第22話 ある夏の日。

××年8月


 閉め切っている窓の外から蝉の鳴き声が聞こえる。

 少しだけ窓を開けると、一気に熱気と蝉の声がなだれ込んできた。


 彼女には夏が似合う。

 今は空調の効いた部屋のベッドに横になっている彼女の笑顔を思い出す。

 出逢ってから今までずっとそばにいた。

 時々すれ違うことはあったけれど、すぐに仲直りが出来た。

 幸せなことだと思う。

 泣いたり笑ったり怒ったり、時には拗ねたり。

 辛い治療も二人で乗り切ってきた。

 

「どうした?どこか痛い?」

 身じろぎした彼女に問いかける。

「だいじょうぶ」

 か細い声が答える。

「お水飲む?」

「飲みたい」

 楽飲みにお水と氷を少しだけ入れる。

 ベッドに腰掛け、彼女を抱き起こす。

 飲まそうとすると、

「自分で飲めるから」と手を伸ばす。

 震えた手でゴクリと一口だけ飲む。

「仕事は?」

「休みだよ、今日はずっと家にいるから」

 そう言うと、嬉しそうに微笑んだ。


 今日は意識がはっきりしているらしい。

 ここ数日は、朦朧としていることが多かったから。

「何かしたいことはない?食べたいものとか?」

「……したい」

「ん?」

「キスしたい」

「なんだ、そんなこと? いつでもするよ」

 そっと唇を合わせる。

「もっと」

「おねだり?」

「最後かもしれないから」

「そういうこと言わないの」

 泣きそうになるのを堪えて、深い深いキスをする。

「ありがとう」

 という目が何かを訴えている。

「こちらこそ、ありがとう」

「泣かないで」

「泣いてないよ、泣く理由がないもの」

「私がいなくなったら、泣く?」

「泣かないよ、ずっと一緒にいるんだから」

 彼女の口角が上がった。

 何かを言おうとした瞬間、咳込んだ。

「少し横になろうか」

 背中をさすりながら横たえる。

「一緒がいい・・」

「いいよ」

 二人で寝ると狭いから自然に腕枕となる。

「連れて帰ってくれてありがとう」

「うん、さすがに病院では一緒に寝れないもんね」

 クスリと笑ったようだ。

「今日は特別? なんでもお願い聞いてくれるの?」

「いつでも聞くよ、我慢しなくていいからね」

 彼女の自慢の髪を優しく梳く。


 今日がどんな日なのか分かっているかのようだ。


「セックスしたい」

「え...大丈夫?」

「いかせて欲しい」

「わかった」


 ゆっくりパジャマを脱がせて、キスを落としていく。

 何度も重ねた肌

 一つ一つの思い出が蘇る

「好き」を伝えたくて

「気持ち」を確かめたくて

「想い」を形にしたくて


「永遠の愛」は伝わっただろうか。

 いつの間にか涙が出ていた。


「苦しくなかった?」

「うん。痛みを忘れられるんだよ、麻薬モルヒネより効果的」

「そうなんだ」


 なんで、そんなに穏やかな表情で笑えるの?

 あちこち痛いはずなのに。

 私が泣いてちゃいけないのに。


 今度は逆に細い腕で抱きしめられた。

「もう少しこのままで聞いて」

「うん」

「私は幸せだよ、貴女に出逢って愛し合って見送ってもらえるから。辛い思いさせてごめんね」

「何言ってるの、辛くなんか......」

「もういいよ」

「やだよ、私を置いて行かないでよ」

 ずっと耐えてきたものが溢れ出した。

「愛してる」

「私も、愛してるよ」

「お願いがあるの。私がいなくなったら少しだけ泣いて、でも次の日には笑っていて欲しいの。貴女の笑顔が大好きだから」

「わかった。いつか、その日が来たらそうする」

 その日なんて来なければいい。

「少し寝るね」

「うん」

「手、繋いでてもいい?」

「もちろん」

「何か話してて、声が聞きたい」

 すでに目は閉じられていた。

「ねぇ、私が諦め悪いの知ってるでしょ?付き合い長いんだからさぁ。私は奇跡を信じてるよ。明日、目が覚めたら何する?もっと激しいセックスしようか」

 微かに口角が上がった気がした。




※※※



「ちょっと、ゆきちゃん!何これ?」

「えっ?」


 その日は、引っ越しをすることになった祥子さん&ゆきちゃんの荷造りを手伝っていた。

 そこで見つけたのがコレだ。


「あぁ、それ。研修の時のレポートだね」

「はぁ?なんで小説風なの?しかもR-18じゃん」

「そぉ?R-15くらいじゃない?」

「どっちでもいいわ」

 あはは、と笑ったゆきちゃんは

「提出は出来なかったけど、しょうちゃんが絶賛してくれたから取ってあったんだった」と言った。

 さすがの祥子さんだ。


「でもこれ、良い出来だと思うよ。これからのゆきちゃんの仕事に生かせるし」

 泣けるけど、これはこれでハッピーエンドだと思う。

「そう?美樹ちゃんにそう言って貰えると自信つくなぁ」

 ゆきちゃんは、これからホスピスで働くことになったのだ。

「でも祥子さん、よく許したね?別の職場になること」

「しょうちゃん?今の病院にホスピス病棟作るって息巻いてたよ。そしたら戻るかもだけど。なんだかんだ言ってあの病院が好きなんだよ、しょうちゃんは」

 祥子さんなら、やりそうだ。

 がん看護外来も作っちゃったしな。

「相変わらず、仲が良いねぇ」


「美樹ちゃんとこは?」

「ん?うちも順調だよ」

「もう3年くらい?」

「そうだね」

 真由美さんが系列の病院へ異動になって、その後すぐに私も同じところに異動になった。

 真由美さんが看護部長に頼み込んだって言う噂にもなっていたけど、真実は不明だ。

 異動して3年。

 化学療法をしてから、もうすぐ6年になる。

 おかげさまで、転移や再発の兆候もない。

 真由美さんと日々仲良く暮らしている。


 今までのことを思い出しながら、もう一度、ゆきちゃんのレポートを読み返した。



     ---完---

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