第11話、惨劇

 覚醒した実験体13号、『 愛 』。

 神田の駅裏から新宿へ、走行中の車内から車外へ……

 生前の友美には、無かった能力だ。

 あの浩子よりも、強い力を覚醒させていると思われる。

 そう、ユキと同じ力だ……!


 未来を予知出来ていたとされる、ユキ……

 では、愛にも、未来が見えるのか? それは、定かではない。

( 愛ちゃんは、精神的に限界なのでは……? )


 自分自身が理解出来ない苛立ち。

 常に監視される生活。

 友だちも家族もなく、いつも身の回りに付きまとう医師たち……


 心休まる所など、どこにもないのだろう。 1人の人間ではなく、単なる実験体としか見ていないスタッフからは、愛情を感じる事もないと思われる。

『 あたしを愛してっ…! 』

 友美の記憶を通して、愛が言った言葉を思い出す、菊地。

 愛もまた、寂しいのだ。 かつての友美が、そうであったように……


 田所は、研究の放棄を決めた。

 研究チームは解散し、その情報処理の残務整理を、久保が進めている。

 延命治療・新薬研究に関するデータや書類はすべてまとめられ、焼却処分された。

 クローン研究に関しては、論理的な解説部分は残されたが、施行実績・観察データ・成長記録などは、すべて破棄。 記録は、パソコンのみにインプットされていた為、ディスクの初期化が行なわれた。


 愛が、行方をくらませてから2日。

 菊地は、田所を訪れた。


 以前、部屋を埋め尽くしていた実験器具やガラス容器は、すっかり片付けられ、がらんとした広さが感じられる。

「 ずいぶん、広くなりましたねえ…… 何か、違う部屋みたいだ 」

 部屋を見渡しながら、菊地が言った。

「 全て、破棄したよ…… 15年分、全てだ 」

 田所は、少し寂しそうに答えた。

「 先生やスタッフの方たちの、長年の研究成果を破棄するのは、私も残念に思いますが… 仕方ありませんね。 事情が事情ですから 」

 接客用のイスに腰掛けた菊地がそう言うと、久保が、お茶を出した。

「 あ、どうも… 」

 菊地の挨拶に、軽く会釈を返した久保は、そのまま、田所の横に座った。

「 一ノ瀬君は? 」

 田所が、久保に聞く。

「 夕方、連絡を取りまして… 今からこちらに向かう、との事でしたが… 」

「 …もう7時か。 遅いな。 まあ、じきに来るだろう。 菊地君、その後だがね…… 」

 田所は切り出し、続けた。

「 研究は、すべて放棄した。 研究棟の書類・データもすべてだ。 研究に携わっていたスタッフも解散させた。 クローンに関わっていた研究スタッフは、全員で17人いたが、その内、愛の存在を知る人物は8人だ。 富山教授・堺田君・藤川君・山崎君・国枝君・一ノ瀬君… それに、この久保君と、私だ 」

 菊地は、出されたお茶を飲みながら、田所の話しを聞いている。

 田所が続けた。

「 実は、国枝君が死んだ……! 」

「 …え? 足を折った医師の方ですか? 」

 湯飲みをテーブルに置き、菊地が尋ねる。

「 ああ… 実は、彼は救急車が到着した時には、既に死亡していたのだ……! 」

「 え? そんなに具合が悪かったのですか? 確か、足を折ったとか… 携帯でお話しされてましたよね 」

「 彼の死因は、窒息死だ…! 」

「 なっ… 何ですって!? 何で… 」


 …菊地は、一瞬、イヤな想像をした。


 田所は続ける。

「 警察の調べでも、はっきりした事は判らないそうだ。 多分、衝突の衝撃で胸を圧迫し、呼吸困難になったのではないか、との事なんだがね 」

 菊地は沈黙している。

 田所はタバコに火を付けると、ふうっと煙を出し、言った。

「 …愛が戻って来て… 殺したとは考えられないかね……! 」

 その言葉を聞き、田所を、じっと見つめる菊地。 菊地も同じ事を考えていた。


 窒息……


 かつて、桜井という男性を、社が窒息死させている。 浩子も、同じ手段で、春奈を手に掛けている……

 今回も、可能性は充分にあると菊地は考えていた。

 テーブルの上の灰皿に、タバコの灰を落としながら、田所は言った。

「 呼吸困難な状態で、あんなに明瞭に会話するなどと言う事は、考えられん。 確かに、気は動転していたようだが、命に関わるような状態では、なかったと思う。 どう考えても不自然だ 」

 菊地は答えた。

「 …先生の推理の、その可能性は充分にあります。 過去に2人、同じように殺されています。 首をしめるのではなく、空気そのものを操るのです。 流れを止めるのか、酸素自体を奪うのか… 手法は判りませんが、いずれも力を持った者であれば、簡単な事です 」

 田所は、久保と目を合わせた。

 菊地の方を向き直ると、真剣な表情で言った。

「 菊地君、これは… 愛が、我々に対して、攻撃をして来たと言う事だ……! 」

 菊地は考えた。

「 そうとも取れますが… 自分を、病院に連れ戻そうとした者たちに対しての、返り討ちじゃないですか? 放っておいてくれ、という感覚の 」

「 …ううむ、確かに、そうかもしれん。 だが、私としては、気掛かりだ。 もしかしたら、愛は、自分の存在を知る人物、全員を標的にしておるのではないか、と言う憶測に行き着いてね…… とりあえず、残っているメンバーを全員を集めて、今後の対策を協議しようと思ったのだよ 」

「 なるほど、ある意味、私も関係者ですからね 」

 菊地が、そう言うと、田所は灰皿でタバコを揉み消しながら答えた。

「 君は、愛から見て初対面な人物だ。 我々を見る目とは、違うと思うが…… 」

「 その… 一ノ瀬さん、ていう方は? 」

「 内科医だ。 主に腎臓透析の時に、愛とは会っていた。 今日は非番だが、来てくれるように頼んでおいたんだがな… 」

 壁に掛けてあるインターホンが鳴った。 久保が応対に出る。

「 はい、田所の研究室です。 はい… はい、…えっ! 本当ですか! 」

 何か、緊急事態のようだ。

 久保は、受話器を耳にあてたまま、田所の方を見ながら応答を続けた。

「 どうしてそんな… はい… 判りました。 どうも…… 」

 内線を切った久保の表情は、青ざめていた。

「 どうしたのかね? 」

 田所が聞いた。

「 い… 一ノ瀬先生が… 立体駐車場の屋上から、車ごと転落されて…… 亡くなったそうです……! 」

「 なッ、 何だと…!? 」

 田所が叫んだ。 久保が追伸する。

「 今、受付に… ご自宅の方から電話があったそうです。 こちらに向かわれておられる途中だったようですが……! 」

 唖然とする、田所。

「 …そんな… 一ノ瀬君が……! 」

 これも、愛の仕業なのだろうか?

 状況的には、その確立が高い。

 その際、問答無用、とばかりに殺害したのか、あるいは対話があって、愛が敵と判断し、力を行使したのかどうかは、分からない。 もしかしたら、単なる事故という事も考えられる。

 …しかし、これでまた、研究関係者が死んだ事になる。 忍び寄る、恐怖の戦慄を感じさせるには、充分な展開だ……!

 久保は、インターホンの脇に立ったまま、ガタガタと震え出した。

「 わ… 私… 失礼させて頂きますっ…! こんな… こんな所に、いられません! 」

 部屋を出ようとした久保を、田所は止めた。

「 どこへ行こうというのだ! 逃げる所など、どこにもないぞ、久保君! どこに行ったって、愛からは逃れられん! 瞬時に移動する怪物から… どうやって逃げるというのだ……! 」

 ドアの所に立ち止まった久保は、恐々、田所の方を向き、生気を失った表情で聞いた。

「 …どうすれば… どうすればいいのでしょうか? 助けて下さい… 先生、助けて…! お願い……! 」

 田所は、久保の所へ行くと、彼女の肩を抱き締めた。

「 …愛と、対話するしかない。 待つしかないんだよ、久保君… 落ち着くんだ。 いいね? 」

 菊地は立ち上がり、田所に言った。

「 先生、とにかく現場に行きましょう。 もしかしたら事故かもしれません。 現場を見ない事には、判断出来ませんよ 」

「 うむ、そうしよう。 久保君、その立体駐車場というのは、どこかね? 」

 久保を引き離し、田所は聞いた。

「 …分かりません… 受付に聞いてみないことには…… 」

 その時、ふいに子供の声がした。


「 お父さん 」


 …何と… 久保の後ろに、愛が立っている……!

「 キャアアア―――――――ッ! 」

 久保が金切り声を上げ、田所の後ろに飛び退いた。

「 …あ… 愛ッ! 」

 田所も、金縛りにあったように、その場に立ち尽くした。

 …一体、どこから入って来たのだろうか。

 いや、どこからも入っては来ていない。 ドアも窓も、締め切ったままだ。 突然、空気のように、そこに忽然と現われた、愛……!

 菊地も、初めて立ち会った移動の瞬間に、声を忘れた。

「 愛、どうかなっちゃったの… 頭が痛いよ…! 体も、すっごくだるいよ… ねえ、お父さん……! 」

 ふらふらと、愛は、田所の方に近寄って行く。

 まさに疲労困憊の様子で、目も虚ろだ。 おそらく、力を行使した影響だろう。

 友美も、そうだった。 力を使うと、その反動が体力に現われる。 おまけに、今の愛は、腎不全の為、体調も悪い。

「 …こ… 来ないで……! コッチに来ないでっ! たっ、助けてえェッ…! 」

 怯えた久保が、田所の後ろで叫んだ。

 田所は、警戒しながらも両手を出し、愛を迎え入れる。

「 …あ、愛… おいで…! 心配ない。 透析すれば治るよ。 おいで。 辛かっただろう? 」

 愛は、崩れるように、田所の腕の中に落ち着いた。

「 久保君、透析の準備だ! 医局へ行って、当直医を呼んで来てくれたまえ 」

 青ざめている久保に、田所は言った。

「 そこのソファーに寝かせよう。 菊地君、手伝ってくれ 」

 愛を抱きかかえ、ソファーに寝かせる。 ぐったりとした様子で、力なくソファーに横たわる、愛。

「 ……眠ったようですね 」

 菊地の問いに、田所が答えた。

「 かなり衰弱している。 カンフルが必要かもな。 とりあえず透析を…… 」

 そこまで答えると、田所は、菊地を見た。


「 …… 」


 暗黙の意志交換。

 透析ではなく、睡眠薬の投与? しかも、致死量……!


 今なら可能だろう。

 そればかりか、こんなチャンスは、今後、無いかも知れない。

 菊地は、判断に迷った。 おそらく、田所も、同じ心境だろう。 互いの目を見て、決断を下すべきか否か、相手が切り出すのを待っているかのようである。

 その時、2人の後ろに、人の気配が感じられた……

 振り向くと、久保が立っている。 手には、点滴用の鉄製スタンドが、握り締められていた。

「 …久保君…? 」

 田所が声を掛けると、久保は、修羅のような形相をし、そのスタンドを両手で振り被った。

「 何をするんだ、久保君ッ! 」

 唸りを上げて愛の顔面に振り下ろされたスタンドは、そのまま、ソファーを突き破った。

「 …えッ? 」

 3人は、目を疑った。

 スタンドが振り下ろされる直前に、愛が消えたのだ。 何もない所に振り下ろされたように、スタンドは、ソファーを突き破っていた。

「 …あ… あ…… 」

 久保は目を見開き、口を震わせながら、怯えている。 恐怖に、正気を失っているようだ。 愛を撲殺しようとしたらしい。

「 …なっ… 何て事をするんだ、久保君! 」

 スタンドを握り締めたままの、久保の両腕を掴み、田所は叫んだ。

「 正気か、君はっ! こんな無茶な事を… 手に負える相手だと思っているのか…! 」


「 どうしてみんな… 愛を殺そうとするの……? 」


 背後から聞こえた愛の声に、田所は、ギクリとした。

 振り向くと、愛が、じっと、こちらを睨んで立っている。

「 いっ… イヤああ――――――ッ! 」

 久保がスタンドを放り出し、叫んだ。

 極度の疲労に、焦点が定まらないのか、視線を泳がせながら愛は言った。

「 …一ノ瀬先生も、そうだった。 いつもと違う注射を、しようとしたし… あたしを、ぶった…! 最後は、車で轢こうとしたわ……! 」

 おそらく、一ノ瀬と言う医師は、徘徊する愛を街中で目撃したのだろう。 保護・確保しようとして、愛との接触を試みたようだ。 だが、状況を鑑み、『 処分 』に及んだと推察される……

 田所は、自分たちも愛を処分しようとしている状況を悟られたくなかった。 場を取り繕おうと、愛に言った。

「 落ち着くんだ、愛…! 久保君は、疲れている。 正常な判断は、出来ないんだ 」

「 …あたし… バケモノじゃないよね……? 」

 かつて、友美が言った同じ言葉で、愛は田所に聞いた。

 愛の質問に、一瞬、田所は答える事が出来ない。

「 …バケモノよっ! ナニ言ってんの! 消えたり、人の頭ひねったり… そんな事、普通の人間に出来るワケないじゃないッ! アンタは、バケモノなのよッ…! 」

 恐怖に錯乱した久保が、愛を罵る。

「 やめないか、久保君ッ! 」

 その瞬間、久保の体が宙に浮き、物凄い力で部屋の壁に押さえつけられた。

「 あッ…!  キャアッ…! 」

 目には見えない、不気味な力…! 15年前と同じだ。 友美たちが使っていた、まさに同じ力である。

( 復活している…! あの、恐ろしい力が… 完全に甦っている! )

 菊地の脳裏に、戦慄が走る。 あの悪夢が、再び、始まろうとしているのだ……!


 誰にも止められない。


 暴走し出したら、それこそ取り返しのつかない事態となるだろう。

 あの時とは違うのだ。 もう、友美と、その仲間たちはいない……!

 菊地は、背中をつたう、冷たい汗を感じていた。


 久保を壁に押し付け、束縛しながら、愛は、じっと久保を睨みつけている。

 …無機質な、その視線…

 おおよそ、人を見据える眼では無い。

 顔前で騒ぐ『 虫けら 』を、どうやって処分しようか…… そんな眼だ。


 体の自由を奪われ、壁に張り付けにされたようになっている久保。

 やがて、先程、久保が持っていたスタンドが宙に浮いたかと思うと、空中を移動し、久保の首に押し当てられた。

「 …う… ぐ…っ! 」

 徐々に、スタンドと壁の間の隙間が狭まっていく。 久保の首は半分ほどが押し潰され、息が出来ないようである。 みるみる、久保の顔から生気が失せていった。

「 やめろ、愛っ! 何をするんだ…! 」

 田所が、久保の所に駆け寄り、スタンドを引き離そうとする。 菊地も加勢し、スタンドを引いたが、到底、太刀打ち出来る力ではない。 既に久保は、痙攣を起こしていた。

「 やめるんだ、愛ッ! 愛ッ…! 」

 田所が、愛を振り向いて叫んだ瞬間、久保の首から、ボキボキッという音が聞こえ、スタンドが壁に密着した。

「 …く、久保君ッ…! 」

 開いたままの久保の口から、赤い血が湧き出るように滴り落ち、床を染めていく。 がくりと、異様な角度で前に垂れ下がる、久保の頭。 突然、音を立てて、スタンドが床に落ちるのと同時に、拘束を解かれた久保の体も、一気に、床に崩れ落ちた。

「 …な… 何て事を……! 」

 田所が、倒れ込んだ久保を抱き起こした。 開かれたままの久保の瞳が、力なく空を見つめている。

「 …久保君……! 」

 はたして、彼女の傍らに落ちていたスタンドが、再び、空中に浮いた。 今度は、点滴を吊るすフックが、田所の顔に突き付けられ、制止する。 動こうとした田所だが、体が動かない。

「 …な、何だ、これは…! 体が… 動かない……! 」

 獲物を狙う蛇の鎌首のように、フックの先が、ゆっくりと田所の左眼を捕らえる。  

 愛のターゲットが、久保から自分に替わった事を、田所は察知した。 顔面には、脂汗が噴出して来ている。

「 や… やめろ、愛……! 」

 じっと、田所を見つめる、愛。


 …その目の表情に、ヒトの心は無かった。


 やがて、小さく言った。

「 お父さんも… 死んじゃえ……! 」

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