電気ショックを繰り出す患者

ペラペラと資料をめくっていくと、文字ばかりのプリントに一枚だけデカデカとしたカラーの顔写真が混じっていた。その下には感嘆符つきの文章が踊っている。


・この人物を見かけたら直ちに守衛室に連絡してください!

・2m以上の距離をとって、それ以上近づかないでください!

・他の患者さんが近づかないように注意してください!


「なんですかこれ・・・指名手配書じゃあるまいし」


そして写真に写っているのは金井であった。矢吹が藤堂教授の指示に逆らって命を助けた患者だった。


「コロナ対策本部長・・・から提案がなかったので、私から一つ議題を上げさせていただきました」


いつも通りの甲高い猫なで声であったが、本部長・・・のアクセントに精一杯の敵意が込められていた。感染症内科の実質的なトップである狩川譲は、どうやらコロナ対策本部長の座を矢吹に奪われたことを恨みに思っているらしい。


「・・・これをどうするつもりですか?」

「もちろん各フロアのナースステーション・外来・守衛室に貼り出し注意喚起を呼びかけたいと思っております」

「いや、しかし犯罪者じゃあるまいしあまりにも・・・」

「あまりにも?おっしゃいますが、このコロナ患者は看護師の静止も振り切って隔離病棟を抜け出し、1階の売店まで新聞を買いに行ったのですよ?おかげで患者スタッフ含め40人のPCR検査を緊急で行ったのです。幸い感染者がでなかったからよかったものの、これは主治医でいらっしゃるコロナ対策本部長・・・の責任でもあるのですよ」

「金井さんは一時的な錯乱状態せん妄だっただけで・・・」

「高齢患者に侵襲的な処置を行えば一時的な錯乱状態せん妄に陥るのは目に見えています。矢吹先生は反対を押し切って適応のないこのコロナ患者に体外式膜型人工肺ECMOを導入したとか。これが主治医の責任でなくてなんというのでしょう」

「しかしだからといって見捨てるわけには・・・」

「結果っ!多くのスタッフ・他の患者が危険に晒されているのですよっ!矢吹先生は個々の患者に目を向けるあまり、病院全体という観点がまるで抜け落ちていらっしゃるっ!これは感染症対策を担うにあたって基本的な資質の欠如ですっ!よりによって対策本部長などっ!」

「いや僕がやりたいと言ったわけでは決して・・・」

「藤堂教授がこの人事に介入したことは明白ですっ!そもそも集中治療室の師長がコロナ陽性になったというのに、救急科は全職員PCR検査も未だに延期している状態っ!感染症対策に対する基本がまったくなっていないっ!」

「すみません。もう少しトーンを落としていただけませんか?飛沫が飛ぶので」


火のついた狩川に、口腔外科医の常井舞子が冷水をかぶせた。口腔内の処置をするハイリスク科代表として、彼女はコロナ対策本部に出席していた。狩川は眉間にしわ寄せ常井を睨んだが、常井は涼やかな表情でなんなくその視線を受け止めた。


「・・・失礼しました。いずれにせよ、救急科のかたがたには早急に検体を提出していただき、今週中にPCRを確認していただかなければなりません」


今週中。今日は金曜だというのに。


「わかりました。なんとか調整をしてみま・・・」


言い終わらぬうちにガサゴソと放送の雑音がなる。


「コード・ブルー。コード・ブルー。7階B病棟。コード・ブルー。コード・ブルー。7階B病棟」


院内の緊急召集だ。7階B病棟。それは・・・


「金井さんのいる病棟だ」


矢吹は会議室のドアを蹴開けて7階へ駆け上った。


※※※※※


金井は、夢の中を歩いているかのように悠然と廊下を進んでいた。定まらぬ視線で医療者の群れを見ている。金井が一歩進むごとに、感染防護服に身を包んだ医療者が一歩後ずさった。


なぜ早く取り押さえないのだ。いくらコロナ患者とはいえ感染防護服を着ていれば危険は少ない。このままでは他の一般病室に侵入してしまうではないか。


矢吹は苛立ちを抑えて感染防護服を着込む。


鎮静薬セレネース1アンプル!」

準備して吸ってあります!」


いつの間にか現れた看護師の佐々木が、素早くアンプルを手渡してくる。口うるさいが頼れるやつだ。


矢吹は金井を取り押さえるべく最前列に立って、初めて異常に気付いた。


「なぜAEDを持っているんだ・・・」


致死的な不整脈を止めるためのAEDは、最低でも1000Vほどの強力な電気ショックを放つことができる。喰らえばタダではすまない。


ふと金井が一般病室のドアに近づく。まずいっ。だが金井の手にもつAEDが判断を躊躇わせる。


ひゅっ


小脇に風を感じると、しなやかな肢体が躍り出て、手に持つ棒でAEDをはたき落とした。


その衝撃でふらつく金井。あわや転ぶかというところで、先の人物は二股に分かれた棒の先を突き出し壁に縫い付けた。


「矢吹先生早く!」


振り向き叫んだのは、刺又さすまたを手にした常井舞子であった。


「はっ、はい!」


今度こそ駆け出した矢吹は、病院着越しに太もも目指して鎮静薬をズブリと刺した。金井はしばらくジタバタと暴れたが、その度刺又さすまたに動きを止められ、ほどなくして動かなくなった。


「助かりました。すごい動きでしたね」

「ああ、私剣道やっていたので」


事も無げに言い放つ常井であったが、透けるような肌は上気ししゅがさしているのが見て取れた。


「はいっ、常井先生防護服PPE着てないんだから離れてください。矢吹先生はいつまでもデレッデレした顔がしてないで早く鎮静の指示出してください」


そう言って佐々木がグイと矢吹の感染防護服の裾を引いた。


「デレデレした顔なんてしてない」

「してますよ思いっきり」

「マスクしてるのに見えるわけないだろ。ハイ論破」

「矢吹先生がどんな顔してるかなんて見てなくても分かります。ハイ論破!とにかく指示入れてください!」


矢吹は引きずられるようにナースステーションに向かうのであった。

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