第2話 返事の予告

「あっ」

その日入院してきた彼女を見て思わず発してしまった

白衣を着ている時は、常に冷静を心掛けていたのに

私としたことが…


直接話したことはなかったけど、前々から姿は見ていたから

食堂や売店、頻度は少ないけど更衣室でも何回か

元気で明るくて楽しそう!というイメージを持っていた

いつだったか、オペ前訪問に来ていたのを見かけて、オペ室勤務なのだと知った


入院してきて受け持ちになり、名前を知った彼女、河合美樹。



その彼女が、今、初めて泣いた

私の部屋で

私の隣で

良かった。そう思った


✴︎✴︎✴︎


ずっと泣いていなかったから。


患者としては模範的だ

取り乱しもせず

泣きもせず

淡々と過ごしているように見えた


ただ

知り合う前に見かけてた、あの太陽のような笑顔は消えていた

笑わないわけではない

口角を上げて微笑むことはあるけど

クセなのか

時折りキュッと唇を噛みしめることがあって

泣くことが出来たら少しは楽になれるのになぁと思ってた



そういえば、彼女じゃなくてお姉さんの方が盛大に泣いていたな


手術の同意書の提出をお願いしていたけれど、なかなか出してもらえなかったので話を聞いた

「ご家族に話しにくかったら、私が話そうか?」

「いえ、自分で話します。でも、そばにいて貰えますか?」

「もちろん」


ご両親は体調面に不安があって心配かけたくないということで、お姉さんがやってきた

話を聞いてとても驚いているように見えた

「なんでこんな大事な事、、もっと早く話してくれれば良かったのに」

「泣かないでよ、お姉ちゃん。大丈夫だから」

お姉さんは

はぁぁ、と一つため息をついて

心を落ち着かせているようだ

それから聞いた

「祥子は?知ってるんだよね」

「うん、しこりに気付いた時に相談してた」

「そんなに前から…」

「私が口止めしてたの」

「そっか、わかった。お父さんたちには折を見て私から話しておくから」

「ありがと」




乳腺外科の病棟は明るい

女性、それも“おばちゃん”と呼ばれる世代が多いからか

病室から、よく笑い声が聞こえる

隣の血液内科病棟の看護師からは

「そっちは楽しそうだねぇ」と、よく言われる

そんな、おばちゃん達にも彼女は可愛がられてた


手術も無事に終わり

経過も順調で

結局、入院中に彼女が泣くことはなかった


私は担当看護師として接し

退院の日を迎え

「おめでとう」と言って彼女を送り出した

少しの気掛かりを残しながら



退院してしまえば、私には何も出来ることはない

でも、やっぱり気になってしまう

探してしまう


しばらくはお休みしていたみたいだけど

仕事復帰したみたいだ

つい、目で追ってしまう


同僚と楽しそうにしてたり

先生と声を潜めて何やら真剣な話をしていたり

あ、あの先生、救命救急センターの女医さんだ

仲良いんだぁ

胸がチリチリと痛んだけれど

元気そうな姿を見るのは嬉しい


そんなある日、見かけた顔に翳りがあって気になった

歩いて行く方向で、どこへ行くか予想が出来たので、後で行ってみようと思った

古典的な...待ち伏せだ


元気にしているならいい

けれど、あんな顔されたら声をかけずにいられない


「・・・なんでこんなところに」と

実際は、彼女から声をかけられたのだけど


待ち伏せとは言えず

「日向ぼっこ」と答えたら呆れられた


ただ話を聞くことしか出来なかったけど

その後、前向きに治療をすることになったと人伝てに知って、ホッとした


この仕事も長年続けていると、異動することもあり、あちこちに知り合いも増える

放射線科にも、割と仲の良い技師さんがいたので、遊びに行くフリをしてコッソリ様子を伺うつもりだった


同じ事を考えていた人がもう1人いた

あの先生だ

やっぱり、あの噂は本当なのかもしれないな

私の出る幕はないか

帰ろうとしたら、声をかけられた

「乳腺外科の看護師さんですよね?」

「…はい」

「美樹がお世話になったようで」

「いえ、そんな私は何も。河合さんから私のことを?」

「あ〜違うんです。私が勝手に…一度病棟に見に行ったんです、その時に。美樹、心配されるの嫌みたいで、何も話してくれなくて、今日の放治のことも職権濫用して知ったんですよ、だからコッソリ」

「職権濫用って」

「様子がおかしいと思ったら治療のことで悩んでたみたいで、お酒強いのにあんな酔い潰れ方…」

弱いくせに意地っ張りで困る。と

少し哀しそうで、でも愛おしそうに話す

「弱い…ですか?」

「ああ見えて弱いんですよ、美樹は」

だから何かあった時には助けられるように見守っていたい。と言った表情は真剣だった

「よく知ってるんですね」

「まぁ、結構長い付き合いですから…あ、じゃ美樹のこと、よろしくお願いしますね」

「え?」

どこからか呼ばれたみたいで、電話片手に去っていった


その日は、彼女に会う勇気がなく

治療が終わるのを見届けて、そのまま帰った




あの先生に会ったことで、気付いてしまった

彼女に惹かれていること


あの先生には敵わないかもしれない

でも、私だって何かあった時には彼女の力になりたい


あの先生には話さなかった放射線治療のことを、私には話してくれた

ただ単に、担当の看護師だったから

それだけの理由かもしれないけれど


それでもいい

少しでも彼女の力になれれば

あの太陽のような笑顔を見たいから


だから声をかけた

「あれ?今、終わり?」



✴︎✴︎✴︎


泣き止んだ彼女が発した言葉に驚いた


「告白してもいいですか?」なんて


いい歳をしてキュンキュンしてしまった

冷静さを失ったようで

「楽しみにしてる」と答えてしまった

これじゃ、もう返事しているようなものだ


そしたら、また泣き出したから

髪を撫でていた

目が合ったら

「もうやだ、泣き顔見ないでください」

なんて言うから

堪らなくなって


「可愛いよ、キスしたいくらい」

「ふぇ?」

「お返事の予告ね」

だから、まだしないけど。

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