第12話 真相
吉田さんは勤務外だというのに、パソコンと睨み合ってキーボードを打ち続けた。時折手を止めては少しばかり考え込んで、またすぐに手を動かした。
僕はその様子をハラハラと見守った。
「やっぱりおかしいですね。」
調査開始から10分ほど経って彼はパソコンから顔を上げた。ノートパソコンを僕の方に向けて画面を見せてくれた。ディスプレイには折れ線グラフが表示されていた。それは横軸に経過年数、縦軸に家賃の数字を取ったグラフだった。
「このマンションは10年前の2011年に建てられました。見ての通り新築当初から4階のフロアの賃料は一律11万円です。」
吉田さんは隣の404室の賃料グラフを指さした。グラフは11 万円の数値で10年経過した今も変わることなく、水平で真っ直ぐだった。
「通常新築から10年程度で賃料が変わることはまずあり得ません。どの部屋も同じように横ばいです。でも405室だけは違う。」
彼は画面をスクロールして今度は405号室のグラフを僕に見せてくれた。
「竣工当初の2011年から2013年までの二年間は他の部屋と同じく賃料11 万円で貸し出されています。でもそれから、この2013年からの一年間は誰にも貸し出されていません。そして2014年になってからは、家賃が一万円下げられて賃貸が再開されているんです。」
僕は彼から言われるがまま折れ線グラフを端から追っていった。彼の言うように、直線は2013年で一度止まり、その翌年にガクッと1万円分下がっていた。
僕はそのグラフを見て背筋がゾクっとした。
「つまり…この2013年に何かがあったってことですか?」
2013年といえば8年前。花屋の女店主の言っていた、女の子が自殺した年と一致している。
「その可能性はあります。でもそこからいくら調べても405号室については情報が出てこないのです。これはお客様には見せてはいけない我々仲介業者専用の検索サイトなんですが、それでも事故の履歴はありませんでした。」
吉田さんは検索をする手を止めてまた考え始めた。
完全に手詰まりだった。僕は静寂に耐えられなくなって、405号室のグラフを眺めながら素朴な疑問を彼に投げかけた。
「そもそも事故物件って、なんでそんなに賃料が安くなるんですかね?やっぱり…お化けが出るとか?」
吉田さんはディスプレイを見ながらハハッと軽く笑った。
「そんな非科学的な問題で賃料が変わるわけないじゃないですか。いいですか?例えばこの部屋で腐乱死体が放置してあったとします。放置された期間が長ければ長いほど床材は痛むし、もしかしたら壁や天井に血痕が残るかもしれない。そういったクリーニングで取りきれない『汚れ』が残ってしまった場合、その分賃料を下げて貸し出す訳なんですよ。橋岡さんの部屋にそんな痕跡はありましたか?もちろんないですよね。僕もあの部屋には何度か行った事がありますけど、新築同様に綺麗でした。だから普通に考えて、事故物件なんて事はあり得ないんですよ。」
吉田さんは僕を宥めるようにそう言った。彼の話はもっともだった。僕はマンションを契約してから、部屋の中に傷がないかどうかを隅から隅までチェックしたが、不満になるような汚れは全くなかった。管理会社に提出するチェックシートには『気になる点なし』の欄にチェックをして出したくらいだ。
そこで僕の脳裏にはあの屋上の景色が映った。
「その、例えば部屋じゃないところで事故があったとしたら…?」
吉田さんは、今度はディスプレイを見るのをやめて僕の方を向いた。なんでそんな事を聞くのか、という不思議そうな顔をした。
「つまりですよ、部屋の中で事故は起こっていないけれど、その住人が、例えば屋上から飛び降りたりしちゃったりした場合…それは厳密には事故物件ではないかもしれないけど、縁起が悪いから家賃をちょっと下げたみたいな…」
彼は、フム、と少し考えてから、今度はデスクの上にある名刺を収納するファイルをガサガサと漁り出した。そこから一枚を取り出しておもむろに電話をかけ始めた。
「もしもしー、どうもご無沙汰してます吉田です。実はちょっと聞きたいことがあって…」
電話口の相手は彼のかつての上司のようだった。彼は電話越しにいくつか質問をしてから電話を切り、それから事務所の奥に消えていった。しばらく経ってから、彼は分厚いファイルを重そうに抱えて持っていた。ファイルの背表紙には『取扱注意』の文字が書かれていた。
「橋岡さん、ビンゴです。」
彼は分厚いファイルを開いて僕に見せた。それは過去の新聞記事のスクラップブックだった。彼が指を刺した記事を見ると、僕が住んでいるマンションの写真があった。
「…松尾純夏」
記事に書かれた名前を読み上げ、それがかつての僕のクラスメイトだと気づくと、僕はゆっくりと椅子から転がり落ちた。
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