第10話 美しい人の条件①まず猫背はやめましょう
ここは、『サロン・デュ・ベルヴォン』。
予約専問のドレスショップで、このハルベルンで一番人気のデザイナー、マダム・ベルヴォンが営むお店である。
ひとり息子であるバルク・ベルヴォンは客の対応に追われてながら、時々こっそりため息をついた。
(あ―あ…行きたくないな~)
「バルク様?」
「!」
すると、待ちわびた声が聞こえ、憂鬱な気分はどこぞに吹っ飛んだ。
「いらっしゃい、ヴィヴィアン!!」
「どうされたんですか?元気がないようだけど」
「そんなことないさ!君に会えてうれしい!…あ、ちょっと待ってて」
どこか上の空だったバルクの表情はヴィヴィアンを見るなりぱっと輝く。いそいそと立ち上がると、店の奥からレースがふんだんに使われた青いドレスを持ってきた。
「ちょうどよかった。今、君の為のドレスができた所だよ!…これで間違いなく、復活祭の主役の座は君だよ、ヴィー」
「まあ、嬉しい!ありがとう、バルク様!すごおい、こんなドレス初めて見る!……もしかして、私の為にわざわざ?」
「ああ、もちろんだよ!この次代を担うデザイナ―の俺が作ったんだ!君に似合う為に生まれたドレスさ」
「ありがとう、バルク様、嬉しい!」
「静かになさい!」
「あ…」
突如、周りの空気がピリッとなる。マダム・ベルヴォンが現れると、ピシっと周りの空気が締まり、ヴィヴィアンとバルクは他の従業員たちの手によって店内の隅に追いやられてしまった。
「お嬢さん、ここは私のお店。他のお客様もいらっしゃいますの。少し静かにしてくださらないかしら?」
「あ、す、すみません」
「それと…いくらうちのバカ息子が好意で作ったとはいえ、お客様の前で見せびらかすようにドレスを広げるものじゃないわ…あなたのサロンじゃないのよ?」
「ごめん、かあさ」
ついぽろっと出た言葉を聞き、マダムはぎろりとバルクをにらみつける。
「も・う・し・わ・け、ありません、マダム!!!でしょ?!」
「は、はぃい!!申し訳ありません!!マダム!!」
「…店にいる以上、私は上司、あなたは部下!!しかもぺーぺーの下っ端!!偉そうな態度は控えなさい!!」
「は、はい…」
そんな二人のやり取りを、ポカンとした表情で見つめるヴィヴィアンを見て、マダムはにっこりとほほ笑む。
「ごめんなさいね、お嬢さん。これからこのバカ息子を連れてのお仕事なの」
「い、いいえ、そんな…」
「ご、ごめん。ヴィー…。今日はこれから、グランシア家に行くことになっているんだ」
「グランシアって…もしかして、カサンドラの…?」
「うん。グランシア家から直接店に問い合わせがあったみたいでさ。何でもあの巨体デブの洋服を何点か見繕いたいんだって。これだから成金の貴族共は いて!」
「お客様に向かってなんて言葉を使うの!!!」
「す、ずみまぜん…」
ベルヴォン商会は基本的に個人的なオーダーメイドは余程の財力がなければ請け負わない。しかし、マダムが自ら出向くとなると、それは相当格式の高い家だという証明になる。
「そう…マダムが自らお伺いに?」
「ええ。そうよ。あらなあに、お嬢さんの知り合いの方なのかしら?」
「あんな奴と俺のヴィーを一緒にするな。チっ…ブタ令嬢、あれは女じゃな」
「こ・と・ば・づ・かい!」
「はぃ…」
バルクは、苦々しく顔をゆがめる。
「そんなに嫌なら、今回あなたは来なくてよくってよ。どんな方だろうが私には大切な一人のお客様。一人ひとりの個性を美しく着飾るのはわたくしの仕事ですもの、バルク…あなたはそちらのお嬢さんの専属デザイナーにでもなったらいかが?」
そう言って、着々と準備を進める母の姿を見ながら、バルクは自身が妙に子供じみたことを言っているような気がして、少し気まずく感じた。
「…いいや、俺だって一人前のデザイナーになる。えり好みしている場合じゃないってことくらいわかっているよ」
「えり好み…ねえ。まあ思った以上に勉強になると思うけれど…なんたってお金に糸目はつけないと仰せだから」
にやりと母の眼が光る。バルクはため息をつきながら、その後に続いた。
「そういうわけだから、ごめん、ヴィー…埋め合わせは今度する」
「ううん。いいわよ、気にしてない。行ってらっしゃい、バルク様」
「あ、ああ」
すっとヴィヴィアンの瞳から光が消えるが、一瞬のうちにいつもの笑顔に戻ったため、バルクはその違和感に気が付かなかった。
(…グランシア…?ヘルトの家でもあるけど…もしかして)
**
「ようこそいらっしゃいました。マダム・ベルヴォン。お嬢様がお待ちです」
「ありがとう、失礼いたしますわ。ああ、こちらは私の助手のバルクでございます。どうぞごひいきになさってね」
バルクが恭しく礼をすると、たちまち侍女たちの間からほう、とため息が漏れる。
「今日は後学のためにお伺いさせていただきまし…」
「あら?私、あなたまで呼んだ覚えはなくてよ?」
ざわついていた侍女たちが一斉に下を向いて礼をする。
階段の踊り場から降りてきた女性は、冷たくこちらを見下ろしている。一瞬バルクは焦ったが、表情は崩さずに対応する。
「お言葉ですが、本日はマダム・ベルヴォンの助手として来させていただきましたので…」
「そうおっしゃられても…、簡単に人を見かけだけで判断して、女性に手をあげるような人間に作ってもらうドレスだなんて!…考えただけでゾッとしますわ」
目の前の女性がそういうと、マダム・ベルヴォンは顔をしかめてバルクをにらみつけた。バルクは顔をあげた瞬間、思わず固まってしまった。
「…っ?!」
「まあ、どうなさったの?まるで亡霊を見たような表情ですこと、バルク様。」
朝焼けの光に似ている薄赤の髪を揺らしながら、こちらへ向かって歩いてくるこの女性は、まさか。
「…なっ…ま、まさか!ブタれいじょ‥」
「は?…聞き間違いかしら?何か汚い言葉を聞いたような」
すうっとカサンドラの表情が消える。
バルクがなにか言い終えるより先に、マダム・シヴォンはバルクをにらみつけ、ヒールのかかとで思い切り踏んだ。
「…ッ!!!な、何でも、ございま せん!!」
「カサンドラお嬢様でございますわね?」
バルクが声にならない叫び声をあげて、気を付けの姿勢をすると、すすっとマダム・ベルヴォンが前に出る。
「ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。…貴方は下がりなさい、バルク」
「は。はい…」
すごすごと後ろに下がるバルクをちらりと見やると、カサンドラはにっこりと微笑んだ。
「本日はマダムに免じて、無礼な失言も見逃して差し上げますわ。…それより、庭園の散歩でもいかが?せっかくいらしたんですものー、お仕事にならないとはいえ、退屈でしょう?」
容赦のない言葉に、バルクは青筋を立てながらへらへらと愛想笑いを浮かべた。
「お‥お心遣い、いたみいります」
**
(なんだか拍子抜けね。もっと色々グダグダ言ってくるかと思ったわ)
マダムの測定を受けながら、私は少しだけ心の中で舌打ちをしてしまう。…意外と仕返しするって難しいものなのねえ…。
すると、そんな私の様子を察してか、マダムはころころと笑いだした。
「ふふ、…お嬢様の対応、うちの愚息にはいい薬ですわ」
「?」
「バルクは昔から天才天才ともてはやされて育ったもので…まだ半人前のくせに、仕事を選んでいる節がございます。…誰かが着るドレスというものは、デザイナーは選べません。ドレスがお客様を選ぶものですのに」
そう言いながらも、テキパキと寸法を測り、手帳にサイズとデザインを記入していく。それこそ、瞬く間に続々と新しいドレスのデザインを書きあげていく。それがなんとも見てて気持ちがよい。
(やっぱり、仕事のできる人ってかっこいい!)
あまりに不躾に見過ぎてしまっただろうか、マダムとばっちり目が合ってしまう。
「あら!ふふ、珍しいですか?」
「あ…い いえ。その、働く女性って素敵だなあと思って」
「まあ。この国はいまだ、手に職を持つ女性は敬遠されているのに、カサンドラお嬢様は新しい考え方をお持ちの方ですのね」
「私は、能力のある人間はそれに見合った待遇と収入を受けるべきと思います」
「そう…そう言ってくださるなんて、嬉しいわ」
何種類かのレースに様々の色の布を当てていく。
「…お嬢様は御容姿の通り心根が美しくらっしゃるのね。こんな色ではどうかしら?」
「お、お任せします。その、ドレスってよくわからなくて…出来れば普段使いのものも合わせて何点か購入させてください」
すると、マダムはどこか悪戯っぽく微笑んだ。
「もしよろしければ、何点か私にプレゼントさせていただけませんか?」
「え?!い、いいえちゃんとこちらでお支払いしま…」
「お好きなものをお選びくださいな!」
「え?!で、でも…」
マダムが持ってきた衣装の中には完成品もいくつか見本として飾られている。どのドレスも露出は控えめで、ビーズの細工やレースの刺繍がとても美しいドレスばかりだった。
「お嬢様はもっともっと美しくなれる筈でございます。お嬢様がより美しく見えるドレスを、私もご一緒に探させていただけますか?」
「え?」
あれ、何か、雰囲気が…だんだん…
「まずは…!」
そういうと、マダムは私が着ていたコルセットのバックロープをこれでもかというくらい思い切りしめた。
「い”っ?!!」
「あらあら。ほら、侍女の皆さまもこちらにいらして」
「は?はいっ!!」
慌ててアリーを始め、本館に努めるメイドたちが一斉にマダムの元へ駆け寄る。背後に複数の人の気配を感じて、なんとなく寒気が起こる。
え?ちょっと、私の背中はどうなってるの?!
「このお嬢様は急に体型が変わったということだけど、これじゃダメ。均等に筋肉が引き締まってないから、姿勢が悪くなりがちよ。少しきつめに紐を縛って…、せっかくこぉんな!大きいお胸があるんだもの!!」
今度は後ろからぎゅっと胸をもまれて引き上げられてしまう。
「ひゃうっ?!」
「前かがみなんて勿体ないわ!」
く、くすぐったいやらなにやら?!すると、周りからおお、とかまあ、とか奇妙な歓声が沸き起こる。
「さ、さすがですわマダム!!」
「私達も勉強になります…!」
「さあ、どんどん行くわよ!」
「ちょ、お、お手柔らかに…!!」
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