恵美の一日
@ns_ky_20151225
恵美の一日
朝日に背中を照らされながら女の子がひとりあるいている。その先には学校としてもつかわれている公民館がさえぎる建物もなく見えている。道の両脇には瓦礫がまだのこっているがだいぶかたづいてきた。それでもきのうの夜の雨がかわくにつれてむっとする磯の臭いがただよう。ごみたちは海水に浸かった日をまだわすれておらず、雨水が思いださせる。
少女は虹の色の水たまりをとびこえ、おちていた枝をひろおうとしたが、手をのばしたところで臭ったのでやめた。
教室にはまだだれも来ていなかった。いちばんまえの机にかばんをおいて、うしろの大きいいすにすわってみる。中学のものなので足がぶらぶらした。そのまま外を見る。ずっとむこうで青い空と海がくっついていた。
「おはよう。恵美ちゃんいつも一番だ。いいよ、すわってな」
その席のお姉さんが入ってきた。笑いながらかばんを机にかけ、恵美の頭の右をなでる。左側は頭と顔、首にかけてつやのない桃色の膜に覆われている。
「おはよ。足、とどかない」
「すぐ伸びるよ」
ほかの子たちも登校してきた。大中小の席がそれぞれ埋まっていく。
「おはようございます」
先生たちもきた。ふたりは見まわすだけで出席は取らない。みんなそれぞれの教科書とノートをひろげた。一年から四年までを見る先生がまえの席から宿題をしらべていく。五年から中二の先生はプリントを配って試験をはじめた。
「よくできました。でも、ちょっとおしい。木下さんはおちついて見なおしをしっかりやりましょう。考えかたはわかってるのにもったいない」
「はい」はっきりと返事をする。
でも、先生は大きな花丸をくれた。そうして恵美の教科書に線を引き、十分ほど説明をしてつぎの子にうつる。恵美はあたえられた課題をこなす。きょうは文章から式を作る問題だった。止まることなく答えを書いていく。しばらくして書きおわったがまた一問目から見なおす。
左肩をもぞもぞ動かす。また見なおしにもどる。また動かす。手をあげる。
「ひとりで行ける?」
「はい」元気よく答える。
保健室は公民館の医務室で、診療所とある急ごしらえの看板も出ている。お年寄りたちが診察を受けに集まっていた。恵美を見て順番をゆずってくれる。そのひとりひとりにありがとうございます、と礼をし、みんな微笑んだ。
白衣の先生の質問はいつもと同じ。「かゆいのはどのあたり?」「いつから?」「どのくらいむずむずする? がまんできないくらい?」
答えを聞くと、星のしるしのついた箱から親指の爪ほどの薄茶の丸いパッチを取りだして首の右に貼った。
「それ、なんて書いてあるの? 英語?」星のしるしの箱を指さす。
「そう。アメリカ陸軍、医療救援物資って」
「わかんない」
「わからなくていいよ。じゃ、いつものとおり給食の前にはがして、ここに返しにくること。わかった?」
「はい」いつも大きな声。
教室にもどるとひらいたままだったノートに丸がつけられていた。「よくできました。休み時間にしていいよ」
丸をもらい、早めの休み時間。恵美は機嫌よく窓際に行くと、上着をずらして左肩と上腕も日光にさらした。桃色の膜は首から続いてそのあたりも覆っている。
「きょう体育じゃなかったっけ」「あしただよ」ほかの子たちも休み時間になり、そんな話が聞こえてきた。「運動場だけじゃなくて、学校にもどりたいな」「校舎なおさないのかな」「父さんがいってた。お金も物も地方は後まわしなんだって」「いつまで?」「知るかよ」
女の子が恵美のそばに来た。窓枠から両手をぶらんとさせる。
「学校って楽しいのかな。このみ、ここしか知らないから」
「恵美も知らなーい。上の子でしょ。もどりたがってるのは」
「そうだよね」その子の目が、恵美の桃色の部分をたどる。「それ、痛くないの?」
「痛くないけど、ときどきかゆい」
「さっき出てったのも?」
「そう。これ貼るとおさまる」と首の丸いパッチをなでる。「あとお日さま。日の光をあてるといいんだって」
「それほんとはなんなの?」
「おい、ごちゃごちゃ聞いちゃだめって先生いってただろ」六年が口をはさんできた。女の子は口をとがらせるとだまって自分の席にもどった。
また授業が始まった。国語。物語に出てくる漢字を書きとめて練習する。
「木下さん、書き順通りに」おわったノートを出すと注意された。
「書いてるとこ見てないのに」
「字を見ればわかります。書き順まもって書いてないなって。そこはやりなおし」
さっきは一番に休みになったのにこんどは最後だった。
そうやって午前の授業が終わって給食の時間になり、パンと具のいっぱい入ったポタージュスープが運ばれてきた。恵美は先生にことわって先に保健室にいった。
「それ捨てないの?」はがしたパッチと左肩のところの膜に四角い機械をあてる医者を見ながら聞く。「捨てないよ。ちゃんと効いてるかしらべなきゃ」そういってパッチを袋に入れてしるしをつけた。袋には箱にあるのとおなじ星と『U.S.ARMY』という文字が見えた。
教室にもどって自分のパンとスープをうけとる。パンをトースターに入れ、スープを電子レンジで温めた。
「さっきはごめんね。よけいなこと聞きすぎた」
「いいよ。みんな聞きたがる。わたしはおぼえてないけど、赤ちゃんのころはニュースとかいっぱい出たんだって」
「恵美ちゃんいつ生まれ?」
「五月二日。このみちゃんは?」
「わたし三月十二日。じゃ、二年だけどべつにお姉ちゃんじゃないね」
「二年生なのに?」熱いスープをまぜてさましながら首をかしげる。
「あのね、よくわかんないけどお父さんに教えてもらった。カレンダーの一年と学校の一年ってちがうんだって」
「そうなの?」
「そう。四月にはじまるでしょ。ほんとは“ねんど”っていうんだって」
「ふうん。よく知ってるね」
「ぜんぶお父さんにきいた。恵美ちゃん、おうちの人に聞かなかった?」
「わたし、両方ともいないから」
「またごめん。わたし、だめだね」
「ううん。気にしないで。赤ちゃんだったから知らないし」
パンはほどよくトーストされ、さくさくと音を立てる。
「わたしもね、じいちゃん海から帰ってこないし、ばあちゃんは家がつぶれて」
「家つぶれたのはわたしも。それでひとりになった」恵美はやっとさめたスープを口にはこんだ。
「じゃ、こども園にいるの? 親戚とかは?」
「そう。親戚は連絡とれない。みんなで探してくれたけど見つかんなかったって。いまは園長先生が連絡帳のサインとかしてくれる」
「ふうん。ニュースだと東京なんかもうふつうなのにね」
「上の子がいってたみたいにここらは後まわしなんだよ」
イタリア! フランス! とつぜんその上の子の声がした。図鑑を開いて食べ物の箱を指さしている。国旗をしらべたらしい。
「じゃ、このパンはイタリアで、スープはフランスか。このみちゃんはきのうのとどっちがおいしかった?」
「きょう!」
「わたしも!」
ふたりは笑いあった。でも、恵美は中学のお姉さんがつぶやいたのを聞きのがさなかった。「日本のは見たことない。七年もたつのに」
給食の時間が終わり、午後の授業がはじまろうとする時だった。先生が大型モニターを運びこんできた。ふたりでケーブルをつなぐ。
「みなさん、午後の授業のまえに見てほしい発表があります。十五分ほどですが、わたしたちにとってとても大切です。しずかにしてきちんと見ること。低学年の子たちには意味がわからないかもしれませんが、後で説明するのでいまは騒がずに見てください」
画面に町長が映った。眼鏡をかけ、机の紙をいじっている。それから話しはじめた。
「潮見原町のみなさん。こんにちは。町長の久世です。本日は町会にて決定した重大な事項の発表をいたします。お時間をいただきますが、町民の皆様におかれましてはかならずご覧いただきますよう、おたがいにお声がけをお願いいたします」
五分後、話がはじまった。恵美はそっとうしろを見ると、高学年の子たちや中学のお姉さんはじっときいていた。こわいくらい表情がなかった。
「木下さん、前を向いて。後で教えてあげます」先生に小さな声で注意された。
十五分ほどで町長の発表が終わると一年から四年は前に集められた。
「では説明します。町長が発表されたのはわたしたちの潮見原町のこれからについてです。来年度から日本国とは距離を置くという内容でした。わたしたちが日本人なのは変わりませんし、行き来は自由です。でもなにもかもを日本に頼るやりかたはしない。日本の指図をそのままは受け入れませんと決めました」
恵美はこのみと顔を見合わせた。
「なぜそうするのか。七年前です。日本の太平洋側でなんでもなかったところはないといっていいでしょう。なにもかもが失われたところから立ち直るのに場所によって差があるのは、多少ならしかたないかもしれません」
先生はみんなを見まわした。
「東京、名古屋、大阪。そういった大きな都市からもとにもどそう、と考えたのもわかります。でも、あまりにもわたしたちのような地方の町をほったらかしにしすぎじゃないか。そう思うようになりました。町は日本政府を通さずに外国に頼り、幸いいままでとぎれなく助けてもらえました」
恵美は顔の左をなでる。
「だからといって、これからもずっと助けてもらいっぱなしとはいきません。わたしたちもわたしたちの暮らしを自分たちだけでなんとかしないといけないでしょう。でも六年待って、日本はあてにならないとわかりました。これは去年から話しあって決めました。わたしたちは日本とは別のやりかたで町をもとにもどします。それがいま町長がおっしゃったことです。わかりましたか。いや、すぐにはわからないでしょうが、いつでも聞きに来てください」
先生は話を終えた。後ろでも終わったようだった。
「では午後の授業をはじめますが、木下さんはいっしょに来てください。ちょっとお話があります。みなさんは配ったプリントをやっていてください」
いっしょに行った先は保健室だった。お年寄りたちはおらず、医者と町長がいた。
「木下恵美さんです。お連れしました」
「まあ先生、そんなに固くならないでください」
医者が新たに二ついすをそろえ、みんなは小さな机を囲むように座った。話しはじめたのも医者からだった。
「米軍は非常に興味を示しています。今後もデータ採取に協力が得られれば感謝するとのことでした。また健康面での不安はなく、分離は可能とのことでした」
先生と町長はほっと息をついた。
「長かったですね」と町長がいう。「あの時からずっと、でしたからね」
「では、この共生体を分離しても木下さんには害はないのですね」先生がたしかめると医者はうなずいた。
「可能です。後はやるかどうかです」
「やるかどうかって、やるにきまってるでしょう」町長と医者の顔をみる。「まさか」
「先生。よく考えてください」ゆっくりした話し方で町長がいう。「この共生体は特殊な成長を遂げました。米軍が示している興味は取引に使えます。それにそのままでも健康不安はないといま聞いたでしょう」
「あの、なんの話をしてるのですか。わたしのこれについてですか」と桃色の膜をなでながらいう。
「そう。それがはがせるって話だよ」先生がいうが、町長が取り消す。「あわてないで。米軍の医療共生体が生まれて間もない赤ん坊に使用された例はありません。しかもそれが安定的に固着して共生的に成長をするなど予想されていませんでしたし、恵美ちゃんにかなりの利益を与えています」
「町長のおっしゃるとおりです。太陽光を主なエネルギー源とし、皮膚老廃物を吸収して必須栄養素を送り返しています。これ自体は共生体の機能ですが、けがそのものの治療はとっくに終わっているのに劣化していません。いまでもまるで貼ったばかりのようです。また、この子は栄養が満ち足りているためほかの子にくらべ心身の発達に好影響が見られます。とくに知能です。これは予想外でした」
三人は恵美の左を覆う桃色の膜を見た。先生は首を振った。
「研究は分離のためではなかったのですか。救援に駆けつけた米兵が崩れた家屋から左腕のちぎれかけた赤ん坊を救い出し、その場での独自判断で兵士用の医療共生体を使った。本来なら厳罰です。生体実験にも等しい。でもうまくいった。いきすぎた。共生体は赤ん坊になじみ、通常とは異なる特異な成長を遂げ、けがが完全に回復しても分離できなくなった。だから研究が始まったと聞いていますがちがうのですか」
「いや、いまとなっては分離こそこの子の不利益だ」
「そんな行き当たりばったりな理屈はない。それにほんとうはアメリカとの取引に使うつもりでしょう。このデータを提供する代わりになにが返ってくるのですか」
「先生、もういちどいいます。よく考えて。ここに恵美ちゃんを連れてきてもらった意味もです」町長が静かにいった。「街の復興のためには資金と資源が必要です。日本は頼れません。東名阪ばかり見ていますから。金と物はこの町に米軍基地を受け入れてまかないます。アメリカもあせっています。この災害から自国主導でアジアの安定を取りもどすためにはなりふりかまってはいられないのでしょう。日本国政府を通さずに地方自治体と独自に交渉するつもりです。その中で使えるカードはすべて使います」
先生は恵美と町長を見比べた。怖い顔をしていた。町長はさらに言葉を続ける。
「この医療共生体は使えるカードです。データ提供をすることで米軍からの継続的な医療援助が手に入ります。先生もご存じですね。町の医薬品の八割以上は米軍の提供品です。このご時世にただでとぎれなく薬や器具が入手できているのです」
「援助は欧州からも来ています。利害のからまない、もっと人道的なものが」
「それは気まぐれすぎてあてになりません。欧州から来るのは食糧援助が主ですが、あちらの世論にかなり左右されます。要はこちらをあわれんでいるときだけ恵んでくれるわけです。町民の希望とは乖離しすぎています」
「あの、わたしの話ならわたしにわかるように話してください」恵美が大声を出すと、三人ともだまってしまった。
「ごめんなさい。そうね。恵美ちゃんのことだものね。ここに来てもらったのはあなたに決めてほしいから」町長がやさしい口調でいった。「その桃色の膜を町のために役立ててほしいの」
「はがさないの?」
「そう。いままで通りそのままで、こちらのお医者さんにしらべさせてほしいの」
「いつまで?」
「ずっと。すくなくとも町がきちんと復興するまで。十年くらいかかるかもしれない」
「そしたらはがせるの?」
「もちろん」
「まってください。町長、それは公平じゃない。こんな小さな子になにが決められるんですか。それでも決めさせるというなら懸念点も話すべきです。あなたでもけっこうです」先生は町長と医者を交互に見ていった。ふたりはお互いにゆずりあい、医者が話をはじめた。
「恵美ちゃん、その膜はいまのところなにも問題はない。赤ちゃんのころからずっと恵美ちゃんの役に立ってきた。でも心配がひとつある。かゆみがなぜ起きているのかちゃんとした理由がわかっていないんだ。その膜はほんとうはアメリカの兵隊さん用に作られたもので、赤ちゃんや子供につかわれるのは考えられていなかった。ここまでわかるかな」すこしまって、恵美の表情をたしかめてから続ける。「いまいちばん心配されているのは癌という病気でね、子供は大人にくらべて育つ勢いがある。恵美ちゃんにくっついちゃった膜もいっしょに育ってるんだけど、育ったり増えたりする勢いがありすぎるとその癌を心配しなきゃいけなくなる」
「いまはそのがんじゃないの?」
「ちがう。いまできるどんな方法でしらべても癌という結果はでていない。恵美ちゃんは申し分なく健康だよ」
「ならはがさない。町のためになるんなら」
「ありがとう」
町長と医者の目はうるんでいた。先生は無表情だった。町長が穏やかにいう。
「もちろんですが、後見人とも話し合います。しかし、この子自身の意志を確認しておきたかったのです。では今後もよろしくお願いします」三人に頭を下げた。
恵美は先生といっしょに教室にもどり、一年生用のプリントをかたづけた。なぜか先生は無表情だった。帰りの挨拶も笑ってくれなかった。
公民館の裏でこのみちゃんと遊んだ。積み上げられた廃材に的を描いて石をぶつける。石をひろってるときに貝がらがあったら見せっこして笑った。
「呼ばれてたの、なに?」
「これのこと。はがすかどうかって」
「取れるの?」
「できるけどしない」
「なんで?」
「アメリカはこれをつけててほしくて、つけとくと町の得になるんだって」
「恵美ちゃんの得にはならないの?」
恵美はすこし考える。
「まだならない」
「まだ?」
「おとなの話、さっぱりわからなかったから。だからもっと勉強する。わかるようになったらこれを使って恵美のいうことなんでも聞いてもらうの」
「すごい! おとなにめいれいできるね」
ふたりは大笑いし、どんな命令をするかふざけながらしゃべりあった。
日がかたむき、暗くなってきたのでさよならをいって別れた。夕焼け。影がながい。右、左と腕を上下して影と遊びながら歩く。すると大きな音がしてヘリコプターが低く通りすぎていった。星のしるしだった。恵美は手を振る。むこうも手を振りかえしてくれた。恵美はスキップで帰っていった。
了
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