銀の華の物語―9

晶穂─1 絵本

 物心ついた時、最初の記憶は何だったのか。ふと思うと、それは施設で一人絵本を読んでいたものだろう。

 晶穂は幼い頃から引っ込み思案で、多くの子どもたちの中に入っていくのがとても苦手だった。それにはおそらく、髪の色もかかわっていたが。

「お前の髪、何でハイイロなの? へーんなの!」

「やーい! ハイイロ!」

 そんな悪口を言われるのも日常茶飯事で。悪戯の盛りにある男の子も女の子も、晶穂の髪をからかった。彼らもぽっかりと空いてしまった心の穴を、そうやって埋めようとしていたのかもしれない。だとしても何故、と晶穂は同じ年頃の子どもたちとかかわるのが怖くなっていった。

(絵本の中には、怖い人はいないから)

 晶穂はいつしか、誰もいない部屋を見付けてはそこの隅っこでうずくまって本を読むようになっていた。そうすることで自分を守り、外を拒んでいたのだ。

「ねぇ、晶穂ちゃん。みんなと遊ばないの?」

「……ごめんなさい。いや、です」

「そう……。遊びたいって思ったら、いつでも先生のところに来てね?」

「……はい」

 消え入りそうな、返事。施設の先生はまだ何か言いたげだったが、結局はそれ以上口にすることなく去っていく。

 ガラガラ、バタン。たてつけの悪いらしい引戸を閉じ、先生は去る。しかし晶穂は顔を上げることも拒み、じっと絵本の世界に没頭した。

 いつしか晶穂は、施設の中でも扱いづらい子どもとして敬遠されるようになっていく。先生たちは晶穂をどう扱うべきか悩み、積極的なかかわりを避けた。

「晶穂、新しい絵本が入ったわ。読んでみる?」

「はい」

 そんな先生が多い中、ただ一人は違った。後に水ノ樹学園の校長に就任する女性、彼女が晶穂とかかわり続けたことが、最終的に晶穂を孤独にしなかったのかもしれない。

 晶穂は度々絵本を与えられ、その中に描かれる世界に惹き込まれていった。美しい世界や、悲しさを伴う物語、そして優しいお話。それぞれを読み込み、晶穂は少しずつ、ほんの少しずつ顔を上げて微笑むように変わっていった。


 そんなある日、施設に新たな子どもが引き取られることになった。その女の子はまだ一歳にもならない歳で、親と離れなければならない事情があったのだと言う。

 柔らかなおくるみに包まれた赤ん坊は、むずがる様子もなく安らかに眠っている。皆が静かに彼女を見守っていると、パチッと目を覚ます。

「目、覚ました!」

「しーっ」

 誰かが嬉々として上げた声は他の誰かに鎮められ、再び皆が固唾を呑んで見守る。そのうち、赤ん坊はある子どもを目にすると笑った。笑い、そして小さな手を伸ばしたのだ。

「あう、あうっ」

「え、わたし……!?」

 赤ん坊が手を伸ばしたのは、他でもない晶穂へだった。驚きと嬉しさで何とも言えない複雑な顔をする晶穂に、赤ん坊を抱いた先生が手招きをする。

「おいで。この子、抱いてみて」

「えっ。……落とさないですか?」

「私がいつでも支えられるようにしておくから。ほら、おいで」

「……」

 ごくん、と喉が鳴った。晶穂は仲間の視線を一身に受けながら、赤ん坊の傍に立つ。そして、危なっかしい手つきで女の子を受け取った。

「わわっ」

「右手はこっち、左手は……そうそう、上手ね」

「重い。けど、やわらかい」

 晶穂の頬に赤ん坊が触れ、軽く髪を引っ張られた。それは痛いのだが、同時に抱いている子どもが生きているのだと実感する。

「……ふふっ」

「あう?」

「ううん、何でもないよ」

 赤ん坊の頬をつつき、晶穂はようやく子どもらしく無邪気に笑った。その様子を見てほっとしたのは、周りにいた大人たちだったかもしれない。

 それからというもの、晶穂はこの女の子の世話を任されることが増えた。世話とは言っても、食事やその他のことは先生たちがやる。晶穂がするのは、赤ん坊をあやしたり遊んであげたりすることだ。

 抱っこするのにも慣れた頃、晶穂はある先生と共に施設内にある小さな図書室を訪れた。そこには普段晶穂が良く読んでいる絵本やひらがなの多い物語が収められている。

「……あっ」

 きょろきょろと見回していた晶穂は、何かを見付けて赤ん坊を落とさないように速足になった。先生が何処に行くのかと追えば、ある本棚の前に立って上の方を見ている。赤ん坊を抱いているために本を取ることが出来ないのだ。

「晶穂ちゃん、その子抱くわ。だから、絵本を取ってあげて」

「ありがとうございます」

 晶穂は赤ん坊を先生に預け、背伸びをして一冊の本を取る。それは、犬の女の子がお母さんのメモを元に商店街に買い物に行く様子を描いた絵本だった。目のくりくりとした子犬の女の子が、表紙に大きく描かれている。

「それを読むの?」

「はい。この子と一緒に、読んでみたくて」

「なら、読み聞かせてあげると良いわ。ほら、あそこにソファーがあるから」

 先生が指差したのは、本を読むために置かれた色とりどりのソファーだ。晶穂は喜んでそれによじ登り、隣に腰掛けた先生の膝に座る赤ん坊が見やすいように大きく絵本を広げた。

 そして晶穂は、深呼吸した後に文字を目で追う。

「『あるところに、こいぬのおんなのこがすんでいました』……」

 陽射しの心地良い昼下がり。楽しげな少女の声が、小さな図書館に弾んで聞こえていた。

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