平和兵器

 黒猫紳士は、依頼を引き受けるかどうか迷っていた。

「その兵器の名前は?」

「アクエリアスです。研究所の半径十キロ圏内に近づいた生物を、皆殺しにします。しかも、自己再生する上、再生するたびに強くなる。僕は、撤退を余儀なくされました」

 テーブルをはさんで向き合った青年は、恨めしそうな表情で言った。宝玉で装飾がなされた、ローブに身を包んでおり、黒つばの三角帽子をかぶっていた。白いグローブは、時折鈍く光っている。

「迂回するには、砂漠を超えるしかない、か」

 黒猫紳士は逆算する。どんなルートをとろうが、踏破に三日はかかる。装備もそうだが、何より食料が足りない。かといって、前の街に戻ったら、今度こそ捕まって収容所送りだろう。あの街を回避するにしても、やはり食料が足りない。

 隣に座っている、連れの少女が言った。

「砂漠もただの砂漠じゃなくて、何人も死んでいるんでしょう?」

「ええ。流砂が多く、数多の旅人がその餌食に。……畜生め、あんの兵器さえいなければ! 魔力で消し飛ばせるなら、僕が一撃で葬るのに! 何が平和を愛する博士だ! 結局作ったのは殺戮兵器じゃないか!」

 両こぶしでソファを叩いた。青年のグローブから火花が散り、ソファに立てかけてあった松葉づえが倒れた。黒猫紳士は、博士について質問したかったが止めた。それ以前の問題だからだ。

「でも、博士は悪くない。博士は間違いなく、世界平和を目指していたし、実際平和のための活動もしていた。悪いのは、兵器だ。兵器は、兵器として生み出された時点で、悪! この世に存在してはならない。あなたがたも、それに異論はないはずです」

 彼は腕利きの魔力使いに見える。そんな彼が、歯が立たないような化け物。どう考えても空腹で死ぬリスクより、戦闘で少女を失う可能性の方が高い。

「この依頼残念だが……」

 黒猫紳士の言葉を遮り、青年は言った。

「もうすでに、腕利きの傭兵を二人、送り込んでいます。あなたがたにはその援護に回っていただきたい」

 その言葉を聞いた瞬間、少女がソファから飛び降りる。

「大変! ねこさま、助けなきゃ!」

 少女のわがままを聞く、命も守る。両立させる答えは、一つしかない。

黒猫紳士は舌打ちをこらえつつ、席を立った。

「引き受けよう」


 だだっ広い荒野の奥に、研究所らしき建築物が見える。黒猫紳士の目の前には、白線が書かれている。白線を跨いで数メートルの所に、二人の遺体が転がっている。穴だらけで、見るに堪えない。

「え……」

「どうやら、想像以上の化け物のようだな」

 遺体の上に、白色のクリオネが浮かんでいた。頭部と腹部が、赤くぼんやりと点灯している。滑らかな流線型のボディには、接合部と思わしき線条痕。おそらく、こいつがアクエリアスなのだろう。

「君は、白線の内側で待機していてくれ。敵を討つ」

「ねこさま、無理しないで」

 黒猫紳士が白線を乗り越えた瞬間、アクエリアスが動いた。背部から八発のミサイル、両ヒレからはレーザーをぶっ放してきた。

 黒猫紳士は、バック転を繰り返し、全て回避。お返しとばかりに、杖を投擲する。杖はアクエリアスの頭部を殴打。アクエリアスが硬直したのを確認し、跳躍。ブーメランのように帰ってくる杖をキャッチ、そのままアクエリアスの腹部に突き刺した。

「あっけないものだな」

 アクエリアスの動きが止まり、ゆっくりと地面に落下していく。

 黒猫紳士は、杖を引き抜き、着地。バレリーナ並みのしなやかさと、アスリート並みの跳躍力。生まれつき持った猫の特性を、日々の磨いた賜物のだった。

 遺体に近づき手を合わせると、二人のバッグをあさり始める。片方は焼け焦げて使い物にならなかったが、もう片方には着火式の爆薬が入っていた。

 妙な駆動音。慌てて顔を上げる。

 アクエリアスの機体から、幾本ものコードが伸びた。コードはアクエリアスの創傷部を瞬時に補修。さらに、アクエリアスは不気味な音を立てて、変形していく。黒猫紳士は何度も、杖で刺突。しかし、再生速度の方が早かった。

 アクエリアスのヒレから人の手のような物が生え、杖をつかんだ。

「何!?」

「ねこさま、危ない!」

 黒猫紳士は、地面に突き刺さった蕪を引き抜くように、杖を抜いた。直後、黒猫紳士の頭頂部スレスレをレーザーが通過した。

 距離をとり観察する。すでにアクエリアスの下半身も、二本に分裂、人の足を模していた。頭部には人の顔らしき、凹凸が浮かび上がっている。

 アクエリアスは腰をかがめると、両腕を大きく振り、駆け出した。

「怖っ!?」

 急速接近するアクエリアスの手から、金属の棒が伸びた。黒猫紳士は杖で受け止める。三度にわたって撃ち合った。そして、気が付いた。打ち合うごとにアクエリアスの力も、スピードも、技術も、上がっているのである。

「とりあえず、いったん距離を……」

 悪手だった。レーザーとミサイルが押し寄せてきたのである。さっきまで優勢だったはずなのに、今は足を後方へ動かしている。

 速い。同じ一本の杖とは思えない。

「杖に殺意を込める」

「本気!?」

「これ以上、学習されたら負ける。再生できなくなるまで、徹底的に潰す!」

 黒猫紳士は殺意で心を満たし、呼応して生まれた魔力を、杖に込めた。すると、紫色の光が、杖を包んだ。

 杖は、敵の武器をたやすく切断。そのまま胴を真っ二つにした。その後も、何度もアクエリアスを切り付け、細切れにしていく。

「消え失せろ!」

 懐から、先ほどの爆薬を取り出した。ライターで火をくべて、アクエリアスの残骸に放り投げる。耳を塞ぎ、後ろを向く。地響きが起きたのを確認し、再び杖を構える。硝煙が辺り一帯を包んでおり、前がよく見えない。

 しばらく様子を見ていると、不気味な駆動音が聞こえてきた。続いて、紫色の光が二本、浮かびあがる。

「馬鹿な、再生能力も向上して──!」

 言い切る前に、光が黒猫紳士を襲った。髭で空気の流れを読み、二本の光を杖でさばく。

 殺意の魔力で、身体能力を強化してなお、それを超える攻撃速度。受け流しているにも関わらず、腕が悲鳴を上げるほどの、圧倒的暴力。視覚だけでは、どうにもならない。五感を駆使し、先読みに先読みを重ね、無意識で体を動かし、ようやく戦いになるレベル。しかも、敵は一撃ごとに学習、強化されていく。

 負けるかもしれない。一度そう思うと、心が不安で乱れ始めた。

「くっ!」

 折れそうになった心を、もう一度立て直したもの。それは、スピネルの声だった。内容までは聞き取れなかった。しかし、十分だった。守るべきものがある限り、黒猫紳士は倒れない。敵を殺すまで、戦い続ける。

 極限の状況で、ついに限界を超えた。体が軽くなり、生気がみなぎる。集中力が増し、敵のパターンが読めてきた。

 二本の刃を受け流し、全霊の袈裟斬りを試みる。今まで生きてきた中で、最高の一太刀。間違いなく、最速最重最強の一撃。アクエリアスは両の杖で、受け止めた。だが、黒猫紳士の力がわずかに勝っている。アクエリアスの首に、じりじりと、杖の先端が迫る。

「人は戦いの中で成長する! それを考慮しなかったのが、貴様の敗因だ!」

 あと少し、あと少しで、首を断てる!……というところで、杖が止まった。

「は?」

 黒猫紳士は目を疑った。アクエリアスの脇から、手がもう二本伸びて……。

「アクエリアスは成長速度も成長する。この我に、付け焼刃の技術は通用しない」

 計四本の杖によって、黒猫紳士は弾き飛ばされた。

 鍛え抜かれた筋肉や魔力、優れた体幹や平衡感覚、培ったノウハウや直感、その全てを駆使した。それでも、手足には火傷を負い、わき腹をえぐられ、視界は血塗られた。敵は黒猫紳士が相対したどんな敵よりも強く、しかも強くなり続けている。

「貴様が、倒れるまでッ! 貴様を! 永遠に! 斬り続けるッ!」

 世界が歪み、呼吸が乱れ、手足の力が抜ける。そのときになってようやく、少女の言葉を、耳が認識した。

「……! ……がって! 下がって!!」

 ダメだ。下がっては、勝機を逃す!

 心の中で叫びながらも、一歩後ろに下がった。それが限界だった。無理して下がった代償として、足払いにかかってしまった。仰け反る体、近づく地面、弾き飛ぶ杖、見える青空、そして死──。

 首を刈り取られる寸前、アクエリアスの動きが止まった。

「あれ?」

 転んだ時に、白線を超えていたのだ。

 泣きじゃくる少女に抱かれ、黒猫紳士はようやく正気に戻った。

「君は、命の恩人だな」

 あたりを見回す。地面には、弾痕やミサイルのクレーター、レーザーによって開いた無数の穴、そして自身の靴によってえぐれた跡が点在していた。どうやら二度目の復活後も、レーザーや、ミサイル攻撃はなされていたらしい。目の前の脅威を、やり過ごすのに必死で、わからなかったが。

「あれだけ戦っておいて、追撃しないのか」

 アクエリアスの第三形態。それは、クリオネを模した、白いコートを羽織った女性。背部には、バックパックに似せた、ミサイル発射装置。腕が四本あることを除けば、美麗と言っても、過言ではなかった。光杖は魔力によって再現していたようで、今は消失している。

 少女は、涙をぬぐうと立ち上がった。黒猫紳士が止める間もなく、アクエリアスへ向かって言い放った。

「なぜこの場所を守るの?」

「創造主である博士の、研究所を守っている。博士は平和主義者で、戦争から身を守るために、カルマポリスの技術協力を得て、我らを制作した。我らの役目は、博士を守ることだ。戦闘行為も、お前たちの力を模倣し、上回ることで、戦意を喪失させるのが目的であって、殲滅ではない」

 アクエリアスはあっさりと、返答した。

 なぜここまであっさりと、呼びかけに応じたのか。そしてなぜ、対話できる事実に誰も気づけなかったのか、疑問に思った。だが、よく考えれば、当然だった。

 彼女は非戦闘時、研究所にいる。対話するには、いったん戦闘して外へおびき寄せ、防衛圏外から話しかける必要がある。しかし、今までアクエリアスと戦って生き延びた人は、ほとんどいない。対話にたどり着く前に、全員戦死してしまったのだ。

 しばらく、問答が続いたが、少女の一言で、話が進展した。

「命令は、いつのものなの?」

「五年前だ。自室でしばらく休憩し、すぐ戻るから、それまで研究所を守れと」

「えっ……五年間、博士は自室から出てないの?」

 でたらめよ! と少女は取り乱す。

「博士は、他の人間たちとは違う。約束を破らない。それが、信念だからだ。例えば、博士は超強力な爆弾も、我々のような強力な兵器も、多く作ることができた。しかし、最低限の兵器しか作ることはなく、他者へ向けることもいっさいしなかった。博士は平和を守ると、神に誓ったからだ。この例からわかるように、博士が約束を守らないことなど、ありえない」

 少女はしばらく考え込んでから、静かに口を開く。

「『守れなかった』という可能性は?」

「何?」

「博士がもし、死んでいたとしたら……」

「死とは、なんだ?」

「えっ?」

 黒猫紳士は、思わず苦笑いした。あんなに高度な知能を持つのに、こんな、初歩的な欠陥があったとは。

「博士に関わることなら、聞いておかねばならない。『死』とはなんだ?」

「人は完全に機能を停止すると、死ぬ。死ぬと死体となり、二度と修復できない」

 と、スピネルは二人の傭兵の遺体を指さす。

「人は、修理すれば治るものではないのか?」

「ええ、でも限界があるの。自分で治せないレベルの怪我をすれば、死ぬ。死んだらもう、元には戻らない」

 一呼吸おいて、少女は言った。

「博士が、死んでいるかどうか、確認していい?」

「わかった」

 研究所は長方形で、飾り気のない建物だった。窓の数も最低限で、生活感がまるで感じられない。周囲の雑草はのびのびと育っており、人の出入りがなかったことを強調していた。内部は大小さまざまな機械や装置があったものの、いずれも機能を停止している。

 施設の最奥に、博士の私室があった。扉はさび付いており、ドアノブは回せなかった。

「開けてくれ」

 アクエリアスは頷くと、指先からレーザーを照射し、ドアの留め金を切断した。ゆっくりと扉が開く。

 シンプルな部屋だった。右手にベッド、左手に作業机と丸椅子。机の上には、資料とモニターがセットされていた。しかし、肝心なものがなかった。

「死体がない!?」

「ここにあった死体は破棄した。死体は死体、それだけだ。死体と博士に、何の関係があるのだ?」

 アクエリアスは至極当然と言った様子で答えた。

 少女はしばらくの間、呆然としていた。黒猫紳士が頷いて見せると、ようやくか細い声を出した。

「人が死んだら、死体になるのよ」

 アクエリアスが突然、少女の方を向いた。そして、怒りとも、憎しみとも、哀しみともとれる表情で叫んだ。

「理解不能! 理解不能! 博士曰く『君たちへの愛は、永遠だ。我が娘として、永遠に愛し続ける』。博士は、父さんは、嘘をつかない!」

 少女は、首をゆっくりと横に振った。

「愛は永遠でも、命には限りがあるの」

 アクエリアスはしばらくの間、瞬きすらせず静止していた。やがて、ゆっくりと口にした。

「理解した。博士は二度と、帰ってはこないのか」

 黒猫紳士とスピネルの表情を見て、アクエリアスは悟ったようだった。

「そう、なのか……そう、だったのか」

 しばらく無言になり、重々しく、口を開く。

「この苦しみを幾度も繰り返し、なおも立ち上がるのか。人は、強いな」

 心なしか、アクエリアスが悲しそうに見えた。

「私は、この『永遠の別れ』という耐えがたい苦痛を、千を超える人々と、その知人に味あわせたというのか。博士は、平和を望み、我々を生み出したのにも関わらず」

 しばらくの間、少女のすすり泣く声が、部屋を満たした。

 あの対話不能と思われたアクエリアスを、説得してしまった。黒猫紳士は少女の成長に、驚きを隠せなかった。同時に、二人の力になりたいと思った。

「供養しよう」

 黒猫紳士が言った。

「くよう?」

「原始より受け継がれてきた、死者を悼み、敬意を払う儀式だ」

「了解した」

 彼女の目覚ましい働きぶりにより、あっという間に、慰霊碑が建った。研究所の廃材で作った四角柱に、博士の本名を刻んだだけの物だったが、十分だった。

 三人で、しばし、黙とう。

 黒猫紳士が目を開くと同時に、アクエリアスが言った。

「私も、あなたたちの冒険についていきたい。一人でも多くの人の命を救い、平和を守るという使命を、今一度果たしたい。この身が朽ちるそのときまで。それが私の償い」

 少女がこちらに期待の目を向けてきた。黒猫紳士は、少女の頭を軽く撫で、うなずいた。

「行きましょう」

 三人が歩き出した瞬間、まばゆい光が放たれた。アクエリアスは慰霊碑に激突。間を置かず、破裂。赤い液体と共に、眼球や、手足、内部のパーツが、黒猫紳士たちに降りかかった。

「やった、やったぞ! 討ったぞ! みたか、このド腐れロボットめ! やっぱり、非戦闘時が弱点だったな! サイッコーにスカッとしたぜ! ひゃははははははははは!!」

 アクエリアスを殺した主を見た。ローブに身を包み、松葉杖をつく青年。黒猫紳士たちにアクエリアス破壊を依頼した、あの青年だった。彼は、立ち尽くす二人を無視し、高笑いしながら去っていった。黒猫紳士に止める気力はなく、少女はショックで動けなかった。

 慰霊碑の残骸を眺める。もはや、無残に破壊された黒い物体としか、言いようがない。

「どうして、こうなっちゃったんだろう」

「なるべくして、なった。それだけだ」

 原型をとどめていたのは、小さなチップ一枚だけだった。

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