスを背にして下を見る。きっとこの高さでは間違いなく死ぬことが出来るだろう。
スマホを取り出しカメラアプリを開く。動画モードになっていないことを確認して、夕焼けの写真を撮る。これで自撮りをして落ちれば完璧だ。
「好きです、初江先輩。貴女を天使だと思い行動した結果、貴女を酷く傷つけました。ごめんなさい。どうか幸せに生きてください」
さ、あとは浮かれた笑顔でシャッターを押して、夕焼けのショットを撮るだけだ。カメラのモードを内部モードに切り替える。
さっき撮った夕焼けを背にするようにして、写真を撮ればいい。振り返りフェンスのほうに身体を向け、俺は絶句する。
初江先輩が、フェンス越し、そこに、居た。
「初江せんぱ……」
◇
私を見て驚く桐生くんの腕をフェンス越しに掴む。
「来て! 何してるの!? 戻って!!」
「えっあっ」
怒鳴るように言うと、桐生くんは今まで見たことも無い表情で焦り始めた。
「早く!!」
「だ、駄目です初江先輩、俺は死にます、死ななきゃいけないんです」
「そんなわけない!! 戻って、早く!!」
本当はこっちに引っ張りたいけど、フェンスに腕なんか通らないし、桐生くんの身体は大きい。全然びくともしない。
「私も死ぬから!」
「え」
「桐生くんが、こっちに来なかったら、わ、私も死ぬから」
桐生くんが私を嫌いなら絶対駄目だけど、もし桐生くんのさっき言った言葉が本当ならきっと来てくれる。
鞄から筆箱を取り出して、そこから鋏を取りわたしは桐生くんに見せた。
「き、桐生くんが、こっちに来ないなら、これでく、首とかき、切っちゃうから!」
正直めちゃくちゃ怖いし、痛いのは嫌だ。でも桐生くんが死ぬのはもっと嫌だ。
「じゅ、十秒以内に来なかったら、ほ、本当に死ぬからね、じゅ、じゅう……あ」
カウントを始めようとすると、桐生くんがすごい速度でフェンスに手をかけ、そのままこっちに飛んでくる。私の隣に着地すると素早く私の手から鋏を奪い自分のポケットに入れ、またフェンスを登ろうとした。
「あっ待って、鞄にカッターがあ、あるから! もうフェンス飛び越えようとしたら死ぬからね! あっ、あっ! 死ぬの禁止、桐生くんが死んだら、わ、私も後を追うから!」
私の言葉に桐生くんは目を見開き、フェンスから手を離した。
何から話せばいいんだろう。死ぬのやめてくれたってことは私のこと、さっきの言葉通りに考えてくれてるってことでいいんだよね?
でも、嫌いだったのは?
今までの事は一体何だったの?
「ね、ねえ、桐生くんは、私のこと、き、嫌いじゃなかったの……!?」
「貴女の事を嫌いだったことなんて、そんなこと、一度もありません。俺はいつだって、分不相応な好意を貴女に抱いていましたよ」
「うそ……」
これは、夢……?
頬をつねる。痛い。
「で、でも私と話す時、目合わせてくれなかったし、返事三種類しかないし……他の人には、普通なのに」
そう言うと、桐生くんははっとした顔をして私を見て、泣きそうな顔になって、俯く。
「目を、合わせなかった、確かにそうです。でも、合わせられなかった。貴女は輝いている。だから、俺の目が潰れてしまうと思った。直視できませんでした。返事は、俺は元々話すのが得意じゃなく。俺は貴女の話を聞いていることを、貴女に分かって欲しくて、頷くことに、相槌をうつことに集中していました。俺は発信も返答も下手だから、貴女に失望されたくなかった。貴女にだけ、そうなのは、貴女へ向ける感情が、他の人へ向けない特別な好意だからです」
「でも、人間じゃないってもりりんに言ってたし、飛び降りろって」
「あの時の……、聞いてたんですか」
「うん……」
「俺は、貴女を確かに人間じゃないと、天使だと思っていました。はじめて会った時から。本気です。人間じゃなくて、天使だと思ったんです。貴女は、普段羽をしまっているだけで、飛べると思って、だから……飛んでほしいとお願いしました。死んでほしいなんて思っていませんでした」
人間じゃないって言ったのは、天使だからで、飛び降りろじゃなくて、飛んで欲しいと思ったってこと?
「そして貴女が人間だと聞いて、俺がしたことの重大さを知りました。俺のしたことは立派な自殺の強要です。お詫びに死にたいです。今すぐに死にたいです。許可してください」
「いや、だ、駄目だよ、嫌だよ、待ってよ」
正直、頭の理解が追いついて行かない。本当にそんなことある? って気持ちと、でも桐生くんは死のうとしたし、今も死のうとしてる。
「私は、桐生くんに、し、死んでほしくないよ」
「そんなことありません」
「え……」
「俺は貴女を殺すところだったんです。死んでほしくないと思わない理由なんて無いはずです」
「ええ……」
桐生くんに真っ向から否定される。
桐生くんの表情は真剣そのものだ。
「わ、私の気持ち勝手に決めないでよ、私桐生くんに死んでほしくないよ」
「何故」
「桐生くんのこと、好きだから……?」
混乱しつつそう伝えると、桐生くんが理解できないといった顔をした。
「ずっと、嫌われてるとばかり思っていたから、桐生くんのこと好きなのやめたいとか、やめるって決めたりとかしたけど、私桐生くんのこと好きなんだよ」
桐生くんの視線が陽が沈むことから逆走するみたいに、地面からゆっくり上がっていく。
「だから、桐生くんが、死ぬのは、やだ」
桐生くんと、目が合った。
◆
「俺と先輩が付き合っている」
家で自分の机に向かって話す。言葉に出しても信じられない。俺は空想と現実の区別がつかなくなったのではないかと思う。
今日天使が人間だと知り天使もとい先輩への償い、そして己のした行為の罪悪感から逃れようと死のうとした結果先輩と付き合うことになった。
自分でも何が起きたのかさっぱり分からない。でも先輩は俺を好きだと言った。
俺に嫌われていると思ったから好きなのをやめようとしたと。でも、先輩は俺を好きだと。
それから先輩は、「多分色々お互い誤解があると思う」と言った。そして話をした結果、先輩は俺に一目惚れなるものをしていて、俺の態度と俺の発言に戸惑っていたらしい。
確かに先輩が寒そうにしていれば布をかけたし、荷物を持っていれば手伝った。そんな行為をしつつ自殺強要とも取られかねない発言をしていたら戸惑うのも無理はない。
俺は俺で、日々先輩がどれだけ天使に見えていたかの話をした。拙いながらに自分の気持ちを一生懸命伝えると、先輩はずっと顔を赤くしてもじもじしていた。可愛かった。
そして、先輩が天使じゃないことで無視していた重大な事実に気付いた。
先輩は可愛い。とても綺麗で美しい。きらきらしているのに、天使じゃない。人間だ。ということはやっぱり何かあった時飛んで逃げることが出来ない。
変な男が先輩に惹かれ無理やり先輩を捕まえようとしたり、どうにかしたりするかもしれない。
天使なら翼を出して逃げれば済むし、天使パワーのようなもので逃げられる。攻撃も、天使パワーの力で何とかできるかもしれない。
でも人間は飛べない。先輩は飛べないのだ。何かあっても抵抗の手段はない。女の腕力の平均は男の腕力の平均を下回る結果が多い。
それはしっかりと統計が出ている。先輩は確か五月の握力測定で平均を下回る結果だったし、足もすごく遅い。それは背中に羽を仕込んでいるのだと思っていたが人間なのだからただ遅いだけだ。
となると、先輩を捕まえてどこかに連れ去ろうと思えば、簡単に実行できてしまう。
暗い夜道で襲い掛かれば先輩の力は弱いし、逃げられてもすぐに追いかけられる。おまけに先輩は持久力も無ければ格闘技の類も習っていない。弱い。
危ない。とても危ない。
もっといえば先輩は人への距離感があまりない。誰に対してもにこにこ笑う。可愛い笑顔を向ける。あんなきらきらを向けていたら、誰だって先輩の事が好きになる。
先輩はどこか安全な場所で保護されていたほうがいいんじゃないか。誰かに守られたほうがいいんじゃないか。そう考えていると先輩は、「桐生くんが私を好きで、私も桐生くんが好きだから、突然だけど付き合ったりって、ありかな?」と俺に聞いて来た。
付き合うというのは男女交際の事だ。それは俺も知っている。
けれど、先輩は俺と付き合っていいのだろうか? 俺は嬉しいけれど。そんな疑問を伝えると、先輩は「良いよ、桐生くんがいいの」と言う。
可愛かった。可愛すぎて箱にしまっておきたいくらいだった。先輩が物ならともかく、先輩は人間だ。それはできない。やっぱり先輩は誰かに守られるべきだ。そう考えてはっとした。
俺が守ればいいのだと。
でも俺は先輩に自殺強要としか取られかねない発言をした。
それは許されないことだから先輩と俺は一緒にいてはならない。そう言う俺に、先輩は、「つ、償いとしてい、一緒にいて!」と言った。
先輩は一生懸命、俺に付き合ってほしいと言った。
だから俺は先輩の言うとおりにする。
可愛いは正義だと何かで聞いたし先輩は可愛い。先輩の言う通りにしていれば間違いないだろう。俺の罪悪感なんて無駄な感情だ。
先輩の言葉より優先するものじゃない。俺は先輩と交際することを決め、了承というのもおこがましいが了承した。
俺は先輩を守るために先輩を家まで送り届けたあと家に帰って来た。
それから風呂に入り食事をして、しばらく本を読み予習をして復習をしたものの、未だに自分の身に起きていることが信じられない。
「先輩と俺が付きあ……、あっ」
スマホが振動し画面に通知が表示される。ロックを解除してアプリを開くと、先輩からメッセージが来ていた。
『今日から彼氏彼女としてよろしく!』
メッセージと共に熊と羊が混ぜ込まれた、やたら目の大きい象のようなキャラクターのスタンプが押されている。
今日先輩とIDを交換した。
だから夢じゃない。妄想でもない。現実だ。
珍妙なキャラクターとしか思えないスタンプも先輩が押したと思うと可愛い。可愛さなんて感じたことも無かった「今日」や「よろしく」の文字も、とても可愛らしく感じる。
先輩が可愛い。
先輩が可愛い。
先輩が可愛い。
先輩は可愛い。でも天使じゃなくて人間。俺に向けて嬉しそうに笑う笑顔も可愛い。俺に向かって囁く笑顔も可愛い。先輩の全てが可愛いのに、先輩は人間。
先輩は人間だから、これからも当然人間の生活をする。毎日学校に通い、休日にはどこかへ出かける。
当然のように人と関わるだろう。これから先ずっと死ぬまで永遠に。先輩は可愛い。絶対そんな先輩を無理にどうこうしようと思う奴が出てくる。
先輩は無力だ。足も遅く腕力もない。運動能力はすべて人より二回り劣っている。捕まえられたら終わりだ。捕まえたら絶対外に出さないはずだ。
ずっと部屋に閉じ込めて……、いやもしかしたら絶対逃げないように檻の中に入れられてしまうかもしれない。
先輩は当然怖くて逃げようとするし、抵抗する。捕まえる人間はそれはとても嫌だと思うだろう。
先輩は可愛い。どこもかしこも綺麗で可愛いと思う。でもそんな先輩を傷つけて言うことをきかせようとするかもしれない。
人間相手を思い通りにしたくて、話し合いが出来ない場合普通は諦める。でも相手は人間を捕まえる異常者だ。先輩を暴力で支配して言うことをきかせようとするかもしれない。
暴行して屈服させようとするかもしれない。
薬を飲ませて洗脳するかもしれないし、食事を抜いたり人間ではない扱いをして尊厳を殺し、脅すかもしれない。
危ない、とても危ない。
絶対俺が守らないと、とても危ない。
俺が先輩を、守る。
スマホを操作して、とりあえず先輩の使うスタンプを買う。返事はどうしようか。スタンプはどれにしようか。彼氏っぽいのはどれだろう。
画面をスライドさせながら、俺は先輩へ想いを馳せた。
桐生くんに嫌われてるのをやめたい 稲井田そう @inaidasou
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