ベアリー ちょっとした波紋

「おい、ベアリー」

 女王に頼まれた書類を届けに行く途中、ベアリーは自分の名を呼ぶ声を聞いて足を止めた。振り返ると、よく見知った男がこちらに向かって片手を挙げている。

「ダイ大佐、何か御用ですか?」

「おいおい、同期に向かって言葉に距離がないか?」

「仕事中ですので」

 くいっと眼鏡の柄を上げて、ベアリーはダイを睨みつけた。

 ベアリーとダイは同い年の同期であり、スカドゥラ王国の王に仕え始めた頃からの知り合いだ。他にも同期はいるが、女王の傍で働いているという意味で、一番近しい存在でもある。

 たったそれだけの関係だったはずだが、最近のダイは距離が近い。

(銀の華との一件の後、尚更という感じか……)

 銀の華という自警団は、スカドゥラ王国と対峙することをいとわなかった。それどころか、神庭に女王たちを近付けさせないため、抵抗を止めずに戦い切った。彼らと戦い以外で話す機会は持たなかったが、もしも機会があれば敵味方を排した話が出来れば良いと思っている。

 しかし、ダイは何故近いのか。不自然な距離感に対して眉間のしわを濃くし、ベアリーはこれ見よがしにため息をつく。

「……ダイ、何でも良いけどここは仕事場だってことを忘れてない?」

「お、言葉が砕けたな」

 面倒臭そうなベアリーの物言いにもかかわらず、ダイは嬉しそうだ。その理由もわからず、ベアリーは軽くしっぽを振った。

「兎に角、私は忙しいから。――じゃあ」

「おう、またな」

 あれだけ話したがる素振りを見せたにもかかわらず、ダイはすっと身を引いた。それを寂しく思い、思ってしまった自分に驚き、ベアリーは颯爽とその場を去った。


 用事を済ませ、新たな書類を手にして王城の中を歩く。高めのヒールの靴を履いているが、ベアリーがよろめくことはない。

「いつも颯爽として、かっこいいな」

「でも少し近寄りがたいというか……」

「魅力的な体をしてる。彼氏、いるのかな」

 カッカッカッ。靴音を響かせて歩くベアリーに、様々な声がぶつかる。それは好意的であり、好奇心に魅せられたものであり、時に反吐が出そうになる程好奇の視線に晒される。

 しかしベアリーは、何事もなかったかのように女王の執務室の戸を開けた。

「女王陛下、ただ今戻りました」

「お帰り、ベアリー。……ああ、それが次のか?」

「はい。大臣より、早急に目を通して欲しいとのことです」

「わかった」

 女王、メイデアはベアリーから部厚い書類を受け取ると、早速目を通し始めた。その傍で、ベアリーは棚からカップと紅茶の茶葉の入った缶を取り出す。

 メイデアは仕事をし過ぎるきらいがあり、それを止めるのもベアリーの仕事の一つなのだ。コンロで湯を沸かし、メイデアの好きな茶葉を使う。

 紅茶が丁度良い濃さに仕上がった頃、メイデアが顔を上げた。

「そういえば、ベアリー」

「はい、何でしょう?」

 カップに注いだ紅茶とお茶菓子としてクッキーを出し、ベアリーは首を傾げた。

 メイデアは嬉しそうに紅茶を飲み、クッキーを一枚摘まんだ。それから書類の束とは別に置いていた紙を一枚取ると、それをベアリーに差し出した。

「ベアリーに、行って来てほしい場所があるんだ」

「……はあ」

 紙を受け取ると、それはとある店の広告だった。可愛らしいお菓子の専門店らしく、マカロンやカップケーキなどの写真が並んでいる。

「……ここに、私がですか?」

 困惑を極めたベアリーの声に、メイデアは楽しげに微笑んで頷く。

「そうだ。……今度、城を国民に開放する祭があるだろう? その時、国民には一日を楽しく過ごして欲しいからね。招く店を選定する意味もある。勿論一件ではなく、数軒はしごして来てほしいんだが、頼めるか?」

「そういうことであるならば」

 今年からスカドゥラ王国王城では、年に一度国民に向けて城を開放することにした。武器庫や兵舎など立ち入り禁止の場所はあるものの、ある程度の城の姿を国民に知ってもらうことを目的としている。更に国民と王の距離を少しでも縮めることが出来れば、とメイデアが希望して行われることが決まった行事だ。

 ベアリーが快諾すると、メイデアは礼を言ったうえでもう一つ付け加えた。

「ああそうだ。調査には、ダイと一緒に行ってくれ。男の意見も聞きたい」

「……は?」

 目を瞬かせ、ベアリーは思わず問い返していた。


 翌日昼過ぎ、ベアリーとダイの姿はあの菓子専門店の店内にあった。

 可愛らしいピンク色中心の内装の中、カフェスペースが併設されている。ガラスのショーケースには、色とりどりのお菓子が並び、客の注文を待っていた。

 店内は若い女性客で溢れ、スタッフも女性が多い。少しだけ場違い感を感じながら、ベアリーはさっさと商品を選んで店を出ようと考えていた。

「ベアリー、これもうまそうだぞ」

「……ダイ。あなた、甘党だったのね」

 ベアリーよりも楽しそうに菓子を選ぶのは、付き添い役のはずのダイだった。猫や犬の形に焼かれたマカロンを選ぶ姿は、本当に楽しそうで。ベアリーは仕方がないと肩を竦め、彼に付き合った。

「買ったなぁ」

「……そうね」

 その後数軒を回り、二人は近くの公園で小休憩を取ることにした。ダイが屋台で紅茶を買って来て、どうせだからと試食タイムに突入する。

 幾つかメイデアのために取り置き、二人は同時にそれぞれが選んだお菓子を口に運ぶ。ベアリーは最初の店の犬の形をしたマカロンを、ダイは二軒目の菓子パン屋のクリームたっぷりベーグルだ。

「うまいな、これ」

「ええ。こちらも甘過ぎず、丁度良い甘さ」

 ベアリーは、本当のことを言えば甘いものが大好きだ。しかしこれは仕事だから、表情筋を総動員して顔をしかめる。

 それを見ていたダイは、クッと笑った。

「お前、こんな時まで我慢しなくて良いんだからな?」

「我慢? 何のこ……っ」

 何のことか。ベアリーが尋ねる前に、ダイの人差し指が彼女の口元を拭う。驚き顔を赤く染めるベアリーに対し、ダイはにやりと笑った。

「怒るなよ。マカロンのクリームが付いてたんだから」

「だ、だからって!」

 ぺろり、とダイが指を舐める。それを見て、ベアリーが更に顔を赤くした。

(ど、どうしたって言うの? こんな奴の仕草に……)

 何故か、ダイの仕草がなまめかしく見えた。ただ、指に付いたクリームを舐め取っただけのはずなのに。ベアリーは困惑しつつ、それを悟られないようにお菓子をもう一つ取る。

 ぱくんっと口に入れると、そのクッキーはほろりと崩れた。淡く優しい甘さが口に広がり、思わず頬が緩む。

「よかった。気分転換になったか?」

「え?」

 ベアリーが目を見張って横を見ると、優しい目で彼女を見詰めるダイの姿があった。真面に目を合わせてしまい、ベアリーは自分の心臓が大きく跳ねるのを自覚する。

「……」

「お前、仕事し過ぎなんだよ。たまには、そうやって緩んだ顔をする時があっても良いと思うぞ」

「……そう」

 妙に心臓が鼓動し、ベアリーはダイから目を離した。初めての経験に戸惑い、困惑する。

「……帰るよ。陛下がお待ちだから」

「おう」

 自然に重たい荷物を持ち去るダイを見送ってしまい、ベアリーは我に返ると彼を追った。


 ベアリーが自分の気持ちを自覚するには、まだ時間がかかるらしい。


 ―――――

 次回はダイのお話です。

 お楽しみに。

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