第7話 野営訓練へ

 パンっとくぐもった音がした。翔たちが音の出どころを見ると、グラヴィスが両手を合わせている。


「兎も角、今日これからの話をしよう」


 翔は一瞬目を瞑って小さく深呼吸し、頷いた。その横で他の三人も首肯している。

 ――俺たちが魔王を倒せるくらいに強くなればいい話、だよね。


「今日から君たちには、野営の訓練と実戦訓練を兼ねた訓練をしてもらうことになる。……少し時間を使いすぎたな。詳しいことは歩きながらにしよう」

「はい」


 翔たちの返事を聞き、グラヴィスは城門の外へ向けて歩き出す。

 見上げなければならないほどに巨大な黒い金属製の門の威圧感を左右から受けながら、翔たちはくすんだ金髪の大きな背中の後に続く。門を抜けてすぐにある吊り橋を超えるとすぐに城下町だ。もう何度か通った道ではあるが、それでも日本とはまったく異なった慣れない雰囲気の街並みだ。耳はともかく、翔たちの視線はあちらこちらに散っていた。


「今日は一先ず、近隣の森で二日間過ごしてもらう。目標地点としては、その森の奥にある迷宮を設定する」


 少し砂に汚れた白の、石造りの街を背景にグラヴィスが言う。見える範囲の建物に継ぎ目は見えず、まるで一つの長方形の大岩をくり抜いて作ったようだった。

 

「あ、聖騎士団長様! これから任務ですか? お気をつけて!」


 そう声を掛けてきたのは、そんな建物の一つから透明なガラス戸を開けて出てきた妙齢の女性だ。シンプルなデザインだが、パッと見には日本で見慣れたものと同じ程度の品質の服を着ていた。グラヴィスは片手を上げて彼女に応え、話を続ける。


「迷宮があるとはいえ、この首都の近くにある森だ。出てくる魔物は最高でもCランク、それも滅多に出てこない」


 翔たちのホッと息を吐いた音に混じってコツコツと彼らの足音が響くのは、地面に敷いてある規則正しい石畳のせいだ。例にもれず、これも白い石で作られている。

 そうこうしている間にもグラヴィスは時折声を掛けてくる民衆に向けて手を振っていた。


「殆どはEランク以下だから翔たちなら問題なく突破出来るだろう」


 千年以上前の【転生者】が決めたという魔物の危険度区分を聞いて少し気を緩めながら、翔はグラヴィスの様子に感心していた。街の人々は皆、彼を見ると笑顔になって気軽に声を掛けてくる。しかしそこに彼を侮っているような様子はなく、寧ろ隠そうとしない尊敬の念を感じられた。

 ――グラヴィスさん、本当に慕われてるんだなぁ。


 今も、翔の視線の先では色気のある彫の深い顔をした大男がきらきらとした目の子どもたちに纏わりつかれている。


「ねえねえ聖騎士団長さま? 主さまに毎日お祈りしてたら聖騎士団長さまみたいに強くなれる?」

「そうだな、それと、鍛錬を欠かさなければ、だな。あのお方は常に君たちを見ていてくださっている。努力を怠らなければ、きっと応えてくださるだろう」

「ほんとっ⁉ じゃあだいじょうぶ! 僕たち、まいにち素振りしてるよ!」

「うん! この前はゴブリンとじっせんくんれん? もした!」


 歩きながらではあるが、そうやって好き勝手喋る子どもたち一人々々に丁寧に対応をする。その表情は翔たちからすれば珍しく柔らかい。


「そうか。だが、危ないことはしないようにな。ゴブリンだって魔物であることに変わりはない」

「ゴブリンくらいヘーキだよ! Gランクだし!」


 確かにGランクは戦闘訓練を受けていない大人でも武器があれば十分安全に勝てる程度の危険度で、訓練を受けている子どもなら怖くはない。それでも、群れで来られれば、搦手を使われれば、そんな前提は覆る。戦闘訓練を積んだ騎士ですら命を落としかねないのだ。

 グラヴィスはそんな話を子どもにも分かるように説明しつつ、自ら危険を冒す者をあのお方は助けてくれない、と釘を刺していた。途中までは不満そうだった子どもたちも、最後の言葉が決め手になったのか素直に頷き、また自分たちの遊びに戻っていく。


「すまない、少し歩みが遅くなっていたな」

「いえいえ全然かまいませんよ! 子どもたちを無視するなんてありえませんし‼」


 翔たちはそんな朱里の勢いに苦笑いを浮かべながら同意し、街の外へ出た。


 五人は整備された街道に沿って暫く進む。それから踏み固められただけの道へ逸れて一時間ほど歩いた。

 やがて見えてきた森は深く、奥は暗がりになっていて見えない。時折狼の遠吠えのようなものまで聞こえ、そこに住む魔物たちの存在を彼らに伝えた。これまで安全な壁の内での訓練が主だった翔たちは否応なく緊張を強いられる。


「さて、説明したようにここから二日ほど掛けて森の奥の迷宮を目指してもらう。野営する場所の判断は君たちに任せよう」


 一応、野営に関する知識はいくつかの状況に合わせたものを座学で学んでいた。その通りにすれば、翔たちでも最低限の安全は確保できるはずだ。


「野営地を決定した時点で私は離脱し、目的地へ先行する。それまでは同行するが、よほどでない限り口出しはしない」

「二日目に迷っちゃったらどうすればいいですかー?」

「魔力を探ってみればいい。独特な迷宮の魔力を感じられる筈だ」


 そう言われて翔は気付いた。確かに森の奥の方に他とは違った不思議な感覚を受ける魔力を感じると。翔のスキルレベルでも、まだ森の入口にいる段階から分かるのだから問題ないと彼は判断した。

 グラヴィスに視線で促され、翔たちは互いを見やってからそのぽっかりと穴の空いたような暗がりへと足を進める。翔を先頭に、寧音、煉二、朱里と武器主体の前衛二人が魔法主体の後衛二人を挟む並びだ。


 それなりに踏み均されているが、それでも尚歩きなれない凸凹とした森の道を、彼らは時折つまずきながら進む。周囲を過剰に警戒していることもあり、その歩みは緩やかだが、進むほどに確実に辺りは暗くなっていく。魔力を持つようになった影響で肉体全般が強化されている為、ところどころにある木漏れ日だけでも十分な視界を確保出来ていたが、確かに暗くなって空気の変わる感覚は翔たちの緊張感を加速度的に増していっていた。


 一つ目のが地平線に掛かり、木漏れ日に茜色が混ざり始めた頃。

 そろそろ野営地を探した方がいいのではないかと四人がそれぞれ考え始めた時、翔の感覚に何か沢山の気配が引っかかった。同じく〈気配察知〉のスキルを鍛えていた朱里も戦闘体勢へ入る。やや遅れて、その二人の変化に気が付いた煉二と寧音が杖を構えた。

 気配は周囲の木陰に隠れ、じっと四人の様子を伺っている。


 翔の耳に、誰かの唾を飲み込むごくりという音が聞こえた。

 それが合図になった訳ではないが、翔の正面から一つの影が飛び出してくる。


魔狼ワイズウルフだ!」


 叫んだのは翔だ。土に汚れた灰の毛を逆立たせ、眼を静かな殺意に濡れさせた狼の爪を剣で受けながら、彼は〈鑑定〉結果を仲間に告げる。魔狼のランクはE。体高は一メートル半しかなく、言ってしまえば多少大きく多少魔力をうまく扱える狼でしかない。

 その間にも茂みや木の陰から次々と魔狼が飛び出してくる。朱里はその機動力を活かして躱し、寧音は土の壁を生み出して狼の行く手を阻む。煉二を狙う狼が吹き飛んだのは彼の〈風魔法〉によるものだ。

 彼らを囲むのは二十対の鋭い眼光。入れ替わり立ち代わり絶え間なく繰り返される攻撃に、じわりじわりと四人は分断されていく。非常に激しく巧みな連携による攻勢だが、それでも翔たちの今の身体能力ならば対応できるはずだった。

 半日かけて死の気配を隣に感じながら暗い森を進んだことは、彼らが思っている以上にその思考力を奪っていた。小さな判断ミスが積み重なり、彼らを追い詰め、動きから精細さを奪う。


「ああっ! もう! これでも喰らいなさい! 〈神狼穿空しんろうせんくう〉!!」


 最初に痺れを切らしたのは朱里だ。彼女は牽制するように短槍を大きく振るうと、切っ先を前へ向けて構え、全身を引き絞るように姿勢を低くする。翔の視界が捉えたのはそこまでだ。彼が一瞬、強大な力の気配を朱里に感じた次の瞬間には、彼女は遥か前方に移動していた。彼女が通ったはずの場所にいたワイズウルフたちはその体をごっそりと削られ絶命する。

 ――なるほど。空間に干渉したらああなるのか。


「ならば俺も。風よ、百重千重と重なりて万象切り裂く大いなる刃と成れ! [乱風斬サイクロン]!!」


 続いて煉二が高レベルの〈風魔法〉を発動した。魔法的に生み出された真空の刃が幾重にも重なり、竜巻のようになって狼の群れへ向かっていく。彼の杖から生み出した暴威は何体もの狼の体を粉々に粉砕した。黄昏時の森に狼の悲鳴がいくつも響く。


「おー、さすが煉二君ですー!」

「他に隠れてる気配はない。残り二体……て、逃げた?」


 翔たちはわき目も振らず逃げ去る狼たちの後ろ姿を見送ると、大きく息を吐き、武器を収めた。


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