第21話 あした世界が終わっても

 診察室に入って、主治医の顔を見た瞬間に嫌な予感がした。

 あぁ、医者はポーカーフェイスも必要なスキルなんだなぁと、ぼんやり考えていた。


 案の定、検査結果を見て、化学療法を勧められた。

 今は、入院しなくても外来でも出来るからと。

 とにかく、まず血液化学療法科にカルテを回すから、この後受診するように言われた。

 なかなかスピーディな対応じゃないか。考える時間を与えないためか?なんて邪推してしまう。


 血化でも、結果について同じような説明を受けたのち、化学療法について具体的な説明があった。

 時間や期間、何クール行うか。

 効果や考えられる副作用など。

 やはり、入院はせずに外来で出来るらしいことも。

 一通り説明を聞いた後。


「少し考えさせてください」と言うと。


「えっ……あぁ、もちろん」

 明らかに治療を受ける前提で話していた先生は、少し狼狽えていたように思う。


 病院を出たのは、お昼を少し過ぎた頃だった。


 病気になった時に一通り調べたし、入院していた時には、同室のおばちゃん達に詳しく聞いていたから。

--それはもう、経験者は語るってやつで--


 吐き気の辛さはもちろん、排便障害なんて便秘も下痢もどちらも相当辛いんだとか。

 まぁでも、そういうのは症状に対応する薬もあるし、耐えることは出来る。と思う。


 客観的にみれば、治療を受ける方が良いに決まってる。


 けれど……


 どこをどう歩いたのか定かではないが、辿り着いたのは真由美さんが待つ部屋ではなく、お姉ちゃんが住む部屋だった。



「どうしたの?美樹!」

「お姉ちゃん、今晩泊めて」

「は?なに、喧嘩でもしたの?」

「うん、まぁ。そんなとこ」


 帰れなかった。

 こんな顔で帰ったら、一発でバレてしまうから。病状も、私が躊躇している理由さえも。

 怒るだろうか、悲しむだろうか。もしかしたら自分を責めるかもしれない。

 どうしよ。。もう会えないよ。


「美樹⁉︎ 何があったの? 美樹を泣かせるなんて‼︎」

「え、違っ」

 いつの間にか泣いていたようで、何故かお姉ちゃんが怒っている。

「いいよ、謝って迎えに来るまで、ずっとここにいていいから!」

 そっか、喧嘩して泣いてると思ってるのか。

「ありがとう」


 その後は一緒にご飯を作って食べた。

「そういえば、綾さんは?」

「仕事!いつ帰ってくるかわかんない。まぁ、いつものことだから」

「寂しくは、ないの?」

「・・ないね。あんまり一緒にいると、身が持たない」

「はぁ、そうなの」

「ん?やっ、違うよ、そうじゃなくて、振り回されるっていう意味だよ!」

 あたふたと訂正されてもなぁ。

 まぁ、どちらにせよ幸せそうだ。


 その後は、やることもなくてテレビを見ていた。

 ソフトボールの試合をやっていた。こういう大きな大会でもなければ、テレビで中継されることもない競技だ。

 投げている若いピッチャー、髪長いなぁ。ボールの速さよりも、そんなことが気になった。

 昔はソフト部の子なんて、みんなショートだったのに。

 私も、そうだった。伸ばし始めたのは卒業してからだ。


 そう、髪は切っても伸びる。たとえ抜けてもいつかは生えてくる。お洒落なウィッグだってある。わかってる。頭では理解している。


 それでも……


 インターフォンが鳴った。

 綾さんが帰ってきたのかと思ったけれど、やって来たのは祥子さんだった。



「なんで?」

「美樹と話をしたくて」

 知らせたのはお姉ちゃんか。まぁ、口止めしてたわけじゃないから、仕方ないか。

「出石さん、心配してたよ」

 痛いところを突いてくる。

「帰らないの?」

「今は無理。ここにいること、言わないで」

 知ったら、迎えに来るだろうから。

 会ってしまったら、自信がない。


「わかった。その代わり」

「なんですか?」

「治療を受けて欲しい」

「は……祥子さんには関係ないですよね。主治医でもなければ家族でもない。ただの知り合いじゃないですか」

 いきなり核心を突かれて、思ってもないことを口走ってしまった。

 ただ、不安と恐怖で押しつぶされそうな中、治療を迫られる身にもなって欲しい。

 きっと真由美さんに会ったら、同じように言われて、同じように行き違うんだろう。それが怖くて帰れなかった。


「ごめん……ちょっとテンパって」

「いえ、私も言い過ぎました」

 祥子さんの、あんな悲しそうな顔は初めて見た。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だから、その後は素直に答えた。

「知り合いの、一医者として聞くけど、治療に対して不安なことはある?」

「副作用かな」

「具体的にある?」

「脱毛が」

「……そうか」

「祥子さん」

「ん?」

「祥子さんは、ただの知り合いなんかじゃないです。私にとっては大切な人です。でも私の人生なので私が責任持って決めます。心配かけてごめんなさい」

「ん、わかった。でも出石さんには……」

「わかってます。落ち着いたら連絡入れます」

 なんでだろ、祥子さんにははっきり自分の気持ち伝えられたのに、真由美さんを想うと、まだ自信がない。

「ん。じゃ、帰るわ」


 祥子さんがドアを開けた時

「ただいまー」

 綾さんが帰ってきた。

「わっ、びっくりした。え、いつからいたの?」

「えっ、今だけど」

「そっか、じゃ、また」

「うん」


「こんばんは」

「あ、お邪魔してます」

「うん、聞いてる」

 と言って、綾さんはお姉ちゃんのいる寝室へ消えた。


 仕事へは、お姉ちゃんの部屋から通った。真由美さんに会わないように、細心の注意を払いながら。


 しばらくはそうして置いてもらうつもりだったけど、数日で帰ることになる。

 なぜなら。


 お姉ちゃんと綾さんが、私の目の前でイチャつき始めたからーー正確には綾さんがちょっかいを出し始めたのだーー

 このバカップルが。

「早く帰れ!」というサインだろう。


 祥子さんから、とにかく会いたい。という真由美さんの伝言も受け取っていたし。

 何より。

 私が真由美さんに会いたいのだ。たとえ怒られても、なじられても、嫌われたとしても、会いたくて堪らない。


 ドアを開けたら。

「おかえり」と、いつもの笑顔で立っていた。

 あぁ、思い出した。手術から目覚めた時の第一声が「おかえり」だった。

「ごめんなさ……」

 謝ろうとすると、それを遮るかのように、再び。

「おかえり」と言う。

「ただいま」と答えたら、ホッとした表情になった。

 その後は真由美さんのペースに巻き込まれ、今はアイスココアを飲んでいる。

 何も聞かれないけど、きっと真由美さんは分かっている。

 私の今置かれている状況も、気持ちも。説得するよう頼まれているかもしれないな。


 テレビでは、相変わらずお祭りのようなスポーツが行われている。

「あした世界が終わればいいのに」

 もう悩まなくて済む。

 心の声が口をついた。

 あぁ、しまった。

 真由美さんに聞こえなかっただろうか。

 何言ってんの、そんなこと言うなって、絶対に怒られる。


 なのに真由美さんは

「それもいいね」と言った。

 そればかりか。

「世界と一緒にいなくなれば、見送ったり見送られたりすることもない。一人になるよりはその方がずっといい……ねぇ美樹、世界が終わる時には一緒にいようね、そうすればきっとまた新しい星の元で出逢えるハズだから」

 と、一緒に死んでもいいとまで言ってくれている。


 私は、この時誓った。

 この人と添い遂げると。

 一緒に死ぬんじゃなく、一緒に生き抜くと。


 あした世界が終わっても、真由美さんと二人で生き残る。他の全てを失くしても、真由美さんと一緒に生きていく。


 そうして、私の化学療法が始まった。

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