第43話 カサディラの夕日

 結局翌日は準備に一日を費やす事となった。その理由の一端として旅の疲れから午前中を寝て過ごしてしまった事も挙げられる。いくら装備の効果で暑さを軽減できるとは言え、砂漠の日差しが厳しいことに変わりはない。ナイルにおかげで短時間で買い物を済ませることが出来たと礼を言うと、彼女らは早々に床に就いた。


 そして二日目、早朝に宿の前でナイルと別れを告げた朱里たち五人は港の方へ向かって歩き出した。みな砂漠の港というものに興味があったのだ。

 カラフルな日除けの下を二人と三人に分かれて並び歩く。朱里は目の前で陽菜と笑う翔を見て、相好を崩した。


「朱里ちゃん朱里ちゃん、やっぱり、ほら、ハーレムもいいって思いませんかー?」


 突然朱里のマントを引っ張る感触に隣の寧音を見ると、彼女は前の方で腕を組んで歩くカップルにキラキラとした視線を向けていた。真ん中の『人族』の男性を『蜥蜴人族』と『風妖精族シルフィーネ』の女性が左右から挟む形だ。


「だから、それはダメだって。寧音だって煉二が他の女の人を連れて来てハーレムを作るって言ったら嫌でしょ!」

「私だったらそれもー……やっぱりなんか嫌ですねー」


 実際にそのシーンを想像したのか、寧音は一瞬ぱぁっと表情を明るくしたと思うと直ぐに頬を膨らませる。


「そんな事したらダメですからねー!」

 

 それから右隣にいた煉二の腕をぎゅっと掴んで、じっと彼を見つめた。実際、煉二はかなり整った外見をしているのだから、一部を除いて日本人と然程変わらない美的感覚を持つ『アーカウラ』の人々相手なら、ハーレムを築くのは難しくないだろう。

 寧音の内にあるそんな懸念に気づいているのかいないのか、煉二は一瞬キョトンとした顔をして直ぐに呆れた目を彼女に向けた。


「そんな事、するわけないだろう。そもそも何故他の女を見なければならない? 寧音より素晴らしい女がいる筈ないというのに」

「ですよねー!」


 えへへへ、と頬を緩ませ鼻歌まで歌い出した寧音やその原因に、朱里は思わずジト目を向ける。溜め息を吐く彼女の目には、足元の白い砂が砂糖のように思えて仕方がない。


「朱里ちゃんたち、何の話してるの? 嫌とかダメって聞こえたような気がするんだけど……」

「あ、いやっ」


 朱里は突然振り返った陽菜に思わず上ずった声が漏らす。同時に、寧音が翔の名前を出さなかったことに感謝した。直後の言葉を許してしまったのはその油断もあった。

 

「朱里ちゃんにハーレムはどうかって聞いてたんですよー、えへへへー」

「ちょ、寧音!?」


 キョトンとしてハーレムという言葉を復唱する恋人に、翔も興味を示した。彼の様子に朱里も気が付いてどう言い訳しようかと考えるが、その前に煉二が動いた。翔の隣へ並んで何かを話し、注意を逸らす。寧音は一連の動きに全く気が付かずニマニマとしていた。


「それで朱里ちゃんは嫌って言ってたんだね」

「そ、そういう事っ」


 心の中で煉二に礼を言いつつ、陽菜にも聞く。朱里自身から意識を逸らしたかった事もあるが、それ以上に、陽菜がどう考えていたかを知りたかった。


「うーん……私も、嫌かなぁ。翔君がどうしてもそうしたいって言うなら、仕方ないけれど……」

「まあ、翔がそんな事言うはず無いわね。少なくとも、陽菜が嫌だって言ってる限りは」


 うん、と陽菜は大きな瞳のややキリっとした目を細め、頬を朱に染める。幸色さちいろのオーラをこれでもかと振り撒く彼女に、朱里は思わず見惚れてしまった。しかしすぐに気を取り直し、それよりと話を変えた。

 

 そうしてガールズトークを続けているうちに、辺りの風景は少し変わっていた。市場に並ぶ品々に魚介が増え、船乗りらしき人々の姿が目立つ。風に混ざる潮の香りは一層濃さを増し、すぐそこにある海の存在を教えている。


「賑やかですねー」


 キョロキョロと動く寧音の目に映るのは、カサンドラの街で最も栄えた港地域だ。砂漠の国カサディラの首都として国会議事堂を持つこの街だが、それのある辺りは名目上の中央、強いて言えば政治の中心に過ぎなかった。


「そうだな。如何にもが好きそうな雰囲気じゃないか」


 煉二はちらと翔を見る。彼は遠くへ向けていた視線を煉二に向け、そうだね、と笑う。その手をそっと握る陽菜を、朱里はこっそりと見つめていた。

 

 五人は朝食を売っているらしい屋台を冷やかしつつ魚市場の奥へ向かう。そして地面が赤身を帯びた岩へと変わる頃、不規則に反射された陽の光が彼女らの目を眩ませた。


「せっかくだから、船の写真撮らせてもらえないかな?」

「いいね。その辺の人に聞いてみるよ」


 翔は一際大きな船の横で木箱に座って煙管キセルを吹かす髭面の『魚人族マーマン』に目を止めると、小走りで彼の下へ走って行って二言三言言葉を交わした。それから直ぐに腕で大きく丸を作る。


「オーケーみたいね。行きましょうか」

「はいー」


 改めてお礼を言っているらしい翔を見て、煉二はふむと声を漏らした。

 

「翔! カメラを貸せ! 撮ってやろう!」

「煉二、ありがとう!」


 陽菜もすぐに煉二の意図を察したようで、礼を言いつつ翔の隣に並ぶ。いくぞ、と声をかけてから数度シャッターを切る煉二の横で、朱里はモデル二人を穏やかな笑みで見つめていた。その二人の後ろで撮影許可を出した男までポーズを撮っていたのはご愛嬌だろう。


 船着き場をウロウロとしている内に一つ目の陽が随分高くなってきた。ぐるりと回る様にして宿まで戻った彼女たちは、道中で買った串焼きを昼食にして夕刻を待つ。件の『魚人族』の船乗りから大砂壁の上から見る夕焼けは絶対見て行けと言われ、興味を持ったのだ。

 一つ目の陽が地平線に差し掛かる頃、朱里たちは宿で聞いた場所から大砂壁の内部へ入り、その頂上を目指す。内部の通路は人が三人ほど並んで歩ける広さだった。壁に定期的に現れる明かりのおかげで視界も十分だ。


「けっこう上りましたねー。そろそろでしょうかー?」

「たぶんね。この中作るのに数年かかったっていう話だけど、工事にも魔法を使うこの世界でそれってどれだけ硬いんだろうね」


 そう言って陽菜は素直に関心した様子を見せる。法王国で学ばされたその辺りの知識によると、たとえ大砂壁のような超巨大な建造物であっても数か月から一年もあれば十分のはずだった。

 雑談をしつつ、偶にすれ違う人に挨拶をしながら更に上る事およそ十分。ようやく五人の目に陽の光が映った。既に赤いその光に照らされる大砂壁の屋上には、まばらに人の影がある。


「うわぁ……! 凄いですー!」

「……ほんと、凄く綺麗」


 そこからは、広大なカサディラ砂漠の遥か先までよく見えた。茜色に染め上げられた大砂漠にいくつもの砂丘が影を落としてコントラストを生み、奥にある一つ目の陽が地平線の向こうから僅かに頭を覗かせる。そして雲一つない空に浮かぶ二つ目の陽も赤々として、どれだけ写すのが下手な者でも息を飲ませるに足る一枚を残せるだろうと思わせるような美しさを創り出していた。

 振り返ると、一転、空は沢山の星を散りばめた暗紫のカーテンに覆われる。それは夕日色に染まった街の先で海に溶け、港の船を夢の世界へといざなっていた。


「翔、朱里、撮ってあげるから並んで」

「え、あ、うん。朱里、ありがとう」


 カメラのスイッチを押すことに夢中になっていた翔と陽菜へ彼女はそう声をかける。それから夕景に負けないほど魅力的な笑顔の二人を写真の中に封じた。


「……うん。良い写真」


 ステータスのように空中に投影された写真を確かめ、朱里は微笑む。どこか寂しげなのは、写真の中の二人に魅せられている自分を自覚したからだった。


「朱里たちも一緒に撮らない?」

「え」

「そうだな。それもいいだろう」

「賛成ですー」


 返事を聞いてすぐ、陽菜が近くの人に写して貰えるよう頼みに行った。

 とりあえず翔と遠い位置へ行こう、と歩き出した朱里の腕を寧音が掴み、引っ張っていく。その先は、翔の隣だった。

 ――ちょっ、寧音、まさかまだハーレム諦めてなかったの!?


「これくらいはいいと思いますよー?」


 寧音はそう言って笑う。クリっとした垂れ目の彼女は、あまりに無邪気だった。

 ――これは抵抗するだけ無駄ね……。


 そうして撮った写真の中で、彼女は諦観と歓喜を混ぜ合わせたような不思議な笑みを見せていた。 

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