晶穂─2 意外なデートと嫉妬心

 ある晴れた休日、晶穂は一香や真希と共にリドアス内の掃除に精を出していた。棚のごちゃごちゃな書類や物を正しく並べ直したり、ほうきで床を掃いた後に水拭きしたりしていたのだ。自室は自分で掃除する決まりだが、共有部分はそうもいかない。

 二時間程で片付け終わって三人で休憩がてらお茶飲んでいた時、ひょっこりとユキが現れた。

「晶穂さん」

「ユキ、どうしたの?」

 ととと、と晶穂の傍までやって来たユキ は、目を瞬かせる晶穂に向かってにこっと笑った。

「晶穂さん、今日は時間ある?」

「え? 掃除は終わったし、あるけど……」

「じゃあ、今日はぼくとデートして欲しいな」

「デート?」

 きょとんとユキを見た晶穂だが、ユキは大きく「うん」と頷く。

「ちょっと買い物に付き合って欲しいんだ。ぼく一人でも良いんだけど、晶穂さんの意見も聞きたいから。それに、なかなか兄さん抜きで喋ることもないしね! ダメかな?」

「構わないけど……」

「じゃあ、決まりね!」

 十三時に、玄関ホールで。それだけ言うと、ユキはパタパタと駆けていった。晶穂が止める間もない。

「行っちゃった……」

「ユキくん、どうしたのかな?」

 一部始終を見ていた一香が微笑みながら言い、晶穂は首を傾げることしか出来ない。

「わかりませんけど……。でも、ユキと二人で出掛けるなんて初めてですから、楽しみです」

「そう……?」

「一香さん?」

 意味深に微笑む一香にどうしたとかと訊くが、彼女は笑うばかりで何も教えてはくれない。晶穂は眉根を寄せ、とりあえず飲み終わったコップを洗うことにした。

「ふふっ。真希さん、よく笑うの堪えられましたね?」

 晶穂が全員分のコップをシンクで洗っている間に、一香は真希に向かってそう言った。未だに一香はにやけを抑えられていない。

 真希は「そうかな」と笑って、楽しそうに頬杖をついた。彼女の視線の先にあるのは、晶穂の背中だ。

「……リンくん、妬かないと良いけど」

「普段クールな団長ですけど、晶穂ちゃんが絡むと……どうですかね? 今は仕事でリドアスを離れていますけど、帰ってきたら」

 若干の不安とそれ以上の面白がる気持ちを抑え、一香と真希は晶穂を見送った。


 十三時五分前。晶穂が支度を整えて玄関ホールに行くと、既にユキが気付いて大きく手を振った。

「ごめんね、待たせた?」

「ううん。ぼくが先に来てようと思って。じゃ、行こ!」

 晶穂はのワンピースの下に黒のレギンスを穿き、ユキはパーカーにズボンという出で立ちだ。パッと見、仲の良い姉弟に見えるかもしれない。

 ユキは晶穂の手を握り、にこりと笑って歩き出した。

「ユキ、何処に行くの?」

「あのね、晶穂さんのアドバイスが欲しいんだ」

「わたしの?」

 リドアスを出てしばらく歩くと、アラストの町が見えて来る。家屋や店舗の屋根が見えてきた辺りで、ユキは「うん」と頷いて晶穂を見上げた。

 まだ十センチ程、晶穂の方が背が高い。しかし毎年のように背が伸びているユキは、いつか晶穂を追い越してしまうのだろう。

 リンと同じ黒髪が揺れ、ユキは目を臥せた。

「兄さん、最近も忙しそうでしょ? 今もジェイスさんと克臣さんと出掛けて、帰るのは明日って一昨日聞いたし。だから、兄さんたちに何かおいしいもの食べさせようって思って。……料理を教えて欲しいんだ、晶穂さん」

「……ユキ、リンのこと大好きなんだね」

 デートと言われ、嬉しさと共に戸惑いはあった。しかしユキの瞳に真剣な光を見た晶穂は、目を和ませて優しい表情を浮かべる。

 するとユキは照れ笑いして、それからぺこっと頭を下げた。

「へへっ。兄さんには言わないけど、気持ちは晶穂さんにも負けないつもりだよ? でも今回は、先生になって下さい!」

「わたしに出来ることなら、喜んで協力するよ」

「ありがとう!」

 パッと顔を上げ、ユキは満面の笑みで晶穂の手を引く。彼が向かう先に商店街があるのを見て、晶穂は頭の中で幾つかのメニューを考えていた。


 食材を買い込み、何度か試作・試食をしたユキと晶穂。リドアスにいた一香や真希、唯文たちにアドバイスを貰いつつ、当日を向かえた。

「腹減った……」

「克臣、のっけから机に突っ伏すのはどうかと思うぞ?」

 ジェイスに苦笑と共に指摘され、顔を上げた克臣は「だってさ」と声を上げる。

「腹空かせて帰ってこい……ってユキが言うんだからな。マジで腹減った」

「それだけ楽しみにしてたんだな、克臣。兎も角、今夜はユキがご馳走してくれるんだって?」

「うん! 晶穂さんに買い物から手伝ってもらって、一緒に作ったんだ。兄さんたちの口に合えば良いけど……」

 少しだけ不安げに、しかし自信を覗かせてユキはキッチンに引っ込んだ。その背を見送り、リンは傍らに立つ晶穂を見上げた。

「晶穂、手伝ってくれたんだな。ありがとう」

「ううん。ユキ、とっても頑張ってたんだよ! だから、わたしも気合い入っちゃって夢中でやってた」

「そっか……」

「リン?」

 わずかに逸らされたリンの目。晶穂はそれが気になって、リンの顔を覗き込んだ。

「どうかした? 大丈夫?」

「え……。っ、だ、大丈夫だから」

「あ……うん。なら、良いけど」

 自らリンの顔を覗き込んでしまった晶穂は、リンの慌てぶりを見て大慌てで体を離した。それから、ちらっと遠慮がちにリンを盗み見る。

(何か……不機嫌? お仕事で疲れたのかな)

 晶穂がもう一度声をかけるか否か迷っていると、ユキが年少組と共に料理を手に現れた。

「お待たせ! 寒くなってきたし、グラタンっていうのにしてみたよ!」

 そう言って、ユキはリンの前に熱々の皿を置いた。

 グラタンにはじゃがいもと玉ねぎを中心に入れ、たっぷりのチーズを乗せてオーブンで焼いた。白い湯気を漂わせ、チーズのにおいが食堂全体に広がる。

 思わずごくりと唾を呑み込んだリンたちは、早速「いただきます」と唱和してフォークを取った。フォークを引き上げると、じゃがいもに絡み付いたチーズがとろりと溶けて糸を引いた。

「熱っ……うまっ」

「じゃがいも柔らかいし、チーズも濃厚でとても美味しいよ。ユキ、頑張ってくれたんだな」

「ユキ、うまいし嬉しい。ありがとな」

「へへっ。よかったぁ!」

 克臣、ジェイス、リンから褒められ、ユキは照れて顔を赤くした。それから自分でも食べてみて、熱さに目を白黒させる。

「……うん、おいしいや。晶穂さんのお蔭だね」

「ユキが頑張ったからだよ。……ん、おいしい」

 晶穂も微笑み、ユキ力作のグラタンを完食した。


「晶穂」

 その夜、ユキたちに任せた後片付けが綺麗に済まされているか確かめに来た晶穂に声をかけた者がいた。晶穂が振り返ると、壁に背中を預けたリンが立っている。

「リン、どうしたの?」

「……」

 晶穂が首を傾げるが、リンは何も言わない。彼の少し険しい表情に、晶穂は自分が何かしたかと思案を巡らせた。

 するとリンは、晶穂の表情を別の意味で解釈したらしい。そっと晶穂に近付くと、彼女の肩に額を乗せた。

「……ごめん。怖がらせたいわけじゃないんだ」

「え? あの……わたしが何かしたわけじゃなくて?」

「何もしてない。むしろ、ユキに協力してくれて感謝してる。だけど……っ、ああもう!」

「リン!?」

 突然叫ばれ、晶穂はびっくりして身をこわばらせた。するとリンは大きなため息をつき、再び「驚かせてごめん」と呟くと晶穂の背中に手を回す。

「……ごめん、嫉妬した。かっこ悪すぎる」

「嫉妬……? 何で」

 抱きすくめられ、心臓が張り裂けそうだ。晶穂はまとまらない思考をどうにも出来ないまま、リンの胸に手を置いていた。手のひらから、ドッドッという鼓動が伝わってくる。

「ユキが俺のいない間に晶穂と出掛けてたんだと思うと、ちょっとな……。だけどこんなんじゃ、嫉妬深いし束縛してるみたいじゃないか。晶穂は俺のものじゃないのに、バカだろ」

「……」

 自分を吐き捨てるリンに、晶穂は一瞬言葉を失った。そして、かぶりを振ると額を彼の胸に押し付ける。

「……バカなんて言わないで、リン。わたし、そう思ってくれたってわかってくすぐったい気持ちなんだ。怒ってるのかと思ってたから、ほっとしたし」

「晶穂……」

「束縛は困るけど、こういうのは嫌じゃないよ? わたしも絶対……リンがサラとかと出掛けたら焼き餅焼くと思うもん」

 想像するだけで、胸の奥が針で刺されるように痛む。自分の中に眠る嫉妬の気持ちを、晶穂はそっと撫でるように抑えた。

「だからその時は……今みたいに、だ……抱き締めてくれ、る?」

「……ああ」

 精一杯の勇気を振り絞って伝えた言葉は、リンに受け止められた。晶穂はほっとすると、一層強められたリンの腕に抱かれたままでしばしを過ごす。

 二人の様子を、窓の外から月光が照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る