第5話 決断
⑤
その日の夜、翔は寝付けずにいた。
――俺は、どうするべきなんだろう……。
彼の左右では祐介と煉二がすうすうと寝息を立てている。どの道、これ以上祐介の負担を増やしたくは無い、というのが常よりの彼の思いだ。祐介に相談するという選択肢はなかった。
翔は二人を起こさないようゆっくりと布団から抜け出し、部屋の戸を静かに開けた。
人の気配が殆ど感じられない薄暗い廊下に、翔の足音のみが響く。窓からは月明かりが差し込み、青みのかった影に翔の顔が沈む。
彼が女子部屋の連なる廊下との合流地点まで来た時だった。
「やっぱり、眠れなかったんだ」
暗がりで壁に縋る陽菜の姿が彼の目に映った。
「陽菜……」
彼女がトンっと壁を押して体を起こし、バルコニーの方へ向かうのを翔は追う。
誰もいない、真っ暗なバルコニーからは、城壁の向こうにある城下町がよく見えた。頭上を仰げば、そこにあるのは満点の星空だ。
さっと吹いた風が陽菜の長い髪を巻き上げ、濡れ羽色が月明かりを反射して艶めく。
――いつ見ても綺麗な髪だな……。
「ふぅ、良い風」
「だね」
陽菜に微笑みかけられ、翔も頷いた。
「ねえ、翔君は、どうしたい?」
陽菜は手すりに体重を預け、言葉少なに問いかけた。翔も彼女に倣って手すりにすがり、城下町へ視線を向けたまま答える。
「俺は、陽菜や祐介たちと日本へ帰りたい」
これまで翔はその為だけに努力を続けてきた。だから迷う余地はないと即答する。
陽菜は、私も、と返して風に乱れた髪を整えた。
「じゃあ、それにはどうしたらいいと思ってる?」
「…………グラディスさんの提案を受け入れて、俺が魔王討伐に行く」
俯き、少し間を置いての回答ではあったが、陽菜は満足げに頷いた。
「行ってきなよ。待ってるから」
「でも、そしたら」
翔が陽菜に向き直って少し声を大きくするのを遮り、彼女ははっきりと告げる。
「私は大丈夫」
同じく翔へ向き直った彼女の目には、強い光が宿っている。翔はそれを見て、ハッと息をのんだ。
「私は大丈夫。私だって強くなったし、グラヴィスさんや他の皆がいる。何かあっても、逃げることくらいはできるよ!」
だから翔君は、翔君にしかできない事をしてきて。彼女はそう続け、考え込む翔を見つめる。
「それにたぶん、ここが襲われるようなことはないよ。防衛戦に失敗しない限りね」
「どういうこと?」
「ほら、前に異世界からの転移は簡単に察知できるって習ったでしょ? もし魔王が奇襲するつもりなら、もうとっくにして来てるんじゃないかな?」
翔は顎に手を当て、確かにと呟いた。最後の一押しとばかりに、陽菜は少し口調を変えて言う。
「そういえば祐介君が、『翔も偶には頼ってくれりゃいいのに』って言ってたっけ」
少し茶化して祐介の声真似をする陽菜に、翔は思わず噴き出した。今まで張りつめていた彼の頬が緩み、目じりが下がる。
「それ、祐介の真似?」
「うん、似てなかった?」
「いや、そっくりだった」
呼吸を整えながら、翔はもう一度城下町の方をみる。
――そっか、祐介がそんな事を……。
「うん、決めた。ありがとう、陽菜」
「どういたしましてっ」
少しの間、二人の間に穏やかな沈黙が続いた。彼らの視線の先では、城下の明かりが瞬き、星空に溶け込んでいる。
そろそろ部屋に戻ろうか、と思って翔は陽菜に声をかけ、踵を返す。その彼を引き留めたのは、裾を引っ張られる感覚だった。
「陽菜? どうかし――っ⁉」
振り返った翔の頬に、柔らかい何かが触れた。温かい吐息が彼の肌を舐め、長い黒髪が絡みつく。
「……今は、これだけ」
突然のことに放心する翔へ陽菜は言う。その顔は、熟れたリンゴのように真っ赤になっている。幼い頃からずっと同じ距離感だった二人が、初めて恋人同士の距離まで近づいた瞬間だった。
「ちゃんとするのは、全部終わって、帰って来てから……! だから……」
我に返った翔はふっと微笑み、陽菜の頭に手を置いた。それから、優しく、だけど強く、愛しい人へと告げる。
「大丈夫。……大丈夫、ちゃんと、帰って来るから」
「うんっ……!」
陽菜は翔に抱き着き、胸に顔をうずめて頷いた。
煌々と輝く青白い月の光が、彼らを優しく包み込んでいた。
翌朝、窓から差し込む日の光を浴びて翔は目を覚ました。その顔はスッキリとしており、昨夜のような影は見られない。
「ふわぁ……。翔、早いな」
「おはよう、祐介」
翔が身支度をしていると、祐介が目を覚ます。彼は大きく伸びをすると、のそのそとベッドから這い出る。そして翔の顔を見て気が付いた。
「翔、決めたのか?」
「うん。『魔王討伐役』になるよ」
何が翔に決断させたのか、祐介は推測することしかできない。それでも、親友が自分で決めたのならそれで良いと祐介は笑う。
「だから祐介、陽菜の事、頼んだ」
祐介は一瞬何を言われたのか分からず制止する。それからその大きな手で頭を搔き、翔の言葉を反芻して目を見開いた。
彼は徐々に上がっていく口角を隠す為にそっぽを向く。
「ああ、任せろ!」
喜色を隠しきれないまま気合の籠った返事をした祐介に、翔はふっと微笑む。祐介が翔の方へ向き直った時には、既に真剣に考え込む顔となっていた。
「しかしそうなると、俺は儀式の補助に行くべきか? 昨日翔が行ってたみたいに魔王が奇襲をかけてくるかもしれねえし」
「それなんだけど、防衛戦に行ってくれた方がいいと思う」
「それはどういうことだ?」
二人の話に割り込んだのは、煉二の声だった。
「黄葉、お前起きてたのか」
「ああ。お前たちの友情ドラマを邪魔するのはどうかと思ってな。寝たふりをしていたのだ」
「友情ドラマ……。まあいいや。それで、祐介は防衛戦がいいって理由なんだけど」
煉二の言葉はいったん忘れることにして、翔は昨夜陽菜から聞いた話を二人にする。
「なるほどな。それなら確かに、俺は防衛戦へ行った方がいいか」
「うん。音成さんも、スキル的にたぶんそっちにするだろうしね」
彼女のユニークギフトは広域殲滅系だから、と翔は付け加える。
祐介は一瞬頷きかけ、それから慌てて関係ないだろ、と否定した。例のごとく耳を赤く染める祐介に、二人は笑った。
実技訓練の時間、翔たちはグラヴィスの元へ行き自分たちの選択を告げた。グラヴィスは、そうか、とどこか感情を押し殺したような返事をしてから翔たちに礼を言う。彼のその様子に若干の引っかかりを覚えた翔だったが、その日の訓練を終えたころにはその違和感をすっかりと忘れていた。
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