第4話、疑惑の予感

 駅前の路地裏に入り、切れかけて不規則な点滅を繰り返す街路灯を見上げながら、スクールゾーンの標識が立つ交差点を、右に曲がる。

 暗い路地をしばらく歩くと、赤提灯を下げ、ぼんやりとした明かりを点けた焼鳥屋があった。 元は、普通の民家だったのだろう。 玄関部分を拡張し、7~8人が入れる程のスペースを店内とした、間口4mに満たない小さな店である。

 菊地は、ガラス格子の引き戸を開け、暖簾をくぐると、店内に入った。


 L字に設けられたカウンターの奥で、作業服姿の中年男性が、酔いつぶれて寝ていた。

 他には、誰も客はいない。


 午前0時前。


 カウンターの中では、1人の老婆が、パイプイスに座ったまま居眠りをしている。

「 トヨさん、サーロインステーキ、もらおうか 」

 菊地の声に、老婆は気付き、目を開けた。

「 …ん? なんだ、菊さんじゃないか… 仕事帰りかい? ふぁ~あ……! 」

 大きなあくびをすると、両手を上げて伸びをする。

「 タケちゃん、また寝てるのか 」

 菊地は、カウンターに突っ伏し、寝ている作業服姿の男性を見ながら言うと、その横に座った。

「 日雇いの仕事、またクビになっちまったんだとさ。 いい加減、ツケも溜まってんだよねえ… 」

 一升瓶の冷酒をコップに注ぎながら、老婆は言った。 コップを、菊地の前に置く。

「 何か、適当に見繕ってくれ 」

「 残りモンしかないよ? …あ、待て待て、ほっけがある。 焼いてやろうか? 」

「 賞味期限切れじゃないだろうな 」

「 先週、北海道の妹が送って来たヤツさ。 死にゃ、しねえだろ 」

「 …よく、焼いてくれや 」

 冷酒を飲みながら、菊地は答えた。

 冷蔵庫からラップに包んだ魚を網に掛け、コンロの火を付けると、老婆は言った。

「 また、原稿に追われてんのかい? デスクになっても、変わんないねえ、アンタ。 そんなんだから、嫁が貰えないんだよ。 あたしが、いい子、紹介してやろうか? 」

 意味ありげに、ニヤリと笑いながら、後ろのカウンターに座っている菊地を振り返る。

「 遠慮しとく 」

 タバコに火を付けながら、菊地は答えた。


 この老婆は、以前、友美が住んでいたアパートの隣人、町田 豊子である。

 友美をかわいがっていた豊子は、当初、菊地に対しては、非常に警戒をしていたが、その後、度々、菊地が店に出入りした事もあり、今では打ち解けた間となっていた。

「 トヨさん。 この前、仕事で高山へ行ってね。 友美ちゃんに、逢って来たよ…… 」

 豊子は、魚を焼く手を止め、菊地を振り返った。

 真剣な眼差しで、しばらく菊地を見つめていたが、少し表情を和らげると、答えた。

「 …そうかい。 元気にしていたかい? 」

「 ああ。 お母さんと一緒だった。 トヨさんにもよろしく、ってさ 」

「 …そうかい、そうかい……! 」

 再び、焼き魚に目を向ける、豊子。 切ったレモンを添え、焼きあがった魚を皿に移し、菊地の前に置く。

「 いい子だったねえ、あの子は…… もう、何年になるかね? 」

「 15年だよ 」

「 ひゃぁ~っ、そんなになるかね。 そりゃ、歳、取るはずだわ 」

 魚に箸を付ける、菊地。

「 最近、ひょんな事から、友美ちゃんを思い出してね。 久し振りに寄ってみたんだ 」

 豊子は、もう1つコップを出すと、冷酒を注ぎ、一口飲んだ。

「 …いい子だったよ、あの子は 」

 再び、ポツリと言う、豊子。

 過去を回想するかの如く、呟くように続けた。

「 あの子が亡くなった時は、色々と世話になったねえ。 あたしゃ、もう… オロオロしちゃって…… 突然死なんて、サラリーマンしかないと思ってたのに。 あの子が、そんな死に方するなんてねえ…… 世の中、何が起きるか分かったモンじゃないよ、ホント 」

 コップに残った冷酒を、一気にあおる、豊子。

 空になったコップを傍らに置くと、古ぼけたレジの横にあったアルバムを出し、1枚の写真を取り出すと、それを菊地に見せた。


 今よりは、幾分、若い豊子が、店のカウンターの中に立っており、その横には、少女が写っている。

 …生前の友美だった。


「 時々、店を手伝ってくれてねえ。 そこの、タケちゃんが撮ってくれたんだよ 」

 エプロン姿の友美…… 屈託無く、豊子と笑いながら写っている。

 何もなければ、今頃は、この笑顔と共に、どこかで幸せな家庭を築いていた事だろう。苦痛もなく、安らかな最期を迎えられた事が、唯一、せめてもの救いであった。


 豊子が言った。

「 この前テレビで、どこかのエライお医者さんが言ってたけど、ストレス、って言うんかい? アレは仕事で忙しくしてると、ヤバイそうじゃないか。 アンタは、大丈夫なのかい? …イヤだよ? あの子みたいに、若くしてポックリ逝くのは。 順番からして、アタシの番なんだからね? 」

 写真を返しながら、菊地は笑った。

「 その先生は、田所っていう人だろ? 教育テレビでやってた特集番組だな。 オレも先日、取材で会ったよ 」

 菊地は、あのシールに書かれていた番号の事を思い出した。

 空になった菊地のコップに酒を注ぎながら、豊子は言った。

「 何か、いけ好かない先生だねえ……! ああいうエラそうな先生は、あたしゃ、好かんね 」

「 脳神経外科の、世界的権威だぜ? 」

 注がれた酒を、飲みながら答える菊地。

「 フン…! ウラで、何やってんだか、分かったモンじゃないよ。 アタシのカンは、当たるんだからね。 ダテに長年、生きちゃいないよ? 」


 …あの日以来、結局、取材の取り直しは、やっていない。

 録音した会話から、何とか記事を起こそうとはしてみたが、内容が少なく、もう一度、取材を取り直さなければ無理であった。 何度もテープを聞き直した菊地だったが、推測で記事は書けない。

 対応した田所は、確かに高慢的な雰囲気はあったが、それは立場上、仕方のない事だろう。 豊子が感じた人格の信用性は、どの点を指すのか、菊地には理解出来なかった。


 …しかし、テープ後半にある、緊急事態の会話… 久保とか言う女性との会話は、何か変だ。

 12号とか、8号とか言うのは、患者を指して言っていたのであろうか。

 それにしては、人間性が感じられない。 まるで、実験体を表すような印象を受ける。 素人の菊地からすれば疑問だが、関係者から見れば、何も疑問は感じない会話なのだろうか?

 投薬の記録を、どうのこうのと言っている所からも、やはり、患者の存在が想像される。 動物実験の可能性もあるだろうが、病院内に実験施設があるのは、常識的におかしい。


「 …… 」


 無言で酒を飲む、菊地。

 ここ数日の間、何となく気に掛かっていた事が、豊子の一言で、菊地の心の中に一気に膨れ上がって来た。

 …菊地が見た、異様な部屋もそうだ。

 なぜ、あんなおびただしい数の献体を保管しておく必要性があるのだろう?

 臓器にせよ、手足にせよ、肉体の保存には、膨大な経費が掛かる。 しかも、ただのホルマリン漬けではなさそうだ。 明らかに生体に近い状態で保存したい、という意図が見られた。


( 何だか、胸騒ぎがする…… )


 それが何なのかは、菊地にも分からない。

 おそらく、友美らの一件には、関わり合いはないのだろうが、不可解な会話と現場目視から、何か不吉なものを感じる菊地であった……


「 エラそうな先生、ってのは、そう感じるもんさ。 立場上、エラそうにしてないと、ナメられるしね。 イニシアティブを取るってのも、大変な事なんだ 」

 疑惑を容認しつつも、菊地は一辺倒な答えをした。

「 まあ、あのセンセが何しようが、あたしにゃ関係ないこった。 毎晩、ここに来てくれるってんなら、話は別だがね。 …ちょいと、タケちゃん。 もう、カンバンだよ。 起きなって、ホラ! 」

 菊地の横で、酔いつぶれていた男性の肩を揺する、豊子。

「 …ん? ああ… だから言ってやったんさ、オレはよ 」

 寝ぼけながら頭を起こすと、男は立ち上がり、胸の辺りをボリボリとかいた。

「 明日、職安に行くんだろ? ヒゲぐらい剃って行きなよ。 ホラ、これ飲んで 」

 豊子が、コップに水を注いで渡す。 男は一飲みし、コップをカウンターに置くと、隣にいた菊地に気付いたようで、声をかけた。

「 何だ、菊さん、いたのか… また、飲もうや。 アンタのおごりでよ。 へっへっへ…! じゃ…… 」

 夢遊病者のように、彼は、外へと消えて行った。

 男が寝ていた辺りを片付けながら、豊子が言った。

「 いい人なんだけどね。 運が無いと言うか… 正直過ぎるんだよねえ、あの人は 」

 コップに残っていた酒を飲み干し、菊地は言った。

「 …正直者が、バカを見る… か 」

 財布から小銭を出し、カウンターに置く、菊地。

「 あたしゃ、とにかく、エラそうなヤツが気に入らないのさ 」

 そう言う豊子に、菊地は笑いながら言った。

「 じゃあ、万年、うだつの上がらないオレは、大丈夫だね? 」

 カウンターに置かれた小銭を回収しながら、豊子が答える。

「 今の所は、ね… アンタも編集長になって、下のモンを顎で使うようになったら、ここでのツケは、効かないからね? 」

「 失礼しちゃうなあ。 いつもニコニコ、現金払いだろ? 」

「 120円、足りないよ 」

「 あの、ほっけ、そんなにすんのかよ 」

「 産地直送だからね。 保管料も入ってんだよ 」

「 …… 」



「 よう、片山。 コッチだ 」

 手を上げて呼んだ菊地に気付き、片山と呼ばれた男は、軽く手を上げた。 菊地が座っているテーブルに来ると、座った。

 濃紺のスーツに、グレーのハイカラーシャツ。 無精ヒゲを生やしている。

「 待たせたな、菊地。 依頼人が報告書読んで、泣き出しやがってさ。 なだめるのに、時間が掛かっちまった。 …あ、オレ、アメリカンね 」

 水の入ったグラスを持って来たウエイトレスに、注文をする片山。

「 大変だな、お前も。 セラピストもやんなくちゃならんのかよ 」

 吸っていたタバコを灰皿で消しながら、菊地が言った。

「 まあ、いつもの事さ。 探偵、ったって、ほとんどが浮気調査だからな。 いい加減、ヤんなるぜ 」

 片山は、1冊の報告書を菊地に渡した。

「 お前の言う通り… 何か、変だな 」

「 ……やっぱりそうか? 」

「 お前、この教授と何かあるのか? 」

 運ばれて来たコーヒーを一口飲みながら、片山は聞いた。

「 いや… 何かあるってワケじゃないけど。 気になってな。 ヤバイのか? 」

「 今のところは、大丈夫だろう…… 」

 片山は、タバコに火を付けると、説明した。

「 この田所って教授は、確かに外科の世界的権威だ。 ウデもある。 だけどな… オペを、全然やってないんだ 」

「 …え? 移植なんかの、難しい手術をやってるんじゃないのか? 」

「 そりゃ、5・6年前までの話しだ。 最近は、オペに立ち会うだけで、一切やってない。 患者には、執刀医主任ってコトになってるけどな。 どうも、何かの研究に没頭してるらしい 」

「 研究? 何の 」

「 そこまでは、判かんねえ。 …悪ィ~が、『 友だち価格 』で出来る調査の範囲、ってのがあるからな 」

 菊地は、申しわけなさそうに答えた。

「 いつも、済まんな。 今週中に振り込んでおくから、確認してくれ 」

「 分かった 」

 タバコを灰皿で揉み消すと、片山は続けた。

「 菊地…… 研究の内容くらい、普通だったら分かるモンだ。 聞き込みすりゃいいんだからな。 当然、今回だってやったよ。 …でも、誰も知らねえんだ。 つまり、秘密だって事だよ。 しかも、超極秘のな……! 」

 菊地は、しばらく考えると、片山に言った。

「 医学に関わる事なら、極秘の研究もあるんじゃないのか? 新薬に関わる事とか 」

 コーヒーカップを持ちながら、片山が答える。

「 そりゃ、あるさ。 だけど、病院1棟、全部を研究室に使って、誰も知らねえってのは異常だぜ? しかも、出入りは、カードのオートロック。 警備員が、各出入り口で24時間体制のシフト警備ときてる。 お前が、その… 変てこりんな部屋に入れたとか言うのは、ラッキーだったと思うぜ? 」

「 …う~ん… 精神異常者を隔離してるとか? 劇物の盗難防止の為に、警備を厳重にしてるとか…… 」

 カップをテーブルに置き、片山は言った。

「 良いように解釈すれば、いくらでも言えるだろう。 でも、これは、オレの感だが… 何か、ヤバそうな雰囲気だぞ……? 」

 腕組みをして考えると、菊地は言った。

「 もう一度、アポをとって取材をしてみるか…… 」

「 その時は、オレも同行させてくれ。 お前は、普通に取材しろ。 オレに考えがある…! 」

「 おいおい、そんな金、オレには無いぞ 」

「 いらねえって。 これは、オレの独断だ。 追加料金は請求しないよ。 ちい~と、気になるんだ。 もしかしたら、でかいスクープが取れるかもな…! その時は、探偵としてのオレの名前を掲載してくれよ? 」

「 不法侵入は犯罪だ、片山。 それによって得られた情報は、法廷でも証拠として効力を発揮しないんだぞ? 」

「 んなコタぁ、分かってる。 法律は商売上、お前より詳しいからな。 とにかく、アポを取れ。 取ったら連絡してくれよ 」

 片山は、そう言うと、報告書を開いた。

「 ここに、病院の見取り図を添付しておいた。 …ここが、病棟。 ここが、外来の入り口だ。…見ろ、このマーカーで塗ってある部分が、一般立ち入り禁止区域だ。 看護士

 今、考えてみれば、施錠してある部屋が、数ヶ所あったのも、おかしな事だったとも考えられる。 緊急事態が起こる可能性は、病院なら多いはずだ。 いちいち、開錠して処置をしなくてはならないという解釈になる。


 片山は続けた。

「 この一番奥にある部屋…… これだ。 田所の専用オフィスらしい。 まあ、それは別に珍しい事じゃないが… そのすぐ隣、この部屋だ 」

「 …普通の部屋に思えるが? 」

 片山が指差した部屋の間取り図を見ながら、菊地は言った。

「 そう、普通の部屋だ。 専用トイレに、流し台… 押し入れまである。 おかしいじゃねえか。 なんでココだけ、一般家庭用なんだ? 」

「 …う~む、確かに…! 病院の施設としては、変だな 」

 両膝の上に両肘を乗せ、テーブルに屈みこんだまま、菊地を上目視線で見ると、片山は言った。

「 誰かが、住んでんだよ。 ここに……! 」

「 …… 」

 同じような体位で、しばらく片山を見つめ、菊地は言った。

「 宿直室、ってコトは、ないか? 」

「 そんなモンが、何で5階にあんだよ。 普通は、1階だろが 」

「 …だよな? じゃ、一体、何の為に? 」

「 分かんねえ…! とにかく、一日に何回もスタッフが出入りしているんだ。 配膳室で、下げられて来た食事の残飯を確認したんだが、明らかに通常の病院食とは違う。 普通の食事のようだ 」

「 お前、そんなトコまで入り込んだのか? 執念だな。 それに見合う料金を振り込む予定はないぞ? 」

「 調べれば調べるほど、怪しいんだよ。 浮気調査では味わえない、探偵冥利に尽きる案件、って感じでな。 …とにかく、この件については、オレも混ぜてもらうからな? 記者のお前1人じゃ、絶対に解決は出来ん。 無理だ 」

 イスにもたれ、ため息を尽く、菊地。

「 オレには、無理なのは分かってるよ。 ただ、そこまでしていいのか、判断に迷っているんだ。 オレとしては、何か気になったんで、調べてもらっただけだからな 」

 片山は、タバコに火を付けながら言った。

「 お前の感は、当たってるよ。 そして、オレの感もな……! 」


『 アタシの感は、当たるんだよ 』


 先日の豊子の言葉を、菊地は思い出した。

「 …何かある、か… 」

 そう呟いた菊地を、じっと見つめながら、片山は言った。

「 腹を決めろ、菊地。 オレに任せておけ…! お前は、普通に取材すりゃいいんだからよ 」

 前回の取材で気になっていた、田所の会話内容。 そして、この片山の報告……


『 ウラで、何やってんだか、分かったモンじゃないよ 』


 豊子の声が、再び記憶に甦る。

 不安にも似た疑惑の念を、拭い切れない菊地であった。

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