第10話、恐怖の再来

 小一時間ほど経ったろうか。 田所が、白衣を着た数人の医師と共にやって来た。

「 …菊地君…! ありがとう、ありがとう…! いやあ、安心した。 良かった、良かった 」

 田所は握手した手を、何度も上下に振りながら、菊地に感謝の意を表した。

「 偶然、私の会社に来たから、良かったです 」

「 やはり、記憶が受け継がれているのか…… 」

 ソファーで眠っている愛の顔を見ながら、田所が言った。

 医師の1人が、愛に血圧計を装着する。

 菊地は、その様子を見つめながら答えた。

「 …おそらく、遺伝的に受け継がれているのではなく、刷り込まれたような記憶でしょう。 愛ちゃんの意識は、まったく独立してあるのですから。 まさに、二重人格です。 友美ちゃんの記憶が起きている時、愛ちゃんの意志は、完全に眠ってしまっている 」

 菊地の言葉に、田所は、頷きながら答えた。

「 …うむ、やはり、もう1人分の性格が、同居していたか…… 薄々、503号の記憶ではないかと推察していたのは、正解だったようだ。 …愛とは、話しをしたかね? 」

「 ええ…… でも、ここに来た時は、完全に友美ちゃんでした。 自分を、友美だと名乗ったんですよ? 」

「 …何と…! そこまで人格変異したのか…… 」

 菊地が言った。

「 愛ちゃんの意識の中にある友美ちゃんの記憶ですが…… 私には、『 意思 』があるように思えてなりません 」

「 …刷り込まれた単なる記憶ではなく、1人の意思として、かね? それは、あり得ないだろう 」

「 私も、最初は、そう思いました。 だけど… 会話が出来たんですよ? 今思えば、記憶の片鱗だけから、あんなにリアルな会話は不可能だと思うんです 」

 顎先に右手を持って行き、指先で摩りながら、田所は答えた。

「 ううむ… 私は聞いていないから、何とも判断に苦しむが…… 」

 友美に対し、親愛なる情がある菊地だからこそ、そう思えるのかもしれない。

 だが、友美の意思は、愛の中で生きている……!

 菊地は、そんなように思う胸中にあった。


 血圧計を外した医師が、田所に言った。

「 田所先生、血圧は正常です。 外傷も見当たりません。 院内に搬送します 」

「 うむ、宜しく頼む。 かなり歩いたはずだ。 明日、早いタイミングで透析をしてくれ 」

「 わかりました 」

 もう1人の医師が手伝い、愛を抱きかかえ、事務所を出た。 他の医師たちも一緒に、病院へと向かう。

1人残った田所に、菊地は言った。

「 先生… もう1つ、重要な報告をしなくてはなりません。 事態は、急を要します……! 」

「 ? それは、どういう意味かね? 」

 腕組みをしながら、菊地は答えた。

「 彼女は… 覚醒しています……! 」

 言葉の意味が判からず、田所は菊地を見ながら、きょとんとしている。

「 …覚… 醒? 」

「 そうです……! 15年前… 不思議な力を操る者たちがいた事を先日、お話し致しましたね? 」

 田所は、無言で頷いた。

「 愛ちゃんにも、その力が発揮出来るようになっていると言う事です 」

「 …不思議な力を、愛が……? 」

 菊地は続けた。

「 愛ちゃんがここに来る前、私の知り合いから電話がありました。 生前の友美ちゃんと、交友のあった知人からです 」

「 ふむ… 」

 田所は、先程、愛が寝ていたソファーに腰を降ろすと、相づちを打った。

「 その知人は、さっき、友美ちゃんを見た、と電話して来たんです。 つまり、愛ちゃんを目撃した訳です。 知人は、神田の駅裏で飲食店を経営しているんですが… ここは新宿ですよね? その、知人からの電話を切ったすぐ後に、愛ちゃんはここへ来たんですよ……! どうやったら神田から新宿まで、3分で来れるんですか? 」


「 …… 」


 田所は、答えられない。

 菊地は続けた。

「 今、先生は、SF地味た想像をし、それを、ご自身で否定なさったでしょう? 15年前の彼らは、それが可能だったんですよ。 もっとも、全員が出来たワケじゃないですがね…… 」

 田所は、じっと菊地を見つめ、思案をしているようだ。

 菊地は、更に続けた。

「 これは、私の推測ですが、少し前に先生のお勤めされている病院の医師が、市ヶ谷の路上で殺害されましたよね? 名前は、確か… 富山とか…… 」

「 …! 」

 田所の眉が、ピクリと動く。

「 そのあと、愛ちゃんが住んでいる部屋から転落して、事故死した医師もいる…… 」

 田所は、沈黙を続けた。

「 …愛ちゃんが、関わっていませんか? この2つの事件……! 」

「 菊地君っ…! 」

 田所は、膝に肘を乗せ、組んだ両手を額に当てながら、低く叫んだ。

 菊地はソファーの所へ行くと、田所が座っている向い側の個イスに座り、言った。

「 …先生! あなたは、まだ、何かを隠している。 この件に関しては、私はもう、大抵の事には驚きませんよ? 全てを話して下さいませんか? 」

 メガネを外し、顔を上げた田所が、菊地を見た。


 …虚ろな表情。

 心身ともに疲れたような印象だ。


 やがて、静かに話し始めた。

「 …菊地君… 判らんのだよ、我々にも……! 富山君とは、大学時代からの親友でね。 プロジェクトの研究にも、最初は加わっていた。 しかし、事がクローンに及ぶと、彼は猛烈に反対し、チームからも抜けてしまった。 情報を漏洩させるような人間ではないが、スタッフの間では、警戒の声もあってね… 最近、成長した愛を見かけたらしく、クローンの存在を察知した彼は、私に研究の停止と情報廃棄を迫って来た 」

「 …まさか、それで富山医師を…! 」

 慌てて田所は、それを訂正した。

「 違う…! 断じて、そんな事はないっ! 」

 富山医師殺人事件は、その後、捜査が暗礁に乗り上げ、迷宮入りの様相を呈していた。 殺意、動機、状況… すべてに於いて、不明だったのだ。

 田所は続けた。

「 あの日… 私は愛を連れて、病院近くにある公園を散策していた。 富山君が、遊歩道の向こうからやって来たので、研究の件について、少し、立ち話しをした。 彼は、愛の処分を提案して来たのだ。 私は、もちろん反対したが、その件で少し、口論となった。 彼が… 富山君が、私の胸を軽く突いた瞬間… 彼の頭が、弾け飛んだのだ……! 」

 田所の肩が震えている。


 同じだ……!


 あの力を使った仕業だ。

 使ったのはどちらだ? 愛か、友美か……? どちらにせよ、やはり彼女は覚醒している。

 田所は言った。

「 信じてくれ、菊地君…! これは事実なのだ。 本当の事なのだ……! 」

 菊地は答えた。

「 …信じますよ、先生。 私は過去に、敵対していた者から、力を掛けられた事がありますから… その、常識を覆す稼動と、圧倒的な力…… 通常では考えられません。 …転落死した医師は…? 」

「 堺田君は…… 分からない。 彼の場合、まったく他に、誰も居合わせていなかったのだ。 ただ、彼は、愛の生活管理主任だっただけに、常に、愛の近くにいた。 いつも不機嫌な愛の機嫌取りには、随分と閉口していたようだ 」

「 …手を、あげたかな? 」

 菊地が推測する。

「 判からん…! ただ、軽く叩く事は、あったようだ。 もう、長い付き合いだからね。 私も黙認していた 」

 田所の答えに、菊地はしばらく考え、言った。

「 おそらく、些細な事があって… 医師が、きつく叱ったか、手をあげたか…… いずれにせよ、力を使ったと、私は判断します 」

 あくまで菊地の推測ではあるが、経験豊富な菊地の言葉に、田所も認知せざるを得ない。

 動揺を隠せない田所は、菊地に尋ねた。

「 …その力とやらは… 愛自身で制御出来るのかね? 」

「 精神力次第でしょう。 自分の許容量異常の力を発動すれば、神経を切ってしまいます。 それを、友美ちゃんたちは、『 暴走 』と呼んでいました。 そうなると、もう理性も失われるようです。 本能のままに、とてつもない力を発動します… もう、誰にも止められないでしょう。 自身で生命を放棄するしか……! 」

「 …それが、いつか君が言っていた『 封印 』というものなのか…… 」

 菊地は、視線を落とし、頷いた。

「 友美ちゃんは、それをやった……! 以前には、未来を予知出来たとされる、巨大な力の保持者も、最後は、そうしたようです 」

「 み、未来予知だと…? そんな…… そんな力を持っていた者も、いたのかね? 」

 唖然とする田所に、菊池は、頷きながら答えた。

「 女性でしたがね…… 鍵など必要なく、どこにでも瞬時に、移動出来たそうです。 バケモンだったそうですよ……! 」

 想像を遥かに超越する世界の話しに、田所は、不安を隠せないようだ。

 少し声を震わせながら、独り言のように田所は言った。

「 力を使ったのは、どちらだ……? 愛か? 503号か? 」

 しばらく考えてから、菊地は答えた。

「 2人分の記憶の内、どちらの記憶が『 力 』を行使したか… ですね? 」

 菊地の問いに、田所は無言で頷く。

 しばらく考え、菊池は答えた。

「 友美ちゃんは、自分の意志で人を傷つけたりはしない…… むしろ力を使わず、普通に生きていきたい、と願っていた子です。 おそらく… 力を使ったのは、覚醒間も無く、まだ力をよく理解出来ていない、愛ちゃん自身でしょう 」

 田所は、じっと床を見つめながら言った。

「 …愛に関わると、死ぬ… こんなウワサが、研究スタッフの間に、ささやかれている。 根拠のないデマだと、私は否定しておるのだがね…… 富山君や、堺田君の死因には、私自身、納得がいかない点もあり、不安でいたのは確かだ。 しかし… やはり愛が原因だったのか……!」

 田所も、もしや、と思っていたらしい。 しかし、常識を超えた想像であり、一般の人間では、まず信じないのが普通だろう。 だが、その想像を肯定する菊地の発言により、田所は、改めて自分の想像は、現実のものとして認知せざるを得ない事態である事に気が付いたようだ。

「 確証は、ありませんよ? 今までの経緯から見て、力を使った確立は高い、と申し上げているのです。 特に… 覚醒については、まず間違いないでしょう 」

 菊地は念を押すように、田所に進言した。

「 …力の… 覚醒か…… 」

 メガネを再び掛け、呟くように言った田所に、菊地が続けた。

「 あなたは、遂に、あの力を復活させてしまった……! 15年前… あの力によって、一体、何人の命が奪われたとお思いですか……? 」

 田所は、うつむいたまま言った。

「 どうすれば… どうすればいいのだ? 菊地君……! 」

 菊地にも、分からなかった。

 相手は、現実では考えられない、恐るべき力を持った駆逐者だ。 生身の人間が立ち向かえる相手ではない。 しかも、覚醒間もなく、その力を使いこなせないでいる。 幼児が、拳銃を持て遊んでいるのと同じだ。 うかつに近寄れもしない。

 もし、愛と対峙する機会が訪れるとすれば、ある意味、友美としての意志が起きている時の方が安全だろう。

 しかし、抑圧された愛、本来の意志が暴発し、友美の意志を攻撃し始めたら……?

 そこまで来てしまっては、菊地にも経験がない。 脳は1つしかないのだから、両方が起きる事は、あり得ないとも思えるのだが……

 様々な憶測が、菊地を悩ませる。

 菊地は提案した。

「 とりあえず… 今は、様子を見ましょう。 愛ちゃんの出方が、分からないし…… でも、スキのある今のうちに…… 」

「 …処分… かね? 」

 顔を上げて言った田所に、無言の菊地。 田所も唇を噛み、じっと菊地を見つめている。

 やがて、菊地は言った。

「 いずれ… 手が出せなくなります……! かつての仲間には、心を読む者さえおりました。 あの力の脅威を経験した私だからこそ、あえて進言致します。 不本意では、ありますが…… 」

 田所は下を向くと、呟くように言った。

「 …何と…… 心を読む、とな……! そんな恐ろしい力に… どうやって対処したら良いのだ……! 」

 菊地が、静かに言った。

「 これ以上、犠牲者が増える前に……! 」

 菊地にしても、愛を処分するのは、抵抗がある。 実験体とは言え、完全な人間体なのだ。 殺人を犯すような心境にすら、陥る。

 処分の方法としては、いつもの透析や点滴の際に睡眠薬を投与し、そのまま命を絶つしかないだろう。 警戒されたりするのならまだしも、処置を施す時に、目を覚まされたりでもしたら、それこそ取り返しがつかない。 はたまた、暴走でもされたら、手の施し様がないだろう。 一巻の終りだ。


 情は掛けない方がいい。 ひとつ間違えば、命取りになる。


 冷静に考える菊地ではあったが、はたして自分だったら、出来るであろうか? あの『 友美 』の顔で、命乞いなどされたら……


( 俺には… 自信が無い……! )


 それは、田所も一緒だろう。

 誰であろうと、人間体であるが故に、処分作業は、処置をした者にとって、嫌な後味が残る経験になるに違いない。

 どんな結末を迎える事になるのだろうか……

( 出来れば、手を下す当事者にはなりたくない )

  そう思う、菊地であった。


 その時、田所の携帯が鳴った。 着信表示をを確認し、電話に出る、田所。

「 国枝君か? どうした 」

 携帯の向こうからは、興奮した男の声が、飛び込んで来る。

『 せっ、先生っ…! 愛が… 愛が……! くそうっ…! 』

「 愛が、どうかしたのか? 」

『 また逃走しましたっ…! もう… 何が何だか、分かりませんっ! イヤですよ、私は… もう、愛には関わらないですからね! 何て事だ…! 』

 完全に取り乱した様子だ。 平静を失っている。

「 一体、どうしたんだ? 愛が、また逃げ出したのか? 」

 田所の言葉を聞いた菊地の表情が、真剣になった。 国枝という男は、携帯の向こうで、田所に説明し始めた。

『 車に乗って病院へ向かう途中、愛が目を覚ましたんです。 例によって機嫌が悪く、暴れ出したので鎮静剤を打とうとしたんですが、更に暴れ出し… そしたら… そしたら… 運転していた藤川医師の首が… メキッと、真後ろを向いたんです…! 』

「 …… 」

 声を失った田所に、国枝は続けた。

『 …車は電柱に激突し、横転して…… 助手席に乗っていた山崎医師は、路上に投げ出されて… 今、確認したら、脈がありません! 私は、後部座席に、愛と乗っていたんですが… 気付いたら、車内に愛がいないんです。 いつの間にか、平気な顔で、外に立っていて… 窓越しに、こちらを睨んでいるんです……! そのまま、どこかへ走り去りました……! 』

 生ツバを飲み込んで、田所が答える。

「 …き、君は… 大丈夫かね? 」

『 車内からは、何とか脱出していますが… どうやら、足が折れてます…! 救急車は呼びました。 でも… 山崎医師と藤川医師は… おそらく死んでいます……! 指示を下さい! 』

 田所は、菊地を振り返りながら、国枝に言った。

「 …分かった…! 愛の事は、誰にも言うな。 君ら3人で、車に乗っていた事にするんだ。 この事は、くれぐれも頼む……! 」

『 分かりました……! 先生… 愛は、バケモノですっ! 信じて下さらなくても結構ですが、私はもう、このプロジェクトからは、外して頂きますっ…! もう… もう、あんなバケモノには、関わりたくない! 堺田医師も、愛がやったんじゃないんですかっ? きっと、そうですよっ! 』

 興奮が収まらない様子の国枝の声は、携帯のマイクを通して、菊地にも会話内容が聞こえた。

「 分かった。 とにかく、治療を受けたまえ。 いいね? 入院先の病院が分かったら、また連絡してくれないか? あとで、私も行く 」

 電話を切った田所は、菊地を見た。

「 愛ちゃんは、また脱走したようですね……! 」

 菊地が切り出すと、田所は、ため息を尽いて言った。

「 しかも、2人を殺害してだ…! 先程、君が危惧していた通り、また犠牲者が増えてしまったようだ。 もう、一刻の猶予もならんと言う事か 」

 携帯を上着のポケットに入れ、しばらく考えると、田所は言った。

「 愛は、透析をしなくては、生きてはいけない。 じきに体が動かなくなる。 そうなった時に、発見出来ればいいのだが……」

 菊地は否定した。

「 それは、無いでしょう 」

「 …なぜかね? 」

 訝しがる田所に、菊池は言った。

「 自分の意志で、体をコントロールするものと思われます。 つまりは、一度、体を死なせるのです…! 神経を切った時と同じく、生きた死体と化すのです。 肉体を、腐敗しない程度に保つ事ぐらい、何の問題もないでしょう。 むしろその方が、体が自由になります 」

 田所は、再び生ツバを飲み込んだ。

 かすかに唇を震わせ、言った。

「 ……何と、恐ろしい事だ。 打つ手が、無いのか…! 私は、そんなバケモノを作ってしまったのか……! 」

 田所は、頭を抱え込んでしまった。

 菊地が言った。

「 先生たちのスタッフを見ると、おそらく愛ちゃんは攻撃的になるでしょう。 愛ちゃんの捜索はやめて下さい。 非常に危険です。 愛ちゃんが疲弊した時、意志が友美ちゃんに替わる事でしょう… 多分、私の所か、記憶にある場所に現われるはずです。 向こうからのアクセスを、待ちましょう。 その時、どうするかは、その時点になってみないと分かりませんが、愛ちゃんに、逃亡者の意識を持たせるのは、得策ではないと思います 」

 顔を上げ、田所は言った。

「 君には、迷惑を掛けっぱなしだ……! 全く持って済まない。 …分かった。 君の言う通りにしよう 」






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