第2話 空中庭園
パキラを抱えてマンションに帰ると、自分の部屋の前に鍵が落ちているのを見つけた。
それはどうにも古い鍵で、見たところこのマンションのものではなかった。
それはまるで古びた納屋に使うような、無骨でいかにも昔の鍵穴に差し込むような形をしていた。
僕はそれを拾い上げた。鍵は随分と錆び付いており、誰かの落とし物なのかゴミなのか判断がつかなかった。普段の自分なら見て見ぬ振りをしてしまうだろう。
しかしさっき会った花屋の店主のことを思い出す。
幸運の木を手に入れて珍しく清々しい気持ちでいたので、その鍵を落とし物として届けてやろうと思った。ちょうど1階の管理人室に落とし物入れがあった。
僕は拾った古い鍵をポケットに忍ばせ、パキラを部屋に入れてから再び外に出た。廊下の端にある螺旋階段を使って下の階へ降りようとした時、誰かが階段を登ってくる音が聞こえた。
僕は出来るだけ同じマンションの住人と顔を合わせたくない。
隣の部屋の人の顔なんて見てしまった日にはその人のことが気になってろくに生活が出来なくなる。ましてや連休中は毎日友達を呼んで馬鹿騒ぎをしていた。
エレベーターに張り紙に書いてある住人が気をつけなければいけないことの3つ(スピーカーの音量、友達との声、ドタドタ音)は初日から破ってしまった。
そんな状況だったので、僕はなんの気もなく螺旋階段を上に上がった。住人をやり過ごしたら改めて下に降りるつもりだった。しかし足音は一向に止む気配がない。僕が一段上がると足音も一段上がる音がする。螺旋階段の隙間を見ると微かに人影が見える。
これには流石に参った。
僕は不安な気持ちになりながらもゆっくりと一段ずつ階段を上がっていく。
薄暗い螺旋階段の中で、気づけば自分が一体どの階にいるのかすっかり分からなくなった。そうやって焦っているうちにも、住人の足音はコツンコツンと等間隔で聞こえてきた。
とうとう螺旋階段は最後の段になり、僕は屋上へ出る扉の前に来てしまった。
重苦しい鋼鉄の扉にはでかでかと「R」の表示があり、その下には「関係者以外立入禁止」と張り紙がしてあった。ドアノブを触っても鍵がかかっており、どうしたって外に出ることは出来なかった。
僕が屋上で行き止まりになっても、今度は足音は止まることはなかった。
住人は最上階に着いても廊下を出ることなく、そのまま階段を登り続けている。
そうなると最早このマンションの住人ではないのではないかとも思った。
とにかく焦りと恐怖で僕はパニックになった。
何とかこの状況を打開するものがないかとポケットに手を入れると、尖った金属が指先に触れる。さっき拾った鍵だった。扉のドアノブの鍵穴を見ると、新築のマンションでは考えられないような古臭い見覚えのある鍵穴があった。
まさかと思い、鍵をドアノブに差し込む。錆び付いてシリンダーがうまく回らないが、何度も指先を震わせるとガチャリとした音がして鍵が開いた。何者かの足音はすぐ背後まで来ていた。
僕は堪らなくなって鉄の扉を思いっきり押し開けた。その先に何があるか分からないが、たとえ何もなくて急降下することになったとしても僕は飛び出しただろう。それぐらい心が恐怖に支配されていた。
いきなり眩しいくらいの日差しが差し込んできて目が眩んだ。
思い切って足を一歩踏み出してみると、足下にフワッとした感触がして驚く。
目を凝らすとそこには天然の芝生が生えていた。
それから視界が少しずつ戻ってきたので、あたりの景色をゆっくりと見回した。
周囲にはさまざまな背の高い植物が並んでいて、それはまるで植物園のようだった。庭園の中心部には、さっき僕が買ったものと同じ植物、パキラが、自分のそれよりも随分と大きく育って庭園のシンボルのように聳えていた。
「ようこそ、空中庭園へ。」
背後から正気のない声がしたので、僕は心臓を掴まれたかのように驚いて振り返った。
そこには見たことのない綺麗な顔をした女が、無表情で立っていた。
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