刹那 クリスタルへ還るまで
「そう。……いつか、また会えたら良いわね、甘音」
「はい!」
甘音と名乗った新たな姫神の目に、透明な涙がにじむ。それを拭う力も残されていない自分に苦笑して、刹那はクリスタルへと身を沈めた。
刹那は初代姫神の孫である。
初代・天歌の子、シンファは現世でとある男と結ばれ、吸血の性質を持つ子孫を残した。彼らはその後、長きにわたって古来種と呼ばれて静かに暮らすこととなる。
やがて魔種や獣人と敵対していく運命にあるが、刹那にはどうすることも出来ないことだった。ただ彼女は、現世を見守り続けていたのである。
「どうか、皆安らかに……」
日が昇り、人々の世を照らす。刹那は一人、命の樹に向かって現世の安寧を祈っていた。
シンファから姫神の任を継いで、幾歳経っただろうか。もう数え切れないほどの昼と夜を経て、今がある。
姫神は、決して暇ではない。ただ神庭でのんびりしているのではなく、絶えず現世の様子を観察する。そして時折神に伝えるべきことを伝え、ソディールという世界が均衡を保つように心を砕くのが最も大切な役割だ。
そんな刹那でも、銀の華という自警団については予想外だった。
「多次元を繋ぐ扉、何故……」
初代姫神の時代以前から、ソディールには幾つもの聖域、神域とも呼ばれる区域が存在した。それらは絶えず神聖で澄んだ空気に満ち、魔力を世界全体へと補給する役割を持つ。更に時折異世界とソディールを繋ぎ、迷い人を呼び寄せる。
姫神としての寿命が後少しだと勘付いた頃、刹那は神庭にて一人絶句していた。
異世界に興味を持った者たちの移動を制御したことはなく、向こうに住むことも
(他世界の女の子の運命が、別の世界で捻じ曲げられて良いはずがない)
しかし、結局は手を出さずに終わった。リンも晶穂も自分たちで全てを乗り越えられる、という神の言葉を信じたのだ。
「それでも、少しばかり意地悪ではなかったですか?」
「ふふ。天歌によく似た顔でそんなことを言われると、なかなか痛いな」
ある昼下がり。様子を見に来たレオラに向かって、刹那は釘を刺しておいた。彼が銀の華という自警団を殊の外気に入っていることはヴィルからも聞いていたし、だからと言ってあまり試練を与えては可哀想だ。
そして、最近はヴィルアルトの機嫌が良くない。気を揉んでいるのではないか、と一応レオラには言っておく。
「……わたしにはほとんど時が残されていないですから、光景も定めなくてはならないのでは?」
「もう、そうしなければならぬ時期か。……案ずるな、既に目星はつけてある」
レオラの言う後継候補は、刹那の妹の血を受け継いだ一族の少女だという。彼女の名は、甘音。レオラたち創造神を祀る神官の家系だとか。
「ならば、安心ですね」
自分の役割は、もうすぐ終わる。それを自覚すれば寂しくもあるが、きっと後継者はこの世界を愛して見守って行くことだろう。
徐々に力が失われ、立っていることも座ることさえ億劫になっていく。終わりが近いことを悟りながら、刹那はただ一人で命の樹に背中を預けていた。
パキン、パキッ。足下から透明な水晶が生まれ、刹那の体を包んでいく。決して冷たくはなく、とはいえ温かくもない。ただ包まれて消えて逝く感覚に身を委ねながら、刹那は目を閉じていた。
(人として、生き過ぎたわ。けれど、こんなわたしにも役割が与えられたと思えば、面白い人生だったのかもね)
もう、クリスタルは胸元まで迫っている。足には既に感覚はない。後は消えて逝くのみ、そう思い微笑んだ刹那の前に、彼女が現れた。
幾つかの問答を交わした後、姫神の後継と定められた甘音は微笑んだ。
「正直に言えば、永遠に近い時間を生きる覚悟はまだないです。……だけど、守りたいって気持ちは本物だから。短い時間だったかもしれないけど、大事なものがたくさん出来たから。だから……だからわたしは、ここに残ります」
「……揺るがない決意、か」
かつても自分もそうだった、と刹那は思う。その決意が揺らいだことはないが、途方もない時間の中で崩れてしまいそうな自分を感じたことは一度や二度ではない。それでも立ち続けられたのは、甘音のような気持ちがあったからだろうか。
刹那は甘音を手招き、体温の失われた手で彼女の頬に触れた。温かく、柔らかい。
(どうか、新たな姫神の笑顔が失われることのなきように)
去って行く小さな背中を瞼の裏に焼き付け、刹那は目を閉じた。
―――――
次回はメイデアのお話です。
お楽しみに。
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