第24話 【回顧】一度だけ

 ある日、帰ったら。

 部屋の前に見知らぬ女の子がいた。


「あの......うちに何か?」

 女の子は、私をしばらく見つめた後

「出石主任は......」と小さな声で呟いた。


 あぁ、真由美さんとこの子か。

「もうすぐ帰ってくると思うから、入って待ってたら?」

 そう言って、鍵を開けて中へ入る。まだ、どうしたらいいかわからないように、そこに留まっていたので。

「寒いでしょ? それに、そんなところにいたらご近所迷惑だよ」と促す。


 暖房を入れ、ソファに座らせる。

 暖かい緑茶を入れ、私は部屋へ行き着替えをする。ついでに真由美さんへ何時ごろ帰るか?というメッセージを送った。するとすぐに、もうすぐ着く。という返事が来た。私は、ほっとしてリビングへ戻った。


「あの、主任と一緒に暮らしてるんですか?」

「うん」

「ルームシェアとか?」

「まぁ、そんなとこ」


 冷蔵庫を覗いて、夕食をどうするか考える。真由美さんが帰ってきてから考えてもいいかなぁと思ってたら、玄関のドアが開く音が聞こえた。

「ただいま」と言いながらリビングへ入ってきた真由美さんは、ソファに座っている子を見て、少し驚いていた。

「宮地さん?」

「あ、お邪魔してます」

「どうして......」

 宮地さんと呼ばれた女の子は、さっきまでも緊張してたけど、より一層緊張した様子でガチガチだ。

 それでも真由美さんを見つめる表情は......どこか見覚えがある。



「おかえりなさい」

 真由美さん用にお茶を入れて、声をかけた。

 そして。

「真由美さん、私ちょっとコンビニ行ってきますね」

 返事を待たず、リビングを後にした。



※※※


 帰り道、美樹からメッセージが届いた。いつ帰ってくるか? との問いに、すぐ着くと返事をする。

 今日は、残業は少しだったので、そんなに待たせてはいないはず。


 玄関に入ると、見慣れない靴があった。誰か来てる? 

 「ただいま」と言いながら入っていくと、ソファに座っていたのは、同じ病棟で働く新人の子だった。


「宮地さん?」

「あ、お邪魔してます」

「どうして......」

 状況が把握しきれていないけれど、私に会いにきたことは間違いないだろう。

 美樹は?

 さっきの美樹のメッセージは、この事を知らせたかったのかな。


「おかえりなさい」

 美樹がお茶を入れて持ってきてくれた。

 そして。

「真由美さん、私ちょっとコンビニ行ってきますね」

 と、出て行った。

 気を遣ってくれたんだろう。


「どうしたの? 仕事の悩みでもあるの?」

 上着だけ脱いで、ソファに座る。

「あ、いえ。突然お邪魔してすみません」

「うん、それはいいけど」

 俯いたままモジモジしている。

 何か言いたそうで言えないような葛藤している様子。病棟でもたまにこんな表情しているなぁ。


「ちょっと着替えてくるから、お茶飲んでて」

 少し時間をかけて、手を洗ったり着替えたりして、リビングへ戻った。


 少し考えがまとまったようで、顔を上げて話し始めた。

「あの、先程の人は? 病院で何度か見かけたことがあるんですけど」

「うん、4西病棟で働いてる。一緒に暮らしてるの」

「ルームシェアって」

「そう言ってた?」

「はい」

「そっか......対外的にはそういう事にしてあるんだけど、同棲だから」

「えっ」

「付き合ってるの」

「・・・そうですか。でも」


 ん? でも?



「でも、私も好きです。主任のこと」

「えっと...」

「主任があの人の事好きでもいいです。でも私も好きだから、私の事も好きになってください」

「何を言ってるんだか......ちょっと落ち着こうか。お茶入れ直すね」

 興奮気味の彼女を見つめる。

 どうしてこうなってしまったのか。


 宮地さんはまだ若く看護師としての経験も浅い。私は主任として他の看護師同様厳しく指導していた。

 申し送りの際に曖昧な報告があったので、その都度質問をしたら泣き出してしまった事もある。嫌われるのは厭わないが、さすがにやりすぎたかと後からフォローの言葉をかけておいたが。

 当然、怖がられ煙たがられると思っていたのに、数ヶ月後あたりから懐かれはじめた。

 最初は、旅行に行ったお土産だと言われお菓子を貰った。他のスタッフにもあげていると思い、受け取った。何度かそういう事があり、手作りのお菓子を貰うこともあった。一緒に夜勤をした時には「作りすぎた」と言ってお弁当を持ってきたのでご相伴にあずかったりもした。次第に自分が夜勤でない日にも差し入れとしてお弁当を持ってくるようになり、どうやらそういう事を私だけにしていると知り、やめるように言った。「持ってきても受け取らない」とハッキリと告げた。そうしたら今度は、休みの日に一緒に出掛けたいと言ってきた。それもキッパリ断ったのが先週の話だ。


「主任、私は真剣です」

「私のどこが? 歳だって親子ほども離れてるのに」

「歳の差なんて関係ないですよ。それに主任の厳しさの中には優しさが感じられます。みんなは気付いてないけど、その方がいい。私だけが知ってればいいんです」

「さっきも言ったけど、付き合ってる人がいるの。貴女を好きになることはないから」

「もし、あの人がいなかったら?あの人の事抜きで、私の事どう思いますか?」



「……ないから」

 自分でも震えるほど、怖い声が出た。

「えっ」

「美樹がいなくなることは、ないから。何があっても、ずっとそばに居るから」

 それはもう、誰にも変えられない事だから。

「主任?」

「わかったら、もう帰ってくれる?」


「わかりました……でも一度だけ」

「なに?」

「一度だけ、キスしてもらえませんか?そしたら諦めます、全て。主任が女の人と同棲してることも、全部忘れます」

「…っふ、これ以上怒らせないで。喋りたければ喋ればいい。私は隠すつもりはないから」

 そう言うと、ポロポロ泣きだした。

 あぁ、また泣かせちゃったな。

「ごめんなさい、でも」

「でも?」

「そういうところですよ、主任。これからは、ただの一ファンに戻ります」

 そう言い残して出て行った。


 入れ違いに、美樹が入ってきた。


「夕飯、おでんでもいい?コンビニ行ったら美味しそうで、買ってきちゃった」

「うん、いいね」


「キスくらいしてあげれば良かったにに、減るもんじゃないし」

 鍋でおでんを温めながら、美樹が言った。

「どの辺から聞いてたの?」

「ん、一度だけ…ってとこ」


 美樹の隣へ立ち、お玉を持つ手に触れる。

「嫌だから」

「ん?」

「美樹が私の立場だったとして、誰かにたった一度だけでもキスするなんて、嫌だからね」

「私は、そんなことあるわけないし」

「わからないでしょ? しないで...」

 私以外の人に触れないで。

「しないよ。約束する」

「良かった」


 美樹はお鍋の火を止めて、腰に腕を回し引き寄せた。

「せっかく温めたのに冷めちゃうよ」

「ずっとそばに居てくれるんでしょ?」

「やっぱり聞いてたんじゃん」




 おでんを食するのは、もう少し後の話。

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