夢を見る子供
もち米ユウタ
「 」
小さい頃いつも聞かされていた。
世界には神様に愛された少女がいて、その子が夢を見ると現実になる。そして叶うたびに代償として大切な物が失われていく物語。
望んでも望まなくても夢を見て、最後に少女は自分の命と引き換えに夢を見る。そして村はたった一人の犠牲で救われました。めでたし、めでたし──
「ってこれ全然めでたくないだろ! んぉ? あ、朝か……」
目を覚ました俺は間の抜けた欠伸をして背伸びをする。薄暗い部屋の中は生活音が時計の針しかない。耳を澄ませば聞こえる程度の小さい音。覚醒しきっていない意識のまま、ぼんやりと時計を見れば針は6時を指していた。起きるにはまだ少し早い。しかし起きてしまった原因がどうにも二度寝には向いていなくて、仕方なくベッドから降りてベランダに出る。
緑が深まり新緑の季節が始まるというのに、朝はまだ肌寒い。身体が冷えてしまう前に部屋に戻ろう。
「それにしても久しぶりに見たな」
《あれ》以来だからもう7年ぶりになる。町に古くから伝わる言い伝えだが、知ってる人はもう少ない。言い伝え自体も江戸時代ごろの話らしいから、本当かどうかも疑わしいだろう。
でも俺だけは知っている。俺だけは覚えている──これは世界に愛された少女の物語。
朝食のメニューはいつも白米と味噌汁。日本人といえばやはり米だ。米は美味いし、マジで美味い。あ、美味いしか言ってないけど祖父母が作る米はマジで美味いから。新潟のコシヒカリ? あぁ、あれよりも上に決まってんだろ。ばあちゃんとじいちゃんなめんな。
お家自慢はこのくらいで、我が
ひとつ、ご飯は残さず食べましょう。
ふたつ、ご飯は美味しく食べましょう。
みっつ、ご飯は家族揃って食べましょう。
一人で食べても美味しくないし、家族一緒に暮らしているんだから当然だろう。だが祖父母は朝から畑仕事に出ていて、今この家には俺しかいない。ゆえに朝食はふたりで食べるのがいつもだった。
「ったくやっと来たか」
来訪を知らせるチャイムが鳴り、俺は誰かも確認しないで玄関のドアを開ける。いや、だってこんな田舎町で不審者とかいないし、朝食の時間に来るのはあいつしかいない。
「こら、遅いぞ」
「えへへ~ごめん。ちょっと寝坊しちゃった」
玄関前には《雨瀬 ゆめ あませ》がいて、とりあえず謝ってみせる。こいつの寝坊癖は随分昔からだからもう治らないと諦めているが、一応怒らないといけない。
「いいか? ちゃんと目覚ましセットするなり」
「もう、分かったってば。ほんとゆーくんは几帳面だなぁ~」
高里
ゆめとは同じ高校に通う同級生で、子供の頃からいつも一緒にいる。端的に幼馴染って関係だ。家はそんなに離れていなくて徒歩で5分程度の場所にある。家族構成は両親二人と妹が一人。妹は今年高校受験を控えていた。
「そんなわけで、私も家で食べるよりもこっちに来たほうがいいと思ったのです」
「はいはい。それもうだいぶ前に聞いたから」
ゆめは「そうだっけ?」と首を傾げては美味しそうにご飯を食べ進める。簡単な料理でも美味しそうに食べているのを見てるのは嬉しいものだ。
「ほっぺたにお弁当つけてどこいくんだよ」
言いながら少し呆れてゆめの頬に付いていた米粒を取って口へ運ぶ。うむ、やはり米が一番美味い。最近だと炊飯器の中に氷を入れて炊いたりする。そうすると普通に炊いた時よりも米の甘みが増しているのだ。
「ゆーくんのえっち」
「意味分からん。早く食べないと遅刻するぞ」
時計の針は更に進み、そろそろ家を出ないと遅刻してしまう時間に迫っていた。食器を水に浸けて、支度を終わらせて玄関を出る。
「あら、ゆーくん今から学校?」
「うん! 洗い物は帰ったらするからごめんね! 行ってきますー」
「おばあちゃん、行ってきます~」
背中に返事をもらって俺達は学校を目指した。
家から学校までは徒歩で30分ほど。昔はバスも走っていたけれど、年々減ってきた人口に学校付近のバス停は無くなってしまった。歩けない距離ではないし、バスを使えばお金も必要になる。ただでさえ学費を払ってもらっているのに、余計な出費はさせたくなかった。
高校の生徒数は田舎町だからか多くはなく、各学年に3つしかクラスがない。中学校と隣接していて、地域にに住んでいる子供は大体ここに通っている。中には都内の高校へ進学を希望する生徒もいたらしいが、その後どうなったのかは知らない。
俺とゆめは何の因果か小学校から今の今まで同じクラスで席替えをしても隣同士。周囲からは「夫婦」なんて呼ばれてたりするが、小さい頃の約束をいつまでも覚えているわけないだろう。……俺とゆめは結ばれない。
学校に着くと靴を履き替えて教室へ向かう。俺は窓側の一番後ろの席で、カバンを机に置いてひと息ついた。何とか遅刻は免れたが、早歩きをしたせいで心臓の鼓動がうるさい。だが遅れそうになった張本人はあっけらかんとした表情をしている。
「ゆーくん大丈夫? お水飲む?」
「……もらう」
帰宅部だから運動部より体力はどうしたって落ちる。それはゆめも同じはずなのに、なんでこいつは平然としていられるんだ? あぁ、そいえば昔からゆめは体力バカだったな。
子供の頃、夜の森を探索しようとかで二人で出歩き、そのくせ方向音痴だから迷子になって遭難しかけたんだが、無尽蔵の体力は俺をおぶり、止まらずにひたすら歩き続けたんだっけか。あれ? あの時はどうやって家に帰ったんだっけ? もう7年も前の話だから記憶が曖昧だ。確か森のどこかに着いて、そこで何かを見て、そのまま寝てしまい起きたら朝になってたような……。
まぁ忘れてしまったのは仕方ない。それに覚えていなくとも大丈夫だろ。
ゆめからペットボトルを受け取り一口飲む。渇いた喉には冷水が一番美味くて腹の底にしみわたる気がした。
「間接キスだね」
「ブッ! お、おま!?」
「別にそんなの今更じゃん。変なゆーくん」
確かに家族同然に育ったから今更ではあるが、思春期の俺には言い訳が必要だ。子供の頃の話ならそれで問題ないが、高校生にもなって女子と間接キスは端的に言って恥ずかしい。友達に見られでもしたらなんて言われるだろうか……。あ、もう周囲には夫婦認定されてるし、なんも言われねーか。
「ほら、先生来るよ」
「誰のせいだよ、まったく」
拭き出してしまった水をハンカチで拭き、間もなくして担任の教師が教室にやってくる。
変わり映えのしない風景。退屈な毎日。
あぁ……本当につまらない。
午前中の授業が終わると、昼休みを待ちわびた声が教室に広がる。かくいう俺もその一人で、退屈な授業は途中で夢の中へ消えていった。チャイムの音で目を覚まし、背伸びをしたがまだ意識はぼんやりとしている。欠伸をすれば面白可笑しそうに微笑んだゆめが「跡ついてるよ」と俺の頬を指で触れて遊んでいた。
「ほら、ぼーっとしてないで顔洗ってきなよ」
「ん。あ、弁当は俺のカバンに入ってるから」
促されるまま教室を出て水道で顔を洗い、戻ってくると机の上には弁当箱が二つ並べられていて、ゆめは俺の正面に座っていた。
「はい、じゃいただきます」
今日のおかずは卵焼きとミニハンバーグ。プチトマトにピーマンの炒め物だ。ハンバーグとピーマンは昨日の残り物で、朝も早い主婦の時間短縮術。主婦じゃなくて学生だった。
卵焼きはゆめの好物で、彩りにトマトを添えてみた。
「ん~美味しい~」
卵焼きを頬張るゆめは頬っぺたを押さえながら嬉しそうに微笑み、ひとつまたひとつと箸を進める。
「ゆーくん、絶対いいお嫁さんになるよ。私が保証します!」
「はいはい。分かった分かった」
毎度おなじみに言われるが、俺に嫁願望はない。結婚は……まぁその内、早ければ高校を卒業と同時にするかもしれないが、嫁とは言わないだろう。あぁでもゆめは壊滅的に料理が下手だからな。となると必然的に俺が作るしかないわけで、嫁と言われても仕方ないか。
そうして弁当を食べ進めていき、途中でゆめの箸がピタリと止まる。白米はきれいに平らげ、おかずはもうピーマンしか残っていない。
「あ! 飛行機!」
「ほーん。じゃ食べようか」
「ぐぬぬぬ~」
リアルで「ぐぬぬ」なんて初めて聞いた。
「ほら、農家の人が丹精込めて作ってくれたんだぞ」
情に訴えてもゆめは箸を進めようとしない。一番嫌いな食材だから仕方ないけれど、甘やかすのは良くない。おばさんにも『ゆめはちゃんと好き嫌い治ったかしら?』と言われている。無理矢理食べさせては益々嫌いになるだろうから、及第点として箸でピーマンを摘まみ、ゆめの口へもっていく。
「ほら、この一口でいいから」
「……うん。あーん」
雛のように口を開けて食べ、数秒後には顔をしかめる。
「うええ……苦いよ~」
「頑張った、頑張った」
苦笑しながらゆめの頭を撫でて、残りは全部俺が食べた。
一口食べただけでも食べないよりはいい。こうして少しずつでも食べていけばその内克服できる日もくるだろう。他にも嫌いな物があるから根気は必要だけど。
昼食を終えた後は教室を出て校舎裏へと向かう。ゆめは友達と話があるとかで、今は俺一人だ。古い学校で昔は色々な部亜活動があり、茶道部なんてのもあったそうだ。今は廃部となり、その部室棟が寂しそうにポツリと立っていて鍵を開けて中へ入る。
学校としてもこの場所はそのままにしておきたいらしく、勝手に使わさてもらうのを条件に俺がここの管理を任されていた。週に何回か掃除をして、あとは好き勝手使えるなら悪い条件じゃない。建てつけが悪くなった襖を端に寄せ、畳の上に寝ころぶ。
今日は穏やかな気候で過ごしやすいと天気予報士が言っていた。その通りであればその内やってくるはず。
「お、きたか」
ゆっくりと目を閉じる。
暖かな日差しと、春の風が心地良くて眠ってしまいそうだ。
もう昼休みも時間が少ないからさすがに起きるしかないけれど、去年は時々放課後はこうして眠っていたりする。
その時は決まって夢を見ていた。ただ……いつも夢の内容は思い出せなくて、目が覚めると頬に泣いていた感触だけがハッキリと残っている。
泣いていたのだから何か悲しい夢だったのだろうか? そうとしか思えないけど、何が悲しかったのか分からないから、ここしばらくはここで寝ていない。意味不明な涙が気持ち悪いって理由もあるが、たった一度だけ見たあの光景が忘れられなかった。
いつかの日──ゆめが俺の隣で泣いている日からずっと。
昼休みを終えて教室に戻ると、ゆめは席に座って何やら真剣にノートを書いていた。お世辞にも勉強が得意じゃないのに、やっとやる気になったかと感心して覗いてみれば……そこには《ゆーくんとやりたいこと》と箇条書きされている。
「これなに?」
「ひゃっ! み、見ちゃダメ!」
「いやいやいや、なんか俺の名前書いてあるし、なにやりたいことって? なんか番号が10番まであるけど気のせいだよな? これ2、3個に減るよな?」
まだ何をやりたいのかは書かれていなかったが、状況から察するに俺としたい項目が10項目あるようだ。……ツッコミどころが多いから落ち着こう。一旦整理して冷静にならねば。
「えっと、今晩見せるからそれまで待ってて。それまでは見たらえっちって言うから」
「はいはい、分かりました」
いつも言われてる気がするけど、気にしたら負けだ。
ほどなくして教師がやってきて授業が始まり、俺の意識はどっち付かずとなった。
相変わらずと言うべきかゆめは勉強しているフリをしてノートを書いているし、横目を向ければ悩んでいたり、恥ずかしそうにしてたり、嬉しそうにしていたりと……。
授業を聞く気がなくなった俺は窓の外に顔を向け、青空を見上げる。
ゆめと何がしたいと言われても俺には思いつかない。なんて言えばいいのか側にいてくれるだけで満足なんだ。他に望んだらまた罰が当たる。だから俺は今のままで満足していた。
もしも……もしもひとつだけ願いが許されるなら。たったひとつでも叶えてくれるなら、俺は何を願うだろう。
まどろみの中で俺は何かを呟く。それは誰にも聞こえなくて、呟いた俺にさえ分からない。けれど意識が落ちる前確かに聞こえた。
《大丈夫だよ。──くんは私が守るから》
優しい女性の声。暖かさに包まれるよう、俺はゆっくりと眠っていった。
目を覚ましたのは放課後になってからで、教室には数名の生徒しか残っていなかった。
「おはよう、ゆーくん」
「んーおはよう。悪いな」
思ったよりも眠っていたみたいで、時計の針は16時を指している。
今日は帰りにそのままスーパーに寄って夕飯の買い物をしてから帰る予定だ。今夜のメニューはカレイの煮つけとえのきの味噌汁。カレイはばあちゃんの知り合いがくれた物があるからそれを使って、他に足りない材料や飲み物を買い足すくらいだ。
「ゆめ、今日はいつも通りでいいんだよな?」
「ううん。今日はそのままゆーくんと一緒に行くよ」
「そっか……分かった。よーし! なら今日はたくさん買うか! 荷物持ちが出来たしな!」
悲痛な叫びをするゆめをよそに教室を出て昇降口で靴を履き替える。帰り際に何人かのクラスメイトに別れを告げ、俺達はスーパーへと向かった。
日が暮れる前にスーパーに着き、手押しカートにカゴを乗せて物色を始める。まず最初は野菜のコーナーからで、ゆめはしかめっ面をしながら隣を歩いていた。ピーマンを取ろうとすれば小声で「ゆーくんはお菓子を食べたくなる~」なんて変な呪文を唱えやがる。
まぁ今日は他に買う物もあるし、からかうのはこのぐらいにしておこう。
野菜の次は鮮魚、精肉になっていて、ひき肉のパックをひとつカゴに入れた。明日の弁当に使うし、残った分は冷凍しておけば保存も出来る。
ハンバーグで足りない材料はこれだけで、あとはお茶を数本、たこ焼き粉を入れてレジへ向かう。
ゆめは首をキョトンと傾げていたが、これは明日のお楽しみ。
レジで会計を済まし、袋に詰めて外に出た。さすがに欲張りすぎたか袋ひとつに全部まとめたので若干重い。だがこれしきで音を上げるわけにはいかなく、持ち直そうと右手に一度移す。
するとゆめは何も言わないで袋の片方を持った。
「荷物持ちさせるって言ってたくせに」
「あーいや、あれは……」
冗談を言ったつもりだったが、どうやらご立腹のようなので「ごめん」と謝る。
「二人でこうして持てば重くないし、これって傍から見たら恋人同士に見えると思うんだ!」
「はいはいーじゃさっさと帰ろう」
言われなくてもそう思っていた。アニメやマンガなんかでよく見る光景で、実際に自分が体験すると……照れくさくてそっぽを向く。
そうしなければバレてしまいそうで、その後も帰り道は足早に自宅へと向かった。
「ゆーくん」
徐に話しかけられ、視線を向けるとゆめは嬉しそうに──そしてどこか悲しそうに、
「ご飯食べたら話があります」
その表情に俺は頷いて返事をした。
人の言葉は不完全で、意図しなくても間違えてしまう。今回のそれも声を出していたなら俺は《また間違えて》いただろう。
だから首肯で返事をして、俺達は歩いて行く。
茜色に染まった空が眩しくて、頬を一滴の涙が濡らした。
夕飯の準備はゆめが手伝ってくれたおかげで早く終わり、日が落ちきってしまう前に食べ始める。じいちゃんとばあちゃんは近所の知り合いにお呼ばれをして、今日は俺とゆめだけ。食卓に並んだ料理を見て、ゆめはいつも通り美味しそうに箸を進めた。
「ん~今日も絶品だよ~! ゆーくんのお婿さんは毎日が幸せだね!」
「だからなんで俺が嫁なんだっての」
バカ話をしながら食事を進め、リビングにあるテレビはこれからの天気予報を流していた。
春らしい気候は数日続くが一週間後の5月8日。この日は低気圧の影響で、気温が一気に真冬並みになるかもしれないらしい。せっかく冬物をタンスの奥にしまったというのに、また出さなければいけないのかと思うと気分が滅入る。
天気は神様が決めるものだから文句を言っても仕方ないが、天気予報では雪も降る可能性があるという。この世界の神様は相当な天邪鬼なのだろうか。
ニュースを見ているゆめは箸を止めていて、それを見た俺は「こら」とゆめの頭を小突いた。テレビを見るのは構わないが、箸を休めてまで見るのは行儀が悪い。いや、見ながら食べるほうが悪いか。
どちらにせよ注意は必要だ。
「そんなに気になったのか?」
浮かない表情が気になり、それとなく聞いてみるもゆめはかぶりを振って答える。
「そっか」
「うん。そうだよ」
この会話に何か意味はあったのかは分からない。
ただ昔の記憶を思い出していた。
夕飯を終えると、食休みに俺はソファーでくつろぎ、ゆめは隣で寝息を立てて俺に寄りかかっている。こんな時間に寝てしまうとこの後、眠れなくなってしまうのに、起そうとは出来なかった。
だって寝言で「ゆーくん、むにゃむにゃ」って言ってるんだぜ? 俺のどんな夢を見てるのか分からないけど、もうしばらくはこのまま寝かせといておこうかな。
時計の針が20時を過ぎる頃にお呼ばれされていたじいちゃん達が帰ってきて、軽い雑談を交わした後、二人はそのまま寝室へと向かって行った。明日も早いしもう眠るのだろう。
そういえば「話があります」があると言っていたが、もうそろそろ起こすべきか? 金曜日の夜は家に泊まったりするが今日はまだ木曜日。
「おーい、ゆめー起きろー」
頬を指先で突いて起こそうと試すも失敗。くすぐったくて楽しそうにしている。そうなれば今度は頬を弱く抓ってみるが……まぁこれも失敗した。普通にすれば痛みで起きるだろうけど、それはやりたくない。そうなると俺に残された選択肢は自然に目を覚ますのを待つしかなく、諦めて流れていたテレビに視線を向けた。
今の時間はテレビドラマが流れていて、内容に興味はなかったけど呆然とそれを眺める。
ドラマの内容は不思議な力を持った少女が、記憶と引き換えに数々の困難を乗り越えていくもので、それはまるで子供のころに聞いた言い伝えのようで、俺はいつしか前のめりに見ていた。
物語の終盤に少女はもう親しかった友人の顔すら思い出せなくなり、残された記憶はずっと側にいてくれている幼馴染の男の子との記憶だけ。そして少女に頼ってばかりいる町を捨てて逃げようと男の子は計画をする。そこでエンドロールが流れた。
次回が最終回だろうか? 予告は見ない派なのでテレビを消したが、どうにもドラマの続きが気になってしかたない。一週間後は寒くて家から出れそうもないし、ちょうどいいか。
「ねぇ、ゆーくん」
突然名前を呼ばれ視線を向けてみれば、いつの間にか起きていたゆめは明りの消えたテレビを見ながら尋ねた。
「もしも……もしも、私があの女の子みたになったら、ゆーくんはどうする? 男の子みたいに私を選んでくれる?」
答えの浮かばない俺は口籠って必死に言葉を探した。
フィクションなのだから現実には起こりえない。だがもしもそうなった場合、俺は正しい選択が出来るのだろうか……。いや、違う。俺はゆめを選べるのか……。
町を捨てて逃避行したってきっと同じ運命が待ち構えている。人は運命からそう簡単に逃げられない。それをドラマの中の二人は知ってるのか、知らないのかは分からないけど、きっと無事にハッピーエンドになるはずだ。なんて言ったってフィクションなのだから。
作り物がバッドエンドじゃつまらない。
「俺は……うん、俺はゆめの側にいるよ」
「本当に?」
「あぁ。絶対だ。約束する。何があっても側から離れない」
「えへへ~。なんだか死亡フラグみたいだね」
「お前が聞いてきたんだろ! ほら、起きたんならさっさと帰れ。明日起きれなくても知らないぞ?」
離れようとしないゆめを引き剥がし、不貞腐れた表情をしたゆめを玄関先まで送り、靴を履こうとした。
「今日はここで大丈夫」
「いいよ。すぐそこだし」
「うん、だから今日はここでいいの。それでも来るっていうなら大声で「ゆーくんのえっち!」って言っちゃうよ?」
「はいはい、ほらもう靴履いたし行くぞ」
強引に外へ出ると、空は綺麗な満月が昇っていた。
歩いて数分で着く距離でも、夜中に女の子を一人で歩かせるわけにはいかない。
歩幅を合わせて歩いて行くとゆめは満月を眺めながら呟く。
「月が綺麗だね」
「月が綺麗だな」
「ゆーくん、それって愛の告白? 嬉しい。私もゆーくんが好きだよ」
言葉を返しただけなのに、言えるはずもなくて短く「そっか」と返事をした。両想いなんて昔から分かっていたし、今更言葉にして「好きだ」なんて恥ずかしくて言えるはずがない。どっかの小説では言葉の代わりにキスで伝えていたけれど、俺にはハードルが高すぎる。なのでゆめには気長に待ってもらえたら幸いだ。
「そういや話って何だったんだ?」
俺の家で話すって言っていたのに、結局今の今まで話題に上がってこなくて、仕方なく俺から切り出してみた。忘れる程度の話なら重要ではないだろうし、一度言われた手前、聞いておかないのは何だか気持ち悪い。
「あーえっとね、これが完成しました」
効果音に自分の声で「じゃじゃ~ん!」と言ったゆめはノートを広げて見せる。
こいつは本当に高校二年生かと疑いたくなるのはさておき、ノートにはゆめが書いた《俺とやりたいこと》が9個書かれていた。
その中に《放課後デートをする》《一緒にご飯を食べる》《俺から告白される》とあり、憐れんだ視線を向けてしまう。
「む~ゆーくん!」
「いや、だってなぁ?」
おバカな子とゆめを指す言葉だったのか。
しかも後半に書かれているのは恋人がしてそうな内容で、直視するのは少しばかり難しい。強いて出来るとしたら俺と休日デートをするってとこか。
幸いと言うべきか明後日は土曜日で事前の天気予報は晴れ。連休を使って出掛けるのも悪くない。別に行きたい場所なんてないけれど、この辺でといったらバスで一時間ほど走れば温泉地がある。そこのまんじゅうがじいちゃんとばあちゃんの好物だし、日帰りでも泊まりでも行けそうだから、そこへ行くのもいいな。
「うん。賛成! 私もそこに行きたい」
「じゃ日帰りにするかどうかは明日決めよう」
ゆめの賛成もとりつけたし、後は家に帰って宿の空きがあるかどうか調べるか。人気の宿はさすがに無理だろうけど、それ以外であれば空いているかもしれない。
「あ、結弦さん」
不意に聞こえてきた声音に視線を向けると、そこには年端もいかない少女が立っていた。
少女の名前は《雨瀬 希 のぞみ》。ゆめの妹だ。
「こんばんわ、希ちゃん。どこか出掛けるの?」
「はい、少しその辺を散歩してこようかなって思いまして」
「そうなんだ。じゃ付き合うよ。こんな夜に女の子一人じゃ危ないし」
「本当ですか! ありがとうございます! じゃ行きましょう!」
希ちゃんは嬉しそうな表情を見せ、俺の腕を掴み歩き出した。
「ゆーくん、希をよろしくね」
振り返るとゆめは手を振っていて、俺は首肯で返事をする。
送り出された手は見えなくなるまで振り続けられていた。
歩いて数分の場所にある公園に入り、街灯の側にあるベンチに腰掛ける。
希ちゃんは俺のひとつ年下で同じ高校に入学していた。女の子らしく髪を腰の辺りまで伸ばして、肌も白く柔らかい物腰から学校内での人気はかなり高い。俺も友達から何度か紹介を求められたが、条件に玉砕覚悟を付けている。
以前に誰かが告白した時に断られた理由が「好きな人がいる」と言われたようで、一時期はその相手を突き止めようと男子生徒は躍起になって探していた。けれど結局は分からずじまいで、俺が聞いた時も名前は教えてくれなかった。
ただ想い人がいる以上、玉砕覚悟をする必要がある。もしかすればって可能性もあるだろうけど、男子生徒の半数がもう希ちゃんにフラれているから、楽観視は命取りになるだろう。
公園内に街灯はひとつしかなく、こんな時間だから俺達以外に人影はない。何の目的でここまで来たのか聞いてみようにも、希ちゃんは嬉しそうに腕を掴んで離さないまま微笑んでいる。
「そういえば聞きましたよ? また授業中寝てたんですか?」
「あはは、ほら先生の声ってなんか眠たくなるじゃん? だから気を抜いちゃうとついつい……」
「そんな言い訳は通じません。めっ! ですよ」
赤ちゃんを諭すように言われても怖くない。むしろ可愛らしく思えてしまう。だが正直に言ってしまえばお説教が長引いてしまうのは目に見えていたので「ごめんなさい」と素直に謝った。
「結弦さんはどうしてあそこにいたんですか? あ、もしかして私に会いたくて来てくれたとか……。そうならそうと言ってくれれば良かったのに。でもでも私はまだ15歳ですし、ちょっっと早い気もします。なのであと少し待ってください。9月になれば16歳になりますので大丈夫です! あ、結弦さんは10月ですから、じゃ届は10月ですね!」
なんか色々言われたが、どこからツッコめいいだろう?
「あーえっと、今度さ旅行に行くんだけどお土産は何がいいかな~って」
「旅行……誰とですか?」
どうして女の子はこんなにも凍てつく声が出せるのだろうか。今の気分は首元に鋭利な刃物を当てられている感じ。選択肢を間違えたら死ぬかもしれない。
緊張感に唾を飲み込みとっさに「例えば!」と答えた。
「そう、例えば温泉旅行に行ったとして希ちゃんはお土産なにが好きなんだろって思ってさ。ほら、小さい頃はみんなで行ったの覚えてる? あの時は子供だったからさ。今なら少し貯えもあるし、もしも旅行に行ったらお土産買ってきてあげようって思ったんだ」
希ちゃんは納得のいってない表情を浮かべていたが、やがで諦めたかのように「結弦さんからなら何でも」と答える。
「それに旅行に行くなら私も一緒に行くので、そうすれば二人で選べます」
「まぁ確かに。あ、でも泊まりになるとさすがにおじさん達が心配──」
「大丈夫です。両親には『結弦さんの早く手綱を握りなさい』って言われていますので」
15歳の娘に何を教えているのか頭が痛くなる。
これ以上は藪蛇をつつきそうな気がして、時間を理由に俺達は公園をでてきた道を戻った。
もう家が目と鼻の先のところで希ちゃんは先を歩き、家へと帰っていく。
「結弦さん」
振り向きざまに名前を呼ばれ、
「結弦さんはまだ──ちゃんのこと……」
小さくなった声に最後までは聞こえなかった。
だから俺は「お休み」と言って自宅へ戻る。
走って帰ればいい。さっさとこの場所から離れたい。それなのに足は鉛のように重く、俺は身体中の力を込めて足を進める。
見なくても分かっていた。
きっと希ちゃんは俺が見えなくなったあともずっと……。
自宅に帰ると風呂に入って、部屋に戻ってそのままベッドの上に倒れ込む。
正直疲れた。今日はこのまま眠りたい。
「あーでも調べとかないとだしな」
約束した手前、事前準備を怠るわけにもいかなく、重たい身体を這いずらせて起き上がり、パソコンの電源をいれた。起動が数秒かかり、画面が付くと検索にまずは温泉宿を探す。
予算の問題もあるが、だいたい一泊一万円が妥当なラインだろう。それ以上は贅沢になるし、その分を夕食に当てたりするほうが楽しめそうだ。
まだゆめの賛成をとってないから無駄になるかもしれないが、こうして温泉宿の紹介を見ているのはそれだけで好奇心が擽られる。値段のいい部屋だと室内に専用の温泉があり、絶景を楽しみながら風呂に浸かれるらしい。値段は驚きの価格。まず高校生が出せる金額じゃなかった。
宿によっては夕飯朝食付き、朝食のみと様々なプランを選べるようで、二食付きだと少し予算を超えてしまう。かと言って食事を他の場所で取るのは味気ない。せっかくの旅行なのだからゆっくりと宿の料理を堪能したいところある。
「あとはゆめが何て言うかだな……」
きっとおそらく……ってかほぼ間違いなく泊まりに反対しないだろう。むしろ率先して泊まりで行きたいって言うはずだ。
じいちゃん達には「旅行に行きたい」って言えば問題ない。これも多分だけどバス代やら宿泊代やら出そうとしてくるはず。甘やかしてくるのも考えものだが、二人の好意は出来るだけ無下にしたくない。もしもお金を出されそうになったら交通費だけもらっておこう。
あとは当日に観光する場所だが、周囲に美術館やら牧場もあるみたいだ。花より団子のゆめは美術館よりも食べ物が美味しそうな牧場を選ぶ気がする。
ほほう、乗馬の体験も出来るのか。馬に乗れるなんて滅多にない機会だから面白そうだ。牧場のアイスクリームも限定品みたいで、これは絶対に食べてみたい。
「ってもうこんな時間か」
情報集めに熱中していると、日付が変わってしまっていた。
どうりでさっきから欠伸が出るわけだ。
こんな夜遅くまで起きていたのはかなり久しぶりな気がする。もう6時間後には起きて朝食の準備をしないといけないし、今日はこのへんで寝るとするか。
「ふあぁ……ん? なんだ?」
瞼の重くなった瞳で通知のきている携帯を手に取る。新着のメッセージが1件あって、差出人はゆめからだった。
内容は『お休みなさい、ゆーくん。大好き』。
恥ずかしいっての……。
何か返事をしようと考えてみるも、同じように言えるはずもなくて、結局「お休み」と送って部屋の明かりを消した。
今日は寝苦しい夜になるようなので、掛け布団は浅めにして目を瞑りゆっくりと眠りの中へ落ちていく。
好きだなんて言えたらいいのにな……。
翌朝はいつも通りに起きて朝食を作り、また寝坊したゆめを叱って二人で学校へ行き、しっかりと放課後まで勉学に励んだ。
予想通りにゆめは最初から泊まりで行くつもりだったようで、それを聞いたあとはすぐに目星を付けていた宿に連絡を取って一部屋予約する。
健全な男子高校生が同い年の女の子と同じ部屋で寝泊まりと思うだろうが、前にも言った通り、ゆめは金曜日に俺の部屋に泊まったりするので今更どうともならない。
もちろん布団は別にする。たまにゆめは俺の布団に潜り込んでくるのだが、あれはさすがに我慢が難しいのでどうにかしてほしいところ。離れてさえいれば変な気も起きないが、すぐ隣で触れられる距離にいると、そこはやっぱり健全な男子なので。
「へ~朝食はバイキング形式なんだ~」
着替えを取りに一度自宅に戻ったゆめは、家に来たあと俺の部屋にあるパソコンを眺めながら内容を確認していた。言伝でしか説明していないから、自分でも見ておきたかったのだろう。
「わ、ゆーくん、ゆーくん。ここってお部屋に露天風呂があるんだね!」
「いや、さすがにそんな高い部屋には泊まれないから」
「え~せっかくなんだしお風呂があっても良いと思う!」
「予算が全く足りません」
ちなみにどれくらい違うかというと少なくとも4倍違います。
確かに人とは違った景色を見ながら風呂に入れるのは楽しそうだと思うが、意気込みでどうにかなる問題じゃない。ただでさえじいちゃんとばあちゃんから交通費も宿代も出されてしまった。元々使う予定だったお金で贅沢なんて出来るはずないだろう。これはお土産や、現地の何かで使おうと思ってる。
「ん~ここの温泉って混浴じゃないんだね」
「当たり前だろう。このご時世に混浴なんてあってたまるか」
「そっか。じゃ少し雰囲気はないけど、お部屋のお風呂に入ろうね」
「一人でな」
「あ、ゆーくんってば私の裸で興奮しちゃうんでしょ? も~えっちだな~」
言い訳すら面倒くさくて「はいはい」と適当にあしらい、そろそろ寝る準備を始める。
「もう寝るの?」
「明日は7時のバスに乗らなきゃいけないんだぞ? 俺はともかくゆめは起きれないだろ」
女の子は色々と準備もあるだろうし、目覚ましは5時にセットしておこう。
「ほら、電気消すぞ」
床に敷いた布団に転がり、照明のリモコンで明かりを消す。
「……ゆめさん?」
「はい、なんでしょう?」
「どうしてあなたはここにいるのですか?」
「こことはどこでしょうか?」
答えは俺の布団。
「ベッド譲ってるだろが! そこで寝ろ!」
「へへ~大丈夫!」
「何が!?」
取り付く島もなくゆめは「お休みなさい」と言ってそのまま寝息を立てはじめる。ご丁寧に俺の手を握って……。
これじゃ離せないし、距離を取ろうにも自由が効かない。つまるところ俺も観念して寝るしかないわけだ。
「ったく……少しは緊張しろっての……」
好きな女の子……一番大切な女の子が目の前にいて眠れるわけがない。仕方ないからゆめの寝顔を眺めているとしよう。
空いていたほうの手のひらで前髪を触ると、ゆめは嬉しそうに微笑む。起こしてしまわないように頬に振れ、そのまま指先は唇に……。
「いやいや、駄目だろ」
眠っている間に触れるなんて男らしくない。触れたい欲求は一度思うと静まりをみせないが、触れるならちゃんとした形を取るべきだ。
あぁ……でも触れてみたい。
根性なしの精神力は眠れぬ夜を過ごし、結局一睡も出来なかった。
分かっていたが、これがヘタレの王子さま。うるさいわ。
目覚ましのアラームを止めてゆめを起こし、予定通りに支度をして時間通りに家を出る。
定刻にやってきたバスに乗って、俺達は目的の温泉地へ旅立っていった。
「そういえば、ゆめ起きた後なんか言ってなかったか?」
小さい声だったから何を言っているのか全然わからなかったが、何かを呟いた気がしていた。
「ううん。何も言ってないよ?」
「気のせいか」
「そうです。気のせいです。……ゆーくんのヘタレ」
少しだけ頬を膨らませたゆめに首を傾げ、バスは高速を走って目的地を目指す。
5月最初の土曜日は雲ひとつない青空が広がっていた。
目的地に着くと、まずは荷物を置きに宿へと向かう。チェックインは15時からだが、荷物の預け入れは当日の朝から受け付けてくれるらしい。一泊分の荷物だから大した物ではないが、持って歩くより、預けれるならそのほうが身軽に動ける。
宿のフロントで宿泊予約の確認をしてもらい、そのあとは荷物を預けて外に出た。
「ん~気持ちいいね~」
「そうだな」
心地良い風に気温も丁度いい。おまけに視界に映るのは緑の山々と晴れわたる青空ときた。アウトドアに興味のない人でも悪い気はしないはずだ。
「これからどこ行くの?」
今の時間は8時半でまだ商業施設は開いていない。目的のオルゴール館と牧場もまだ開店前で、まずは近くにある古民家のカフェで簡単な朝食を取ろうと思う。
「あ、ここでゆーくんに重大なルールがあります!」
またもや自分の口で「ばばん」と効果音を付けるゆめに、とりあえず聞いてみた。
「いいですか? 今日のこれは旅行お泊りデートです。ということは私達を知っている人はいません!」
「ソウデスネー」
あまりにも面倒だから棒読みで返事をする。
「つまり! ででん!」
「……ん?」
これは察するべきなのか、それとも答えを待つべきなのか。
今の状況を簡単に説明すると、ゆめが俺の方に手を向けて伸ばしている。頬は赤らんでいる状態で、少し上目遣い。答えは……言われなくても分かるわ。
「まぁ迷子になられたら困るしな」
「うん、だから絶対に離さないでね」
「もう絶対に離れなくなったよ」
恋人同士がする繋ぎ方でお互いの手を合わせる。
言い訳がないと手も繋げない自分に呆れてものも言えないが、それでも表情はどうしたって緩んでしまう。普段は人目があって繋ぐ機会がないけれど、ここなら知ってる人もいないし、こうしていられるのは素直に嬉しい。
「ゆーくん、カフェってあれかな?」
少し歩くとネットで調べたカフェ《高里》の看板が見えてきた。ここは夫婦で経営しているみたいで、自宅を改築して一階をカフェスペースにしているらしい。
「ゆーくん! はやく、はやく」
「分かったって。そんなに急がなくてもカフェは逃げないよ」
ゆめに引っ張られながら、俺達は店内に入る。ドアを開けると風鈴の音が店内に響き、奥から奥さんらしき女性がやってきて、窓側の席へと案内された。
木組みの屋根に大きな窓が開放感を与え、装飾品もアンティーク品で揃えられている。メニューもお店らしさを感じさせる品書きで、ゆめは何を頼もうかと楽しみながら眺めていた。
ネットでのおすすめは水出しの珈琲とケーキセット。朝食にこんがり焼いたトーストや、焼き魚と味噌汁の二段構えだったりする。和洋のどれも美味しいらしく、何度も足しげく通いたい場所だそう。
朝食の意味合いもあるので、俺は焼き魚定食を頼み、ゆめはケーキと紅茶のセットを注文した。……おすすめは珈琲。だがゆめは珈琲が飲めなく俺は和食。なのでまた来た時の楽しみにしておこうと思う。
「それにしても不思議だね」
徐にゆめが言ってきたのは店の名前についてだ。俺の名字と全く同じ漢字で、経営する夫婦も高里。まぁ特別珍しい名字ってわけじゃないし、こんな偶然もあるだろう。
「なぁ、ゆめさん?」
「はい、なんですか?」
「名字よりも、これはどうにかありませんかね?」
これもまた説明しておこう。四人掛けのテーブルは普通向かい合って座るものだ。だが、手を繋いだままだと向かい合うなんて無理な話で、相談する暇もなくゆめは俺の隣に座った。当然繋いだ手は離れていない。
「いや、ほら、ここお店の中だし……」
注文を聞きにきた女性は微笑ましそうにしていたし、周囲の人からも視線を感じる。嫌ってわけじゃないが、とても恥ずかしい。恥ずかしさに手汗が出てきそうだ。
「ふーん、ゆーくんは約束を破る悪い子なんだね~」
「でもさすがにこれだと食べにくいし、片手でなんて行儀悪いだろ?」
パンとか片手で食べれる物ならいいかもしれないが、日本食は利き手で箸を持ち、反対の手で椀を持つ。この状況では食べるに食べれない。
「絶対離さないって言ったのに……」
「分かった! なんでもするからここは俺の顔を立ててくれ!」
「むぅ~しょうがないなぁ~」
不服そうな表情をしながらもゆめは手を離して、俺と向かい合うように席へ移動する。
「じゃなんでもするって言ったから、ゆーくんにして欲しいことを発表します」
「あーさすがに出来ないことも……いえ、何でもありません」
言い訳は逆効果になりそうなので、大人しく聞くしかない。
「ばばーん!」
「またかよ! って……これ、ま、マジですか……?」
ゆめが見せてきたのはノートで、そこには《ゆーくんにあーんをしてもらう》と書かれていた。
ま、まぁ一回くらいなら出来なくないし、誰かに見られる前に終わらせてしまおう。
そんな小心者の退路を塞ぐようにゆめは微笑みながら「もちろんここを出るまでね」と付け加えた。
そして拍車をかけるように料理が運ばれてくる。
艶のある白米と香ばしく焼けた魚の香り。米好きなら誰でもニヤけてしまう場面だ。だが今の俺にはそんな余裕もなく、まるで断頭台の上に立った死刑囚のように思えていた。
ゆめのいう「あーん」とは交互にするものらしい。つまり俺の頼んだ食事は全部ゆめが俺の口まで運んでくれるというもの。
あれか……公開処刑ってやつか。
ぐだぐだ言ってても仕方ないので、諦めて俺は「あーん」と口を開く。
「はい、ゆーくん。……どう? 美味しい?」
「涙が出るほど美味い」
本当に美味い。だからこそ普通に食べたかった! たった一口でもう耐久力が限界値超えた気がする。
「じゃ今度は私ね。あーん」
こうなれば最早やけくそだ。
「むふふ~美味しい」
「ははは、良かったな……」
乾いた笑いを気にする素振りも見せず、そのあとも俺達はバカップルぶりを見せた。
結局10時過ぎまでいたし、帰り際には店主と奥さんから「お幸せに」なんて言われてしまうし、踏んだり蹴ったりだ。
けれど──
「ゆめ」
「うん」
当たり前にゆめの手を繋いで次の目的地へと向かっていった。
「あ、あのやりたい事は今日一日有効だからね?」
あぁ、今にも決心が揺らしでしまいそう。
有言実行に俺達は手を繋いだまま目的地のオルゴール館に着く。ここは各国の珍しいオルゴールが展示されているようで、静かな雰囲気と新緑に囲まれたこの場所は人気のデートスポットとして紹介されていた。
入り口で入場券を買い受付のお姉さんには「カップルさんいってらっしゃいませ」と送り出され……もう恥ずかしすぎる。今なら顔をから火が出せそうだ。
館内は進路順が予め決められていて、俺達はそれに習って順に中を見て周る。世界最小のオルゴールは本当に小さく、初めて見る光景にゆめは感嘆した吐息をもらしていた。
「ゆーくん、ゆーくん。あれ見て」
「ん? なにない? 対のオルゴール?」
それは音を奏でるのに二つが揃わないと鳴らないオルゴールで、展示されているのは片方だけだった。
「……もう鳴らないんだね」
説明書きに片方は昔の戦争で失われてしまったそうで、このオルゴールを作るには今の技術じゃ難しいらしい。鳴らせないけれど、これは作者が愛する妻の為に作った最後の作品であり、それに感銘した館長が展示を強く希望したと書かれていた。
「素敵だな~」
「そうだな」
愛した人の為に何かを残せる人は凄いと思う。簡単そうに思えて誰にでも出来るものじゃないし、いつかこのオルゴールが音を奏でるのを聞いてみたいと切に願った。
「私もゆーくんとの思い出が欲しいです」
「そういうと思った。あんま高いのは無理だけど、お土産屋でひとつ買うか」
「本当に? やったー! ゆーくん大好き!」
「はいはい、ありがと。でも美術館だし外に出るまでは静かにな?」
俺達以外にも鑑賞に来ている人はいたので、人差し指をゆめの口元に当てて静寂を促す。
その後も順路に沿って進み、いくつかの写真を撮っているとやがて出口に辿り着く。お土産屋は併設されていて出口の真横に入り口があり、そのまま中に入って商品を探した。
さすがオルゴール館というべきか品揃えは豊富で、丁寧な作りに目移りしてしまう。ピアノの形をしたオルゴールもあれば、花の形をした物なんかもあって、その種類は軽く100を超えていた。
「ん~ゆーくんはどれがいい?」
「そうだな……これなんかどうだ?」
見せたのは木箱のオルゴールで小さめのサイズだが、商品紹介に店舗人気のベスト5と書いてある。コンパクトなサイズが女性への贈り物としても喜ばれるようで、木箱の種類も豊富にあった。
「わ~可愛い~。あ、蓋を開けたら中が見えるんだね」
音が鳴っている間は蓋を開ければ中が見えて、ストッパーで開けたままにしておくのも可能と書かれている。確かに俺が知ってる物はただ音が鳴るだけで、どう動いてるのか知らなかったし、実際に動いてるところを見れるのは楽しいかもしれない。
「うむ! じゃこれが第一候補で!」
「あいよ。ゆめは他に何か良さそうなの見つけたか?」
まぁ例によって手を繋いでいるのだから、そう簡単には見つからないだろう。
店内は広めで、じっくり見ていると時間がかかってしまう。かと言って手を離すなんて選択肢はない。
「まぁまだ時間はあるし、のんびり探そうぜ」
そろそろお昼になるし、敷地内にはイタリアンレストランがある。そこで景観を眺めながら優雅に食事が出来るのもおすすめのデートコースだそうだ。洋食はあまり食べないが、レストラン紹介のコメントは好評なものが多く、おすすめの星は4つもあった。これなら期待は出来るだろう。
店内を歩き、ゆめは「むぅ~むぅ~」と小さく呻りながら物色する。
そんな真剣に悩まなくてもいいと思うが、記念だからこだわりたいんだろう。
「あっ……」
「いいのあったか?」
足を止めたゆめはおずおずとそれを手に取って、憂いを帯びた表情を見せる。
「うん……これがいい」
手に取ったのは今の技術で作れる対のオルゴールで、モチーフに小さな男女の姿が描かれていた。館内にあったものと内容は同じものでどちらかが欠けてしまうと音は鳴らない。まぁ失くしてしまっても注文すれば同じ商品が買えるみたいなので、音が失われる心配はないだろう。物をよく失くすゆめでも、これなら大事にするだろうし。
「そうだな。これにするか」
「うん! ありがと、ゆーくん。大好きだよ」
意見合致したのでオルゴールを持ってレジで精算し、外に出る。
「ゆーくん、お腹空いた~」
「はいはい、じゃあそこに行くか」
ゆめの手を引っ張り、目的のレストランに向かう。
いつになったら俺は言えるのだろうか。……もう少しだけ待ってもらえると助かるな。
お昼時だからかレストラン内は少し混み合っていて数分待った後、俺達はテラス席に案内される。外の空気を吸いながら食べられるのも悪くない。雨が降っていたら最悪だったろうが。
テーブルにメニュー表は二つある。だが……これも仕方ないだろう。注文するまではこのままでいいか。
「ねぇねぇ、ゆーくん。どれがいいかな?」
隣の席に座ったゆめは目を輝かせてメニュー表を見ている。主にパスタが主力のようで、本日のおすすめは季節の野菜を使ったものらしい。セットにはサラダとデザートが用意されていて、俺はおすすめのパスタセットと飲み物を頼み、ゆめは他のパスタを注文した。
ゆめ曰く同じ物じゃ意味がないらしい。
しばらくすると注文したドリンクが運ばれてくる。
「わ~すごい! フルーツがたくさん入ってるね!」
「ネットで見たけど結構美味しいんだって」
俺が頼んだのは店舗オリジナルの紅茶だ。ポットのまま提供され、中には色とりどりのフルーツがふんだんに詰められている。最初は紅茶をそのまま飲み、あとは好みで中のフルーツを食べながら楽しむものらしい。
「じゃ私がいれてあげるね」
「火傷するなよ?」
少しばかり危なっかしい様子を見せたが、二つのカップに無事淹れ終わるとゆめは「えっへん」と胸を張って紅茶を俺に差し出す。
「どうぞ、ゆーくん」
ゆめから紅茶を受け取り一口飲む。
想像していた以上にフルーツの甘みを感じられ、自然と感嘆がこぼれた。
喫茶店で時々紅茶を飲んだりもするが、正直これが一番美味しい。砂糖やミルクを必要としなく、素材の味で紅茶を引き立てている気がした。
これにはゆめも気に入ったようで「美味しい~」と表情を綻ばせながら飲む。
「中のフルーツも食べてみれば?」
ポットの隣にフルーツを取るための道具が用意されていて、ゆめは頷いて中に入っていた数種類のフルーツを取り出す。
パイナップル、オレンジ、メロンなどなど。
「ん~すっごく甘くて美味しい!」
「それなら良かった」
こんなにも喜んでもらえるなら調べた甲斐がある。
「はい、ゆーくん。あーん」
あぁ、やっぱりここでもしないといけないのか……。
「あーん……確かに美味いな」
コメンテーターではないので食レポなんて出来ないが、もしもこの場所に来たのなら一度は注文をおすすめしよう。値段以上の価値がある。
「ほら、ゆめ」
俺がされたのであれば今度はゆめの番で「あーん」と口を開けてフルーツを口に入れた。
「むふふ~よきよき~」
「ったくいつの時代の人だよ」
もう周囲の視線なんか気にならなくなっていた俺はその後も交互に続ける。そして隣に人の気配を感じ……料理を運んできた店員さんが微笑ましい光景を眺めるように笑みを浮かべていました。
「わ~ゆーくん、美味しそうだね!」
俺以上に周囲の視線が気にならないゆめは、テーブルに並んだ料理を興奮した様子で見ていた。
確かに料理の香りと立ちのぼる湯気が想像力を働かせる。まず間違いなく美味いだろう。だが俺の心は今さっき通常運転に戻されたばかりなので、落ち着くにはまだ時間が必要だった。
しかしゆめは全く気がついていなく、フォークにパスタを絡ませ「ゆーくん」と猫撫で声で俺を呼ぶ。
向かいの席に行くのかと思いきや隣にいたほうがしやすいみたいで、やけくそ気味に口を開いてパスタを食べた。
「どう? 美味しい?」
「美味い。美味いんだよな……」
美味いのに涙が出てきそう。
こうなったら店内で一番甘々な雰囲気を作ってやる!
「ゆめ、あーん」
「はーい」
そして俺達は料理を全部食べ終わるまで見事完遂させ、最後の一口を食べた時には──もう胸焼けいっぱいでした。
例によってとは言いたくないが、会計を終えた後店員さんには祝福の言葉を頂き、ゆめは元気よく「ありがとうございます!」と返事をして店を出る。
色々と疲れたが、のんびり休んでいる暇はない。牧場へ向かうバスがあと5分ぐらいでやって来る。ただその時間で俺達は一枚の写真を撮った。
旅行に来てから初めて撮った写真。
携帯の画面には幸せそうな表情のゆめと、照れてそっぽを向いてしまった俺が仲睦まじそうに映されていた。
バスに乗って1時間ほどで次の目的地である牧場に着き、俺達はまず触れ合いコーナーに足を運んだ。
ここにはウサギやカピバラ、大きい生き物だとアルパカを触ったりできるらしい。人間に慣れているのか、動物達は大人しく触られていて、ゆめは気持ち良さそうに頬ずりしていた。
「ん~もふもふ~」
「あんまりしつこくすんなよ?」
何かの本で読んだ記憶があり、動物は人間に触られていると少なからずストレスを感じるのだという。まぁ結局は人の主観で語られた見解だから実際どうかは分からない。ただゆめに抱っこされているウサギは心地良いのか欠伸をして目を細めていた。
「ゆーくんも触ってみなよ?」
「俺はいいって。見てるだけで楽しいし」
微笑ましい光景は見るだけで心が和らぐ。
「ゆめ、写真撮るぞ」
携帯のカメラを構えてボタンを押す。最近のカメラ性能はデジカメいらずみたいで、設定をすれば背景をぼかしたり、人の肌を綺麗に撮れたりする。まぁ俺には使いこなせる物ではないので、通常機能で撮影したがそれでもよく撮れていると思う。
「見せて、見せて。ん~私もっと可愛いと思う」
「悪かったな。俺の腕じゃこれが限界だ」
十分可愛く写っていると思ったが、女の子に天井はないらしい。
「ねぇねぇ、ゆーくん。アルパカさんにご飯あげれるんだって」
ゆめが指さしたのは付近にあった販売所で、そこでアルパカが食べるエサを買って食べさせれる。一回500円と手ごろな値段だ。
どうやらエサをあげたいようなので、販売所でお金を払いエサをもらってゆめに渡す。
「わっ、わっ、すごいむしゃむしゃ食べてる!」
柵の外からゆめがエサを差し出し、アルパカは慣れた様子で食べ進めていた。どうやらここのアルパカは、飼育員の調教で人間は美味しいご飯をくれる生き物と覚えさせている。だから危機感を持たずアルパカはエサを食べるそうだ。
「ゆーくん、一緒にやろ~?」
「はいよ」
見ているだけでいいのに、あまりにも楽しそうだから俺もしたくなった。……というのは建前で実際はもっと近場で見たかったのだ。何を? アルパカを? そうしておいてくれ。
「すごーい! たくさん食べるね!」
「好物が目の前にあれば食べずにいられないんだろ。ほら、ゆめだってケーキがあると我慢出来ないし」
「そそ、そんなことないもん! 多分……きっと、多分がんば……ゆーくんのいじわる」
「悪かった、悪かった」
へそを曲げてしまったゆめの頭を撫で、次の場所へと向かう。
牧場なだけあって敷地内は広く、ただ散歩するだけでも時間がかかりそうで、俺達は少し足早になりながらも初めて見る光景を楽しんだ。
ちなみに乗馬の体験も空いていたのでやってみたのだが、あれはもう二度とやらないと誓う。
詳しくは省くけど、端的に股関節が死ぬほど痛い。見える景色は感動したのに死ぬほど痛い。
施設内を散策して、歩き疲れると近くにあったベンチに腰掛けてひと息つく。
少しばかり動物臭いが、緑の多い自然は見ていて落ち着くものがあるし、こうしてのんびりするのも悪くない。疲れが出たのかゆめは眠たそうに大きな欠伸をした。
「ゆめー? 起きてるかー?」
「う~ん、おきてる、おきて……ぐぅ」
ご丁寧に効果音をつけてゆめは俺の肩に寄りかかる。間もなくして寝息が聞こえてきて、思わず苦笑がこぼれた。まぁ歩き疲れただろうし、まだ時間はあるから慌てる展開じゃない。
宿のチェックインは18時ぐらいを予定していたし、ここからはバスで40分ほど走れば着く。バスが来るまでの時間はこのままでもいいかもしれない。
俺達がいる場所は穴場というやつなのか、人通りはほとんどなくて、時間の流れがゆっくりに思えた。
町にいれば当たり前に聞こえる喧騒がこの場所にはない。
聞こえてくるのは遠くの笑い声と、吹き抜ける風の音。木々は風に木の葉を鳴らし、空を流れる雲は優雅にのんびりと泳いでいる。
子供の頃って雲に乗ってみたいだとか、雲を見て綿菓子を連想したりしたが、大人になると現実は苦いものばかりで、現実逃避を願うようになってしまった。
雲のようにふわりと浮かんでいられたら。そうしていられたらどんなに楽だろう。楽だろうが……退屈だろうな。
「むにゃむにゃ……ゆーくん……」
「ゆめ?」
「しょんにゃとこ触っちゃだめぇ……すぅ、すぅ」
「どんな夢見てんだよ」
聞き捨てならない寝言はあとで叱るとして、今は気持ち良さそうに眠るゆめを堪能しよう。
きっと──だから。
「おーい、ゆめー起きろー。そろそろバスの時間だぞー」
バスが来るまでの時間をのんびり過ごし、定刻通りやってきたバスに乗って宿へ戻る。
「ゆーくん、正直に言ってください」
バスの中でゆめは真剣な表情で俺を呼び、
「私が寝ている間、えっちな、あいたー!」
「こら、他の人の迷惑だろ」
「うう、ゆーくんのせいなのに~」
まったく冤罪にもほどがある。
俺達はまだ夫婦でもなければ恋人でもない。ただの幼馴染。そんな相手に何をするはずないだろう。手を繋ぐだけで俺の心は精一杯だ。
「ほら、あと少しで着くから大人しくしてろよ」
頬を膨らませて不機嫌を表すゆめをよそに、俺は窓の外を眺めながら思う。
まだ俺達は──
宿泊予定の宿に戻ると、受付カウンターで手続きを済ませて部屋に移動する。
「ゆーくん! 景色すごーい!」
「おぉ、本当だ」
俺が予約した部屋は一般的な和室だったが、何かトラブルがあったようで別の部屋をあてがわれた。部屋も広くなり、ベランダからの一望できる景色は息を飲むほど。さらに本当に良かったのか、個室の露天風呂が付いている。値段が倍以上違うのに、こんなにも豪勢な部屋を用意されるとは思っていなかった。
夕飯の時間まではまだ一時間ほどあって、俺は部屋の露天風呂へ向かう。ゆめに先を譲ろうと言ってみたのだが、何やら用事があるとかで後で入るという。
この宿には大浴場と併設された露天風呂がある。だがせっかくの機会に、個室の風呂を堪能しないわけにはいかないだろう。少し浮ついた気分で、服を脱いで風呂に浸かった。
「あー極楽、極楽」
開放感あふれる景色と、ヒノキの香りがこの世の贅沢を詰め込んでいると言っても過言じゃない。長風呂は苦手だが、これはのんびりしていられる。
ここがもしフィクションの世界であれば、後から女の子が入ってくるシチュエーションが鉄板だろう。まぁここは現実なのであり得ないんだけど。
「おっじゃましまーす!」
「死亡フラグだったのかな!?」
声が聞こえると同時に俺はお湯に深く浸かって入り口の方を見た。
そこには一糸まと……あ、バスタオルを身体に巻いたゆめがいて、その表情はとても嬉しそうにしている。これはアレだ。してやられたってやつか。
露天風呂から出るにはひとつしかない。そしてそこにはゆめが逃がさまいとしている。ちゃんとかけ湯したか。えらい、えらい……じゃない! 身体を濡らしてしまったら中へ戻すわけにもいかず、俺は完全に退路を断たれた。ちなみに知ってると思うが、温泉にタオルを浸けるのはマナー違反。俺の持ってきたタオルは浴槽脇に置いてある。
あえて言おう。すっぽんぽん。
「ちょ、ゆめ! とりあえず待て!」
「やだ! もう濡れちゃったし」
「まてまてまて」
抑止も虚しく、ゆめは巻いたバスタオルを脱いでお湯に足を浸けた。当然見えてしまう前に俺は反対の方向に顔を向けて、ゆめが今どんな表情をしているか分からない。聞こえてくる水音に一々反応してしまうのは、思春期の男なら仕方ないんだ。
なぜだろう……ちゃっぷんって音は精神力を根こそぎ奪っていく。
「ふぁ~いいお湯~」
「ソウデスネー」
心を無にしないとどうにかなってしまいそうで無我無心に風景を眺めた。
「別にお互いの裸なんて今更じゃん……」
「あのな? それは小学生の時だろ? 中学に入ってからは一度も無かったじゃん」
小学校を卒業するまでは一緒に入ったりしていたが、やはり中学生にもなると身体つきは全然変わる。
「覚えてる。その時も一緒に入りたかったのにゆーくんが意地悪したから……」
「意地悪じゃなくてだな……」
「私はゆーくんになら見られても平気。ううん、見てほしい」
声音が真剣なものに聞こえて、遮るのを俺は拒んでしまう。
「確かに胸だってあの頃より大きくなったし、変わらなかったわけじゃない。でも気持ちは少しも変わっていなくて、ゆーくんが大好きなままの私だよ? ゆーくんのことが大好きで、いつかお嫁さんにしてほしいって思ってる私のまま……。だから大丈夫!」
何が大丈夫なのか意味が分からない。
ひとつも解決していないし、何も分かっていないじゃないか。
恥ずかしくなるような告白をされて、それがまだ『大好きだ』ってすら言えてない相手で、俺は……大馬鹿者だ。
「先に断っておくからな」
「はーい」
よし。これで見てしまっても不可抗力と言える。言い訳さえあれば大丈夫。
「きゃー、ゆーくんのえっと、え、えっちー」
「お前だけは絶対に許さねー!」
これもお約束と言えるのだろう。
色々とあったけれど、風呂は気持ち良かったし、こうして二人で見れたのは結果的に悪くなかった。出来るなら心臓に悪い気がするので今後は控えてほしいけれど。
「ねぇ、ゆーくん」
不意に名前を呼ばれて視線を向ける。
「だぁ~い好き」
脳が思考停止してしまいそうなほど甘ったるい撫で声。
俺は何も言えないまま、飽きるまで風景を眺め続けた。
夕食は宿にあるバイキング形式のレストランで食べる。どんな客層にも対応できるように和洋中と揃えられ、色とりどりの料理はどれも目移りしてしまい、何を食べるか頭を悩ませた。
ゆめ曰くここまで来て日本食だけだと怒るそうで、適度に洋食をつまむ。デザートも豊富な種類が用意されていて、杏仁豆腐やレストラン自慢のプリンはさすが舌鼓を打った。
時刻はまだ20時前で、俺達は食後の軽い運動に外に出て夜の町を散策する。
昼間に見えていた景色とは当たり前に違って見えて、ぽつぽつと続く提灯の明かりを追うように先へ先へと歩いて行った。
周囲のお土産屋はそろそろ閉店時間なのか外に出してある商品を片付け始め、浴衣姿に身を包んだ観光客は、談笑を交わしながら俺達を通り過ぎる。
繁華街から離れると周囲の風景から一気に施設や民家は少なくなり、聞こえてくるのは虫の鳴き声と近くを流れる川のせせらぎだけ。喧騒の聞こえない空間は居心地よく、繋いだ手はわずかに力が込められた。
無言のままゆめに視線を向けると見つめ返してくると思ったのに予想は外れてしまい、その瞳は真っ直ぐ前だけを見ている。嬉しそうに口角は上がっていて、俺も習って正面を向いた。
しばらく歩くと神社が見てきて、言葉を交わさないまま俺達は敷地内へ入る。
さすがに売店は閉まっていたが、せっかくなので賽銭箱にお金を入れてお参りをした。
二礼二拍手一礼。最初の拍手をする時、右手を少し下げて拍手をしたら元に戻す。こうすると神様が宿って願いを叶えてくれるそう。
目を閉じ祈りの中で俺は何を願うかを考えていた。正直に言えば神様に願ってもどうせ叶わないのだからするだけ無駄だと思っている。
だがそんな俺とは対照的にゆめは真剣に何かを願っているようだった。
神様に縋ってでも叶えてほしい願いがある。
なら俺が願うのはひとつしかない。
「ゆーくんは何をお祈りしたの?」
「家内安全とか、まぁそのへん。ゆめは?」
「私はゆーくんとこれからもずっといられますようにってお願いしたよ」
「あー残念。口にしたら叶わなくなってしまうんだー」
棒読みと楽しそうな笑い声。
人生の中で今が一番幸せなのかもしれない。
「ねぇ。ゆーくん。月が綺麗だよ」
「そうだな……」
雲の少ない空に月は煌々と輝き、目を凝らしてみれば表面の模様が見える。
昔の人はうさぎの餅つきと見えたらしいが、俺にはただの模様にしか見えなかった。それでも月の輝きは言葉を呑むほどで、これを愛の告白に例えるのは、さすが偉人といったところだろう。どう足掻いても俺にはハードルが高すぎる。
「愛してるって言葉じゃ伝わらなくて、どうしたって言葉だけじゃ足りないから、きっとお月様の力を借りたんだと思う。大好きな人といつまでもこうしていられますようにって。ずっとずっと一緒にいられますように……」
俺は詩人でもなければ一介の学生で、言葉の裏側に込められた真意を読み解くなんて出来るわけがない。ちっぽけな人間はせいぜいこの手の届く範囲だけ。そして手のひらはゆめと繋がったまま離れていない。
「ずっと側にいたい……。離れたくないよ……」
「はぁ……何を言ってんだか」
「ゆーくん?」
「ほら、繋がってるままだろ。一秒だって離れていない。そりゃさすがにトイレとかは離すしかないが、今日はずっとこうしてる。今更離してほいって言われても無理だ」
「ん~雰囲気が全然なのでマイナス1万点!」
「辛口だな!?」
そこそこいい台詞を言ったと思ったのだが、お気に召さなかったようだ。だがこれは俺の作戦勝ちと言える。
だってさ、好きな女の子にあんな表情させたくないだろ? ゆめにはいつも笑っていてほしい。
「もぅ、ゆーくんのせいで台無しだよ」
「悪かった、悪かった。ほら、少し冷えてきたしそろそろ帰ろう」
どれくらいの距離を歩いたのか分からないけれど、時刻はもう21時を過ぎていた。
寝るにはまだ早いから、宿に着いたら大浴場のほうでも行ってこようかな。時間も遅いし、もしかしたら露天風呂を独り占めできるかもしれない。それに男湯だからゆめは絶対に来れないから安心して入れる。
宿までの帰り道は他愛のない話をして歩き、雰囲気を台無しにしたので明日もこの状態が継続となった。
「ゆーくんの手、あったかくて好き」
「そうか? 自分じゃよく分からん」
反対の手のひらをまじまじと見てみるがやはり分からない。
それから宿に着いた俺達はそれぞれに行動して、日付が変わる前に布団の中へ就いた。せっかく仲居さんが用意してくれたが使う布団は一組だけ。
離れて寝るなんてこの時には考えもしなかったし、ゆめも当たり前のように入ってきた。それが落ち着くらしく、ゆめが俺の胸に顔を埋めてしばらくすると気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。起こしてしまわないようにゆっくりと頭を撫で、欠伸に眠気とゆっくり目を閉じる。
ゆっくり──ゆっくり夢をみるように。
目を覚ましたのは温もりを感じて。
まだ薄暗い部屋の中は物音がなく、聞こえてくるのは一人の寝息だけ。あまりにも気持ち良さそうで、起きしてしまうのは忍びないけれど、意識はもう目覚めてしまっている。細心の注意を払って身体を離し、背伸びと一緒に大きく欠伸をした。壁時計は5時を指している。どうりで暗いわけだ。
早起きは三文の徳というがこれは早すぎるだろう。店も開いてなければ人影もない。だが起きてしまったのは仕方ないので、外を散歩しようかと服を着替えて宿を出る。
5月の早朝は思ったよりも肌寒くて、俺は宿周辺を歩きながら時間を過ごした。日の出を見るにはまだ時間がかかり、かと言って一人で見るのもつまらない。どうせなら二人で見たいと思うのは自然だろう。まぁ起きてくれるかは別として。
夜明け前の雰囲気は静寂が息をしているように自然と物音を立てるが憚れた。歩く音さえ気を付けるようにして進み、階段を上った先にある足湯でひと息つく。
日中は人気スポットなだけあって常に人がいたのに、こんな時間だから他に利用者の姿はなく、のんびりとした時間にホッとため息がもれる。こうして過ごす時間は貴重だから堪能しておかなければ。
帰ればまた慌ただしい毎日が始まるだろうし……。それはそれで嫌いじゃないけれど。
足湯に浸かりながら俺は起きる前を思い出そうとしていた。
夢を見ていたはずなのに、その夢がどんな内容だったのか思い出せない。年齢を重ねると段々夢を見なくなっていき、今ではあれですら久しぶりだった。
決して幸福ではない物語。すでに嘘か真実かを証明する術は無く、時代の流れと共に薄れていつかは誰の記憶からも消えるだろう。俺もばあちゃんから教えてもらったので覚えているが、その内きっと忘れる。それはいつの話かと聞かれても答えようがないが、それでも俺はこの物語を忘れてしまう……そんな根拠のない確信があった。
「そろそろ帰るか」
スマホの画面は6時を過ぎていて、知らぬ間に空の色が明るんでいた。
ゆめがどうかまだ寝ていますようにとお祈りをして宿に戻り、物音を立てないように鍵を開けて中に入る。
神様に祈りが通じたのかゆめはまだ気持ち良さそうに寝ていて、安心感にため息がこぼれると、差し足抜き足忍び足で布団へ近づいた。
油断はまだ出来ない。簡単に説明すると俺は抱き枕状態にされていたわけで、それを元通りにしておかないと離れていたのがバレてしまう。
先ずは布団にゆっくり入って、
「ゆーくんどこに行ってたの?」
「え、あーいや、えーっと」
まさか起きていたとは思わず視線を泳がせる。嘘をつく必要はないけど、怒られそうな気がして、なんと言えばいいか分からなかった。
「ちょっと散歩しにな……ごめん」
謝る必要はなかったようにゆめは「ううん」とかぶりを振る。
「いつ起きたんだ?」
「ゆーくんが私の手を離した時からかな」
それ俺が起きた時と同じじゃん。もうあの時すでに目が覚めていたのか。
「それなら一言いってくれても良かったじゃないか」
寝たフリを責めるわけではないが、どうして何も言ってくれなかったのか不思議に思った。もしも起きていると知っていれば二人で散歩が出来たのに。
「秘密」
「なんだそりゃ?」
「女の子には色々あるのです。それよりもう少しだけ……ね?」
ゆめは言うと同時に俺の胸に顔を埋めた。
目が覚めてもまだこうしていたい。そんな思いが伝わってきて、俺は仕方なく無抵抗でそれを受け入れる。
朝ご飯にはまだ時間あるし、俺もこうしているのは嫌いじゃない。ただヘタレ男子には腕のやり場が困ってしまい、結局抱き枕のように真っ直ぐいるしか出来なかったけれど。
「ゆーくんに匂い、私好きだな……」
「どんな匂いだよ」
「ゆーくんの匂いはゆーくんだよ。ん~例えるならお日様よりも私を温かくしてくれる」
太陽と比べられて勝ってしまった。
「お褒めに預かり光栄だ」
そんな風に言われてしまえば、どんなに駄目な男でもどうするか、何をしないといけないのか分かる。考えるよりも先に身体が動くってやつで、俺は自然とゆめを抱きしめていた。
言葉が必要ない時、俺は何が出来るだろうか? 抱きしめるだけじゃ足りなくて、その先を進みたいと思っても、あと一歩がどうしても遠い。埋めていたはずなのに、今は俺の顔を上目遣いでジッと見つめている。何も言わずにただジッと見つめていた。
それに俺は正しく応えたい。
そっとゆめは目を閉じる。
「……ゆーくん?」
「えっと……その……今はこれでお願いします」
ヘタレはやっぱり簡単には治らない。なので俺がしたのは唇じゃなくておでこです。ここなら恥ずかしさも多少和らげる。ただこれも当然と言えば当然で、納得してくれなかったゆめにはそれから家に帰るまで無茶ぶりをされ続けた。端的に言うなら付き合いたてのバカップルが初めて二人きりの旅行に行った時を思い浮かべてくれると助かる。
もう恥ずかしくてお嫁にいけない……って嫁じゃないっての!
かくして俺達の一泊二日温泉旅行は無事に終わった。多分だけど……。
そして俺達の日常は進んでいき、5月8日を迎える。
その日は朝から雨が降っていた。
雨が降っていたからなのかもしれない。
《いつもの時間に来なくて、時間いっぱい待っても来なくて、仕方なく学校に行っても姿はなかった。どうせ寝坊したとだろう》誰かに聞いて回るのも手間をかけるのが申し訳なく、自分の席に着いて呆然と窓の外を眺める。
弱弱しい印象は涙のように思えて、雨は午後になっても止む気配をみせなかった。
その日の授業が終わると、俺は自宅ではなく別の場所へ向かう。
結局学校に来なかったし、もしかすれば風邪を引いているのかもしれない。スマホに連絡はなくて、具合が悪いのであれば俺から連絡するのも迷惑かと控えていた。
途中にあるコンビニで栄養剤を買い、雨の中をただただ歩いて行く。やがて目的地の屋根が見えてきて、玄関の前で深呼吸をした。インターホンを押すと、女性の声で「はい」と聞こえたので安堵した俺は名前を告げる。すぐに玄関の鍵が開けられて、ドアの向こうには知った女の子の姿があった。
「こんにちわ、希ちゃん。体調大丈夫?」
「お見舞いに来てくれたんですか? ありがとうございます! もう熱はほぼ下がって身体が少し気怠い程度ですよ」
「それでも油断大敵だよ。はい、これお見舞いの」
買ってきた栄養剤を渡すと希ちゃんは嬉しそうに受け取ってくれ「せっかくだから」と俺を家の中に誘う。一人でいるのに退屈していたのだろう。長居をしなければ問題ないか。
お言葉に甘えて中に入ると、そのまま希ちゃんの部屋に案内された。階段を上がって右奥の部屋。隣にも部屋があって《そのまま》になっている。
女の子の部屋に入るのは何歳になっても慣れそうになくて、独特の甘い香りは俺から落ち着きを奪った。かしこまるようにクッションの上で正座をしてしまい、それを見た希ちゃんは面白おかしそうに笑みをこぼす。
「そんな緊張しないでください」
「あーうん。そうなんだけどさ」
知り合いでも緊張しないのは無理がある。良し悪しでいうなら居心地は最悪だ。
気分を紛らわせようと、天気ネタで会話を始め、その日あった出来事を伝えていく。とは言っても今日は雨が降ってるとか、いつも通り授業は寝ていたとかそんな程度しかない。
希ちゃんは今日ずっとスマホを触っていたと話す。病人なのにと思ったが、誰かの連絡を待っていたそうで、残念ながら未だ連絡はないらしい。
「まぁ直接来てくれたので及第点ですが、来るなら連絡欲しかったです。そしたらちゃんとオシャレして待ってたのに……」
少しだけ頬を膨らませる希ちゃんの頭をいつも通りに撫でる。
「むぅ~結弦さん? そんな簡単に騙されないんですからね?」
「分かってるよ。ほら、興奮すると身体に悪いからもう休んで。ね?」
まだ若干納得していない様子を見せていたが、寝るまで頭を撫でるって条件付きで、希ちゃんはゆっくりと目を閉じる。間もなくして寝息が聞こえてくると、俺は物音を立てないように部屋から出た。買ってきた物を冷蔵庫に入れておきたい。
「ゆーくん、ありがとね」
「いや、別にこれぐらい気にするな」
部屋を出たらすぐそこにゆめがいて、二人で一階のリビングへ向かった、
「あの子、昔から身体弱かったからなぁ。姉としては心配なのですよ」
「確かにゆめとは対極的だしな」
ゆめが風邪を引いたのは小学校のころ一度きりだけ。
それに対し希ちゃんは一カ月の内に多ければ三度、風邪を引いた時があった。年齢を重ねると徐々に改善されてきたが、それでも一カ月に一度は必ず体調を崩す。原因は分かっていなく、病気かどうかすら分からない。断定できないから治し方なんてなくて、自然に回復するのを待つしか出来ないものだった。
「でもゆーくんがいてくれたら私は安心するよ。ゆーくんがいてくれたら心強い」
「ただの高校生に過度な期待すんなよ」
「そうだね。それでもきっとゆーくんは希を助けてくれる。だってゆーくんだもん」
「なんだそりゃ。まぁ……やれるだけはやるさ」
この手に届く範囲なら出来るはず。
ちっぽけな人の手のひらに掴めるものは多くなくて、失ってばかりだけど今度こそは……。
手のひらを見つめ、声が呟かれた気がした。
「結弦さん、ここにいたんですね」
リビングのドアが開くと同時に、向こうから希ちゃんがやって来て、安堵した表情を浮かべる。
「帰っちゃったのかと思いましたよ」
「ごめん、ごめん。ちょっと話をしていてさ」
「話……ですか?」
不思議そうに首を傾げる希ちゃんは辺りを見まわす。
そして──俺は今何を言ったのだろうか……。
「お父さんかお母さん帰ってきたんですか?」
「ううん、ごめん。勘違いだったよ」
「変な結弦さん」
くすりと笑みを浮かべ、そのまま歩いて俺の隣に腰掛ける。少し熱が上がってきたのか、顔が赤い。
何かを言おうとしたが、それは出来なかった。
だって仕方ない。塞がれたら仕方ない。
「……ほら、もうおじさん達も帰ってくるだろうし、部屋に戻ろう。俺も帰るからさ」
気付けばもうここへやって来てから2時間ほど経っていた。さすがに俺も家に帰らないと晩ご飯の用意が間に合わない。
「私は……私じゃダメですか? 私は結弦さんが好き……です」
吐息が触れる距離で、火照るほど熱い想いに俺は言葉を探す。なんて言えば傷付けないのか? どうすれば正しい答えが言えるのか? 頭の中にある言葉を全て引っ張り出しても無理な気がしていた。
言えたのは「また来るね」と逃げるように別れの言葉だけ。それに希ちゃんは何も言わず、見送りに来てくれて、玄関のドアが閉まるまでずっと離れなずにいた。
石のように固まって動けなかった俺はスマホを取り出して、メールアプリを開く。
最後の更新は7年前の5月8日。
宛て名は──と書かれていた。
5月1日。今朝も時間通りに目が覚める。
朝食のメニューはいつも白米と味噌汁。日本人といえばやはり米だ。米は美味いし、マジで美味い。あ、美味いしか言ってないけど祖父母が作る米はマジで美味いから。新潟のコシヒカリ? あぁ、あれよりも上に決まってんだろ。ばあちゃんとじいちゃんなめんな。
お家自慢はこのくらいで、我が高里家にはルールが3つある。
ひとつ、ご飯は残さず食べましょう。
ふたつ、ご飯は美味しく食べましょう。
みっつ、ご飯は家族揃って食べましょう。
一人で食べても美味しくないし、家族一緒に暮らしているんだから当然だろう。だが祖父母は朝から畑仕事に出ていて、今この家には俺しかいない。ゆえに朝食はふたりで食べるのがいつもだった。
「ったくやっと来たか」
来訪を知らせるチャイムが鳴り、俺は誰かも確認しないで玄関のドアを開ける。いや、だってこんな田舎町で不審者とかいないし、朝食の時間に来るのはあいつしかいない。
「こら、遅いぞ」
「 」
玄関前には《 》がいて、とりあえず謝ってみせる。こいつの寝坊癖は随分昔からだからもう治らないと諦めているが、一応怒らないといけない。
「いいか? ちゃんと目覚ましセットするなり」
「 」
高里 結弦。これが俺の名前。
《 》とは同じ高校に通う同級生で、子供の頃からいつも一緒にいる。端的に幼馴染って関係だ。家はそんなに離れていなくて徒歩で5分程度の場所にある。家族構成は両親二人と妹が一人。妹は今年高校受験を控えていた。
「 」
「はいはい。それもうだいぶ前に聞いたから」
《 》はとぼけたたフリで首を傾げては美味しそうにご飯を食べ進める。簡単な料理でも美味しそうに食べているのを見てるのは嬉しいものだ。
「ほっぺたにお弁当つけてどこいくんだよ」
言いながら少し呆れて《 》の頬に付いていた米粒を取って口へ運ぶ。うむ、やはり米が一番美味い。最近だと炊飯器の中に氷を入れて炊いたりする。そうすると普通に炊いた時よりも米の甘みが増しているのだ。
「 」
「意味分からん。早く食べないと遅刻するぞ」
時計の針は更に進み、そろそろ家を出ないと遅刻してしまう時間に迫っていた。食器を水に浸けて、支度を終わらせて玄関を出る。
「あら、ゆーくん今から学校?」
「うん! 洗い物は帰ったらするからごめんね! 行ってきますー」
「 」
背中に返事をもらって俺達は学校を目指した。
家から学校までは徒歩で30分ほど。昔はバスも走っていたけれど、年々減ってきた人口に学校付近のバス停は無くなってしまった。歩けない距離ではないし、バスを使えばお金も必要になる。ただでさえ学費を払ってもらっているのに、余計な出費はさせたくなかった。
高校の生徒数は田舎町だからか多くはなく、各学年に3つしかクラスがない。中学校と隣接していて、地域にに住んでいる子供は大体ここに通っている。中には都内の高校へ進学を希望する生徒もいたらしいが、その後どうなったのかは知らない。
俺と《 》は何の因果か小学校から今の今まで同じクラスで席替えをしても隣同士。周囲からは「夫婦」なんて呼ばれてたりするが、小さい頃の約束をいつまでも覚えているわけないだろう。……俺と《 》は結ばれない。
学校に着くと靴を履き替えて教室へ向かう。俺は窓側の一番後ろの席で、カバンを机に置いてひと息ついた。何とか遅刻は免れたが、早歩きをしたせいで心臓の鼓動がうるさい。だが遅れそうになった張本人はあっけらかんとした表情をしている。
「 」
「……もらう」
帰宅部だから運動部より体力はどうしたって落ちる。それは《 》も同じはずなのに、なんでこいつは平然としていられるんだ? あぁ、そいえば昔から体力バカだったな。
子供の頃、夜の森を探索しようとかで二人で出歩き、そのくせ方向音痴だから迷子になって遭難しかけたんだが、無尽蔵の体力は俺をおぶり、止まらずにひたすら歩き続けたんだっけか。あれ? あの時はどうやって家に帰ったんだっけ? もう7年も前の話だから記憶が曖昧だ。確か森のどこかに着いて、そこで何かを見て、そのまま寝てしまい起きたら朝になってたような……。
まぁ忘れてしまったのは仕方ない。それに覚えていなくとも大丈夫だろ。
《 》からペットボトルを受け取り一口飲む。渇いた喉には冷水が一番美味くて腹の底にしみわたる気がした。
「 」
「ブッ! お、おま!?」
「 」
確かに家族同然に育ったから今更ではあるが、思春期の俺には言い訳が必要だ。子供の頃の話ならそれで問題ないが、高校生にもなって女子と間接キスは端的に言って恥ずかしい。友達に見られでもしたらなんて言われるだろうか……。あ、もう周囲には夫婦認定されてるし、なんも言われねーか。
「 」
「誰のせいだよ、まったく」
拭き出してしまった水をハンカチで拭き、間もなくして担任の教師が教室にやってくる。
変わり映えのしない風景。退屈な毎日。
あれ……何かおかしい気がする。
何がって聞かれても分からないけれど、なにか……。分からないし、気のせいか。
教室にやってきた担任の挨拶が終わり、連絡事項で転校生がいると前置きされる。相手は女の子らしく、男子の盛り上がりはうるさかったが、教室に入ってきた転校生は気にする素振りも見せずに黒板に名前を書いて前を向く。
「初めまして。雨瀬ゆめです。よろしくお願いします」
その声音に俺は瞬きを忘れて見つめていた。
その子──雨瀬ゆめは不思議な少女だ。
席は空いていた俺の隣で、簡単な挨拶を交し彼女は椅子に座る。姿勢正しく真っ直ぐ背筋を伸ばして、眠くなるような授業も人一倍真剣な様子で受けていた。
これだけなら一般的に真面目っていえるのだが、俺が気にしたのは他人との距離感。特に言えば俺との距離感が人と違う。関わりを極力避けている……そんな感じだ。
転校初日は緊張もあっただろう。挨拶は交してもそれ以上の会話はなく、週が明けた7日も特に会話らしいものはなかった。
ただどうしてか雨瀬とは連休中も顔を合わせる機会があって、その時だけは他愛のない話をして時間を過ごす。
本当にどうでもいいような内容で、天気の話だとか好きな食べ物だとかそんな感じの。呼び方も違って学校では名字で呼ぶのに、この数日は「結弦くん」と名前で呼ばれた。
女の子にそう呼ばれると何だかくすぐったい。
お互いの連絡先を交換して、1日数回程度メールのやり取りして、学校で顔を合わせればただの挨拶だけ。気持ちの切り替えでもしているのだろうか? もっともらしい理由を考えてみたが、俺は雨瀬ではないから正解かどうか分からない。聞けば済むだろうけど、気にしていたら悪いから、何となく聞かないようにしていた。
「はいはいーちょっと待ってくれー」
寝転がりながら文庫本を読んでいた俺は、離れておいていたスマホを取りにいく。久しぶりに鳴る着信音。俺の電話番号を知っているのは俺を育ててくれてる祖父母と数少ない友人。滅多に鳴らないから、一瞬なんの音か疑問符が浮かんだほどで、スマホに表示されていたのは友人とは違う女の子。
「もしもし?」
「夜分遅くに失礼します。こちら高里くんの携帯でよろしいでしょうか?」
「いやいや、番号交換してんだし間違いようないだろ」
「万が一ってこともありますよ?」
「はいはい。それで雨瀬、何か用か?」
電話がかかってくるのは初めてで、今日は学校が終わったあと、日課になりつつあるメールをして終わっていた。女の子から電話なんていつぶりだろう……。あ、記憶にないわ。
用件を聞いたのに、雨瀬からはいつも通りの他愛のない話が始まり、それが気付けば壁時計の針が一週するほど時間が経つ。
用がないのなら無理に会話をしなくてもいいのでは?
嫌じゃないけれど続ける意味も分からなくて、適当に相槌をしていると電話口から咳払いと息を吸い込む音が聞こえた。
「明日の放課後、私と付き合ってくれませんか?」
聞こえてきたのはデートのお誘いと取れるものだった。
「まぁいいけど……」
「ありがとうございます。それでは明日は学校が終わったら校門前で待っていてください」
「了解」
その後はすぐ「お休みなさい」と言われたので返事をして電話が切れるのを待った。
悲しかな、女の子からの電話を俺から切っていいものか分からなかったのだ。
「ふふっ、じゃ切りますね。……お休みなさい。ゆーくん」
楽し気な声音は切れる直前に悲しいものに聞こえた。
最後はなんて言ってたのだろう? 小さくて聞き取れなかった。
「それにしてもこれって……」
やはりこれは何を隠そうデートの約束である。
17年間で初めてのデート。
天気は生憎の雨だが、そんなのは些末な問題だ。
浮き足だった俺はいつもより2時間早く眠る。だって眠れなくて体調を崩すわけにはいかない。それにどこ行くのか分からないが、簡単に食べられるお弁当とか用意しようと思う。なので早寝早起きで支度をしなければいけない。
だが──
「羊が35908匹……羊が……あ、もう時間か……」
思春期乙女回路とでも言っておこう。一睡も出来なかった俺は史上最低な体調で当日を迎えたのだった。
渾身の力を振り絞り学校に着いた俺は間髪入れず机に突っ伏す。
もう起きてるのが辛い。少しでも眠りたくて、目を閉じてみたものの聞こえてきた声に反応せざる得なくて、仕方なく顔を上げる。
「高里くん、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪い気がします」
「あ、大丈夫。ちょっと朝まで本を読んでただけだから」
虚勢を張ってみせると、雨瀬はそのあと何も言ってこなかったが、届いたメールに「夜更かしはめっですよ?」と書かれていた。
本当の理由はバレてないようなので良しとしておこう。
それにしても高校生にもなって「めっ」はないな。うん。……いや、やっぱりありで。
1日の授業は滞りなく終わり、先に教室を出て待ち合わせ場所の校門前へ足を運んだ。
弱弱しい雨はいくつかの名前を持ち、その中でも今を例えるならこれは涙雨が合う。俺は詩人でも小説家でもない。けれどこの雨は誰かの涙に思えていた。
しばらくすると昇降口から雨瀬の姿が見えて、合図もなく同じ方向へ歩き出す。
クラスメイトはおろか他の誰も知らない秘密の逢引。まだ始まってすらないのに胸は高鳴り、そしてどうやらそれは雨瀬も同じようで、ちらりと見えた傘に隠れていた口元は緩んでいた。
「それでどこ行くんだ?」
周囲に同じ学校の生徒がいなくなるのを見計らって声をかけると、雨瀬は「秘密です」といって道なりを歩く。段々と人気がなくなっていき、俺達は宛てもなく歩いているような、そんな気にさせられた。まぁそれでも嫌じゃないから問題ないのだけれど。
そうこう歩いて行くとある場所に着く。そこは俺が小さい頃、遊んでいた森で苦い思い出がある場所だ。まぁその時に比べて心身共に成長したけれど、まさか当時は迷子になるとは思わなかった。夜の森ダメ絶対。
今はまだ夕方前だし、高校生にもなって迷子にはならないだろう。でも雨の森は不気味でどちらかと言えば行きたくない。だが雨瀬は躊躇なく中へ進み、仕方なく俺も後に続いた。
「なぁ、雨瀬ってここ詳しいのか?」
森の中を少し歩いて、ふと尋ねてみた。舗装されているし樹海ってわけじゃないが、それでも初めて来る場所だったらもう少し足取りは迷ってもいいはず。けれど雨瀬は一直線に目的があるように進んでいる気がしていた。
「……それも秘密です」
「マジか。秘密多すぎじゃね? 悲しくて泣いちゃうよ?」
「ん~じゃヒントを1つあげます! ばばーん!」
「え、あ、はい」
効果音を声にしたのはこの際、気にしたら負けだ。
出されたヒントは……全くもって意味が分からない。
この町にある古い言い伝え。夢を見る少女。命と引き換えに望んだ夢を見た物語。それがなんのヒントになるのかさっぱり。というより雨瀬はどこで知ったのだろうか? 疑問だけが膨らみ、空模様と同じ気持ちのまま、後を追って奥へと進んでいく。
やがて見覚えのある場所へでると、どうやらここが目的地だったようで、傘を畳んだ雨瀬は空へ向かって背伸びする。
枝葉の雨宿り。大きな広葉樹の周りは不思議と濡れていなくて、樹の幹に背中を預け俺達は芝生の上に座った。
しばらくの間は沈黙が流れ、雨音だけが耳に届く。
何かを話すべきなのか、それともこのままでいいのか。答えは多分どっちでも良かった。だから俺は息を吸い込んで話し始める。
それは俺が見た夢の話。誰かと会話していたはずなのに、それが誰だか思い出せない。
「大切な人だと思うんだけどさ……」
本当に大切な人なら忘れない。忘れられないはずだ。
「結弦くんはその……夢の女の子が気になる?」
「まぁそうだな。思い出したいけど、なんていうか靄がかかってる感じで気持ち悪い」
大袈裟かもしれないが、本当にそんな感じだった。
「……これが最後だもん。しょうがないよ」
呟かれた言葉に首を傾げ、雨瀬はとある物語を語る。
神様に愛された少女は夢を現実に変える力があった。それを知ったのは子供の時で、ある日に小さな願いだったと話す。子供らしく可愛いもので、聞けば誰もが笑みをこぼしてしまうような、そんな小さな願い。何度かそれを繰り返すうちに気付いたと話した。
「でも代償があるのを忘れてて……」
神様が少女に貸した代償は認識を失くす。最初は町で挨拶をしていた程度の間柄で、徐々に親しい友人へと少女は人々の記憶から消えた。見えているのに見てくれない。力の代償は取り返しのつかないところまでいく。残るは家族とある友人だけ……。
力の代償を両親に話したところで、子供の戯言だと信じてもらえるはずもなく、話したのは親しい友人の男の子。子供ながら将来を誓い合いたい相手だった。
男の子は大人が戯言と切って捨てる少女の言葉を当たり前のように信じ、二度と使わないように約束を交す。
そして悲劇は起こった。
どこにでもある悲劇で、男の子が流行り病にかかったのだ。薬を飲めば症状を抑えられるけど、完全に治すには自然治癒しか期待できない。決して致死率は高くない病気だった。
大人であれば……。
予想通りと言いたくはなかった。
男の子は日を追うごとに衰弱していき、もう助かる見込みがないのは誰の目から見てもなくて、少女は愚かにも男の子を連れ出して町を歩く。どうしてか? ここにいても治らないと思ったからだ。
隣町には大きな大学病院があって、そこでならこんな田舎町よりも施設が整っている。それに気付かない親はいない。男の子の場合はすでに両親は他界して、祖父母に育てられていたが、それでもすでに大学病院で診てもらっていた。
愚かな少女は微塵も疑わずに、子供の足では辿り着くのにどれくらいの時間も分からず、町を目指す。
近道と雨が降る夜の森へ入り、もはや満身創痍の中、息が弱くなった男の子を連れて歩く。
もう無理だった。どうしようもなかった。足を滑らせ地面に転び、泣きたい気持ちを我慢して立ち上がろうとする。
男の子は息をしていなかった。
青ざめた表情。冷たくなった手足。どこを触っても生きていない。少女は必死に名前を呼び続ける。
神様の気まぐれか、重たく閉じていた瞼は弱弱しく開かれ、
「大好きだよ……ゆめちゃん」
告白と共に男の子は息を引き取った。
大切な人を自分のせいで死なせた。悪戯に苦しませ、それなのに「好き」と言われてもう出来るのはたったひとつ。代償を気にしている場合じゃない……少女には──雨瀬ゆめには夢を現実にする力がある。
結弦の身体を抱きしめ夢を望む。
神様はその夢を叶え、代償は──
「思い……出した……」
どうして今まで忘れていたんだ。ゆめは幼馴染でずっと一緒にいた。大好きで大切な人なのに、忘れていたなんてどうかしている。
「ごめん、ゆめ。でもどうして……」
「それが私の代償だから」
家族からも、そして俺の記憶からもゆめは消えた。
「でも、俺は思い出せたし、多分きっと」
その表情に最後まで言葉は出せなくて俺は涙を堪える。
「最後に言って欲しいな……」
「最後ってなんだよ」
堪えるなんて無理な話で、涙はどうしようもなく流れ、声は言葉にならない。
「わかってるくせに。ゆーくんの意地悪」
「無理だ……嫌だ……絶対嫌だ……」
何とか声に出してかぶりを振る。
だが優しい声音と共に抱き締められ、決壊した涙はもう前が見えなかった。
「ゆーくん」
「……好きだ。大好きだ。ゆめ……大好きだ」
「うん、うん……ありがとう。私も大好き」
「嫌だ、忘れたくない、忘れたくない……ゆめ……」
「うん、うん。いっぱい愛してくれてありがとう。あなたと会えて私は──」
世界には色々な言い伝えや物語がある。
そのどれもがハッピーエンドとは限らないし、中には目を逸らしたくなるような悲しい結末もあるだろう。
けど──やっぱり最後には笑顔でいたい。
だから俺は夢を見る。世界を壊してでも夢を見る。
「ねぇねぇ、ゆーくん、ゆーくん!」
「騒がしいっての! やっと寝付いたんだぞ」
「あ、本当だ。ふふっ、本当にゆーくんそっくり」
「ちゃんとゆめにも似てるよ。元気な子に育つはずさ」
「それ私がわんぱくだったって言ってない?」
「気にすんな。それで何かあったのか?」
「すっかり忘れてた。あのね……私すごく幸せです」
「俺もだよ」
夢を現実になんて非常識だ。
それでも夢が叶うなら願うのはたったひとつ。
物語はハッピーエンドに。
夢を見る子供 もち米ユウタ @mochi0410_yuuta
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