第18話 この感情は

「真由美さん、今夜は準夜勤だったよね?」

 作ってもらった朝食を食べながら確認する。お味噌汁が、眠気の残る身体に染みる。

「うん、それが終われば2連休‼︎何する?」

 久しぶりの土日休みだけれど。

「夜勤明けは眠いでしょ?」

「ん〜そうだねぇ、土曜日はのんびりして、日曜日にデートしようか」

「やった‼︎」

 『のんびり』も『デート』も好き。楽しい二日間になること間違いない。

 今日の仕事も頑張れそうだ。

 一緒に暮らすようになっても、こうやってデートに誘ってくれるから、もっと好きになるんだろうな。そんなことを考えていたら。

「ほら、早く食べないと遅刻しちゃうよ」と急かされた。

「うぅ、もっとゆっくり味わいたいのに」

「だったら、もっと早く起きなさい」

 なかなか厳しい。



「じゃ、日曜日に何したいか、考えておいてね」

 という言葉と、頬にキスをされて送り出された。

「はい、行ってきます」

 笑顔で手を振って。ふふ、まるで新婚さんじゃん。

 私、こんなに幸せでいいのかなぁ。

 なんて、あんまり浮かれているとミスしそうなので気をつけて一日を過ごし、帰る時間になった。

 そうだ!真由美さんの病棟へ寄って行こう。忙しい時間かもしれないけど、だったら話さなくても、働いてる姿を見るだけでもいいし。

 そう思って向かった先で見たものは。


 真由美さんの笑顔だった。

 けれど、それは、私に向けられたものではなく。

 あんな顔、初めて見たかも。

 誰と話してるのかと思えば。

「えっ? 看護部長?」

 思わず発した言葉に真由美さんが気付いた。

「あれ? 美樹ちゃん、どうした? 今、帰り?」

 少し焦ったような、驚き方だ。


『あ、じゃあ私はこれで』と看護部長は去っていった。

 真由美さんとアイコンタクトしたように見えたけど、気のせいかな。


「で?どうした?」

「あ、えっと……日曜日、思いっきり体を動かしたいなって思って」

「あぁ、いいね! 遊園地でも行く? あ、ナースコールだ! じゃ、また後で」

 私も邪魔にならないように、病棟を後にした。

 

 それにしても、看護部長と真由美さん?親しい感じだったけど?

 看護部長は、文字通り看護師のトップ。師長の上だ。

 うちの看護部長は、なかなかのやり手だと聞いたことがある。たぶん、まだ50代に入ったばかりじゃないかな。見た目も、悔しいけど綺麗なのだ。あんな風に歳を取れたら素敵だなとも思う。

 だからこそ、モヤモヤする〜

 真由美さんが帰ってきたら聞いてみよ。どういう関係なのか、何を話していたのか。


 帰りを待つつもりだったけど、いつのまにか眠っていたようで。

 真由美さんが帰ってきたのも気付かなかった。不覚。

 隣で眠る真由美さんの体温に包まれて、また寝た。

 二度寝は気持ちいい。

 

  次に意識が浮上した時には、もうすっかり明るくなっていた。

 寝返りを打つと、真由美さんも身じろいだ。

「ん……何時?」

「ふぁ……8時くらい」

「まだ早いね」

「うん、まだ起きたくない」

 そう言って、真由美さんの腕の中に潜れば、よしよしと頭を撫でられた。

「今日は、のんびりでいいから……って何して?」

「おっぱい揉んでまふ......ふふ」

「んんっ......もう少し寝かせて」

「ふぁーい」

 お預けを食らったものの、私もまだ眠気が残っていたので、午前中は微睡みながらベッドの中で過ごした。


 お昼は二人で一緒に焼きうどんを作って食べた。野菜たっぷりで醤油味だ。

「父親がうどん好きでね、よく食べに連れてってくれてた。味噌煮込みとかね」

「あぁ、いいね! たまに食べたくなる濃い味だよね? さすが、三河は赤味噌の本場だもんね」

「今度、食べに行こうか」

「うん」


 午後は読書をしたりネットサーフィンをしたりと、それぞれの時間を過ごしていた。

 本を読んでいた真由美さんにメッセージが届いたようで、スマホを睨みつけるような顔で見ていた。

「ちょっと電話してくる」と言って、寝室へ行ってしまった。

 戻ってきた真由美さんは、ちょっと言いにくそうにしていたので、良い話じゃないんだろうな、と思ったけど聞いてみた。

「どうかしたの?」


「明日、午前中に用事が出来ちゃって……」

「そう……しょうがないですね」

「いいの?」

「いいも悪いも、そっちを優先するんですよね?」

 デートより大事な用事って何だ?仕事関係?

「うっ……ごめん。終わったらすぐ帰ってくるから」

 ちゃんと目を見て、キスをして、抱きしめてくれるから信じることが出来る。

「いいよ、遊園地は逃げないから」

--いつでも行ける--

 得意気に言ったら、笑われた。

「ねぇ、今、チョロいって思った?」

「思ってないよ、美樹は優しいなって思ったの、それに、わかりやすい」

「わかりやすい?」

「怒ってる時は敬語になるから」

 ん?やっぱりチョロいって思われてないか?まぁ、いいや。


 夕食の後、真由美さんがお風呂に入っている間、テレビでナイターを見ていた。来週はオールスター戦だとアナウンサーが言っている。

 そういえば、看護部長とのこと、聞くの忘れてたなぁって思っていたら。

 テーブルの上に置いてあった真由美さんのスマホから通知音が聞こえた。

 何気なく見ると、看護部長の名前だ!

『明日、9時に家に来て‼︎』というメッセージだ。

 あぁ、明日の用事はやっぱり仕事か。

 でも、なんで家?日曜日なのに?

 やっぱりモヤモヤする。

 あの時、看護部長と話してる時の真由美さんの顔。ちょっと照れたような、甘えてるような顔だったから。


「野球、どうだった?」

 後ろから声をかけられた。真由美さんが出てきていた。

「あ、えっと」

 いつの間にか、野球中継は終わりニュースが始まっていた。

「どうした?ぼーっとして」

「なんでもない。ちょっと眠いだけ。お風呂入ってくる」

 真由美さんと視線を合わせず浴室へ向かった。


 お風呂から出ると、真由美さんはもう寝室にいるようで。スマホは、テーブルの上にはなかった。

 1時間程、テレビを見てからベッドへ入った。

 もう眠っていると思っていたのに、真由美さんに抱き寄せられた。

「遅かったね」

「起きてたんですか?」

「寝てた方が良かった? ねぇ、何かあった?」

 やっぱり真由美さんにはお見通しか。

「聞きたいことが」

「何?」

「明日の用事って?」

「やっぱり、そのことか。実は看護部長に呼ばれてて……」

「仲、良いんですか?」

「え? 新人の時に師長だったから、ずいぶんお世話にはなったね」

「それだけ?」

 真由美さんは「それだけだよ」と、やさしくキスをした。

 じゃあ、なんであんな顔してたの?とは聞けず。私もキスを返した。

 そのまま、首筋へと移動し強く口づけた。うまく付けられただろうか?

「ん……痛っ」

「ごめんなさい」

「美樹?」

「今日は眠いので」

 そう言って寝返りを打ち、真由美さんに背を向けた。

 後ろから小さなため息が聞こえたけれど、きつく目を閉じた。



「行ってくるね! 朝ごはん作ってあるから食べてね」

 まだベッドの中の私に向かって、真由美さんが声をかける。

 真由美さんを見ると「良かった、起きたね」と微笑んだ。

 首には、昨夜私が付けたキスマークがくっきりと見えた。

 え、その服で行くの?わざわざ首元が開いてるシャツで?

 そんな私の心配をよそに「じゃ!」と行ってしまった。


 二人の部屋で、真由美さんを待つ。

 怒っているわけではない。嫉妬しているわけでもない、と思う。

 たとえ、二人の間に過去に何かがあったとしても、今は私の事を想ってくれていると、信じることが出来る。

 なのに、なんだろう? この感情は。


 お昼前、メッセージが届いた。

『少し遅くなりそう。お昼を過ぎるので、お昼ご飯は食べてて』と。

 返事を打つ前に

『ちゃんと食べるんだよ』と追加で届く。

 私は、子供か‼

 返事は打たなかった。

 子供だな。

 あぁ、そういうことなのかな。私は子供で、あの人は大人なんだな。


 考えることを放棄して、ちゃんとご飯を食べるために出掛けることにした。

 真由美さんと出会う前は、一人でなんだってやってたんだから、なんてことない。おひとりさま、ばんざいだ!



 部屋へ戻ると、真由美さんはすでに帰ってきていて。

「おかえり」と迎えてくれた。

「ただいま、、帰りました」

「プリン買ってきたけど、食べる?」

 時間は3時近くになっていた。お茶をするにはちょうどいい時間だけれど。

「今、お腹いっぱいなので、後で」

「ん、わかった」


 その後も、部屋の片付けをしたりテレビを見たり、お互い気にしつつも、それぞれに過ごした。私はなんて声をかければいいのか分からなくて戸惑っていた。


「美樹ちゃん、お昼は何食べた?」

「パスタです」

「じゃ、夜は和食でいい?作るね!」

「あ、一緒に作ります?」

「いいよ、今日は私が。ありがとね」

 待ってて!と微笑む。

 何か良いことでもあったのかな?

 私は、明日の仕事の調べ物をしながら、嬉しそうに料理をする真由美さんの後ろ姿を眺めてた。


 真由美さんは就寝時間が早いので、いつもは食後の片付けが終わるとすぐにお風呂の準備に入るのだけど、今日はソファに座っている私の隣で本を読み始めた。

 私は私で、スマホで小説を読んでいた。

 しばらく、その状態が続いていたのだけど。


「その本、面白いですか?」

 痺れを切らした形で、私は声をかけた。

 真由美さんは、パタンと本を閉じて

「全然、頭に入ってこない」と難しい顔をした。

「考え事ですか?」

「うん。どうしたら美樹ちゃんを不安にさせなくて済むのかなって」

「不安?なのかな……私」

「また、いろいろ難しいこと考えてたんじゃないの?」

「どうなんだろ」

「ねぇ、今からデートしよっ」

「えっ、今からって、真由美さんもう寝る時間……」

「行こっ」

 珍しく強引に、手を引かれた。


「真由美さん、ここ来たことあるんですか?」

「ないよ!調べたの。思い切り体動かして‼︎」

「では、お先に」


 ドアを開けて入る。バッドを握る。久しぶりの感触だ!

 集中して、タイミングをはかる。

 ボールに当たる瞬間に力を込める。

『キーーン』

「っしゃぁ」


「すごーーい」

 ガラス越しに真由美さんの声援も聞こえてきた。

 まさか、真由美さんがバッティングセンターに連れて来てくれるとは思わなかったな。

 いろいろ考えてくれてたの?私の事を。

 デート、諦めてなかったの?

 真由美さんも、デートを楽しみにしていてくれてたの?


 久しぶりにしては、なかなかいい感じで打てて、真由美さんの元へ行く。

「次は、真由美さんですよ」

「えっ?私、やったことない」

「やった、初体験じゃん。はい! どうぞ」

 笑顔でコインを渡せば、しぶしぶという感じでバッターボックスへ入っていく。


「ちゃんと教えますから!まずは思い切り振ってください」

 外から声をかける。

 ドズン!空振り。

「真由美さん、いい振りですよー! 後はタイミングです。今より早めに振ってみて!」

 ドスン!

「惜しい!もう少し早く」

 カスッ!ファール

「おっ、当たった! 真由美さん、左足あげてタイミング取ってみて!」

「え、足?こう?」

「はい、いい感じです」

カンッ!

「美樹ちゃん、当たったよー」

「真由美さん、すごい!すごい! あとは思い切りでーす」


 打ち終えた真由美さんは、満面の笑顔で、ほんのり赤かった。

「面白いね、でも、暑い!ちょっとだけなのに汗だくだよ」

「全身運動ですからね」

「美樹ちゃん、行ってきて。ここで見てるから」

「はい、行ってきます。もしホームラン打てたら、ご褒美くれますか?」

「ん、わかった」



 バッティングセンターからの帰り道。


「残念だったね、惜しいのあったのに」

 結局、ホームランは打てなかった。

「いいんです。元々、ホームランバッターじゃなかったし」

 学生時代はソフト部だったけど、だいたい1番か2番を打っていた。ちなみに守備位置はセカンドだ。

「でも、ご褒美は?おまけであげるよ?」

「いい!もう貰ってるし」

「ん?」

「コレ!」

 繋いだ手を、上にあげて見せた。


「私にもご褒美は?」

 一回当たったよ?と悪戯っぽく笑う。

「あれはキャッチャーゴロですね」

「厳しいな」

「おまけであげます」

 何が良い?って聞こうとしてたら

 いきなりのキスだ。

「ちょ、真由美さん!」

 暗いし、人もほとんどいないけど、大胆過ぎる。


「今日はごめんね」

「私こそ、素直じゃなくてごめんなさい」

「何か気になってる?」

「うん。1番気になってるのはね、一昨日、看護部長と何を話してたのかなって」

「美樹が病棟に来た時?」

「うん」

「あれかぁ。あれは、美樹の話をしてて」

「えっ」

「看護部長は、唯一カミングアウトした人で。あ、もちろん美樹の名前とかは言ってないけど、恋人が出来たって話をしてて、どんな人?って聞くからいろいろ......惚気てたっていうか……ニヤケすぎって後で言われた程で」

 じゃぁ、あの表情は私の事を思ってたってこと?

「じゃ、今日なんだか嬉しそうだったのは?」

「それは……まだオフレコなんだけど、異動先が決まりそうでね」

「あ、主任に?」

「まぁ、それもだけど。ほら、うち、系列の病院もあるでしょ?実は病院が変わる可能性もあったの。でもなんとかお願いして、変わらずにすみそうでね」

「私のために?」

「違うよ、私が美樹と一緒の病院にいたかったから……って、なんで泣くの?」

「うぅぅ、だって」

「よし、続きは、うちでね」


 いつの間にか、マンションに着いていた。




「ねぇ、キスマーク何か言われた?」


 どちらのご褒美か分からないけれど、ご褒美というていで抱き合った後、最後の気になっていた事を聞いてみた。


「それが何も言われなくてね。自慢したかったのに」と悔しそうだ。

「さすが、看護部長の方が一枚上手だね」

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