第7話、記憶との再会

「 菊地です。 昨日は有難うございました。 すっかりご馳走になってしまって…… 」

 研究室のドアを開けると、田所が待っていた。

「 やあ、菊地君。 連日、済まないね。 仕事の方は、いいのかい? 」

「 代休を取りました 」

「 そんな事までしてもらって、申し訳ないな 」

「 構いませんよ。 しばらく休みを取ってなかったし… 気になさらないで下さい 」

 傍らの机で、久保がパソコンを操作している。 菊地と目が合い、彼女は、軽く会釈をした。 今日はメガネを掛け、白衣姿だ。 昨日の一件もあり、気恥ずかしい気持ちを覚えた菊地は、会釈を返すと、彼女から視線を反らした。

「 研究棟へ案内しよう。 こっちだ 」


 田所に案内され、廊下を田所と歩く、菊地。

 無機質な、白い壁に囲まれた長い廊下を進みながら、田所は、着ていた白衣のポケットから身分証を出すと、菊地に渡した。

「 君の身分証だ。 スタッフ用で顔写真は無いが、私らと同様に、どこの研究施設にも入れるよう、外部助勤として、磁気テープに登録をしておいた 」

「 何か、偉くなったみたいですね 」

 渡された身分証を胸に付けながら、菊地は言った。 田所が、付け加える。

「 君は記者ではなく、旧・笠井製薬の開発室 助勤だった人物だ… と、皆には伝えてある。 非常勤の客員教授として、本日付けでスタッフに加わってもらう事になっているから、そのつもりで頼むよ 」

 偉そうではなく、エラい事になって来た。

「 ちょっ… ちょっと待って下さい…! 難しい事を聞かれても、何も分からないですよ? 」

「 それは君自身で、うまく立ち回ってくれないか。 その程度なら君には出来ると、私は判断したがね 」

 …これも、資質を試されているのだろうか。

 菊地は、沈黙した。


 渡り廊下を通り、更に奥の棟へと進む。 先日、片山と潜入した棟より、更に奥だ……

 やがて、鉄製で、頑丈そうな扉が現われた。 この扉には取っ手が無く、デジタル式のカードリーダーが備えてある。

 田所が、自分の胸に付けてあった身分証を外し、磁気テープ部を差し込む。 ピッ、ピッ、と機械が反応し、やがてガチャンという音と共に、扉が開錠された。

 少し開いた扉を押しながら、田所は言った。

「 入りたまえ。 一度閉まると、また読み取らせなければならない。 オートロックなんだ 」

 扉をくぐると、長い廊下があった。

 2人の足音がコツコツと響く。

「 最初、笠井社長からあの資料を渡された時、これは、画期的な新薬だと思った…… 」

 田所が、菊地に話し始めた。

「 副作用に関してのデータも、かなりあってね。 先代の笠井社長は、何とかしてこの新薬を完成しようとしていたらしい。 膨大な記録量が、それを証明している。 しかし… 臨床結果を待たずしての投薬は、違法行為だ。 だが、功を焦った彼は、それをやってしまった…… ここまでは、周知の通りと判断して良いかね? 」

「 …はい。 その結果、副作用によって、全ての投薬患者は死亡しているはずです 」

 菊地が答えた。

「 うむ…… 」

 田所は続けた。

「 当時、検察医をしていた私は、とある司法解剖で、不思議な被体を見つけた 」

「 不思議な被体……? 」

「 生きている死体だ 」

 菊地は直感した。 友美の事だ。 間違いない……!

 しかし菊地は、話しの先が聞きたく、無言でいた。

「 心拍が停止し、死亡状態にあるにもかかわらず、わずかな脳波があるのだ。 しかも、生体反応から推察される死亡推定時刻は、何と、脈拍停止から3週間以上前…! つまり、心臓が停止し、事実上、死んでいるのに… 数週間もの間、普通に生活していたのだ 」

「 …… 」

 献体としての友美と、田所との出会い……

 それは、どうやらこんな、偶然な成り行きがあっての事からだったようだ。

 田所は続けた。

「 私は、遺族に献体を申し出た。 この事実が解明されれば、まさに奇跡だ。 医学史上、画期的な発見と、延命治療に大きな貢献が出来る事は、間違い無いと思ったからだ 」

 菊地は、沈黙を続けている。

 田所は、歩いている廊下の床を見つめながら、思い出すように続けた。

「 …もう、14・5年も前の話しだ…… その献体と出会いを同じくして、私は笠井氏から、あの資料を渡された。 資料を読んで、私は、ハッとした。 資料の中に、その献体の名前があったからだ。 投薬治療をした人物… その中には、妊婦も数名いたのだが… その妊婦たちが出産した、新生児たちの名前が記載してある中に、その名前があったのだ 」

 菊地は、胸が締め付けられる衝動に駆られた。


 4429Fの投薬実験、妊婦患者の存在、その新生児たち……

 忘れようとしていた過去の記憶……

 菊地だけの記憶として、永遠に封印したはずの記憶……


 その記憶の片鱗が、呼び戻される度に、菊地は心の痛みを感じていた。

( また、あの薬の因果に巻き込まれるのか……! )

 15年前の末路は、悲惨な結果だった。

 今回も、そんな苦い経験を再現する事になるのではないかという不安が、菊地の心を悩ませる。


 廊下の突き当たりにある部屋の前まで来て、田所は、立ち止まった。

 ドアには『 特別保管室 』とある。 先程あったドアのように、ここにもカードリーダーが備えてあった。

 田所が、さっきと同じように身分証を差し込み、開錠する。

「 …入りたまえ 」

 菊地は、部屋に入った。 田所も続いて入り、ドアを閉める。

 先日、菊地が見た部屋と同様に、その部屋の中にも、無数のガラス容器があり、中には、色んな臓器らしきものが浸してあった。

「 母体の中にいる頃から、4429Fに侵されていたその被体…… 私は、その被体の特性は、この薬の影響ではないか、と推測した 」

 田所は、傍らにあった机に寄り掛かると、腕組をしながら言った。

 菊地は、並んでいるガラス容器の1つに近寄り、小さな泡の上がる様子を眺めている。 細いピアノ線のようなもので、浸されている臓器は吊ってあった。

 無言のまま、臓器を見つめ、背を向けている菊地に、田所は続けた。

「 私は、延命治療の研究の為、この献体を徹底的に解剖し、調査した。 私の専門分野である脳は元より、内臓・皮下組織・神経・性器・血管に至るまで、全てだ 」

 菊地は、ギュッと、眼をつぶった。

「 献体として登録したその被体… 登録番号、503号。 今、君の目の前にあるものを含め、この部屋全部が、その503号のものだ 」

 その言葉に、弾かれたように、菊地は目を見開いた。 ガラス容器の中に浸された、薄い褐色の臓器が、目に飛び込んで来る。


 これが、あの友美のものなのか・・・!


「 …! …! 」

 言葉を失い、容器を見つめながら、数歩、後退りする菊地。

 ゆっくりと、部屋中にあるガラス容器を、順番に見つめる。 その表情は青ざめ、唇は震えていた。

「 再調査の為、各セクションに散っていたものを、昨日、すべてこの部屋に集めたんだ 」

 田所の説明も、菊地は、上の空のようだ。

 研究の為とは言え、友美と特別な交友関係にあった菊地にとって、これほどショッキングな光景はない。 変わり果てた肉片と化した友美との再会に、菊地は、わなわなと体を震わした。

 菊地の過去を知るはずもない田所は、菊地の心情を察知する事なく、経緯の説明を続ける。

「 …15年前、私は、この献体の卵巣から卵子を摘出して遺伝子組み替えの処置を施し、自身の細胞分裂によるクローンの誕生に成功した……! 」


 何という発想。 何という経緯であろうか……!


 神の領域をも侵す、倫理を無視した行為だ。 献体としての理念をも超越した、明らかな越権行為でもあろう。

「 …医師として、やってはいけない事をしたのは、認識しているつもりだ。 私も、先代の笠井社長と、同じ穴の狢だ。 それは認める……! だが、研究者として… こんな貴重な献体を前に、何もしないなどと言う事が出来ただろうか? 私だけでなく、他の者であっても、何かしらの研究行為はしていただろう。 死して尚、生き続ける生命力…! 私は、この強い生命力でなら、クローンも可能かもしれないと思ったのだ。 不老不死という、人類最大の医学的探索を、私は… 」

「 もういいッ! やめてくれっ! もう… もう、たくさんだっ……! 」

 田所の釈明を制止し、菊地は叫んだ。

 両拳を握り締め、うなだれて目を固く閉じたまま、菊地は、しばらく無言でいた。

「 ……菊地君、私は… 」

「 黙ってろッ! 喋るなッ! …黙って…… ろ……! 」

 2人の間には、無言の時間が過ぎた。


 ガラス容器に引き込まれた、細いチューブから立ち上がる気泡が、小さな音を立てている。

 かすかな電子機器の機械音……


 菊地は、ゆっくりと顔を上げ、目の前にあったガラス容器を見つめた。

「 …田所先生…… あなたは、事の重大さに気付いていない 」

 ガラス容器を見つめる菊池の後ろから、田所は言った。

「 菊地君、確かに私のした事は、倫理的に道を外れていたと思う。 しかし… 」

「 違います…! そんな事じゃない 」

 菊地の言葉に、田所は困惑した。

「 ……違うとは? 」

 菊地は、田所を振り返り、言った。

「 倫理的に問題があったのも、事実でしょう…… 許される事ではありません。 被害者が存在しなくても、あなたのやった行為は、人道的な観点から見ても、大いに問題があるでしょう。 でも、それ以上に問題なのは、献体の特性について、間違った見解をしているという事です……! 」

「 間違った見解? 」

 目尻を、わずかに動かし、田所が尋ねる。

 菊地は、ガラス容器に手を触れ、再び、中に浸されている臓器を見つめながら言った。

「 …献体503号… 笠井 友美は、不老不死の肉体を持っていた訳ではありません。 死亡推定時刻が算出された事でも、それが、お分かりでしょう。 彼女は… 自律神経をコントロールし、血液の循環や皮膚呼吸などの酸素供給が、自分の意志でする事が出来たのです 」

「 な、な… 何だって? そんなバカな……! 」

「 それだけではありません。 気のようなものを操り、物体を動かしたり、破壊したり… また、人工的な磁場を発生させ、それを衝撃波のように投げ付けて… 人を、意図も簡単に弾き飛ばしたりする事も出来たんです 」

 田所は、信じられない、と言ったような表情で菊地を見ている。

 菊地は続けた。

「 献体503号とは、私は、取材を通して出会いました。 そして彼女から、同じ境遇で生まれた子たち数人の紹介を受け、実際、半年近く、彼女たちと行動を共にしていました。 皆、一様に、それら能力を持っており、その中でも503号は、特に、秀でた能力を持っていました 」

「 数人の子供たち? それは、リストにあった新生児たちの事だね? 一緒に行動していたとは……! そ、それで… その子たちは、今どこに? 」

 菊地は、小さくため息を尽くと、答えた。

「 研究対象にしようと思っても、無駄ですよ? 全て、亡くなりました。 15年前に…… 」

「 亡くなった……! 」

 菊地は、田所の方を向き直ると、説明した。

「 力を持った彼らは、その力との共存について、意見が対立していました。 力を利用しようと考える者、力を封印して普通の生活を望む者… 結局、全員が力をぶつけ合い、皆、死にました 」

「 …何と、壮絶な…! 全員、刺し違えたと言うのか……! 」

「 そうです。 …15年前の、セントラルホテル火災事故… 覚えてらっしゃいますか? あれが、彼らが戦った結果です。 投薬した妊婦から出産した子供の名前が、リストにあったと、おっしゃいましたね? セントラルホテルの死亡者名を調べて下さい。 彼らの名前が、全て記載されているはずです 」

「 …… 」

「 その時、503号も、死んだのです。 許容量以上の力を発動させ、神経を切ってしまったのです。 その後は、先程、説明した通りに、生命を保っていました。 セントラルホテルで負傷した私の退院を待ち… 訪ねて行った私の目の前で血液の循環を止めて、息を引き取りました……! 」

 深く、大きな息をつき、田所が答えた。

「 …にわかには… 信じ難い……! しかし、君が、ここでフィクションを論じても、何の意味も無い。 信じるより他にないようだ…… でも… 判らない。 なぜ、彼らだけが、そんな力を備えたのかね? 」

「 先生のおっしゃる通り、4429Fの影響でしょう。 食品に添加される、合成化学物質に反応し、脳に影響を与える… と、彼らから聞いています 」

「 合成化学物質……! 保存料とか、着色料とか言われるものか? 甘味料とか、香料とか… なるほど! これは、気が付かなかった……! 」

「 化学物質が、ある量まで体内に蓄積されると、力が発揮出来るようになるそうです。 これを彼らは、『 覚醒 』と呼んでいました。 時限爆弾のようなものだと…… 」

「 時限爆弾……! 」

「 …あなたは、笠井 友美のクローンを作ったと、おっしゃいましたよね? 15年前に… 」

 田所は、無言で頷いた。

「 今でも… そのクローンは……? 」

 恐る恐る聞く、菊地。

「 …生きている…! 成長過程は通常の人間より微弱で、体力も弱いが… 見た目は、普通の子供だ。 ただし、生殖器がなく、肺と腎臓も片方しかない。 視力はあるが、色を識別する事が出来ず、耳も、左がほとんど聞こえない 」

「 まだ… 生きているのか……! 」

 事実を容認し、視線を落としながら、愕然とした表情で菊地は言った。

「 ああ、生きている。 これは、医学上の奇跡なのだよ…! 人間のクローンを、私は… 」

 悦になり、興奮し始めた田所を、菊地は制した。

「 あなたは、とんでもない時限爆弾を作ったのですよ…! 」

「 …… 」

「 最初は、延命治療の研究だったかもしれない。 でも、それは、想像を絶する力を復活させる可能性がある、恐ろしい行為だったのです……! 」

 田所を見据えながら、菊地は言った。

 愕然とした表情をしながら、田所は答える。

「 私は… 知らなかったのだ。 そんな不思議な力の事など… 何も知らなかったのだ……! 常識を超えた生命力… その一点のみが、私の研究対象だったのだ…! 」

 メガネを外し、訴えるような表情で、田所は言った。

「 あの子たちが… 命を賭けて封印したのに……! 」

 菊地は、田所から視線を外すと、部屋中のガラス容器を、順番に、一通り見た。

 田所が説明したように、友美の体は、まさに寸刻みにされたようだ。 内臓の各所、血管・神経に至るまで、すべてが摘出されている。

 菊地は、ある容器に、小さな丸いものが浸してあるのを見つけた。 何と、それは、友美の眼球であった。

 かつては自分を見つめていた、友美の眼球……!


 『 あたしも… バケモンなの? 』


 瞳を潤ませ、肩を震わせながら菊地を見つめていた友美の顔が、脳裏に甦る。

 『 …あたし、捨てられたんじゃないよね? そうよね? 』

 思わず抱き締めた、あの日の友美……


 菊地は、甦る友美の、生前の記憶に居たたまれなく、容器の中の物体から目を反らした。

「 …君は、この503号とは、特別な付き合いがあったようだね。 何も知らぬとは言え、君には、辛い思いを感じさせる部屋に、案内してしまったようだ 」

 田所の言葉に、菊地は答えた。

「 …先生… この部屋から出ましょう……! 僕には、これ以上、直視出来ません。辛すぎる……! 」

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