第5話 白い花
それから僕は屋上庭園に頻繁に通った。仕事終わりに行く事が多かったが、大体の場合スミカは、庭いじりをしたり植物の葉の様子を見たり、なにかしら仕事のようなことをしていた。
僕は煙草をふかしながらそんな彼女に話しかけるのが好きだった。僕が話しかけても彼女は「うん」とか「そう」としか短い返事しかしなかったが、僕が本当に困っている時、例えば近くのスーパーの魚が高くて買えないという話をすると、彼女はマンション近くの裏路地にある知る人ぞ知る格安の魚屋を教えてくれた。それはGoogleマップにも載っていないくらい小さな店で、お陰で僕は週に何回か、新鮮な魚を食べる事ができた。
彼女はこの街のことに本当に詳しかった。引っ越したばかりで周りに知人がいない僕にとって、彼女の存在は非常にありがたかった。彼女は自分の話をほとんどしなかった。だから僕は彼女がどうしてこの場所で管理人と称して仕事をしてるのかとか、普段は何をしているのかは一切知る事が出来なかった。それでもひと月も経てば、そんなことは気にならなくなった。
逆に他の居住者がこの居心地の良い空間に気づいて利用するようになったら嫌だなとも思ったが、少なくとも僕がいる間に、僕と彼女を除いてこの屋上に足を運ぶ者はいなかった。気づけばこの場所は僕にとってなくてはならない場所になった。
その日も僕はいつものように煙草をふかし、庭いじりをする彼女の後ろ姿を見ていた。
「それにしてもたくさん植物があるなあ。こんなにあるのなら一つくらい僕にくれないか。」
僕は自分の背丈よりも大きな植物の葉を指でくるくる丸めながら彼女に聞いた。
「ダメ。この子達はここでしか生きられながら。」
スミカは僕の方を向く事なく土を弄りながら静かに答えた。
「ちぇ、君っていつもそれっぽい事を言うよなあ。まあ別にいいんだけどさ。それにしても、ここにあるのは見たことのない植物ばっかりだ。これなんてすごく個性的だね。なんていう植物だい?」
僕は鉢植えに入った珍しそうな植物を指さした。何枚かある刺々した細長い葉の先に、折り鶴のような白い花が咲いていた。
「オーガスタ」
彼女はそう言うと、今度はゆっくり僕の方を向いた。
普段の無表情な彼女の様子とは少し違って、少しだけ嬉しそうな顔にも見えた。いつも僕から一方的に話しかけてばかりだったから、彼女が僕の方を見て話すのは久しぶりだった。もしかしたら植物の事など、彼女が興味を持っていることなら会話が続くのかもしれないなと思った。
「オーガスタか。うん、良い名前だね。今度僕も同じものを買ってみようかな。でもこんな珍しそうな植物、一体どこに売ってるんだろうか。」
スミカはそれを聞くと、また僕に対して興味が失せたかのように土の方を向いた。こんな時、植物について多少なりとも知識があれば彼女との会話に花を咲かせる事が出来たのかもしれないと思って僕は自分の無知を恥じた。
もともとなんにでも興味があるが、自分で深掘りしないのが僕の悪い癖だ。しかしせっかくこうやって新しい友人が出来たのだから、今度の週末は図書館にでも行って植物図鑑でも眺めてみようと思った。
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