第44話 海底へ至る道

 一つ目の陽が顔を出し、薄緑色の大砂壁が薄明に浮かび上がる頃、朱里たちは街の門を抜けて北を目指した。目的地は一日の距離を行ったところにある洞窟だ。そこは千五百年ほど前まで風生かぜうまれの島へ渡る為に使われていたという。


「この辺りの砂漠化が始まった頃を境にして、少しずつ使われなくなっていったそうです。今では時の流れに置き去りにされてしまって、長命種族の古老や歴史に詳しい者くらいしかその存在を知りません」


 私は偶々知る機会があったのですよ、と微笑するナイルは、朱里の目から見て不思議な青年であった。今ではすっかり慣れてしまったが、彼の墨のように黒い肌の『人族』など聞いたことが無かったし、機密や歴史の裏側に分類されるような事も多く知っている。本当に彼は冒険者上りの商人なのだろうかと、時折考えた。

 とは言え、朱里に彼の悪意は感じられない。彼を問い詰める気にならないまま、翌日の朝には目的の洞窟に到着した。突然現れたその洞窟は砂に埋もれるようにしてあった。周囲には建築物の基礎らしきものが見える。


「さて、この中はもう魔物の巣になってるって話だったね。いつも通り俺が先頭、朱里が殿しんがりで真ん中にナイルさんの並びで行こうか」

「はいー」

「わかりました」


 各々が頷くのを確認して、翔は洞窟の中へ潜っていく。足元の感覚がしっかりしたものに変わると同時に、やや湿り気のあるひんやりとした空気が朱里の頬を撫でた。


「フードはとった方がいいわね」

「っと、そうだね」


 日差しを遮るために被っていたフードを取ると、反響する自分たちの足音がより一層聞こえるようになる。

 ――これ、ヒカリゴケみたいな物かしら? けっこう明るい。


 壁を見ると苔らしきものが光を放っており、洞窟内を明るく照らしていた。他の苔には齧った跡があるのに対し、その苔は自由気ままに繁殖しているように見える。毒でもあるのかと彼女が〈鑑定〉を使ってみると、案の定の結果が出た。しかし口にしなければ害はないらしい。それを伝え、奥へと進む。

 黒い岩肌の洞窟は、入り口から少し行った辺りで徐々に下へと進行方向を変え始める。今では、はっきり分かる程の勾配になっていた。近くに湧き水があるのか、狭い通路に時折水の滴る音が響く。


「もうすぐ少し広めの空間に出るはずです」


 徐々に広くなっていく洞窟内を蛇行しながら下る事一時間、ナイルがそう告げた。彼の手にある古ぼけた地図は魔道具になっているらしく、紙面上で現在位置を示す点が朱里たちの歩みに合わせて動いている。

 突然先頭の翔が手を挙げて、足を止めた。少し遅れて、朱里も弧を描く道の先のそれを感じ取る。振り返った彼は四人に視線を向けると、手の形を順に変えて合図を送った。

 ――数は十五。個々のランクはB……。


 その意味を汲み取った朱里は自分の感知したものと差異がないことを示す為に頷いて見せる。初めて感じる気配であったため魔物の種類はわからない。

 あまり良い状況ではない。普段の翔たちなら多少の苦戦はあっても問題にはならない程度だが、今は護衛対象がいた。

 朱里はちらりとナイルを見て、また翔に視線を戻す。

 ――ナイルさんは、個人で相手にできるのはBランクの下限がギリギリ。それも相応の準備をして。この相手はかなり厳しい……。そもそも護衛対象よ。極力近づけないようにしないと。


 しかし今の状況は朱里たちにとって有利でもあった。朱里の察するところでは、まだ彼女らの存在を気取られていない。

 同じくその事に確信を持ったらしい翔が寧音を見た。

 寧音は頷き、遮音結界を張る。


「幸いまだ気づかれていないみたいだから、俺と煉二で不意打ちをかけようと思う。先頭が始まったら煉二と寧音はナイルさんの護衛を優先しつつ魔法で削っていって。俺と朱里は前に出るから、陽菜、援護をお願い」

「うん、わかった」


 やや早口に翔は言いきる。と同時に煉二が前へ出て杖を取り出し、詠唱を開始した。

 いくよ、という翔の言葉と共に寧音が結界を解除し、揃って駆け出す。どういう訳かドンドン暗くなっていく道を抜けてナイルの言っていた空間に出ると、そこにいたのは黒い毛皮に覆われ細身の剣のような鋭い尾を持った大型の蝙蝠に見える魔物だった。


「[光槍フォトンランス]!」

「[雷矢らいし]!」


 薄暗い洞窟内に二条の閃光がはしり、同じ数だけの命の灯がかき消される。天上にぶら下がる様にして沈黙していた彼らは突然の事態に慌てて飛び立ち、事態の把握に努めようと飛び回った。


毒刃蝙蝠ベノムブレードバツト、Bランク! 尻尾の剣には毒があるらしいから、中止して!」


 魔法に続けて飛び出した朱里は漆黒の槍で一体の毒刃蝙蝠を両断しながら陽菜の告げる〈鑑定〉の結果を聞く。その毒は洞窟内のヒカリゴケの毒を生体濃縮によってより強力にしたものらしく、よく見れば周囲の苔は食い千切ったような欠け方だった。

 返事をしながら翔と陽菜が近づいてきた一体をそれぞれ真っ二つにし、煉二が寧音とナイルの元へ下がる。彼の持つ杖は先ほど放った魔法の残滓ざんしを纏い、その煤けたように黒い身を青白く発光させていた。エルダートレントと言うAランクの木の魔物の素材から作った希少級レアの長杖だ。

 そうこうしている内に毒刃蝙蝠たちも落ち着きを取り戻し始め、の存在をはっきりと認識する。そうなればやっかいだと、煉二は魔法を増幅する宝玉を拵えた頭頂部を群れの中央付近に向け、再度杖に魔力を込めた。複雑に絡み合った木の揺り籠の中で紅蓮の炎を思わせる宝玉が輝く。

 放たれた[雷矢]は一体の命を貫き、一体の尾を引き千切る。


「ちっ。逃げ足の速い連中だ」


 思わず漏れた舌打ちに蝙蝠たちは反応し、狙いを定めた。

 一度四方八方へ散ったかと思うと、翔たちの足止めに向かった三体を除く全てが煉二目掛けて強襲してくる。広く高くなった洞窟内を利用した素早い動きだ。人の上半身ほどの大きさを持った毒刃蝙蝠のそれは煉二に捌ききれるものではなく、魔法で落とせるのも精々二体。常なら一も二もなく回避行動をとる所だが、今後ろには、護衛対象であるナイルがいる。


「煉二君、落とせるだけ落としてくださいー!」


 後ろから聞こえた声に従い、目についた順にいかずちの矢を放った。一発は翼を穿ち、一発は躱される。そのまま煉二に食らいつこうとした殺人蝙蝠の群れは、直前で何かに気が付き咄嗟に方向を転換した。


「ぎりぎりを狙ったんですが、障壁、気づかれちゃいましたねー」

「ああ。流石はBランクといったところか」


 煉二は更に下がりながら似たような意匠の、しかし色違いの長杖を構えた寧音にそう返した。彼女の杖は真っ白で、拵えられている宝玉も深い海を思わせるような青だ。


「二人とも、大丈夫!?」


 翼を穿たれた一体に止めを刺しながら朱里が聞く。時間稼ぎに来ていた三体は群れに合流したらしい。


「ああ! それより、来るぞ!」


 煉二達を落とすのは簡単ではないと判断したのか、蝙蝠の群れは標的を前衛の三人に変えた。翔と朱里に三体、陽菜に二体がぴったりと張り付く。

 ――これは、煉二に魔法を撃たせないようにする気ね! 鬱陶しい!


 これでは陽菜の援護も望めない。翔が各個撃破と叫ぶ声が朱里の耳にも届く。

 彼女は背後から振り下ろされた剣尾を半身になって躱し、左右からの挟み込むような一閃を素早く槍を回転させて弾いた。体勢を崩した二体へ追撃をかけようと力を籠めるが、超音波によって平衡感覚を狂わされ、穂先は虚空を貫く。


「ああっ、もう!」


 苛立ち紛れに横へ振るった一撃は突く筈だった毒刃蝙蝠ベノムブレードバツトを打って飛行能力を奪った。拍子に見えたのは、翔が魔法で一体を弾き飛ばして煉二に任せ、もう一体の首を跳ねたところだ。

 ――流石ね、翔。陽菜は……上手く距離をとって寧音と協力してる。私も負けてられない!


 このまま避けていても、一対一になった翔がすぐに片づけて来てくれると朱里は分かっていた。しかしそれは彼女のプライドが許さない。せめて仲間として、隣に立って戦いたいと思っていたのだ。

 偶々弾き飛ばした一体が指揮個体だったのか、蝙蝠たちは動揺を見せた。その隙を朱里は見逃さない。

 それまで体全体を均等に強化していた〈身体強化〉を局所に集中し、背後からの一撃を躱すと同時に前方の蝙蝠へ向けて槍を振り下ろす。イメージしたのは、カサンドラに入る前日に見た舞うような陽菜の動きだ。

 やや狙いが逸れ、前の一体の翼を切り裂くに留まった一撃はしかし、それで終わらない。振り下ろす動きに合わせて朱里が跳べば、刃は地を打つことなく足元を通り過ぎ、後方の一体を襲う。不意を突いた一撃は狙い違わず敵を両断して鮮血をほとばしらせ、彼女の体は天上をのぞむ。槍はその円の動きに従って振り下ろされ、地に落ち断ち損ねた命を、穿った。


「……ふぅ」

「そっちも終わったみたいだね」

「最後の凄かったね、朱里ちゃん!」


 残心を解いた朱里に、少し離れた位置から翔たちが話しかける。今のが最後だったらしい、と彼女は槍を〈ストレージ〉に戻し、代わりに解体用のナイフを取り出した。

 そして経った今穿った蝙蝠に目を向けた、その時だった。

 下方から発せられた音の波が朱里の体液を揺らし、一瞬前後不覚に陥れる。

 歪む視界に見えたのは剣尾の先を向ける、毒刃蝙蝠ベノムブレードバツトの姿。

 ――最初、に、殴り飛ばしたや、つ……!


 途端にゆっくりになった視界の中で尾が切り離され、彼女の首目掛けて飛んでくる。

 ――あ、死んだ……。


 そう思った時、自分の腕を引く強い力を感じた。


「朱里ちゃん!」


 次第に感覚が戻っていく中で、朱里は何があったのかを確かめようと自分がいた位置に目をやる。そこに見えたのは、左腕から血を流し、顔を青く染めた陽菜の姿だった。


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