天歌 導きの歌

 白に彩られた少女が丘に立ち尽くしている。彼女の前には大きな木がそびえ立ち、風に葉を揺らす。

「天歌」

「どうか、なさいましたか?」

「娘が、何をしても泣き止まないんだ。朝から熱もあるし、何も食べてくれない。どうしたら……?」

 焦燥に駆られたその男に、天歌と呼ばれた少女は笑みを返した。頷き、一歩踏み出す。

「わかりました。わたくしを娘さんの所に連れて行ってください」

「ああ。こっちだ」

 男の後を追い、天歌は村へと取って返した。

 ここは、命の樹を守る人々の住む村。守役と呼ばれる役割を絶えず繋ぎ、人々はこの地に住み続けることを許されて来た。

 そんな村に、ある日娘が生まれた。彼女は天歌と名付けられ、美しい娘へと成長を遂げる。彼女の歌声は枯れた野に活気を与え、鳥や獣を呼び込んだ。泣きじゃくる赤ん坊は笑い出し、怒りに震える男は涙を流す。そんな美しく心揺さぶる歌を歌う。

 天歌は村で『歌姫』と称され、更に彼女の才である治癒の力と共に重宝されていた。

 男について彼の家を訪れた天歌の耳に、つんざくような赤子の鳴き声が聞こえてくる。家に入ると、妻らしき女性が青い顔をして我が子をあやしていた。

「あなた!」

「まだ泣き止まないか。……天歌、すまないが頼む」

「心得ました」

 天歌は微笑み、母親から赤ん坊を受け取る。泣きじゃくる赤子を優しく抱き締め、息を吸い込んだ。

「眠れ、幼き子。あなたの声は、我らの癒し。あなたの笑みは、我らのさち。眠れ、幼き未来ある子よ……」

 それは、天歌が作った即興の子守唄。体を揺らし、ゆっくりとしたリズムで歌う。天歌の声以外に音はないが、それでも何処かで楽器が鳴っているようにすら感じられる不思議な歌。

 赤子の両親は心配そうに我が子を見守っていたが、やがて子が泣き止むと目を丸くした。そして赤子が無邪気な笑顔を見せると、母親はその場に座り込んでしまう。

「よかった……笑ってくれた」

「ありがとう、天歌。きみのお蔭だ」

「いえ。よかった、泣き止んでくれて」

 天歌もほっと息をつくと、赤ん坊を母親に返す。そして礼に昼食をという彼らの言葉を断り、外へ出る。

「ふんふーん、ふんふーん」

 村の近くの川に沿い、歩いて行く。水面みなもには青空に浮かぶ雲が映り、魚の泳ぐ姿が見えた。

 やがて夕刻に差し掛かり、辺りは赤や橙色に染まっていく。天歌は日の落ちるのがよく見える高台に立ち、伸びをした。

「さて、今日も無事に……ん?」

 日課である日の光への挨拶を述べようとした天歌だったが、あるものに気がついてしゃがむ。そこにあったのは、一本の丹塗りの矢。

「これ、何? ……大きくて神々しい力を感じる。けれど、まさかね」

 いつの間に飛んできたのか、それとも前からここに落ちていたのか。その判断すらつかず、しかし何故か置いていくことも出来ない。まさか、神が置いたものかと思うが、首を横に振る。

 天歌は丹塗りの矢の力にあらがえず、仕方なくそれを手に取った。

(うん、手に持つと更に力が伝わってくる。……きっと、私を守ってくれるわ)

 守りの矢としようと心に決め、天歌は自宅へと戻る。まさかその矢を起点として運命が大きく変化するなどと、誰が予想しただろうか。


 矢を拾ってからというもの、天歌は夜毎に不思議な夢を見た。

 夢の中、天歌は大きな木の前に立つ。その木は村の神木とよく似ており、天歌はかの木に向かって歌を口ずさんでいるのだ。

 それは神をことほぎ、人々と繋げるまじないの歌。歌う毎に歌の力が増し、木はその光を強くした。

 歌い祈る天歌のもとには、いつも同じ人物が姿を見せる。それは人の形をしながらも人でなく、天歌は気付くと膝を折って頭を下げるのだ。

「……もうすぐ、お前を迎えに行ける。この世界を見守り我らと繋ぐ、姫神よ」

「ひめ、がみ? あなたは、一体……」

 天歌は何故か、彼の人を愛おしく想う自分に気付いていた。夢から覚めるといつも、静かに涙を流しているのだ。

 あれは誰なのか。夢のことを誰かに尋ねようとは思わなかった。ただ普段通りに過ごし、その時を待ち続けていたのだ。

 そして、全てが変わる日。

 神に感謝の祈りを捧げる儀式と祭の夜のこと、天歌は村から姿を消した。誰が何処を探しても見付からず、皆が何となく信じた。──天歌は祭りにやってきた神に召され、神の世界へと迎えられたのだと。

 村の人々の考えが間違ってはいないと知る知る者はいなかったが、天歌は何が起こったのか知っていた。

「ん……、ここは?」

 目覚めると、晴れ渡る空の下にいた。爽やかな風薫る明るい森の中、彼女は倒れ伏していたのだ。

 そっと身を起こし、振り向く。するとそこには、夢に何度も出て来た巨木がそびえ立っていた。

「この木……!」

「ようやく、迎えられたな。姫神」

「誰、ですか?」

 背後から聞こえた、耳に心地よい低い声。天歌が振り向くと、そこには先程までいなかったはずの人物が二人いた。

 一人は、白銀の髪と瞳を持つ整った容姿の青年。そしてもう一人は、薄水色の長い髪を風に翻す、青い瞳の若い女性。

 どちらも美しく、天歌は目を奪われた。

 そして、青年の言葉に今一度驚愕するのである。

「天に愛された歌声を持つ娘よ。お前を我ら神と人々とを繋ぐ『姫神』に任ずる」

「姫神……」

 彼らの目を見て、天歌は悟った。もう既に、自分に選択肢は残されていないのだと。そして、これは全ての始まりに過ぎないのだと。

(そんな人生もまた、一興かしら)

 天歌は知らぬうちに身に付けていたワンピースの裾をつまみ、そっと礼をした。

「この天歌、神々の望みに従います」


 これは、全ての種族の始まりの物語。ある少女の決断は、遠い未来へと繋がっていく。


 ─────

 次回はシンファのお話です。

 お楽しみに。

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