第9話 カサンドラと家族のエトセトラ
「なんかね、知らない人がこの邸にいるみたいなの」
「…どんな人?」
中庭に造られたブランコに揺られながら、クレインは目の前で腕を組んで渋い顔をしている妹・フェイリーに尋ねた。
「ぶたねーさまと同じ色のひと!すっごくスタイルがよくて…あれ、ゼッタイお兄様のあいじんよ!」
「ヘルト兄様の?まっさかあ!!…よっと!とと…」
クレインはブランコから飛び降りると、着地に失敗し、少しよろけてしまう。
「どうして?」
「兄さまは
「ぼくね…?なあに、それ」
「ええと、んー、女性に対してキョーミを持たないとか、わからずや…?」クレインがうーんうーん、とうなっていると、突然頭上にゲンコツが降りた。
「…人の悪口を言うのはこの口か?」
「ひててて!!わぁ!に、にいさま」
びょんびょんとほっぺの肉を引っ張る兄に対して、クレインなりに抵抗してみるも、到底かなわうはずもなかった。
「ここに居たのか、フェイリー、クレイン」
「!!ヘルトにーさま!」
フェイリーはててて、と勢いよく駆けだすと、思い切りヘルトに抱き着いた。
「にーさまに―さま!抱っこして」
「しょうがないな。もう9歳になるんだから、もう少し落ち着かないと、みんなに笑われてしまうぞ」
「ここはおうちだからいーもん!ねえ、ヘルト兄さま、わるいおんなにだまされちゃだめよ?!」
「…そんな言葉、誰が教えたクレイン、お前か?」
「えー、ち、違いますよぉ。それにしても、兄さま自らこちらに来てくれるなんて珍しい」
頬をさすりながらへへ、とクレインが笑うと、ヘルトはため息をついた。
「全く…今日はサンドラの回復祝いもかねて、朝食を本邸でとるようにと父上が」
「ああ!兄さまってば!!あのぶたねーさまを名前で呼んだー!いっつもあいつ、とかばっかりなのに」
こういう時、子供というのは妙に鋭いものである。
「…そういう呼びかたはするもんじゃない」
8歳のフェイリーと11歳のクレインは、母と公爵が主に生活拠点としている敷地内の別邸に住んでいる。本邸にはカサンドラとヘルトが何部屋かそれぞれ使っており、別邸の家族とはほとんど顔を合わせることはない。
面識があまりに薄いため、こういう反応はある程度予想通りであるもの…ヘルトは眉を顰めた。
「とはいえ…今のサンドラを見たら二人とも驚くだろうなあ」
「…??」
稀に本館で朝食や晩食を取ることがあることはあるが、まず、あり得ない。だからこそ、カサンドラと他の家族との距離は広がっていくばかりなのだ。
(これで、少しか解消できればいいが)
**
「…おっお…お前は誰だ――!!」
「カサンドラです。確かに体系は変わりましたけど、娘の顔を忘れるなんて…」
先日ヘルトからも聞いていたので、父に回復報告もかねて挨拶に来たものの…なんとも予想を裏切らない驚き方をされてしまった。
「幽霊かと思ったぞ。‥本当にカサンドラだったのだな」
そういうと侯爵は少しだけ目を細めて、眩しそうにこちらを見た。
(これがカサンドラのお父様‥白いおひげの紳士だわ…。大志を抱け―とか言いそう)
なんとも教科書にでも出てきそうな様相の男性だった。髭にばかり目がいってしまうが、顔を見れば意外と若いかもしれない。
「…そんなにお母様に似てらっしゃいますか?」
カサンドラの実の母親、アレクシアという女性は、生まれつき身体が弱いためカサンドラが二歳の頃には亡くなってしまったらしい。その五年後、後妻をめとることになるが…実を言うと、この邸にある絵画やアルバムをいくら探しても、母の写真はどこにもなかった。
もしかしたら別のところに保管場所があるのかもしれないが…カサンドラの記憶では、一度も目にしたことがない。記憶をどれだけ遡っても母親の気配がないのはそれが理由だろう。しかし、父の反応を見る限り、相当似ているのだろうか?
「そ、そうだったな。お前はアレクシアの顔を…」
「おとーさま!!その女に近づかないで―――!」
と、突然小さな子供らしい叫び声が邸内をこだまする。
ヘルトに抱っこされてやってきた少女は、ぴょんとその腕から逃れると、こちらをきっとにらみつけた。左手は腰に手をやりながら、右手でびしっと決めポーズでカサンドラを指さした。
「…怪しい女!!とう様にも兄さまにも近づかないで!!」
「怪しいって…」
そのままとことことヘルトの前に立ち両手をばっと広げた。
こういうのは仁王立ちというのだろうが、申し訳ないけどすごく可愛らしい。この子がフェイリーだろうか?燃えるような赤い髪に、くりくりとした大きな黒い瞳。まるで人形のような女の子だった。
「…フェイリー、お前なあ」
呆れたようにヘルトが言うと、ツンツンしたフェイリーとは反対にその後ろにいた金髪の弟のクレインは、キラキラと目を輝かせながらこちらに向かって歩いてきた。
「もしかして、サンドラ姉さま‥?!」
「そうだけど…」
「いやあ、すごい!見違えるほど美しくなられて!!」
うーん、なんだろう…この子もヘルトには敵わないとはいえ、相当な美少年だが、性格はまるで違うらしい。
どちらかというと将来が心配になってしまうのは、気のせいだろうか。
私の手まであと数センチのところまで来ると、その小さい体はひょいっと、ヘルトに持ち上げられてしまう。
「ちょっと~首根っこはやめてよ、兄さま。ブラウスが着崩れちゃう」
じたばたと暴れてみるが、ヘルトの腕力にかなうはずもなく。
「その辺にしておけマセガキめ。子供はそんなことせんでいい」
「え~じゃあ兄さまならいいの?成人したオトナは女性に触り放題だって…あいた!」
「そういう下世話な話しは一体誰から仕入れてくるんだ、クレイン!」
クレインの金色の頭のてっぺんにタコ焼きみたいな大きなたんこぶができる。どこの世界でも悪ガキっていうのはいるものなのねえ…。
そして、フェイリーはというと…
「じいーーーっほんとに豚ね‥カサンドラ姉さま?ほんとはわるいまじょじゃないの?」
「……」
今、この子豚姉さまって言おうとしたのよね。ちょっと驚かせてやろうかしら?どうせ悪女レベル見習いだし。
「ふふふ、さてどう思う?あ~ら…こんなところに随分と可愛らしいエモノがいるじゃあないの」
「な、なによ」
じりじりと後ずさりするフェイリーの手を思い切り掴んで握る。
「どう料理してあげようかしらあ…?」
「ひっ…うえっ‥うう‥うわあああん!!」
「えっ…わわわっ!ご、ごめんねフェイリー!驚かせるつもりじゃ」
なんてこと、泣かせてしまった…!今更どうしようもできずおろおろとしていると。
「何しているのよ!!!」
後ろから血相を変えた表情の女性が現れ、ぱっとかばうようにフェイリーを抱きかかえる。赤い髪が炎のように揺らめく。これが継母のタリアだろう。
「フェイリーに何をするつもり?!」
「あ…いや、その、ごめんなさい…」
タリアはものすごい形相でこちらをにらんでくる。思わずたじろいでしまうのだが、見かねたヘルトが私をかばうように間に立ってくれた。
「カサンドラが悪気がないのは見てわかるでしょう。‥落ち着いてください母上」
「…ヘルトが、そう言うなら。さあ、さっさと済ませましょう。私これから用事がございますの」
「…あ、ああ。」
おろおろとする公爵が後をついていく。…どうやら支配権は父ではなくタリアにあるようだった。
(うう…なんだか随分嫌われているなあ)
なんて、一瞬、落ち込んだりもしたのだけど。まあ、元々冷え切っていた家族仲みたいだし、いきなり痩せたからって全部が変わるわけじゃないよね。
「よし!とりあえずは、ご飯食べないと」
一人、気合を入れ直していると、ツンツン、と誰かにドレスの裾を引っ張られた。…クレインだ。
「サンドラ姉さま、お近づきのしるしに、明日僕のお茶会にいらっしゃいませんかあ?」
こそっと内緒話をするように手を添えて喋るクレインに合わせる為少し屈んでみる。
「お茶会?」
「そーでーす。美味しいお菓子もたくさん用意しますか…」
「なるほど、それは面白そうだな、クレイン俺も混ぜろ」
いつの間にか、ヘルトが話に割り込んでくる。
「…ちっ。で、でも兄さまはお仕事が」
ん?舌打ちしたのかしらこの子?まさか、気のせいよね。
「そんなもの、お前が俺の休日に合わせれば済むことだろう?それとも明日じゃないとならない理由でもあるのか?」
「うーん。そうね、ごめんなさいクレイン。私も明日は仕立て屋に来てもらう予定だから…何なら、ヘルト兄さまと都合を合わせます」
「そ、そういうことなら…仕方ありません」
クレインの不満そうな表情とは対照的に、ヘルトはどこかしら得意げな顔をしているように見える。二人の仲はいいのか悪いのかよくわからないけれど、男兄弟ってこういものかしら?
その後、タリア婦人と居心地が悪そうなフェイリーに挟まれて窮屈な朝食を終えたのだった。
(うーん、家族みんな仲良し!になるまで、道のりは遠そうだわ‥)
**
「は―…つっかれた」
「お疲れ様です、お嬢様。いかがでしたか?」
「いいえ、相変わらず…なのかしら。タリア様には嫌われているようだったわ」
公爵とタリアは大恋愛だったというらしいし…もしかして、私がアレクシアに似ているから気に入らないのかもしれない。
「そうですか…すみません、やはりこちらにお食事を持ってきた方がよろしかったですね」
「いいのよ、アリー。私が別に何かをしたわけじゃないもの。逃げも隠れもしないわ」
正直、劇的に全てが180度変わるなんて思っていない。
今日は全員の顔を見れて、反応が分かっただけでも問題ないだろう。
どれだけ嫌われていようが、ある程度カサンドラには自由に使える
「お、お嬢様…ぐすっ、ありがとうございます…!ええと、マダム・ベルヴォンには明日の予約をしておきました!」
「そう、良かった。…ねえ、かの有名なバルク・ベルヴォンも来るのかしら…?」
「え?ああ、そうですね。今はマダムの助手を務めていらっしゃるとのことですし…、いらっしゃるんじゃないでしょうか??」
「ふふふ、だといいわねえ」
ああ、明日が楽しみ。悪だくみはする前が一番楽しいわよね!
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