第3話、エタノールの香り

「 やあ、お待ちしてました。 どうぞ、どうぞ。 散らかっていますが… おお~い、久保君、お茶を出してくれ 」

「 あ、お気遣いなく 」

 研究室に通された菊地は、様々な実験道具や機器が並ぶ部屋の片隅に置かれた、来客用と思われる応接セットに案内された。

「 いやいや、お約束の時間を勝手に変更しまして、申しわけありませんでした。 田所と申します 」

 白衣を着たその教授は、名刺を菊地に差し出した。

 少しヤセぎみで、大きなロイドメガネを掛けている。 背は、そんなに高くなく、真っ白な白髪を七三に分け、右目の下に、大きな生きほくろがあった。

「 毎朝グラフの菊地と申します。 お忙しいところ、申しわけありません 」

 名刺を交換し、ソファーに腰を掛ける。

「 ……失礼致します 」

 20代後半と思われる白衣を着た女性が、湯飲みに注いだお茶を持って来た。 左胸に、顔写真の付いた身分証を付け、メガネを掛けている。 身分証には、久保 祥子とあった。

「 あ、どうも 」

 軽く一礼する、菊地。

 田所が、彼女に言った。

「 報告書は、私が目を通しておくから、臨床結果だけ、まとめておいてくれたまえ 」

「 わかりました。 実験結果は、どうされます? 添付しておきましょうか? 」

「 そうしてもらおうか。 厚生労働省が、ウンと言わなければ、何ともならんのだからね 」

 会話を流し聞きしながら、お茶を一口飲む、菊地。

 彼女が席を外すと、田所は足を組み、手にしていた手帳をテーブルの脇に置くと言った。

「 笠井社長から、聞いとるよ。 ドナー登録についての取材だったね? 」

 湯飲みを置きながら、菊地は答えた。

「 はい。 よろしくお願い致します。 ええっと… 現在は、非常に、様々な臓器について移植が行なわれているそうですね 」

 テーブルに置いたボイスレコーダーのスイッチを入れる。

「 うむ。 しかし、まだ日本では、倫理的な問題から、移植手術に至るまでの経緯に、どうしても時間が掛かってしまうのが実情だ。 海外に行って手術を受ける患者が多いのも事実だよ 」

「 よく、ニュースで報道されてますね。 何千万というお金がかかるみたいで、街頭募金とかもして資金を集めている話が、時々、話題になります 」

 田所は、ポケットからタバコを出すと、火を付けて言った。

「 資金的な問題だけで解決出来る患者は、まだいい。 移植可能なドナーが現われなければ、どうしようもないからね 」

 天井に向けて煙を吐き出す、田所。

 菊地は尋ねた。

「 ドナー登録というのは、誰でも出来るのですか? 」

「 健康な者ならばね。 ドナー登録と言っても、角膜だけ、という人もいるし、千差万別だ。 体の、どこの部分を提供するか、という認知から始めなくては 」

 大きなメガネを掛け直しながら、田所は言った。

「 なるほど。 …しかし、やっぱり抵抗があるものなんでしょうね? 」

「 そうだろうね。 自身が患者だったり、身内に、そういった患者でもいない限り、本当の必要性を感じる事は少ないだろう。 最近は、福祉の勉強も進んで来ているから、ボランティアの精神から登録をする人が増えて来ているのも事実だがね 」

「 失礼ですが、先生は… いかがされてらっしゃいますか? 」

「 私はもちろん、登録をしておるよ。 もっとも、それ以前に、献体としても意志を表示しておるよ。 こんな老体でも、お役に立てればいいんだがね 」

 田所は、お茶を飲み、笑いながら答えた。

「 これは、お見逸れ致しました…! 」

 一礼する、菊地。

 レコーダーの録音感度のダイヤルを調節しながら、続けた。

「 先生は、脳神経外科の権威とお聞き致しましたが、脳移植… なんてのは、可能なんですか? 何か、SFのような質問で申しわけないのですが 」

 田所は、テーブルの上にあった灰皿でタバコを揉み消すと腕組みをし、しばらく考えてから答えた。

「 理論上は、可能だろう…… しかし脳は、酸素の供給が数秒止まっただけで、細胞が破壊される。 非常に、デリケートなものなんだ。 数秒で神経や血管をつなぐのは、物理的にムリな話しだ。 …それよりは、クローンの方が、時間は掛かるだろうが、確実だろうね 」

「 クローン… ですか。 本体と同じモノが出来る、ってヤツですね? でも、それって、本体が生存し続けるワケじゃないですよね? 」

「 まあ、そうだが… 最近の研究では、ある程度の記憶を持たせる事も可能であるとの報告例もある。 日本では、行なわれていないがね。 海外でも、賛否両論だ 」

「 まさに、神の領域でしょうかね 」

「 そうでもないだろう。 DNA研究が、ここまで進化してるんだ。 記憶をつかさどる、海馬のみを… 」

「 先生! 12号が、光に反応してますっ! 」

 先程の、久保という女性が、慌てて田所の所へやって来て言った。

「 …な、なにっ? どういう事だ。 摘出してあるんだぞっ! そんなバカな…! 」

「 山崎先生も、今、こちらに向かってます……! 」

 田所の表情には、ただ事ではない心情がうかがえる。

「 山崎君が… よし、すぐにスタッフを招集だ! 8号の様子も確認したまえ! 堺田君は、どうしてる? 」

「 昨日からのデータを検索中です 」

「 出来次第、見せてくれ。 それと、集中室へ行って、昨日の観察結果だ。 投薬の状況を見たい。 私も、すぐ行く! 」

「 分かりました! 」

 慌てて部屋を飛び出して行く、久保。

 田所は、座っていたソファーから少し腰を浮かせながら、菊地に言った。

「 …菊地さん。 申しわけないが、緊急事態だ。 この続きは、また日を改めてという事で……! 」

 菊地は、レコーダーの電源を切りながら言った。

「 あ、どうぞ。 構いませんので… また、ご連絡致します 」

「 すまないね……! 」

 右手で、軽く会釈をしながら席を立った田所は、表情を改め、慌しく部屋を出て行った。


 …患者の急変なのだろうか。

 医者は大変な職業だ。 いつ、何時、職務に狩り出されるか分からない。


 ため息を付きながら、湯飲みに残ったお茶を飲み干す、菊地。

 ふと、テーブルを見ると、田所の手帳が置いてあった。 慌てて、忘れて行ったのだろう。

「 …あ、田所先生~っ…! 」

 呼んでみたが、返事はない。

 まだ、外の廊下にいるかもしれない。 菊地は手帳を掴むと、急いで部屋の外に出た。


 出た先は、左は非常階段、右は各部屋の扉がある廊下だ。 状況的に、彼らは右に行ったと思われる。

 一番手前の扉には、リネン室とあった。 ここではないだろう。

 次は、トイレ。 その向こうは、『 臨床3号 』とあった。 ドアノブを回してみたが、施錠されているようだ。 更にその次の扉に行く。 『 臨床2号 』とあるその部屋も、施錠されていた。

「 ドコに行ったのかな? 」

 廊下を突き当たり、右を見る。 先程の部屋に案内されて来た時に来た方角で、入り口へと続いている。 確か、部屋はなかったはずだ。 左を見ると、いくつもの扉が確認出来た。

( あまりウロウロすると、不審者のようだな。 テーブルの上に返して、帰るか… )

 そう思いつつ、『 関係者以外、立ち入り禁止 』と書かれたドアノブを、回してみる菊地。

 意外にも、そのドアは開いていた。

「 田所先生~… 」

 室内に呼びかけてみたが、応答はない。

 大きなガラス製の浴槽みたいなものに、得体の知れない物体が浸してあり、中に引き込まれた細いチューブからは、ブクブクと泡が出ている。 色んな電子機器の作動音が聞こえ、消毒液のような匂いが部屋中に充満していた。

 ドア越しに、再び菊地は、田所を呼んだ。

「 …田所… 先生~……? 」


 ……何か、異様な部屋だ。


 菊地は、恐る恐る、足を踏み入れた。

 パソコンで制御された機械の向こうに、ガラス製の入れ物がいくつも並び、これらにも、色んな物体が浸してあった。

 どうやら、動物の臓器らしい。 ここは、実験に使う臓器の保管場所なのかもしれない。

「 気味の悪いトコだな…… 」

 部屋は、最小限の照明しか点けてなく、薄暗い。 モニターの明かりが、ガラス容器に入った臓器に反射し、余計にグロテスクな雰囲気を強調している。

「 もう、出よう…… 」

 部屋を出ようとした菊地は、手前にあったプラスチック製の大きな容器の中に、数本の大根があるのを見つけた。

「 ? 」

 ホルマリンのようなものに浸された数本の大根には、マジックで番号が書いてある。

「 へええ~… 遺伝子組み替え食品かな? 」

 引き込まれたホースから出る泡の為に水面が波立ち、大根のようなものは、全体を確認する事が出来なかったが、顔を近付けて観察をすると、どうやら大根ではなさそうだ。

「 …何だ? 切り口が赤いな…… 突然変異の、赤カブか? 」

 更によく見ると、それらの下の方には指が付いていた。 大根と思った物体は、なんと人間の腕だったのだ……!

「 …う、うわっ! 」

 慌てて、飛び退く菊地。

 辺りを見渡すと、先程までは動物の臓器と思っていた物体も、何となく人体のような気がして来る。


 …菊地は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。


「 お… 落ち着け、落ち着くんだ…! これは献体だ…… そう、献体なんだ。 ここは大学病院だぞ? しかも、移植手術なんかも、何度もやってるトコなんだ。 これくらいのモンがあったって、不思議じゃない……! 」

 自分で、自分に言い聞かせる、菊地。

 確かにそうだろう。 以前、医大でインターンをしていた友人が、ホルマリン漬けにされた献体の解剖をしたという話を、菊地は思い出した。

「 …それにしても、薄気味悪い部屋だ。 早く出よう……! 」

 部屋の奥にも、沢山のガラス容器が並べられている。 その、全ての中身も、どうやら臓器らしい。 足らしき物体が入っている容器も、遠目に確認出来る。

 部屋を出ようとした菊地だが、入口のドアの所で立ち止まり、ゆっくりと室内を振り返った。


 ……部屋の奥に置かれた、無数のガラス容器……

 そのひとつに、シールが貼られ、番号が書いてある。


『 4429F 』


 菊地の目は見開かれ、そのシールに書かれてある番号に釘づけになった。

「 ……ま…… まさか…! 」


 菊地にとって、忘れる事の出来ない数字の羅列。

 はっきりと読み取れるその番号らしき数字は、紛れも無く、友美たちの運命を翻弄した、あの薬品につけられていたセイシャルナンバー、そのものだったのだ……!

「 そんな… そんなはずはない…… そんなはずは……! 」

 偶然の一致だろう。

 そうとしか考えられない。 あの事件の真相を知る当事者は、全て死んでいるのだ。


 …凍りついたように、その場に立ち尽くす菊地。


 確かに、この病院は、笠井製薬とつながりはある。 しかし、現在の経営者は、あの墓地で会った二代目社長だ。 当時の真相など、知るはずもない。

「 偶然の一致だ。 …そう、これは偶然の一致なんだ…! 」

 その番号が書かれたシールが貼ってあるガラス容器には、臓器のようなものが浸してあった。

 先程のプラスチック容器に近付き、無造作に入れてあった数本の腕に書かれてある番号を、もう一度、確認する。

「 3320… S。 213B…… 8335… H 」

 どれも似たような番号だ。 シールの番号は、やはり、どうやら偶然の一致のようだ。

 胸を撫で下ろす、菊地。

「 びっくりさせやがって……! 心臓が止まるかと思ったぜ。 偶然の一致だろう… 良かった……! 」

 もうあんな悲惨な事件は、こりごりだ。 全ては、15年前に終ったのだ。 二度と、あの薬品の因果に、巻き込まれる事はない……

 状況的に判断し、菊地は、そう自分に言い聞かせた。

( もう、考えるのはよそう。 オレは、何も見なかった。 この部屋には、来なかったんだ )

 部屋を出ると、先程、取材をした部屋に戻り、テーブルの上に手帳を置いた菊地は、逃げるように病院を後にした。

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