青のない街
「この国では、生物以外が持つ『青色』を禁止しているんです。あと注意点としては、火気厳禁であることですかね。マッチなどがありましたら、滞在中、預からせて頂きます。また、出血をした場合は、速やかに包帯で覆ってください。『青色』は、とにかく禁止されているので」
そのように門番に言われて、踏み込んだ町が、一面真っ青だったときの衝撃。民家の壁は青。屋根も青。道路の砂利も青。柵も青。花壇の花も青。『町にいる間はこれを着てください』と貸し出された服も、もちろん青。
黒猫紳士は一瞬、自分の目と常識を疑いそうになった。連れの少女の様子を見る。困惑した表情は、黒猫紳士の目には異常がないことを、物語っていた。
「ねこさま、これって?」
少女は、絹のようにつやのある黒髪と、青のワンピースを揺らしながら、街を見回した。
門から伸びる大通りを歩き、繁華街へと向かう。露店や食事所のメインカラーも、もちろん青だった。
黒猫紳士は、通行人に声をかけた。真っ青なチョッキの、けっこうな美女だった。
「『青色』とは、いったいどんな色なんですか?」
「一般人がわかるわけないじゃん。禁止されてから、もう百年以上経ってるんだから」
めんどくさそうに、美女は去っていった。その後も、何人か話しかけたが、有力な情報は得られない。
聞き歩いているうちに、商店街へ突入。粘り強く聞き込みをしていると、長い金髪をなびかせた、釣り目の女性が寄ってきた。先程よりもさらに鮮やかな、青のドレスに身を包んでいる。黒猫紳士は軽く挨拶を交わすと、本題にはいった。
「実は、大変言いにくいのですが、この国の色、私の故郷では『青』と呼ばれているんです」
「なんですって?」
女性は、露骨に不快感をあらわにする。しかし、こちらの身なりを見るなり、すぐ落ち着きを取り戻した。
「あーなんだ、旅人の方ね。滅多に来ないから、そうとわからなかったの」
「不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
「いいのよ、気にしなくて」
頭を下げる黒猫紳士に対し、女性は優しい笑みを浮かべた。
「もし、この町の『青色』が見たかったら、そこの角を右に曲がって。それから、まっすぐ進んだところにある、焼却炉を見るといいわ。焼却係りの人以外は、まずいないけどね。私も中に入ったことはないし、『青色』がどんな色かは知らない。でも、あんな所へ行くぐらいなら、レストランにでも立ち寄った方が、よっぽど有意義よ。どう? ご一緒しない?」
「お言葉は嬉しいのですが……」
女性は、ズボンにしがみつく少女を見て、肩をすくめた。少しかがみ、少女と目線を合わせると、微笑みを浮かべながら言った。
「かわいいお嬢ちゃん。その見えない手綱、絶対に離しちゃダメよ」
「うん、わかった!」
あっけにとられる黒猫紳士を置いて、女性は去っていった。
「私って、そんなに浮気性に見えるのか?」
「釣り目で、長い髪の女の人に対しては」
あっさり好みを言い当てられ、黒猫紳士は苦笑いするしかなかった。
「あ! ねこさま、あれが焼却炉じゃない」
煙突のついた、青色の四角い施設だった。周囲を木々で囲まれており、町から隔離されている。その上、窓の数が異様に少ない。施設の中にあるものを隠したいという思いが、痛いほど伝わってくる。
側面に、出入り口らしきものを発見。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「何が出るにしても、行きましょう。ねこさま!」
中に入ると、長机と椅子だけ置かれた、簡素な受付があった。床も、壁も、全て青で塗られており、何となくドライな気分になる。
受付の奥に、壮年の男が座っていた。眠そうに本を読みながら、あくびしている。男はこちらに気づくと、慌てて立ち上がった。
黒猫紳士は手短に要件を伝えた。男は首をかしげながら答えた。
「『青色』の見学、とは? いくらトラベルライターとはいえ、あんな不快なものを見て、何になるんですか? わざわざ、国中の建物を塗り潰してまで、避けている色ですよ?」
その質問には少女が答えた。
「『青色』がどんなに不快かを知れば、旅人であるわたしたちにも、この町の人の気持ちがわかると思うの。だからよ」
「なんと立派な。この子はきっと、大物に育ちますよ」
壮年の男は、大袈裟に笑った。黒猫紳士は、先程のやりとりを思い出して、吹き出しそうになった。
「ついてきてください。受付は、ほっといていいんです。どうせ誰も来ないし、貴重品ロッカーは『青色』の部屋の奥にあります。泥棒は、入りたくても、入れません」
奥にある扉を開けると、殺風景な通路が続いていた。まず右へ曲がり、奥へ進むと右に曲がり……延々と右に曲がりながら、施設内を進んでいく。あとで聞いた話によれば、渦状に道が配置されており、厄よけの魔方陣と同じような意味があるとのことだった。理由はただひとつ、『青色』を封じ込めるためだ。
だんだんと、中心へ近づいていることを感じる。少女は、この先に何があるのか、興味津々といった様子だ。町中が忌避するものを見に行くとは思えないほど、目がきらきらしている。元々精神的にタフだったのに、旅を通して、さらにタフネスになってしまったらしい。
そんなことを考えているうちに、最後の扉へたどり着いた。
「さて、覚悟はよろしいですか。引き返すなら、今のうちです。後悔しても、しりません。『ここまで来たら、退くわけにはいかない』という意地でここに立っているのなら、どうかお引き取り願います」
「ええ、どんとこい、よ」
「最悪な光景であればあるほど、最高のネタになる。トラベルライターの、醍醐味だろう」
男はゆっくりとうなずいた。そして、もう一度確認をとったあと、扉に鍵を差し込み、回した。
「本当に後悔しませんね」
鉄の擦れる重苦しい音と共に、扉が開く。
奥にはあったのは……
「あー」
少女のほっとしたような、ガッカリとしたような、気の抜けた声」
「やはり、な」
なぜ、この町が青で塗りつぶされているのか。
「見てください! 一面『真っ青』です! これを見て正気でいられますか!?」
不快感を全開にする、受け付けの男。その視線の先には一面火の赤、赤、赤。上から焼却炉へ投下されている物体も、レンガや赤の衣服といった、赤色の無機物だった。二人は、なんとも言えない表情で、受付まで戻った。
「わかったでしょう。この町の人が、なぜ『青色』を嫌うのか。あの色は、脳に作用して本能的な不快感だとか、恐怖とかを、呼び起こしてしまうんです。その上、目に焼き付いて離れない。ああ気持ち悪い」
「こんな職場で働くなんて、大変ね。ここの職員さんもそう。でもこうして頑張っている人がいるから、町の人は『青色』から離れて平和に暮らせるのね」
「まあ、その分高い給料もらってますからな。ハハハハ」
その後、幾ばくか話した後、焼却炉から外に出た。青に包まれた町が、焼却炉の赤と混じりあい、灰色に見えた。
「ねこさま、この国では赤色のことを『青色』って言ってるけど、どちらが正しいのかな?」
「さあな。名前など、時と場合によって、いくらでも変わる。例えば、君の故郷で『お湯』と呼ばれているものが、私の故郷では『熱い水』と呼ぶ文化あったりする。文化だけではなく、役割によっても変わることがある。同じ水でも、手を洗う用の水だと言ったら『手を洗う用の水』になるし、飲み水だと言えば『飲料水』になる」
少女は少し考え込んだ後、続けて質問してきた。
「うーん、それじゃあ、わたしたちが見ている色とこの国の人が見ている色って、同じ色なんだよね?」
「わからない。君が感じる痛みが、私の感じる痛みは、同じである、と証明する手段がないように。大切なのは、異なる文化を理解した上で、受け入れることだ。互いに譲歩して、双方がウィンウィンになるつきあい方を考えることができたら、素敵だと思わないか? もっともそれができれば苦労しないが」
町に戻って、あらためて建物を見回す。黒猫紳士の目には、やはり、青にしか写らないのであった。
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