第9話、実験体13号、『 愛 』

 15年という歳月を経て、明らかにされた事実……

 友美たちが、命を賭けて封印した『 力 』の脅威は、終っていなかった。

 愛、と呼ばれる、友美のクローンの存在……


( どんな子なんだろう? 『 力 』について言うならば… 友美ちゃんを見れば、遺伝的に4429Fの影響連鎖は実証されている。 クローンについては、良く分からないけど… 遺伝そのものより、より強い影響力があるんじゃないだろうか )


 菊地は、危惧していた。

 まだ愛は、覚醒をしていないかもしれないが、ひとたび覚醒すれば、友美と同じ力を発揮するかもしれない。 当然、最初は、力を制御する事など出来ないだろう。 本人も分からない内に、いつの間にか『 力 』を行使してしまうかもしれない。

( そんな物騒なヤツが、何も知らずに街をうろついているのか…… )


 病院を脱走した愛は、住所も無ければ、家族もいない。

 愛、本人には、田所を実の父親とし、病弱な体の治療をする為、長期入院をしている、と説明してあるらしいが、もう12歳だ。 自分の生い立ちに、疑問を抱き始めても、何ら不思議ではないだろう。

 今回、病院から脱走したという行動も、出た事のない院外に、その答えを見出そうと考えたのではないか? 単なる、興味本位での脱走も考えられるが、いずれにせよ、警察などに保護されれば、やっかいな事になるのは、目に見えている。

( まあ、俺が心配したところで、どうしようもないが…… あの友美ちゃんが関わっているだけに、気になるな…… )

 スタッフたちは、それこそ、血まなこになって、愛の捜索をしていた。


 愛が病院から脱走した翌日、1人で残業をしていた菊地は、意外な人物から電話を貰った。

「 トヨさんかい? こりゃまた、めずらしい人から電話だねえ。 どうしたの? 」

 焼き鳥屋の豊子からだった。

『 …菊さん。 あたしゃ… ついに、モーロクしちまったのかもしれないよ 』

 受話器の向こうから聞こえる豊子の声は、いつになく、力のない声だった。

「 何だ? 元気ないな。 また、腰の具合でも悪いのかい? 」

『 腰の方は、何ともないさ 』

「 じゃ、何だ。 ツケを払えってか? 言っとくが、オレにツケはないぞ 」

『 そんなんじゃないよ…… アンタにツケが無いのは、あたしが一番よく知ってらぁね 』

「 じゃあ、何だよ 」

『 見ちまったのさ……! 』

「 はあ? 何を見たって? 」

 受話器を耳と肩に挟み、パソコンのキーボードを操作しながら聞き直す、菊地。

『 幽霊だよ! 』

「 ユーレイ……? 」

 これは、本当にもうろくしたか、ボケが始まったか……

 菊地は言った。

「 トヨさん、疲れてんだよ。 オレも時々、疲れて営業周りの途中、公園で寝てるとさ、通行中の他人の顔が、編集長に見える事があるぜ? 」

『 あの子の顔を、見間違えるこたァないよ 』

「 誰? あの子って 」

『 友ちゃんだよ…! 』

「 ! 」

 豊子の答えに、菊地は硬直した。 キーボードを操作していた手を止め、受話器を持ち直す。

「 …な… 何だって……? 」

『 さっき、店を閉めようとして外に出たらさ、店の前に、あの子がいたんだよ……! 間違いない。 友ちゃんだった。 あたしが、びっくりして見ると、すっと、どっかへ行っちゃったんだ 』

 菊地は直感した。

( 愛だ…! )

 クローンなら、母体である友美に、そっくりなはずだ。

 菊地が尋ねる。

「 …声… 掛けたかい……? 」

『 そんなヒマ、なかったよ。 でも、ありゃ間違いない。 友ちゃんだった……! 』

 やはり、愛には、友美の生前の記憶が刷り込まれているらしい。 おそらく、記憶にある場所として、豊子の店へ行ったのだろう。

 菊地は言った。

「 足があったのなら、幽霊じゃないだろ? 他人の空似さ。 やっぱ、疲れてんだよ、トヨさん。 また今度、行くわ。 気にすんなって。 何でもないさ。 うん… じゃあ 」

 納得がいかない豊子を押しなだめ、菊地は電話を切った。


 イスから立ち上がり、タバコに火を付ける。


 ふうっと、一息、煙を吐き出すと、窓のブラインドを開け、外を眺めた。

 夜も0時を周り、幾分、夜景も消えかけているようだ……

 タバコをふかしつつ、点滅するネオンを見つめながら、菊地は、独り言を言った。


「 …友美ちゃんに… 似てるのか…… 」


 クローンなのだから、当り前だろう。

 何となく、そう思ってはいたものの、あの豊子が見間違えるほどなのだから、よほど似ているのだろう。


 別人だが、外見は、友美とウリ二つの、愛……


 もし遭遇したら、どんな応対をしたらいいのだろうか。

 出来れば、このまま、心の片隅で忘れてしまいたかった過去の記憶… それが、思いもかけない形で掘り起こされ、その虚像までもが、現実の形となって街を彷徨っている。

 菊地は、気持ちの整理に苦慮した。

( 愛自身も、悩んでいるんだろうな )

 心の中に、もう1人分の記憶が存在しているのだ。 その苦悩は、他人には分からない。 おそらく、苛立ちにも似ている事であろう。 その心情は、完全ではないにしろ、充分に理解出来る菊地であった。

( 記憶にある場所に行ったとするならば… 長野にある、笠井家の墓所にも行くかな? まあ、所持金も無いだろうし、そう遠くへは行けないだろう… 明日、田所先生にも伝えておくか )

 帰り仕度をしながら、菊地は、そう考えた。

 電話機のボタンを操作し、転送を掛ける。 タバコの火を消すと、灰皿を流し台の所に持って行き、コピー機の電源を落とした。 ロッカーを開け、中にあった上着を羽織る。

 その時、カタリと音がし、誰かが、入り口のドアを開けた。

「 ? 平田か? もう退社しようと思ってたんだ。 おまえ、今日は直帰だって… 」

「 キクチ…… さん 」

 その声に、菊地はギクリとした。


 ……ゆっくりと、ロッカーの扉を閉め、その向こうにある入り口を見る。


 薄暗い廊下を背に、1人の少女が、立っている。

 白い無地のトレーナーに、ブルーのスリムジーンズ。

 少し、クセのある髪に、憂いを帯びた瞳……

 

 それは紛れも無く、友美だった。


「 …とっ…… 友美ちゃんッ……? 」

 思わず菊地は、友美の名前を叫んだ。

 身長は低く、少々、幼さを感じる面立ちではあるが、似ているどころの騒ぎではない。 まさに、生き写しだ…!

 菊地の声に、吸い寄せられるように彼女は掛けより、抱きついて来た。

「 …菊地さん…! 逢いたかった! 私を抱いて… 私を愛してっ…! 」

 突然の展開に、菊地は混乱した。

( …落ち着け…! これは友美ちゃんじゃない。 愛だ…! )

 自分に、そう言い聞かせると、愛の両肩を掴み、抱きついて来る彼女を引き離して、菊地は言った。

「 …愛ちゃん。 愛ちゃんだね? ダメじゃないか、病院を抜け出しちゃ……! みんな心配してるよ? さあ、僕と一緒に帰ろう 」

 愛は、しばらく、じっと菊地の目を見つめていたが、やがて、信じられない事を言った。


「 菊地さん… 私のコト、忘れちゃったの? 友美です 」


「 …!! 」

「 もう、どこにも行かない。 菊地さんと、いるの……! 」

 そう言うと愛は、再び菊地に、きつく抱きついた。

( 友美ちゃんの記憶に、占領されているのか……! )

 二重人格だ。 本人の意思は眠っており、もう1つの人格… 友美の記憶が、体を束縛している。

 菊地は考えた。

( 無理に説明して、興奮させると、覚醒しかねない…… 落ち着かせるんだ )

 菊地は何も答えず、優しく愛の肩を抱き締めた。

「 …ああ… 菊地さん……! 」

 満足そうに、愛が呟く。

 静かに、諭すように、菊地は言った。

「 …今までどこに行っていたの? 友美ちゃん…… 」

 瞳を閉じたまま、菊地の腕の中で、彼女は言った。

「 里美や、愛子は… どこ? 私… 疲れちゃった…… 」

「 …… 」

 多岐 愛子、三上 里美……

 もう既に、15年も前に、この世を去った故人の名である。 その事実を伝えるべきか否か……

( いや、友美ちゃんの記憶は、あくまで記憶であって、意思ではない。 新しい情報を伝えても、更新出来る訳ではないのだから無意味だ。 混乱を増幅させるだけだ )

 菊地は、無言の抱擁を選択した。

 …長い漂流の末、やっと島に泳ぎ着いた遭難者のように、菊地の腕の中で、まどろむように満足気な表情をしている、愛……

 安心したように、その後は何も言わず、じっとしていた。 菊地もまた、小さな愛の肩を抱き、じっとしている。


 …腕の中の愛がピクリと動き、何かに気付いた様子を、菊地は感じた。

 愛は、眠りから目覚めたように周りを見渡すと、顔を上げ、そこにあった菊地の顔を見つめた。

「 ……あなた、誰? ここ… どこ? あたし、何でここにいるの……? 」

 愛、本来の意識が戻ったようだ。

 菊地は、抱いていた愛の肩を離し、言った。

「 僕は、お父さんの友だちで、菊地といいます。 …愛ちゃんだね? ここは、僕の会社の事務所だよ 」

「 …きくち… さん? 何か、前に会ったコトがあるみたいなんだケド… わかんない。 あたし、どうしてここにいるの? 」

 菊地は、ソファーに愛を座らせると、言った。

「 愛ちゃん、病院を出て来ちゃったんだ。 みんな、心配してるよ? 今、お父さんに連絡、取ってあげるからね 」

 携帯を出しながら、答える菊地。

 泣き出しそうな表情になる、愛。

「 …全然、覚えてない…… いつも、そうなの。 あたし… もう、どうしたらいいか、わかんない……! 」

 呼び出し音を聞きながら、菊地は言った。

「 心配しなくていいよ。 もう遅いから、少し、横になっていなさい。 お父さん、すぐ来るからね? 」

 菊地の言葉に安心したのか、ソファーに横になった愛は、すぐに小さな寝息を立て始めた。


 田所の携帯は、留守電になっていたが、伝言を入れておくと、すぐに連絡があった。 スタッフと共に、こちらに向かうとの事だ。

 寝入った愛に、上着を掛ける菊地。


「 …見れば見るほど、よく似てるな…… 」


 寝顔に掛かった髪に、指先で触れながら、菊地は呟いた。

( これが、クローン技術の粋なのか )

 死んだはずの友美と会話出来たような、不思議な感覚に菊地は、ある意味、田所に感謝していた。


 目の前には、生きている友美が、すやすやと寝息を立てている。

 妄想でも、虚像でもない。

 手を伸ばせば… 暖かな友美の肌に、触れる事すら出来る……!


( 違うっ… 違うんだッ! )

 頭をかきむしりながら、菊地は立ち上がった。

( 友美ちゃんは、もう… 15年も前に、死んだんだ…! ここに寝ているのは、愛ちゃんだ! しっかりしろ、菊地…! )

 自分を叱咤しても、愛の寝顔を見ると、どうしても友美の面影を重ねてしまう。

 共に過ごしたあの日々、あの場所、あの時……

 もう、二度と還らない想い出と分かっていながらも、友美にそっくりな愛を前に、気持ちの整理がつかない菊地であった。

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