革新的!陰部ムヒ療法。

「矢吹先生、救急要請入ってます。21歳男性、淋病で睾丸が痛い、だそうです。救急外来救外だいぶ荒れてますけど・・・受け入れどうしますか?」


そう聞いてくる看護師の佐々木美幸の目は冷え切っていた。ただでさえコロナや熱中症患者でごった返している。自業自得の性病でこれ以上仕事を増やすな、と顔に書いてある。


「・・・まぁ淋病とは限らないし・・・痛くて救急車を呼ぶくらいだから、精巣捻転の可能性もあるから・・・精巣捻転だとほら、緊急手術しないと玉腐っちゃうからさ・・・」


矢吹はなぜか自分が責められているかのような感覚を味わいながら、モゴモゴと受け入れの意思を示した。


※※※※※※※※※※


10分後、患者がストレッチャーにのって救急隊に運びこまれてきた。明るい髪色の垂れ目の青年で、いかにも女性ウケしそうな顔立ちだった。だが股間に手をやり体をくねらす様はなんともしまらない。隣には彼女だろうか、黒髪の清楚な女性が付き添っている。


この痛がり方は異様である。淋病という病名がどこからきたか分からないが、やはり精巣捻転である可能性が否定できない。矢吹は青年だけ診察室に入れ、さっそくパンツをおろした。


「うわっ」


後ろにいた佐々木が小さな悲鳴を上げる。無理もない。2つの睾丸は赤黒く腫れあがり、毛穴がグロテスクに隆起している様は奇形のサボテンのようだ。そしてマスク越しにわかる、湿布のような強烈な匂い。


こんなものは見たことがない。もちろん精巣捻転ではないし、いままでみたどんな性病とも違う。


「これは・・・どうしたのですか?」

「淋病がひどくなって・・・」


青年は苦しそうに言う。その振動で赤黒いサボテンがフルフルと揺れる。まるでサボテンが喋っているかのように錯覚する。


「淋病はどこかの病院で診断を受けたのですか?」


矢吹は怪訝な顔で問う。こんな淋病があってたまるか。


「いや・・・俺は病院いってないんすけど・・・彼女が・・・」

「なるほど・・・あの付き添いの彼女さんからうつされたんですか?」


あの清楚な出で立ちの子がと思うと、軽くショックを受ける。


「いえ・・・俺が浮気して病気もらっちゃって、彼女にうつしちゃって・・・彼女が病院いったら淋病って分かって・・・」


背後の佐々木から冷気を感じる。


「ずいぶん心の広い彼女さんですね・・・普通付き添いに来ないですよ」

「そうなんすよ。ほんとに優しくて・・・」

「まぁそれはそうと、あなたはどうしてすぐ病院にいかなかったんですか?淋病だと分かったなら早く治療しないと。こんな救急車呼ぶまで我慢しちゃって・・・」

「最初はなんともなかったんす。それで彼女に出された薬の余りをもらったから、それでいいかなって・・・でもちょうど薬使ったあたりから急に痛くなっちゃって・・・」

「それってなんて名前の薬ですか?」

「いや名前とかは分からないすけど・・・白い塗り薬です」


訳が分からない。矢吹はとりあえず事実を伝えることにした。


「淋病はこんな風に腫れないし、軟膏の治療薬なんてないですよ」


※※※※※※※※※※


青年が睾丸の痛みに苦労しながらズボンを履くと、ちょうどそのタイミングで佐々木に案内された彼女が診察室に入ってきた。


「彼氏さんから大体の話は伺いました。それで、なんという病院でなんの検査をして淋病と診断されたのですか?」


矢吹の問いに彼女は押し黙ったまま答えない。かわいらしい顔立ちには一切の表情が抜け落ちており、凄味があった。


「その・・・彼氏さんに渡した薬の名前だけでも答えられませんか?」


再び沈黙。とても答えを催促する雰囲気ではない。青年も浮気をした負い目だろうか、おどおどと彼女の顔色を窺っている。重苦しい空気の中、矢吹が仕方なくもう一度口を開こうとしたまさにそのとき彼女が答えた。


「ムヒです」


彼女以外の3人は、予想外の答えに顔を見合わせる。診察室に漂う、強烈な湿布臭。なるほど。ムヒを塗ったら睾丸が腫れあがるのも無理はない。


「・・・ムヒってその・・・蚊に刺されに使う・・・」

「そのムヒです」

「ひでぇ!俺には薬っていった嘘だったのかよ!」


青年が騒ぐが、彼女の一睨みでたちまち押し黙った。


「・・・なるほど。淋病にかかったことが発覚したけど、彼氏に嘘の薬を渡したと・・・いいですか、淋病は放置すると不妊になることもあるんですよ。いくら彼氏さんが浮気したからといって」

「淋病というのも嘘です」

「「「えっ」」」


矢吹と佐々木と青年の声が重なった。


「ちょっと待てよ!全部嘘だったのか!?お前が言うから相手にも淋病になったって伝えたんだぞ!」

「さぞ浮気相手さんからは幻滅されたでしょうね」

「しかも俺が救急車で運ばれたのもお前がムヒ渡したからじゃねーか!それって普通に犯罪だぞ!」


青年が大声を出すが彼女は小動こゆるぎもしない。


「いい薬になったでしょ?」


矢吹は寒気を覚えた。この彼女は青年の浮気に気づき、たった一つの嘘でそれを暴き、肉体的な制裁を加え、浮気相手との関係を破綻させたのだ。


その後、睾丸をジャブジャブと洗われ待合室まで響くような悲鳴をあげた青年は、ややすっきりとした表情の彼女に付き添われて帰っていった。


げんなりとした矢吹に、佐々木がなぜか勝ち誇った顔で言う。


「矢吹先生も、不誠実な行為はしちゃだめですからね」

「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ・・・」


彼女すらいないのに、浮気もクソもない。だがおとなしそうな人間でも、本当に怒ると何をしでかすかは分からない。矢吹はそのことだけは教訓として心に留めておくことにした。

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