第42話 燻ぶる想い

 徹夜が響いたのか、辺りで最も高い砂丘の上に立つ朱里たちはどこか気だるげだ。そんな彼女たちは一陣の風が砂を巻き上げる傍ら、足元の影の伸びる先を見つめる。


「さあ、皆さん、あれが首都カサンドラが誇る『大砂壁だいさへき』ですよ!」


 砂煙の遥か向こうでは、聳え立つ巨大な白い壁が、その確かな存在感を伝えていた。


 朱里たちが大砂壁の真下まで来たのは、初めにそれを確認してから数時間が経った頃だ。そろそろ夕方に差し掛かろうという時間帯の為か、街門に並ぶ列は短い。並んでいる人を見ても、『火妖精族サラマンダー』や『龍人族ドラゴニユート』など暑さに強い種族か温度調整用の魔道具を身に着けた裕福そうな身なりの人間しかいなかった。

 街に入るための審査待ちをする間、朱里はやや緑がかった壁の境界を探して左右へ顔を向ける。

 ――凄い……。端が見えない。高さも高層ビルくらいはあるし、どうやって作ったの?


「この『大砂壁』は八百年ほど前にスタンピードが起きた際、風龍フーゼナンシア様が一瞬の内に作り出したのだそうですよ。緑がかっているのは彼のお方の魔力の色が残っているかららしいです」


 彼女の内心を察したのか、突然ナイルが口を開いた。その説明に他の四人も関心の声を漏らした所からして、全員似たような疑問を抱いていたらしいと朱里は予想した。

 朱里たちが瞠目したのは、ナイルの知識にばかりではない。某女傑など魔力を視認することが出来る者がいる事は知っていた彼女らだが、それに色がある事は知らなかった。某女傑ことアルジェが世界に齎した知識によると、魂のエネルギーが魔力に変換される際、魔力に個人の性質によった不純物が混ざる。その魔力が体外に放出され、魔素へと形態変化して不純物がはじき出される時に、特定の波長の光を発するのだという。これが個人の魔力の色や一般にオーラと言われるものとして、一部の能力者の目に映るのだ。

 ――能力の無い私たちにも分かるってことは、相当の魔力が使われたっていう事よね? 流石はアルジェさんのお仲間。化け物ね。


 絶対に敵対しないようにしないと、と決意しつつ、朱里は間もなくやってくる検問の順番に備えて赤くなった冒険者ギルドカードを取り出した。


 問題なく門を通過し、街へ入ると、まず見えたのは地球の都市を思わせるような整った街並みだ。ただし建物は全て砂を固めて作られており、他の町同様に壁を白く塗られている。

 街は奥に行くほど標高が低くなっており、一番奥には青い海と港に泊まる何隻もの船が見えた。


「ここは建物が綺麗な直方体なんだね。全部の建物から日よけの屋根が出てるし、なんだかフランスかどこかの商店街みたい」

「だね。カメラがあれば写真に撮って祐介にも見せてやれたのに。残念」


 色とりどりの屋根が左右から延びて影を作る通りに、翔はついそんな事を口走る。『アーカウラ』にもカメラは魔道具として存在しているが、画像を保存するための仕組みを作るのが難しくあまり流通していない。成型に関してなら地球よりも数段進んだ技術水準を持つこの世界だが、プログラムにあたる部分についてはまだまだだった。


「カメラですか? ありますよ?」

「えっ、本当ですか⁉」

「ええ、欲しいなら売りますが、どうします?」

「買います!」


 翔の返事を受けてナイルが取り出したそれは使い捨てカメラのような見た目だった。

 それなりの重さがあるその魔道具は、当然安くない。提示された金貨十枚という価格は、翔の個人資産をいくらか上回っていた。

 ――あっ……。


「翔君、私も出すよ」

「ごめん、陽菜。ありがとう」

「気にしないで!」


 他人事じゃないから、と翔に笑いかける陽菜を見て、朱里は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。何を出しゃばろうとしているのかと内心で溜め息を吐き、胸の内で未だ燻ぶる思いを誤魔化すように、人の流れをその涼し気な目で追う。彼女のそんな様子を、煉二はじっと見つめていた。


 宿を決めると、それぞれ街用の簡素な服に着替えて宿の食堂に集まった。宿泊客専用らしいその食堂は夕食を求める人々で賑わっており、殆どの席が埋まっている。

 石のテーブルに並んだのは魚介を中心とした料理の数々だ。カレーを頼んだ煉二を除き、久しぶりの香辛料を使わない料理に朱里たちは舌鼓を打つ。彼女たちは日本の煮魚を思わせる味付けに、何となく郷愁の念を抱いていた。


「さて、今後の予定について話しておきましょうか」


 そう切り出したのはナイルだ。彼は初めに会った時と同じ抹茶色の服を身に着けているが、異様に黒い肌の色に慣れた今では五人ともがその時と違った好青年という印象を受けている。


「まず、明日一日は準備に当てようと思っています。お店には私が案内するのでご安心を」「分かりました」


 朱里は明後日の朝には出発すると予想して、観光する時間は殆ど無いだろう事を残念に思った。それから仕事の後寄ればいいのだと考え直して料理に手を伸ばす。

 しかし彼女の予想は良い方に裏切られた。ナイルは商人としていくらか挨拶回りをしなければならないらしい。


「そういう訳なので、明後日は観光していらしてください。砂漠の国はここだけですし、他では見られないものが沢山あると思いますよ?」


 分かりやすく喜ぶ朱里たちを眺めながら、ナイルは静かに食事を続けていた。


 夕食を食べ終わり、翔、陽菜、ナイルが自室へ帰るために席を立った。朱里も続こうとした所に待ったをかけたのは煉二だ。意外な相手に呼び止められ、キョトンとしつつ朱里は椅子に座り直す。


「煉二、どうかした?」


 斜め向かいに座る彼と目を合わせ、朱里は聞いた。彼女の向かい側では寧音が幸せそうにクッキーを食べている。


「朱里、お前、まさかとは思うが……」


 眼鏡の奥でその整った顔を歪め、言いづらそうに切り出した彼を見て、朱里は嫌な予感がした。このまま立ち上がって部屋へ帰ってしまおうかと考えるが、自分が本当に諦めたのなら、翔と陽菜にさえ知られなければいいのだと思いとどまる。それからこっそり深呼吸をして、催促した。


「私が何? 早く言いなさいよ」


 思わずキツイ言い方になってしまい、朱里は腕と足を組み、きまり悪げに一瞬顔を背ける。それに合わせて彼女の日に焼けた茶髪が肩の少し上で揺れた。


「……まさかとは思うが、翔に恋心を抱いているのではないか?」

「ふぇっ、え、えーっ⁉」

「……」


 再び向き直った彼の口から発せられた言葉に、朱里は嫌な予感が当たっていたと知る。一応直ぐに否定するつもりだった彼女だが、上手く返事が出来ず、己の失敗に心の中で毒づいた。

 ――煉二って、意外と人を見てるのよね……。はぁ……。


 とは言え、彼なら何とか誤魔化せるかもしれない。一瞬そう考えた朱里は、すぐに寧音の存在を思い出して諦める。今目の前で煉二に大声を諫められている彼女が、常に学年トップの成績を収め続けていた程に頭脳明晰である事を朱里は忘れていなかった。何より、彼女の好奇に輝く目を見ては、後で根掘り葉掘り聞かれる未来以外を見ることは叶わない。


「……はぁ。ええ。そうよ」


 より一層輝きを増した寧音の目に再度溜め息を吐きたくなった朱里だが、何とか堪える。それから目線を斜め下に向け、もう諦めているから心配するなという旨を伝えた。


「陽菜の隣で笑ってる翔が好きだから。私じゃ、ああも幸せそうにはしてあげられそうにないしね……」

「なるほど、な……」


 大きくため息を吐いた煉二の横で、寧音はウェーブのかかった茶髪を指で弄びながら唸っている。どうにも納得できていないという顔だった。


「言っておくけど、ハーレムは無しだから」

「えぇ-!? なんでですかー!?」


 朱里は言ってみただけだった事に本気で驚かれ、呆れ半分困惑半分と言ったところだ。サブカルチャーも好きな寧音の事だから、もしかしたらとは思っていたが、まさか真剣にそれを考えているとは思っていなかったのだ。

 朱里は正直に自分だけを見て欲しいからと答える訳にもいかず、少々顔を赤らめながら声を大きくする。


「とにかく! ダメなものはダメ!」


 それでもなお食い下がる寧音を言いくるめ、借りた部屋に戻ったのは、翔たちが席を立って三十分以上経った頃の事だった。

 

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