ダイ 諦めの悪い男
初恋自体は、幼い頃に経験した。叶わなかったことだけは覚えているが、ダイにとってそれは今やどうでも良いことだった。
「よお、ベアリー」
「……またあなたは。今は仕事中です」
「また眉間にしわが寄ってるぞ」
ダイがからかうと、ベアリーは更に眉間のしわを深くしてしまう。彼女に嫌われているというわけではないと思うのだが、如何せん、ベアリーは仕事の鬼だ。
「お前さ、よく飽きないよな」
「そうか?」
同期との飲み会で、ダイはいつも同じことを言われる。毎回のように言われるため、ダイの返答もおざなりになりがちだ。
またかという顔をして返答するダイに向かって、酒で出来上がってしまった同期の男は「そうだろう?」と顔を近付ける。酒臭い息が顔にかかる。
「だって、あの『鋼鉄姫』だぜ? 最初はお前みたいに行こうとしたやつらも、すぐに回れ右してたじゃねえか」
「『鋼鉄姫』ねぇ……」
ダイは手元のコーヒーを煽り、苦笑した。
鋼鉄姫とは、同期の間でつけられたベアリーのあだ名だ。仕事中の彼女は鋼鉄並みの精神力と体力で全てをこなし、誘惑全てを突っぱねる。仕事が終われば気を抜くかと思いきや、常に女王の傍にいる彼女の気を抜いた顔など誰も見たことがない。
そんなベアリーに対しつけられた名だが、ダイはそこに異議を申したい。
(あいつ、結構表情崩すけどな)
特に、お菓子を前にすると変わる。ベアリーと一番近い所で仕事をしているのはダイ一人だからか、彼女は他よりも少しだけ心を開いてくれている気がするのだ。
最近、女王メイデアから調査依頼を受けた。男女どちらもの意見が欲しいということで、ダイとベアリーが幾つかのスイーツ店を梯子することになったのだが。その時のことを思い出すと、ダイは数日経った今でも笑いが込み上げて来る。
笑いは、別にからかうための笑いではない。ただただ、可愛いなと思うだけだ。
「おい、次行くぞ」
「あ……うん」
数軒回った後の小休憩で、カフェスペースのある店に入った。その可愛らしい内装のケーキ店を後にしようと椅子から立ち上がった時、ベアリーがぼんやりと店内を見詰めていたことがあった。返事も生返事で、肩を叩いてようやく我に返った様子が見られた。
それは一度ではない。二度目は別のクッキー専門店に入った時、可愛らしい犬や猫、イルカなどのアイシングクッキーが袋に入った状態で売られていた。そのクッキーたちを見詰め、ベアリーは蚊の鳴くような小さな声で呟いたのだ。
「……可愛い」
傍にいたダイだからこそ気付いた呟きだが、ダイはその時のベアリーの表情も覚えている。頬をわずかに染め、とてもやさしい顔をしていた。
(こいつ、こんな顔もするんだな)
城での仕事中ならば、決して見せない崩れた表情。珍しい動物でも見るような目で、ダイはベアリーを凝視していた。
「――っ」
すると、ベアリーが気付いてしまった。ベアリーはダイの視線に気付くと、顔をカッと赤く染めた。そして少し怒ったように顔をしかめ、そっぽを向いたのだ。余程、極まりが悪かったのだろう。
そんなことを思い出し、ダイは頬杖をついて一人言ちた。
「……例えお前らが『鋼鉄姫』つっても、俺はあいつを諦めたり捨て置いたりはしないからな」
「へーへー。ま、うまく行ったら教えてくれよ」
同期はバンバンと適当な力加減でダイの背を叩き、何処かへふらっと行ってしまった。彼を見送り、ダイはぐるっと酒場を見回す。
ダイはアルコール類が飲めない。だから酔っぱらいだらけの店内にあって、最も冷静な判断が可能な男だった。
手元のコーヒーを飲み干し、次は何を飲もうかとメニュー表を手に取った。
翌日昼過ぎ、ダイはベアリーと王城内でばったりと出会った。ダイは休憩に行く途中で、ベアリーも所在なげに庭でベンチに腰掛けて噴水を見詰めていた。
「ベアリー、休憩か?」
「ダイ。……まあ、そんなところ。午後の仕事の段取りを頭の中で組み立てているところかな」
「よくやるな。休憩時間くらい休めよ……そうだ」
「?」
首を傾げるベアリーに、ダイは「少し待っていてくれ」と言い置いて走り去る。ベアリーは手元にあった水筒を口に運び、再び噴水に目を移す。
それから五分後、ダイの姿はベアリーの前にあった。
「ほら、これやるよ」
「これ……クッキー?」
目を瞬かせ、ベアリーは少し驚いたようだった。いつも平たんな声音に、異なる色が混ざる。
ダイはそんなベアリーの変化を楽しみつつ、首肯する。そして彼女に手渡したクッキーの袋を指差す。クッキーは花の形をしたもので、中央のくぼみには様々味のジャムが乗せられていた。
「それ、この前開店したっていうクッキー店のやつ。女子がたくさん並んでたしな、美味しそうだったからやるよ」
「あ……ありがとう」
目を輝かせ、ベアリーはほんの少しだけ目元を緩ませた。彼女の不器用な笑みは、ダイの心を打ち抜くのに充分な威力を持っている。
(こいつ、絶対鋼鉄姫なんかじゃないよなぁ)
鋼鉄姫ではない。それを知っているのは自分だけだとしても、ダイはその事実を他の同期に喋るつもりは一切ない。何故なら、彼女の笑顔を知るのは、同期というくくりの中では自分だけであって欲しいと願うからだ。
「じゃ、午後も頑張ろうぜ」
「ええ」
ベアリーの犬人のしっぽが一度だけ揺れ、ダイは軽く手を振って食堂へ向かうことにした。
まだまだ、自分が諦めるのは早い。ダイはそう思い、小さく笑った。
―――――
次回は行真のお話です。
お楽しみに。
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